あっという間にゴールデンウィーク合宿の日々は流れ、本日、五月六日は待望の烏野戦だ。
朝、起床は五時半。軽く身嗜みを整えたら食堂へ向かう。直井コーチと一緒に、全員分の朝食をつくるためだ。
ご飯は昨日のうちにセットしてあるから、作るのはお味噌汁と、コールスローサラダ、冷ややっこ、きゅうりの梅和え、アスパラの肉巻き、それから白米のおともに生卵と梅干とたくあん。
遠征中の朝晩の食事は、主にわたしと直井コーチ、あと交代で部員が手伝って料理している。色々苦労したけど、人数が少ないからなんとかなった。六時半を過ぎた頃に一年生がドタバタやってきて配膳を手伝ってくれ、七時過ぎ、みんなでテーブルについて「いただきます」を唱和した。
「……って、けんまは?」
「俺は一回起こしたからな!」
まだなにも言っていないのにとらくんが大声で主張した。
この数日は福永くんやてつくんに引き摺られてちゃんと下りてきていたのにな。さすがに最終日ともなると疲れが溜まってきているのかもしれない。
エプロンをしたまま宿泊室へ向かうと、ちょうど大あくびしながら出てきた研磨とかち合った。
「おはよ。……寝癖すごいよ」
「はよ……」
「ちゃんと乾かさないで寝たでしょ……。ただでさえブリーチしてるんだから、ちゃんと手入れしよ?」
んー、と唸るような返事をしてヨロヨロと歩く研磨の肘を掴む。目がほとんど閉じていて危なっかしい。
四月半ばのことだっただろうか、研磨は何を思ったのかいきなり金髪にしてきた。
どうもとらくんに「(髪が長くて怖くてオバケみたいだから)目立つぞ」と言われてイメチェンを試みたみたいなんだけど、どう考えても金髪のほうが目立っていると思う。……いやバレー部のキャラの濃さを考えたら馴染んでいるかもしれないけど。てつくんは寝癖が毎朝すごいし、とらくんなんてモヒカンで染めているし。
審判とか観客の心象が悪そうだなあとは思うけど、まあ、みんならしくていっか。
今日は烏野総合運動公園の球技場を一日借りていて、烏野さんがこちらに来ることになっている。
食事を終えたわたしたちは、施設の掃除を済ませて、荷物を移動し、八時半に会場入りした。集合は九時の予定だけど、一応早めにお迎えの準備をしておこうということで、五十分には球技場前に整列して待ち構える。
ややあって、黒いジャージを着た集団が歩いてくるのが見えた。
「わ。烏野って黒ジャージなんだ」
端っこに並んでつぶやくと、研磨の向こう隣りにいた同級生の最上くん(8番MB)が「いかちーな」と相槌をくれた。
「音駒の赤も威圧的だけどね」「まあな」「いまだにジャージに着られてる感じする」「真柴は確かにそうかも」などとぽそぽそ喋っているうちに、烏野の主将らしき人が「集合!」と声を張り上げた。
赤いジャージの音駒に正対して、黒いジャージの烏野が一列に並ぶ。主将さんはてつくんより小さいけどどっしりした感じだ。怖そうな人も何人かいる。“怖そう”に関してはうちも人のことは言えないので仕方ないか。
──すると、研磨の正面にいた男の子が「あっ!?」と声を上げた。
知り合い?……いや、宮城に知り合いがいるなんて聞いたことがない、けど。
研磨はちょっと気まずそうに目を逸らしている。
最初のあいさつを済ませると、部員たちはバラけて球技場へ向かった。さっきの男の子が研磨に話しかけていて、研磨も普通に受け答えしている。やっぱり知り合いなのかな。
あとで訊こう……ときびすを返したところで、わたしは烏野メンバーのなかにひとり凛と立つ女性を見つけて、ハッと福永くんのジャージを引っ張った。
「わあ。ね、見て見て向こう、女子マネさんがいる……」
「ウン」
「び、びじんだ……すごい、うつくしい」
話しかけて、みたい、けどちょっと怖い。福永くんはパチパチと瞬きをしたあと、両手の親指をグッと立てた。
「梓ちゃんはどっちかっていうと、かわいい系」
「あ。う、イヤ。張り合ってるわけじゃなくて……ごめんね、気を遣わせて」
ふ、福永くんがやさしくてもうしわけない。
ゴールデンウィーク中に練習試合をした学校はどこも女子マネがいなかった。部員まみれのなか肩身の狭い思いをしていたので、女の人がひとりいるだけでも気持ちが違うのだ。
なんか、こう、お喋りしてみたいかも……。話しかけても大丈夫かな。なんだコイツ馴れ馴れしいって思われたりしないかな。でも何を話題にすればいいんだろう。宮城のおすすめのお土産とか?
──などと考えていたところ、烏野の部員さん約二名からめちゃくちゃ視線を感じて、ビクッとしてしまった。
坊主のひとと、小柄な……リベロだろうか。
そそくさと駆け足で逃げて、とりあえずうちで一番大きいてつくんの背中に隠れた。
「お? どした梓」
「か、匿って……。なんか、すごく、見られてた」
「アララ。久々の人見知り発動〜」
ケラケラ笑いながらてつくんはくるりと体の向きを変えると、ジャージのポッケに手を突っ込んで、わたしをバサリと閉じ込めた。これ、あれだ、冬の寒い日にバカップルがコートでやるやつ。彼氏のコートに彼女がすっぽり入るやつ。
「おまえらがやるとカンガルーかコアラの親子みてぇだな」と、夜久くんの容赦ないつっこみ。身長差が激しすぎるのである。「暑苦しいから離れて」と、嫌そうな顔した研磨の一言。てつくんは無言で悲しみのほほ笑みを浮かべている。
「そ、そんなに言わなくても……。てつくん泣いちゃうよ……」
「泣いてねーよバカッ」
ぷんすこ拗ねたふりをして、てつくんは烏野の主将さんのところへあいさつしにいった。数年ぶりのゴミ捨て場の対決がまもなくはじまる。
1 : Spiritoso-b
審判は直井コーチ。点示と線審は両校の控えメンバーから。音駒・烏野ともにセッターが後衛ライトから始まるS1ローテで試合開始だ。
戦い慣れた梟谷グループでも、ある程度の情報が集まる強豪でもない、全くの未知のチームとの対戦。
「……あの子、ミドルブロッカーなんだ……」
「ん?」
ぽつりとつぶやくと隣の猫又監督がこちらを見た。
「10番。研磨と知り合いみたいです」
「ああ10番。確かにミドルとしては小柄だね。夜久より小さいか」
ミドルブロッカーとは、前衛で敵のスパイクを防御する、ブロッカーの中心となるポジションだ。
攻撃においては前衛センターで速攻を打つことが多い。またサイドから打つ選手の囮としての役割も大きく、ウィングスパイカーと同じく長身の選手が務めることがほとんどだ。高校男子のバレーボールにおいては、身長180センチなければ“低い”とみなされる。リベロならともかく、ミドルであの上背はきわめて低身長といっていい。
最初のサーブを打つ研磨はいつも通り飄々とした様子で、ボールを持ってエンドラインから下がった。ホイッスルが鳴ると、ルーティンを挟むこともなくトンッとサーブを上げる。至って普通のフローターサーブで、傍目にも威力はないから上げやすく見えるけど、コーナーぎりぎりの後衛レフト、3番東峰を狙ったサーブだ。──膝をつかせるほどではないけど十分な助走はとれない、これでバックアタックはない。
現在の音駒ブロックはてつくんを司令塔としたリードブロックのチーム。カバーに入ったセッター影山の動きを追って前衛三人がステップを踏む──すると、ボールが消えた。
アタックラインまで下がった影山が瞬時に体を捻ってバックトスを上げたのだ。初っ端から、切り込んできていた10番日向の速攻!
音駒ブロックは完全に出遅れていた。
「何!? すげえっ速えっ」
「あんなトコから速攻……!?」
おお、と音駒側から驚きの声が上がる。烏野側は心なしか自慢げな顔。
一発目に見せておきたい先制攻撃だったのかな。初見の相手には一手目で度肝を抜いて相手のペースを乱すやつ、赤葦くんが絶好調の木兎さんでよく使う戦術だ。
やや短いレセプションをあの体勢で、体をねじりながら、自分よりも後方に正確なトスを上げるセッター影山の技術の高さ。思わず拍手したくなる。
「速かったですね。マイナステンポ? 初めて見ました」
なんだありゃ、と猫又監督がビックリしている横でスコアブックに書き込んでいく。
てつくんと作りはじめた自作のスコアは、公式のものよりもずいぶんと項目を増やしてある。それにいくつかの攻撃と対応させて決めた記号を書き込むのだ。簡易な図でラリーの動きをメモしたり、試合が進めばスパイカーの決定率を算出したりする。これが案外、時間との戦いで楽しい。……楽しいと、思えるようになってしまったあたりバレーバカになっちゃっている気がする。でも悪くない。
続く烏野サーブは4番田中、こちらもフローターサーブ、これは福永くんのレセプションできれいな弧を描いてネット際の研磨へと返る。とりあえず一発目は、あいさつ代わりのレフトから4番山本。これはブロック二枚の間を抜けたが、リベロ西谷が上げていた。10番がもう飛び出している。さっきの速攻が頭にあったのか、犬岡くんがそちらにつられた──ところを、今度はレフトから東峰!
ドゴンッ、強烈なスパイクが床板を抜く勢いで叩きつけられた。あれは取れない。
「わあ、すごい。うちにいないパワータイプ……」
「リベロもスパイカーも良いのがいるな! でも一番とんでもねぇのは、セッターかな?」
ミドルの囮が有効に機能し、かつサイドの攻撃はブロック二枚で止めきれない。こういう戦術がきちんとはまって効果を成すとすると、思っていたよりも厄介な相手かも。
音駒にはあんな派手な攻撃や秘密兵器は存在しないので、いつも通り淡々と、相手を攻略していくだけだ。
研磨は最初ちょっと目を丸くしていたけど、とらくんや夜久くんほど大きなリアクションはしない。てつくんも、今はとりあえず研磨に任せて最低限しのぐのを優先している。わたしも試合を眺めつつ情報を集めた。タイムを取ったときちゃんと数字を渡せるように、コートの外から何かに気付けるように。
耳目を澄まして相手を観察する。
どこの一点を削ぐべきか。そのために何を狙うべきか。どの穴を突くべきか。
点を獲って獲られてを繰り返し、「わあすごい」を何回か烏野相手に呟いた頃、烏野12―9音駒のスコアで猫又監督がタイムアウトを取った。