どんな世界でも「規律」というものは存在していて、それを守らなければ「秩序」は保たれないということ。

淡いピンクが基調とした花柄のカーテンの隙間から、太陽の光が漏れている。
まだ眠気が抜け切らない身体を頑張って起き上がらせる。

いつまでもうるさく鳴り続けるアラーム音を止めるべく、右手でスマホを捉えた。

アラームを止めたスマホの液晶には11:04と表示され、その下に土曜日という文字が浮かび上がっている。

寝ぼけた頭でぼんやりと寝すぎたな。と、思う。そして欠伸を噛み殺したところで、そうか今日は3対3の試合の日か。と思い至った。


(何時からやるとか覚えてないし。どうせ勝つしなあ……)


私は3対3の勝敗のことなんかよりも、この“トリップしたということ”が事実であることに頭を抱えていた。

あの入学式の日から何度寝て起きてを繰り返そうが、夢が覚める気配はないようだ。何故なのか。

それは、夢ではないからだ。

単純な話だ。最初から何となく分かってはいたが、眠るときに少し期待するぐらい許してほしい。不可解な目に遭っているんだしね。

ベッドに座って動かないままぼーっとしていると、右手に持ったスマホが着信音と共に震えた。ディスプレイには‟繋心くん”の文字が浮かび上がっている。

同じ家に住んでいるというのに、わざわざ電話とは何事だろうか。同じ家に住んでいるというと変な誤解を生む表現になってしまったけれど。

この世界での設定上、私は烏養繋心の従兄妹らしい。つまり、烏養監督の孫ということになる、らしい。

そして、もともと両親と共に東京で暮らしていた私は父親の海外転勤(母同伴)をきっかけに宮城の繋心くんのもとへやって来た。

と、いうことらしい。


(繋心くんの様子からして、それだけが理由じゃなさそうだったけどね)


これらは、ここ数日で分かったことである。
繋心くんや伯母さんとの会話、スマホの中の父親とのやりとり。
他にも細かいことはあるけれど、それら全部を要約すると、さっき言ったみたいなことだと判断したのだ。


「もしもし、繋心くん?」
「おー、はるか起きてたのか? 体調はどうだ?」
「……うん、さっき起きた。体調も普通に良いけど」
「そーかそーか。若者がいつまでもグータラ寝てんなよ」
「うん、ご飯食べたら店番代わろっか?」
「おー、じゃあお願いするわ」


電話を切って、軽く息を吐く。東京に住んでいた私が宮城もとい繋心くんのもとへやって来たというのも、なかなか疑問を感じるがそれ以上に繋心くんの私への過保護ぶりが気になってしょうがない。


(病弱設定なのか?)


それともただ単に繋心くんがシスコン気質であるだけなのか。……いや、でも恐らく病弱設定なのが正しいような気がする。

自分の身体のことは自分が1番分かっているとは、言い得て妙だ。
私が高校生だった頃、昼まで寝すぎるなんてことはなかったし、寝起きで身体が重いと感じることもなかった。




(まるで自分の身体じゃないみたい)




まあでも、そういう“設定”であるみたいだし、受け入れようとは思っている。
とにかく、昼休憩に行きたいであろう繋心くんのためにベッドから抜け出すことにした。










▼▼▼










只今の時刻は、午後4時32分。だんだん太陽が傾き始めて、西日が強くなっていく頃だ。

昼休憩に行った繋心くんは、あのあと坂ノ下にちょろっとだけ戻ってきて、「スマン、午後あと頼んでもいいか?」と言って何処かへ出かけてしまった。

何やらバレーの町内会チームが久々に全員揃うとかで、隣の町のチームと試合をしてくるとかなんとか、慌ただしく言っていたのは伝わった。「どうせ暇だしいいよー」と軽く請け負ってしまい今に至る。


(うーん、暇すぎる)


今日の店内は土曜日だからか、学生で賑わう筈の時間帯も物寂しくがらんとしている。
店番を交代してから4時間は経っているが、お客さんは味醂を買いに来たお婆ちゃんが1人だけだ。

本を読んだり、スマホを弄ったり、先日出された課題を解いてみたり、と色々手は尽くした。

しかし、本は読み終わってしまうし、スマホを弄るのも限界が来てしまうし、課題は解き終わってしまうし、と暇なことに一切変わりはなかった。

こんなことで経営は大丈夫なのだろうかと、少々不安を抱く。
それとも今日が特別暇なのかもしれない。むしろそうであってほしいと願ってしまうものだ。


(こういうことは安請け合いするもんじゃないなぁ)


遂にはウトウトと睡魔が襲い始め、それに身を委ねてしまいそうになる。
睡魔と戦うべく、微睡の中で必死に円周率を唱えてみるが、余計眠くなってしまった。

そのとき、ガラガラッという入口の戸が開いた音でハッと目が覚める。


「い、いらっしゃいま……せ……」


やばいやばい、と入口を見やるとあの大地さんが立っていた。当たり前だけど、3対3は終わったらしい。

坂ノ下商店の壁掛け時計をちらりと確認すると、只今の時刻は、午後5時を少し過ぎたあたりだった。ウトウトしている間に、30分程度の時間が流れていたようだ。


「あれ、いつもの人じゃないんですね」
「あー、今日は急用で。私が代わりに」
「あぁ、そうなんですね」
「……肉まんですか?」
「あ、はい。お願いします」


どうやら、大地さんは私が烏野の生徒だと気付いていないようだ。あの日、体育館行かなくて良かった。と少し安堵する。

そうだよね、こっちが一方的に知ってるだけで大地さんは私の存在なんか今の今まで知らなかっただろうし。




「恋人、ですか?」
「……はい?」




何が、誰の、誰が。

唐突な大地さんからの質問に、質問の意味も意図も分からず頭の上にクエスチョンマークを幾つか飛ばすことになる。

質問をした当の本人は何食わぬ顔である。


「いつもいるお兄さんの、恋人なのかなって……思ったんですけど」
「繋心くんと、私が、コイビト……。多分、地球が滅亡しても有り得ません」
「ぶっ! 地球滅亡って……!」


何がツボに嵌ったのか、大地さんはケラケラと笑っている。
何が何だか分からないので、今あるだけの肉まん全部を袋に詰めて大地さんの目の前に置いといた。

それから「従兄妹なんですよ」という一言だけは添えて置く。
それに関しては勘違いされちゃ、堪ったものじゃない。一応、今の私は高校生だしね。


「ああ、そういう……でも、全然似てないんですね」
「まぁ、従兄妹ですし」
「ははっ、そうですよね。さっきから的外れなことばっかで、何かすみません」


実際は、従兄妹だからとかそういうんじゃなくて、全くの赤の他人なんだから似るも何も無いだけなのだけれど。

もしかして、神様はそれを見越して従兄妹という設定にしたのだろうか。

それにしても、地域の繋がり? っていうのだろうか。初対面のお店の人によくこんなにフレンドリーに話せるよなあ。と何だか感心してしまう。

地域性なのか、はたまた大地さんのコミュ力が高いだけなのか。


「じゃあ肉まん、ありがとうございます」
「あ、はい。毎度です」


人の好さそうな笑顔で大地さんは、きちんとお金を支払ってから肉まんの入った紙袋を持って店内を出て行った。

それを見送って、少し緊張していたせいか肩の力が一気に抜ける。「はぁ」と軽く溜息を吐く。

少ししてから「ふざけんな!」「何先に食ってんだ!」というようなセリフがお店の外から聞こえてきた。

うん、バレー部の人達ですな。そういえば、そんなシーンあったなと漫画の内容を思い返していた。


(それにしても、本当に漫画で喋ってたまんま喋るんだな)


なんて、この間の外練での月島と影山の一触即発シーンも思い出しながら何だか感心してしまう。

その人がこの先、どんな発言をしてどんな行動を取るのかを私は知っているなんて、変な感じだ。

そんなことを考えていると、本格的に部活をどうしようかという悩みが掘り返って来た。

このまま帰宅部だと私の日常は目に見えている、気がする。今日みたいな日が、きっとまたやって来ると思うとゾッとした。

兎にも角にも、暇すぎるのだ。

またガラガラと入口の戸を開ける音がした。「いらっしゃいませ」と言おうとして、口を噤んだ。また、大地さんだ。


「すみません、そこのテーブル借りても良いですか?」
「あぁ、どうぞどうぞー」
「ちわーす……って、女子だ」


いつもの感じで入って来たのだろう菅原さんが、こちらを見て目を丸くする。
私は一応、軽く会釈をしておく。菅原さんは、それに対してあの爽やかな笑顔で応えてくれた。

おお、及川さんが“爽やかくん”っていうだけあるなあ。と妙に納得してしまう。


「何ィッ! 女子だとぉーッ!!」


どんな地獄耳をしていたのか田中が、入店しようとした影山を押し退けてお店に乱入して来た。

正に文字通り乱入だった。それを見て私は、身体能力えげつないな。と的外れなことを思っていた。

田中は私を目に捉えると、「じょ、じょ、じょすぃ……じょ、じょ」と意味の分からない言葉を唱えている。

「女子」と言いたいのだろうか? 潔子さんという美女を普段から見ているのだから、私なんかに照れる要素は無いだろうに。


「田中さん、いてぇッス!!」
「田中さぁん!」
「じょおおぉおっ!」
「この人どうしちゃったの?」
「言語化できてない……」


影山、日向、月島、山口……と、バレー部1年軍団も田中さんに続いてお店に足を踏み入れて来た。ていうか、1年生は全員顔見知りじゃん。私もしかして危機なのでは。

あ、田中の頭を菅原さんが叩いた。


「あの、静かにしてもらっていいでしょうか……?」


漫画で騒がしいのは分かっていたが、目の前にすると何が何だか。という感じで、まあとにかく何か疲れる。

もうこの数分で疲弊しているのは気のせいではない。

漫画で見ていた時はむしろ元気が出るくらいだったのだが。漫画と現実のギャップって激しいんだな……と私は思いました。(作文風)


「すみませんっ! ほら、もうお前ら影山以外帰んなさい」
「あれっ? はるかだっ! なあ影山っ!」
「あ、ウッス」
「ホントだ。明智さんが何でここに?」
「……」


ううーん、うん。日向はどこでも自由だね。大地さんが注意してるんだけどアレ大丈夫なのかな。一応ニコッと笑って「やっほー」と手だけ振っておく。

これで身バレは確定しましたね。ならば、さっきの大地さんとの2人きりの無駄な緊張返して下さい。

別に、バレて困るようなことは恐らく、たぶん、どうか分からないけれど、無いと思うから大丈夫、のはず。なんだけどね。

それから月島くんは無言でプレッシャーをかけてくるのをやめて下さい。
私は、なにか貴方様に嫌われるようなことを致しましたでしょうか。コラ。(田中さん風)


「なに、知り合いなのお前ら」
「レシーブ超うまいんです!!」
「トスも上手かったな」
「そーそーっ!!!」
「……誰か通訳してくれ」


呆れて手で顔を覆てしまった大地さんに月島が外のレシーブ練のときのことを簡潔に伝えていた。

もちろん自分が日向と影山を煽ったことは伏せつつ、だ。うまいなコノヤロー。

補足で山口が「俺とツッキーはクラスが一緒なんです」と教えていた。……そのときの月島のしかめっ面は忘れないと思う。


「じゃあ、1年生なのか」
「へーっ! 大人っぽいんだなぁ」
「そんなこと……」
「ガラが悪いだけじゃないの?」


菅原さんが褒めて(?)くださったもんだから、それがお世辞でも否定しておこうと思ったら私の言葉を月島が遮った。

ガラが悪い……え、私ってガラ悪かったの!?

そんなこと今まで誰にも言われたことがないので途轍もなくショックです私。
そ、そんなに品がないんでショウか……。月島の言葉に若干落ち込んでしまう。


「ガラは悪くないだろ」
「ガラが悪いってーのは、田中みたいな輩を言うんだぞー?」
「エッ!? スガさんっ!?」
「ふ、不良には見えないぞっ!」
(カレーに温玉……)
「く、クール系って意味だよね! ツッキー!」
「でも、ピアスとか開けてるし」


“ピアス”、その単語に異様な程に、反応してしまう。ゆっくりと確かめるように耳朶を触った。たしかに、ついている。ピアスが。

身体の一部になりすぎていて、こっちの世界に来てから鏡を見ていても気づけなかった。

不覚にも下唇を、噛んだ――。


「いや! でも! 似合ってるし! なっ、スガ!……校則違反だけど」
「エッ! あぁ、うん! 似合ってる!……校則違反だけど」
「わはは! 意外とやることが男前だな!」
「ピアスかっけぇえ!!!!」
「ピアスって校則違反なのか」
「たしか入学前の説明会で言われてた」
「ほら、何か言ったらどうなの?」


私のピアスに関する各々のリアクションがどったんばったんの如く返ってきて少々反応に遅れてしまう。
ハイキュー風に言うと、自分よりテンション高い人を見ると冷静になる法則である。

まあとりあえず、日向と影山(プラス田中)はどういう時でもマイペースなんだなと、改めて実感しつつ……。

校則違反、校則違反……校則、違反……?
あれ、私って耳が遠かったかな? と、どこか現実逃避のような疑問を抱く。

校則違反とな――――?




「えっ!? ピアスって校則違反なの!?!?」
「いや、知らなかったのかよ!!!!!!」
「すげー! 先輩3人ともハモった!」
(腹減ったな)
「明智さん、すごいビックリしてる……」
「説明されてたデショ」




漫画だから何でもありとかじゃないの!? てか、校則違反が存在するんだ!?
西谷のあの髪型は良いのに!? 旭さんの髭も許されるのに!?

なにどういう基準!! あれですか、物理的に穴開けてるからですか!?!?

なにそれ理不尽!!!!!!!

いや、普通にプチパニックだわ! そりゃ校則違反なのに、入学早々ピアスしてる女が同じクラスだったらツッキーもあんな顔で見るわ!! 敬遠されていた理由がまさかのピアスだったとは!!! 盲点!!!!

ハッ!! そう考えると山口め! イイ男だなあ! 優男だなあ、おい!!
そんな君は今日から山口優忠やまぐちやさただだ!!!(?)

私は只今、動揺と困惑でテンションMAXですッ!!!!!!(?)




「こ、今度から外して行きマス……」
「そんなに落ち込むとは……」




「元気出しなよ」と、菅原さんが慰めてくれる。なんてお優しいのでしょう。今の私の心に染み渡って行くようです。


(ありがとうございます)
「なんだ、ただのエンジェルか」
「えんっ……エッ、なんて?」


しまった、頭がオーバーヒートのパニック大洪水の、じゅげむじゅげむって感じで本音と建前が逆になってしまった☆

うん。私は何を言っているのだろう?


「エンジェル? 何の話だ?」


うん、影山くん。こういう時は突っ込まないのが正解だ。

社会に出たらね、例え上司のヅラがズレようとも「あれヅラだったのか」なんて言わないし、先輩に「本音は?」なんて聞かれても本音なんか言わないのだよ。

それが大人ってもんなのだよ。

だから、何で変なトコで会話に参加してくるの? 馬鹿なの? 阿呆なの? 単細胞なの?


(それはもう忘れて下さい)
「あぁ、バレー馬鹿だったか」
「バッ!?」


すみません、どうやら私の頭はまだ混乱の渦中に居たようです。申し訳ないとは思ってる、影山くん。

他の1年生3人が影山をバカにしたように笑っている。いや、日向もバレー馬鹿に変わりはないと思うぞ……?


「ふっ、はははっ!」


日向を訝しげに見ていると、男らしく爽やかに(男らしいのに爽やかってどういう要領なんだ? なるほど、天才か)大地さんが笑った。
不思議に思って首を傾げると、大地さんの視線が私に刺さる。


「結構、面白いヤツだな」


やっぱ男子高校生、可愛いな。なんて大地さんの笑顔を見て他人事みたいに思った。(変態っぽいのは許して下さい)




とりあえず、ピアス外さなきゃな。と心に決めた夕方のひとコマだった。