第二章
強く優しく美しく、05




 あれから三日。
 わたしは学校帰り、近所の公園に千冬くんを呼び出した。

 元気なのは電話で確認できたけれど、どうしても顔が見たかったし、二人きりで話がしたかったのだ。学校では会えなかったり土日を挟んだりして、結局マイキーたちの目を盗むのに三日もかかってしまった。

「あきちゃん、待たせてすんません」
「千冬く‥‥‥、!!??」

 控えめに声をかけてきた彼のあまりの有様に声を失って、泣きそうになったところで「ちょちょちょ」と肩を掴まれる。
 右目をすっぽり覆う大きな絆創膏、それに顔面至るところに残る内出血の痕。千冬くんだって不良だから、ケンカで怪我をこさえることくらいあったけれど、こんなに酷いのは初めてだ。

「へーき! ヘーキですってこんくらい!」
「だって‥‥‥ち、ちちち千冬くんの可愛いお顔が! 圭ちゃん! 万死に値する!!」
「万死!? いやオレの顔可愛いとか言うのあきちゃんくらいっスけどね。大丈夫だってば不良なんだからこのくらいの怪我慣れてるって! だから顔合わせたくなかったんですよ、あきちゃんに泣かれたらオレ本当どうしたらいいかわかんなくてパニクるんで勘弁してー!!」

 焦ってわーわー騒ぐ千冬くんがあまりに元気だったので逆に安心してしまった。
 とりあえず自販機で飲み物を買って、ベンチに腰かける。

「一人で来たんスか?」
「うん。圭ちゃんはどうしても連絡つかないし、マイキーに一緒に来てもらうわけにもいかないでしょ」
「‥‥‥‥」

 千冬くんは唇を引き結んで黙り込んだ。

「あの日のこと、マイキーには言ってないから」
「‥‥‥なんで‥‥‥」
「千冬くんが一番わかってるんじゃないの? わたしは圭ちゃんの仲間でもあるんだよ」

 圭ちゃんを通して彼と知り合い、一年半経った。
 学校生活があったぶん他の東卍のメンバーよりも親しいつもりでいる。最初は警戒心マックスで毛を逆立てていたのが嘘みたいに、にこにこ笑いかけてくれるようになった。

 だから彼にとって、圭ちゃんと共にいるに値する人間でいたい。

「マイキーたちがわたしに伏せていることを、千冬くんが言えるわけないの承知してる。でもそのうえでお願い、何が起きているのか教えて」
「‥‥‥‥」
「カズトラくんに呼び出されて油断した。彼が敵だと知らなかったから。わたしは誰を警戒すればいいのか、何から身を守ればいいのか──そんなことさえ知らないの」

 千冬くんの沈黙は頑なだった。
 公園の遊具で遊ぶ子どもたちの高い声が響いている。昔はわたしたちも、よくここで遊んだものだった。
 虫を掴んで追っかけてくるマイキーと圭ちゃんから泣きながら逃げて、拗ねて、滑り台の下のトンネルに隠れて。あのときはわたしがあまりに大泣きするから、困りきった二人は真一郎くんに助けを求めた。迎えにきてくれた真一郎くんはちょっと笑って、そして悪ノリしたマイキーたちに思いっきり拳骨を叩き込んでいたっけ。
 あれは痛そうだったな。

「圭ちゃんが本当に隠したがっている部分までは教えてくれなくていいから。とりあえず芭流覇羅というのが、いま東卍と敵対しているチームなんだよね?」

 千冬くんに申し訳なく思いながらも訊ねると、彼は苦い表情でこくんとうなずいた。
 そして、わたしが何を知っているのかを確認しつつ、言葉を択び、詳細は伏せながら、慎重に現状を語ってくれた。


 圭ちゃんは、わたしが芭流覇羅に拉致されたあの前夜、東卍の集会で揉め事を起こしたのだそうだ。
 その前々から内輪揉めを起こしたことで謹慎になってはいたのだけれど、それが決定打となり脱退を宣言したという。十中八九、その内輪揉めは脱退するための布石だ。勉強はできないけどそういう知恵は回ってしまう人だから。
 カズトラくんが出所後に何人か集めて、反東卍、反マイキーのチームを作り始めたことは調べがついていた。そのチームと、半間率いる愛美愛主の残党が合流して、芭流覇羅という新興勢力が誕生したのだ。


 つまり───


「圭ちゃんがカズトラくんのもとに流れた、っていう構図になるわけね」
「そう、っすね。はい」
「むー‥‥‥意味わかんない」

 元からたまにぶっ飛んだことをしでかす人ではあったけど、史上最悪に圭ちゃんの意図がわからない。
 マイキーがカズトラくんを殺したいほど憎んでいることを誰より知っていて、そして誰よりも傍でマイキーを諭し続けていたはずの張本人が、カズトラくんと手を組んでマイキーを殺す?

「‥‥‥大体、なんでカズトラくんがマイキーを殺すの。真一郎くんを死なせてしまったのはカズトラくんなのに」
「そこんトコは、オレにはよく‥‥‥」

 マイキーとカズトラくんのことについて、圭ちゃんと一番話を共有していたのはわたしだ。そのわたしでさえこの状態なのだから、マイキーたちはもっと戸惑っているかもしれない。

「だけど、場地さんが東卍やあきちゃんを裏切るなんて絶対ないはずだから」
「‥‥‥うん。それは、よくわかってるよ」


「裏切ってゴメン──」


 よく、わかってる。
 わかってるつもりだったけれど、本当は、全然わかっていないのかもしれない。


「もう二度と裏切らないから‥‥‥」


 圭ちゃんとカズトラくん。
 二年前の夏、マイキーのためにバイクを盗もうとして忍び込んだお店で、居合わせた真一郎くんを殺してしまった二人。
 直接手を下したのはカズトラくんだけど、二人には二人にしか分け合えない苦悩や恐怖があっただろう。
 もともと仲の良かった特攻隊長どうしなのだから。


 カズトラくんのためなら、圭ちゃん、確かに東卍を抜けるかもしれない。
 出所してひとりぼっちのカズトラくんに寄り添うために。


 千冬くんの話を聞いて逆に納得してしまった。だって多分、圭ちゃんってそういう人だ。

「ありがとうね、話してくれて。おかげで待ち伏せする元気が出た」
「ま、待ち伏せ?」
「どうせ圭ちゃんのことだから何も喋らないだろうけど、直接会って、色々聞いてみる」
「だっ‥‥‥」

 大丈夫なんスか、そんなことして、って顔に書いてある。
 何を考えているのかよくわかんない圭ちゃんとずっと一緒にいるわりに、千冬くんは何を考えているのかとっても解りやすい。素直で、ひねくれていなくて、正直で純粋。そういうところが気に入って、圭ちゃんはこの子を東卍に入れたんだ。

「大丈夫だよ」
「大丈夫ってなにが!」
「圭ちゃん、一人で頑張ろうとしてるんだから。わたしだって頑張るよ」
「あきちゃん‥‥‥」
「よし、そうと決まれば!」

 ぐっと両拳を握りしめたわたしに千冬くんがぎょっと身を引いた。「ケンカっすか!?」と頓珍漢なことを言っている。
 わたしが圭ちゃんに殴りかかってケンカになると思っているのだろうか、この子は?

「バナナマフィンでも焼こうかなって」
「‥‥‥‥ハ?」

 千冬くんがぽかんと口を開ける。

「材料まだあったかなぁ。あ、千冬くんも一人で無茶しちゃだめだよ。あんまり怪しい動きをしてると伍番隊に警戒されちゃうから、ちゃんとマイキーに話は通して」
「あ、それは大丈夫っす、オレ今タケミっちと組んでるんで。最近入ったばっかのヤツらしいんスけど‥‥‥じゃなくて、なんでバナナマフィン?」
「え、千冬くんとタケミっち? そこ繋がりがあったの?」
「え? あきちゃんはタケミっち知ってるんスか」
「え? ていうかタケミっちが最近入ったって、何に?」

 突然飛び出した『タケミっち』の名前で一気に混乱してしまった。

 聞けばタケミっちは圭ちゃんが脱退を宣言した夜、マイキーに「場地を連れ戻せ」という無茶ぶりを受け、もののついでに弐番隊に入ることとなったそうだ。無茶ぶりにもほどがある。タケミっちかわいそう。
 しかも翌日の芭流覇羅アジトで、わたしが気を失った直後にカズトラくんに連行されて来たらしい。

「えええ‥‥‥なんで?」
「カズトラくんと同中らしいっスよ。でも次の日にタケミっちつかまえたときは『アジトにいた女の子どうなったんだろ』とか言ってたから、面識ないと思ってたけど」
「ああ、あの子大溝中なんだ。マイキーとドラケンくんからよく名前を聞くけど、まだ会ったことはないよ。向こうはわたしのことも知らないと思うな」

 説明が面倒くさくなった千冬くんが「で、なんやかんやあってタケミっちと組むことになりました」と話を締めくくった。
 知りたいのはその「なんやかんや」の部分だったんだけどな。

「ぶっ飛んでるしバカっぽいけど、いい奴っすよ」
「うん。マイキーのお気に入りだからね」

 ──東卍のみんなは、あんまり自分のことを棚に上げて、他の子をアホとかバカとか言わないほうがいいよ。ブーメランだから。
 とは思ったものの、黙っておいた。彼らのアホやバカは長所でもあるのだ。

「えーっと‥‥‥なんでタケミっちの話してたんですっけ?」

 バナナマフィンの話はすぽっと抜け落ちたらしい。
 こういうとこ圭ちゃんとそっくりだ。

「千冬くんはかわいいなぁ‥‥‥」
「なんで!?」

 でも、そっか。
 これでマイキーが、圭ちゃんの脱退の一件をわたしに黙っていた理由がわかった。



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