その日、個人ランク戦ブースに籠もっていた空閑遊真が試合を申し込んだ相手は156号室のスコーピオン使い。市街地を模した仮想戦闘空間で対峙したのは二つ三つ年上と思しき女性隊員だった。
 ポイント上ではほぼ同格だが、これまでランク戦でも防衛任務でも見たことがない顔だ。にっこり笑って「はじめまして」と声をかけられたので空閑からも「よろしくどうぞ」と頭を下げた。

 結果、十本やって五対五。
 最初の二本を先取したあたりで「様子を見られている」と感じた。次の三、四本目を取り返され、そのあとは一本ずつ取って取られてを繰り返し終わってみれば引き分けだ。
 こちらの動きを記録で研究してきている相手や、何度か戦って勝手を知っている相手特有の「突拍子のなさも含めて読まれている」という感じはしない。こちらの動きをよく観察して都度修正、対応してきている、トリオン体で戦うことに慣れている熟練者、という印象だった。かなり強い。
 それに十本目、完全に不意をついたはずだった、相手にとって初見のはずの『マンティス』も難なく避けられた。自分が発案者というわけではないからそれ自体はおかしいことはないのだが、やたらと余裕で払われたのでちょっと驚いたのだ。

 空閑がブースを出ると、真下の156号室からちょうど相手も出てきたところだった。

「どもども」

 ぱっとこちらを振り仰いだ少女は、ぱちぱち瞬いて「こんにちは」と相好を崩す。
 さっきまで戦っていたのに改めて「こんにちは」も変な話だけど。戦闘中の冷静で恬淡とした動きからはあまり結びつかない、柔らかくて朗らかな笑顔だった。

「強いねぇ。初対面の相手に五本も取られたの久しぶりだよ」

 それはこっちの台詞だ。

「いえいえお姉さんこそお強くていらっしゃる」
「いえいえ最近は狙撃ばっかりだったからなまっててお恥ずかしい」

 それで見覚えがない顔だったのか。納得しながら通路の柵を飛び越え、相手の隣に降り立つ。彼女の隊服はB級に支給される数種類のうちの一つで、部隊腕章もついていない。

「お姉さん、攻撃手専門じゃないんだな。あらふね先輩みたいな感じなの?」
「そうそう、まさに荒船くんに狙撃に引っ張り込まれて。もともとの専門は弧月なんだけどね」
「ふーむ。最後のマンティス、読んでたのか?」
「ううん、びっくりしたよ。でもマンティスは見慣れてるから、出てくるタイミングと刃の向きがわかれば簡単に手で払える」

 空閑は自分ともう一人、技の発案者以外でマンティスを使う人を知らない。スコーピオンを両装備にしてさらに繋げるという荒業は使い手を択ぶはずだ。となると見慣れている相手は当の発案者ということになるが──

「お姉さん、かげうら先輩と知り合い?」

 思わず訝しい口調になったが彼女は笑顔でうなずいた。「マンティスはわたしが育てました!」と胸まで張る。
 先日のB級ランク戦で当たった影浦隊の隊長と、目の前でほわほわ笑っている相手とを頭のなかで並べてみるが、いまいちしっくりこない。かげうら先輩がこんな女子と頻繁に試合……?
 いやまあ、あの人だって自分に対する悪意に黙っちゃいない性質なだけで、好意的な人間にいちいち突っかかるわけじゃない。げんに自分のことは気に入ってくれているらしいし、仲のいい隊員だってそこそこいる。そう考えると、このまんまるい雰囲気で物怖じしなさそうな人とは相性がいいのかも。

 とかなんとか考えていると、ホールのソファに集まって話していた顔見知り三人組が「よお」とこちらに手を振っているのが見えた。
 荒船、村上、それからソファに踏ん反り返っているのは当の影浦。
 空閑が手を上げて応えていたら、隣の彼女が「やだー見てたのー?」と冗談めかして顔を隠した。

 彼女は機嫌の悪そうな顔で首筋をぽりぽり掻いている影浦に躊躇なく近付くと、ソファの背中側に回って、「影浦たいちょ〜防衛任務おつかれさまでございます〜」と茶化し労わりながら肩を揉み始めた。
 ちらりとその二人の背後に目をやると、何やら忌々しげに顔を顰めたC級の男子隊員が二人。
 気付いているのかいないのか「うぜぇ」とぼやく影浦の肩を揉み続ける彼女に、荒船が「いい勝負してたじゃねーか」と笑いかける。

「空閑相手によく五本も取ったな」
「くがくんていうんだ。みんな知り合い?」

 そこでようやく、お互いに自己紹介がまだだったなと気がついた。隊長が有名人だし、わりに派手なデビューを飾った隊に属しているし、自分が目立つ類いなのも自覚しているので、こう改めて名乗るのも新鮮な感じがする。

「玉狛第二の空閑遊真ともうします」
「ああこれはご丁寧に……。わたしは本部B級の井實理世です」
「井實先輩か。チームは組んでないんだな」
「うん、最近はね。たまにピンチヒッターで入ることはあるよ。影浦隊にいたこともあるし」

 そんな空閑たちを見て、残る三人は揃って変な顔をしていた。
 妙なものを目撃したとでもいいたげな目線を交わし合っている。多分彼女が空閑を一切知らない様子だったことに驚いているのだろうなと思っていたが、代表して口を開いた村上が大体そんなことを訊いた。

「理世ちゃん空閑のこと知らないの。今期けっこう派手に勝ってるんだよ」
「あらぁそうなの、お恥ずかしい。今期のランク戦、全然見てないから知らなかったや」
「俺も鋼もカゲも負けたんだぜ」
「なにそれおもしろ。ログ見よ」

「「「見んなよ」」」男三人が合唱した。「あと俺ぁ負けてねぇ」と影浦が付け足す。確かにチーム戦績を別にしたら空閑対影浦の勝負ははっきりとはついていない。
 まあ隊に所属していないならランク戦はあまり関係ないか。そういう人もいるんだなぁと、空閑はその事実を頭の隅に留め置いた。

 井實は影浦の肩を揉むのをやめて、ぼさぼさ頭に両掌を重ねると、そのうえに顎を乗っける。
「重いんだよ」とやられた影浦が鬱陶しそうに頭を押しやっているが、本気で拒絶している感じはしない。けっこう珍しい光景のように思うが、荒船も村上もさらっと流しているのでいつものことなのか。

「だってね、今期けっこう市街地破壊著しい感じでしょ。火力強めの二宮さんもいるし、見る気がしなくって」
「あー、まあそうだな」

 荒船がうなずいた。
 地形を利用した戦術で勝ち上がった部分がある玉狛第二としては聞き逃せない。『大砲』で住宅を薙ぎ払ったり橋を落としたり水攻めしてみたりと、三雲隊は『市街地破壊著しい』自覚が十分にある。

「だめなのか?」

 彼女は「だめじゃないよ」と微笑んだ。
 だめじゃないというその言葉に嘘はなさそうだった。

「もちろん、仮想戦闘空間なんだから市街地を破壊したって支障はない。それどころか実際の戦闘行為では、地形を逆手にとってこちらが有利を取らなければならない。防衛任務での戦地は基本的に警戒区域で住民がいるわけでもないから、よほどじゃなければ民間の死人も出ないんだけど」
「けど?」
「市街地の倒壊が、ちょっとね、好きじゃないだけ」


隊員Kの証言



 荒船と村上がちょっと焦った顔になった。これは微妙な空気になっちまったと彼らが相槌を探るうちに、影浦がのそりとソファから立ち上がる。

「帰んぞ」
「うん。二人はかげうら来るんでしょ。空閑くんもどう?」

 断る理由もないしかげうらのお好み焼きは好きなのでうなずいた。
 すたこらとホールを出ていく影浦の後ろ姿を追いかけながら、井實がにっこり笑う。

「荷物、まさとのとこに置いてきたから取ってくる!」
「エレベーターホールにいるからなー」
「うん!」

 空閑たちも適当に換装を解いて歩きだした。
 エレベーターホールに屯して、通りがかる隊員たちと駄弁ったり、今度のソロ試合の約束をしたりしながら井實たちを待つ。
 そういえば井實の言った『まさと』とは誰だろうと村上に訊こうとしたところで、通路の先から二人が現れた。

 背中を丸めて怠そうに歩く影浦と、その斜め下を行く一台の車椅子。
 車椅子に座っているのが、先程までスコーピオンで空閑と互角に斬り結んでいた井實その人だった。


 ──その様子にも当然驚いたのだが、それよりも、


「まさとってかげうら先輩の下の名前か!」


「そっちかよ」と影浦がぼやき、荒船と村上は然りとうなずいた。みんなカゲって呼ぶから忘れるよねと、井實はぽやぽや笑っていた。


▲ ▶ ▼ ◀


 かげうらに到着するまで井實は至極穏やかに、彼女の両脚の事情について明けてくれた。

「最初の大規模侵攻のとき、東三門にいたの。瓦礫に脚を挟まれちゃって。動かないことはないんだけど、長時間歩くのはまだしんどいから車椅子で移動してるんだ」
「トリオン体なら動けるんだな」
「うん。病院のお医者さんもボーダーの研究員さんも、トリオン体で動けるなら実際の肉体でも歩けるはずだって。ようは気持ちの問題らしいよ。のんびりリハビリ中」
「そっか」

 車椅子を押してみてもいいかと訊ねると、影浦が無言でハンドルを指さしてくれた。
 思ったより重くない。ボーダー本部内はエレベーターで移動できるし段差もない平坦な通路が続いたが、市街地へ出た途端に道ががたがたしはじめた。ブレーキはどこだとか、段差を越えるときは声をかけるんだとか、このへんの下り坂はブレーキかけながら下りるんだとか、荒船や村上がいちいちレクチャーしてくれる。影浦は黙って眺めていた。

「遊真くん、じょうず!」
「いやぁそれほどでも」
「少なくとも初めて車椅子を押したまさとより上手!」
「引っくり返すぞテメエ」

 アスファルトの上を歩くあいだずっとハンドルを握った手に振動が伝わっていた。座っている彼女はもっと直截揺れているのだろう。
 こうしてみると、栄えていると思っていた『こちら』の市街地にも障害が多いものだ。普通に歩いていたら気にも留めないような段差をいちいち意識して、へえと思った。

 お好み焼き屋に到着すると、影浦は「先入って注文してろ」と言いおいて、車椅子を押しながら裏口へと回っていった。荒船と村上が慣れたように返事をする後ろをついていく。
 店内の隅っこの席に座って、すっかり顔なじみとなった影浦父・母にあいさつがてら注文を済ませた。
 いつも通り繁盛しているようだ。

「あや先輩てかげうら先輩んちに住んでんの?」
「そうだよ。大規模侵攻で家族が亡くなって、家も警戒区域になっちゃって、それで近所のカゲんちが引き取ることになったんだって」
「あいつは四年前、ホントに真っ只中にいたみたいだからな。目の前で近界民に町が破壊されるのを見てる。だからまあ……市街地の損壊を顧みない乱暴なやり方が好みじゃないんだよ」
「ランク戦に参加したときは割り切るみたいだけど。でも派手な戦闘のあとの理世ちゃんはちょっとへこんでる」
「それはまた難儀な……」

 話しているうちに店の奥から影浦が顔を出した。
 ぎこちなく左足と右足を交互に動かす井實に手を貸しながら、普通の歩行の三倍も四倍も時間をかけて、けっして広くない店の中をえっちらおっちら歩いてくる。確かに歩みは遅いが彼女の脚の動きは正常なように見えた。
 ……気持ちの問題、か。

「だいぶ歩けるようになったじゃねーか」

 ようやく席に着いた二人に荒船が水を差し出した。

「でしょう。そうでしょう!」
「オイあんま褒めんな。調子に乗る」

 鼻高々な井實と容赦ない影浦。村上が横から「去年まではずっとカゲが抱えて移動してたんだって」と補足を入れてくれた。

「もう平気って言ってるのに、まさといつまで経っても過保護だし」
「かげうら先輩がかほご……」
「誰のせいだ! 目ぇ離したらおめーがいつでもどこでもスッ転んでっからだろうが」
「カゲも過保護は否定しねーし」
「数年前のことをねちねちと……。別に孤立無援の一人暮らし始めるわけじゃないんだから」

 おや、と空閑は首を傾げた。
 するとまた村上が横から「理世ちゃん、高校卒業したら正式にボーダーに就職して支部に住むんだって。こないだからずっとこれでバトルしてる」
 目の前の鉄板で手際よくお好み焼きを焼きながら、二人はぐちぐち言い合っていた。それでも手を休めないのはさすがというか。

「支部のなかならトリオン体で移動できるし大丈夫だって言ってるのに」
「外に出たらどうすんだよ。買いものとか通院とかランク戦もあんだろ」
「そこはほらー、なんかその辺歩いてる隊員つかまえるってば」
「そのうち他人に声かけんの申し訳なくなって泣きついてくんの目に見えてんだよ」
「いつまでも影浦家にお世話になるわけにいかないんだし、お兄ちゃんやまさとだって彼女ができたとき『あ、ウチお好み焼き屋やっててついでに赤の他人の女が住んでるから』とか言えないでしょ?」

 一人暮らしをして独立したい井實を、心配な影浦が引き留めている、という図らしい。現時点では井實のほうに分があるように見える。

「かげうら先輩とあや先輩ってつきあってるんじゃないの?」

 テーブルの下で蹴られた。正面の影浦に。
 気付いた井實がすかさず「こらっ、まさと!」と眉を吊り上げて、影浦は例の「がおー」みたいな顔で威嚇する。なかよしか。

「あはは、つきあってないよ。だったら話は早いんだけどねぇ」
「どんなふうに?」
「『まさと、実家出て同棲しよ!』って言えるじゃない」
「なるほど、手っ取り早い」
「まあね、もう手続きしてるから、まさとが何言おうと関係ないけどね。忍田さんにも言ってあるんだよ、『影浦の大反対がすごいのでいざとなったらわたしを攫ってください!』って」

 しのだ本部長も大変だなぁ。

 その後二人のけんかは一旦ストップし、空閑たちは鰹節をひらひらと踊らせる出来立てのお好み焼きに舌鼓を打った。
 荒船と井實は映画という共通の趣味があるみたいで「今度あれを観に行こう」「何時に待ち合わせね」みたいな話をしていた。二人で行くんだ、へえ。かげうら先輩も別に気にしたふうじゃないし、本当に一人暮らしが心配なだけなのか……。

 やがて井實が「遊真くん中学生じゃん、帰らないと!」と時計を見たので、そこでお開きになった。
 井實は脚を引き摺りながら店先まで見送りに出てくれて、影浦は当然その横で「自分は手摺です」みたいな顔して立っている。振り返って遠目に見る二人は、あるべきところにあるべき二人が立っているといった風情で、まああけっぴろげなことを言えば普通にお似合いだと思った。

「かげうら先輩のほうが分が悪いなぁ」

 思うところを述べると、荒船が苦笑しながら腕組みをする。

「ってかあの二人はもともと井實のほうが強いからな、ケンカになんねぇんだよ。カゲもわかってて文句言ってるだけだ」
「ほうほう。かげうら先輩、あや先輩に弱いの。いがいな一面ですな」
「まあ……心配なんだろうな、一人にするのが」
「だろうな」

 いかにも意味ありげな会話だった。
 初対面の空閑からしてみれば、隊員としての実力は当然あるし、人当たりもよくて柔和で、脚の件も恐らくボーダーで過ごすのならばそう心配するほどのこともなさそうで……影浦の強硬な反対がむしろ不思議なのだが。

「一人にしたら自殺でもするのか?」

 と訊いたのは、二人の言葉に部分的な『嘘』を見たからだった。
「わかってて文句言ってるだけ」とか「一人にするのが心配」とか……本当じゃないけど嘘ではない、ただちゃんとした理由がその奥にある。

 而して二人は小さく息を吐いた。「これは直截聞いたわけじゃなくて、断片的に聞いてる二人の話を擦り合わせた結果の推論なんだが」やたら迂遠な前置きをした荒船が、足元に視線を落とす。


「ちょっと目ぇ離したすきに、首くくろうとしたことがあるんだと」



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