「ありゃあとんでもねぇバケモンだ」

 ──というのは、すばしっこい10番でも、破壊力のある3番でもない。
 9番セッター影山だ。

 どんな攻撃も、それを使いこなすセッターに実力がなければ意味がない。あの武器を遺憾なく発揮できるセッターこそが曲者だ。
 とはいえ曲者具合ならなかなか負けないうちのセッターも、猫又監督に視線を向けられて、淡々と10番対策を述べ始めた。
 ブロックのいないところに飛び込んでくる10番のスロットを絞らせるため、ブロッカーはあえて片側に寄せるデディケートシフト。かつ音駒で一番すばしっこい犬岡くんは10番コミットで動きに慣れること。ワンタッチをとることも目的のひとつだけど、おそらく技術で勝る犬岡くんなら、慣れれば一枚でも10番を止めることができる。
 きょろ、と研磨が大きな双眸をこちらに向けた。

「梓は……」
「とくにない。犬岡くんコミットいいと思う。向こうはわりとレセプションが乱れがちなので、レシーブの上手な1番とリベロ以外を狙うのがいいかも。です。セッターにワン取らせるのもありでは?」

 タイムアウトの時間は限られているので、できるだけ端的に早口に。意見を求められるようになってからはそう心掛けているんだけど、するとてつくんや夜久くんが「梓……」「よく喋るようになって……」とか茶番をはじめちゃうので、二人の背中をバシバシ叩いて追い出した。

「俺は? なんかないの?」
「てつくんは頑張って3番さん止めて」
「もおおサラッと無茶言うー。腕もげるて、あれ」
「もげ……るかもしれないけどがんばって」

 もげるんかい、とてつくんたちは笑いながらコートへ戻っていった。
 研磨の戦略通り、タイムアウト明けのデディケートシフト以降、徐々に10番の得点は減っていった。セッターも上げる本数を減らしつつあるあたり、あの速攻が使えなければ得点源としては厳しいのだろう。
 最初こそあの速攻にびっくりしていた音駒は、少しずつ『いつも通り』を取り戻す。拾って、繋いで、打って、守る、その繰り返し。研磨は時折ツーアタックや視線のフェイントを交えて、烏野を翻弄していく。
 最終的には犬岡くんが片手一本分追いつき、10番をシャットアウトして第一セット先取した。

「そういえば、けんまあの10番くん知り合いなんだよね」

 コートチェンジのあいだに話しかけると、研磨はタオルで汗を拭きながら、「ああ……うん」とうなずいた。
 さっきのタイムアウトで研磨は彼を「翔陽」と呼んでいた。スターティングオーダー表を改めて見る。10番MB、日向翔陽。すごい、お日さまみたいな名前だなあ。

「最初の日の、迷子のときに話しかけられた」
「なるほど、そういうことか……。あの速攻のこと知ってたの?」
「全然。Tシャツに烏野高校って書いてあったから、また会うとは思ったけど。……あでも、ミドルだっていうのは言ってたかな」
「おお……」

 けっこうな人見知りの研磨から、こんなにすらすらと情報が出てくるとは。日向くん、よっぽどがんがん話しかけたんだろうなあ。
 続く第二セット中には、犬岡くんにマークされ続けたその日向くんが、ブロックを避けるための打ち分けに挑戦し始めた。
 烏野の対応の早さ──というより、日向くんの打つことに対する貪欲さ。一瞬だけ圧倒されかけた瞬間もあったものの、音駒はバックアタックと速攻、さらにてつくんの一人時間差を織り交ぜながら得点を重ねる。個人技では確かに烏野が強いけど、チームとしての熟練度ではこちらが十も二十も上だなというのが正直な印象だった。

「どうだい」

 猫又監督がニコニコ顔でこっちを見た。監督は試合中あまり選手に口出しをしない。戦略については研磨に一任しているし、音駒はてつくんを中心にバレー偏差値が高いほうなので、タイムアウト中も選手だけで話し合いが成立する。

「烏野セッターが突出していて、少し危なっかしい印象です。個々の持つ能力を、影山が強引につなぎ合わせて強い攻撃をつくっている……という感じ。まだ五月ですから、これでチームがまとまってきたら怖い存在になるのかもしれないな、と思います」
「うんうん。そうだね」
「セッター中心のチームなのはうちと同じだけど、うちとは正反対ですね。面白いです」

 コートに入れるのはリベロを入れて七人。九メートル×十八メートルのコートをネットで分けて、ボールが床に落ちないようにつなぐ競技。トスを上げる方法も、スパイクを打つ方法も大したバリエーションがないのに、チームによってこんなにも形が変わる。

 バレーボールって面白い。

 ピピ──ッ、と息の長いホイッスルが響いた。最後のボールが烏野コートに落ちたのだ。
 音駒25−23烏野、セットカウント2−0で音駒の勝利。

 床にスライディングして最後をつないだ研磨が立ち上がる。摩擦で火傷とかしていないといいけど、と思いながらわたしもベンチを立つと、

「もう一回!!」

 日向くんが叫んだ。
 パチ、と烏野メンバーが瞬いて、音駒は呆気にとられる。すごい。練習試合とはいえ、敗けた直後に落ち込む間もなく試合のおかわりなんて。
 そして、猫又監督はにっこり笑ってうなずいた。

「おう、そのつもりだ。“もう一回”がありえるのが練習試合だからな!」

 それから昼食を挟んで、両校メンバーチェンジを交えつつ計3試合6セット。
 試合はどれも音駒のストレート勝ち。最後のほうはみんなヘロヘロのぐだぐだになっていたが、日向くんは疲れを知らないのか一人だけ「もう一回!」と叫んで鳥養コーチに回収されていた。げ、元気だ……。
 残念ながら音駒には新幹線の時間が迫っていた。
 日向くんの元気さに猫又監督まで若干引いていたけど、気を取り直して烏野メンバーを見渡す。

「またウチとやりたいなら公式戦だ。全国の舞台、たくさんの観客の前で、ピカッピカキラッキラのでっかい体育館で──“ゴミ捨て場の決戦”、やろうや」

 猫又監督と烏養監督の数十年間、ついぞ叶わなかった“ゴミ捨て場の決戦”。
 一度は引退した猫又監督が戻ってきたこのタイミングで、できるなら今度こそ実現したい。烏野に鳥養監督はいないけれど、それでも。
 それでも、

「──全国大会で会おう」


1 : Spiritoso-c



 今回の遠征は移動が新幹線だったから、あまり荷物を持ってきていない。タオルもスクイズボトルも最終日の今日は各自持ち帰りなので洗い物もない。救急セットやアイシングなどをバッグに入れて、そういえば昼食のゴミをどうしたらいいのかコーチに訊かなくちゃと周りを見渡したところで、烏野マネさんと目が合った。
 目が……合った?

「あの……」
「は、はいっ」

 どうしよう! 正直言って朝からずっと美人すぎて直視できなかったたいへんな美人マネさんに、直接お声掛けいただいてしまった! どうしようとらくんに嫉妬されちゃうてつくんたすけて!

「ゴミ、よかったらうちで持って帰るけど……」
「えっ? あ、でも、そんな。あの、申し訳ないです」
「東京まで持って帰るわけにもいかないでしょ? 施設は原則ゴミ持ち帰りだし」

 あ、そうか。合宿所のゴミは今日出るときに管理人さんにお願いしたけど、球技場のゴミは持ち帰りなのだ。
 猫又監督や直井コーチは体育館にはいない。でもでも、と困りきって近くにいた海くんを見上げると、「じゃあお言葉に甘えて。ね、梓」とニッコリ微笑まれた。

「あの……じゃあ、お願いします」
「うん」
「…………」
「…………」

 ゴミ袋を渡したはいいものの、マネさんはそのまま立っている。心なしかちらちらと視線も感じる。わたしもちらちら見てしまって、結局また目が合った。
 わたしは、なんというか、ちょっと喋ってみたいなあなんて思ったりもしていたりする、んだ、けど。
 も、もしかしてお互いさま、だったり……?
 あっ烏滸がましいこと考えちゃった。でもでも。
 でも、何を喋ればよいかやはりわからず、エヘ、と意味もなく笑う。するとマネさんもふふっと笑ってくれた。わあ……、きれい。

「名前、きいてもいい?」
「! ハイ、あの、真柴梓です」
「ありがと。私は清水潔子。……突然ごめんね、あんまり女子マネのいるチームとやったことなくて、話してみたかったの」
「イエとんでもない!……宮城は、あんまり女子マネ、いないんですか」

 昨日も一昨日も、女の子のマネージャーはいなかった。男バレってやっぱりどうしても野球やサッカーに較べると人気が低いから、相対的に女子マネの数も少ない。梟谷グループはどこも女子マネがいるけど、たとえば井闥山なんかはいないと聞く。
 聞けばそもそも烏野はここ一年、あんまり練習試合ができなかったらしい。指導者不在や顧問が未経験など、色々と不遇な時期だったそうだ。

「梓ちゃんって呼んでいい?」
「あ、はい、もちろん。そ、それではあの、きよこ先輩とお呼びしてもよろしいですか」
「そんなに畏まらないでよ」

 おかしそうに笑った潔子先輩は、もちろん、とうなずいてくれた。サラサラの黒髪や理知的な眼鏡から勝手にクールな人だと思い込んでいたけど、よく笑うし、笑顔はちょっと幼くてかわいい。
 ……ところでさっきからこっちを見てむせび泣いている部員が……二名ほどいるのだが……。西谷くんと、田中くん。なんだろうあれ。
 ちらっと見ると、「あれは無視していいから」と潔子先輩が切り捨てた。
 うちのとらくんみたいなものなのかな。

「梓ちゃんはバレー経験者なの?」
「経験者というか……。主将とセッターと幼なじみで、昔から一緒にバレーで遊んでたんです」
「そうなんだ。うちの影山が、音駒のマネは日向よりバレーに詳しそうだって言ってたからさ」
「詳しいというほどでは。ふつうですよ。きよこ先輩は?」
「私は全然。中学は陸上部だったの。高校に入って勧誘されたから、なんとなく」

 へええ〜〜〜こんな美人さんをマネージャーに勧誘するなんて、度胸がすごい。色んな運動部から恨まれたんじゃないのかな……。
 潔子先輩もわたしも特別饒舌なほうではなかったので、ぽつぽつとのんびり喋っていたけれど、それでも日頃の苦労話や自分たちのチームのことなど話題は尽きなかった。コートの片付けが終わって、みんなでばらばらと外に出はじめる。

「よかったら、連絡先交換しない?」
「わあっ、ぜひ! やったあ!」

 すごい! 東北のお友だちなんて初めてだ。
 ぱかりと携帯を開いて赤外線で連絡先を送り合う。すごいなあ。梟谷グループの合宿で赤葦くんや白福さんたちと交換したときは、それでも都内の人たちだからそこまでびっくりしなかった。バレーを通じて、世界が広がっていくのを感じる。
 きっとてつくんと研磨に誘われなければ、一生こんな感覚も知らなかった。

「あの、あの、メールします」
「うん。私も」

 名残は尽きないけれど潔子先輩とお別れをして、てつくんと研磨のもとに戻る。二人が眺めている先には、なぜか涙を流しながら握手を交わすとらくんと田中くんがいた。

「なんで泣いてるの?」
「知らん、あんま見るな。……マネちゃんとは仲良くなれたかい?」
「うん。あのね、連絡先、交換してくれた」
「お、よかったじゃん」

 てつくんが口角を上げて、わたしの頭をぐりぐりと撫で回した。
 てつくんのおかげだ。照れくさいやら嬉しいやらエヘヘと笑っていると、「研磨!」と日向くんの声がする。てこてこ先にバスへ向かおうとしていた研磨は、駆け寄っていった日向くんを振り返った。

「あのさ、道で会ったとき、特別バレー好きなわけじゃないって言ったよな」

 夕陽の逆光に黒く染まる二人の影を、てつくんと並んで見つめる。
 最初に会ったときの話かな。そんな話までしたんだ。日向くんはバレー大好き!! っていうのがプレーから伝わってくるから、然程情熱を持たない研磨のことが気になるのかもしれない。

「今日は? 今日勝ってどう思った?」
「うーん、別に普通……かなあ」
「──っ次は絶対、必死にさせて、俺たちが勝って、そんで」

 日向くんは一拍おいて、大きく息を吸い込んだ。


「“悔しかった”とか“楽しかった”とか……『別に』以外のこと言わせるからな!!」


 橙色の残照に、明るい宣戦布告が響き渡る。

 日向くんのそれはきっと、人知れずてつくんが挑み続けている勝負でもあった。ただそれを言葉にするには、てつくんは研磨のことを知りすぎていたというだけで。

 研磨はぱちぱちと呆気に取られたように瞬いて、そして微かにほほ笑んだ。


「うん。……じゃあ、期待しとく」


 ──彼らの戦いに決着がつくのは、これから先幾度も重ねていく練習試合の勝敗をさらに越えた先、
 およそ八か月後のこととなる。