「やだあ!!」

 叫んだのはわたし。インハイ予選一日目、朝の集合場所である音駒高校第一体育館で。
 てつくんは腰に手を当てて呆れ顔になった。

「やだあっつってもさ〜〜。せっかく作ってくれたんだから、どっかにつけて会場入りしねえと」
「だからってなんでみんなしてバッグにつけてるの!? 恥ずかしい!!」
「いやバッグ以外どこにつけろって言うの。携帯か? 家の鍵か? 自転車の鍵か? それこそ意味わかんねーわ」

 てつくんや夜久くんや海くんが、昨日渡したお守りを、帰り際さっそく部活用のエナメルバッグにつけてくれたのはまだ耐えられた。
 今朝、一緒に家を出た研磨がつけてくれていたのもまだ大丈夫だった。
 だけど体育館に集合して、ベンチメンバーも監督もコーチも、全員が全員バッグにお守りを提げていたのはさすがに羞恥心が大爆発した。てつくんが「全員でバッグにつけようぜ」とか言ったに違いない。だってニヤニヤしてるもん間違いない!

「嫌、ぜったいいや、他校の人がドン引きする。音駒の連中全員でお揃いのダッセェ手作りキーホルダーつけてやがるぜって、ぜったいナメられる……」
「ったく、いきなりネガティブ発動してんなァ」

 しょーがねーやつだ! とわたしの両肩を掴んだのは、音駒ポジティブ代表夜久くん。

「梓、顔上げろ! そんなやつらにはナメさせときゃいーんだ。試合で黙らせてやるさ、黒尾が!」
「俺かい。いややりますけども」
「当たり前だろ! リベロは点獲れねーんだから!」
「思ったよりちゃんとした理由」

 わちゃわちゃするわたしたちの横で、ダルそうな顔した研磨がぼそりとつぶやいた。

「当然でしょ。昨日泣かせたぶんしっかり働いてよね、クロ」

 音駒の正セッター、ゲームメイクを司る“脳”のお言葉である。てつくんは冷や汗を浮かべて研磨を見た。

「研磨クン怖い……」
「おれ基本梓の味方だから」
「アー、相変わらず清々しいうえに頼もしいこって」

 さあ行くぜ勝つぜェ、と朝から元気な夜久くんに肩を組まれ、連行される子どものように引きずられる。てつくんの横顔を見上げると案外リラックスしていたから、このぶんなら今日の試合は大丈夫かなあとホッとした。
 大会初日は都内十六箇所の会場に分かれて行われる。
 潔子先輩の話だと宮城は予選から市立の体育館で行うらしいけど、東京が大きな会場で行うのは三日目のみだ。なにせチーム数が桁違い。二百を超える都内高校バレーチームのうち(女子も含めると倍だ)、その半数以上が今日、敗退していく。
 勝負に絶対はないから、音駒がそのうちの一校になる可能性だってじゅうぶん有り得た。

 バスと電車を乗り継ぎ、会場となる高校へ向かう。その道中にはわたしたちと同じようなバレー部員がたくさんいたけれど、そのなかでも音駒の赤いジャージはものすごく目立っていた。
 しかもモヒカンとか金髪とかいるし。てつくんと灰羽くんはでかいし……。こういうとき一番平和なのは海くんのところなので、わたしはソッとその優しい背中に隠れた。海くんは笑いながら後ろ手でわたしの腕をぽんぽん叩く。うう、音駒の良心。菩薩。お釈迦さま。
 校門が見えてきたところで、一人の女の子がぶんぶんと手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。

「お兄ちゃーん!」

 元気よく近付いてきたのは、ふわふわの茶髪をツインテールにした女の子だ。休日にもかかわらずきちんと音駒中学校の制服を着込んでいる。
 誰の妹? と部員たちが顔を見合わせるなか、反応したのはとらくんだった。

「ゲエェッ、あかね!? なんでいんだよ」
「応援行くって昨日言ったじゃん!」
「いやマジで来るとは思わなかった……」

 とらくん、妹、いたんだ。
 妹ちゃんとは普通に喋れるのに、女の子とまともに会話できないってどういうことなんだろう。わたしも半年かけてようやく喋れるようになったから、やっぱり慣れなのかな?
「オイヨイヨイ山本クーン、妹いたの?」なんてニヤニヤしながら、てつくんが早速絡みに行く。

「……ッス。妹のあかねです」
「はじめまして! 山本あかねです。試合がんばってください!」
「なんだ山本よりしっかりしてんじゃん」
「夜久さん!?」

 会場までひとりで来たのかな、音駒からけっこう離れてるのにえらいな……。そんなことを考えながら研磨の隣でぼーっとしていると、気付けば妹ちゃんがこっちに向かってきていた。
 反射的に研磨の陰に隠れる。

「あ、あの、いつもお兄ちゃんがお世話になっています!」
「え、あ、えと、こ、こちらこそお世話になっています」
「マネージャーの真柴先輩ですよね!」
「あ、ハイ、マネージャーの、真柴デス」

「おれを挟んで会話しないでくれる」研磨が嫌そうな顔で訴えているが無理、いくらとらくんの妹さんだとしたって初対面の人とノーガードで話すのは無理。

「お、オイ大丈夫か梓? うちの妹、べつに害はねーから……」
「気にしないでいいよただの人見知りだから」
「あの、あの、兄からいつも話を聞いていて! アナリストみたいなことをされているって本当ですか!? よかったらあとでスコアノート見せてください! バレーのこと教えてください!」
「ヒエ……と、とととととらくんたすけて。穴リストってなんのリスト? 洞穴?」
「助けても何も……オイ研磨これどうしたらいいんだよ」
「ほっといていいよキャパ超えただけだから」

 四人でわちゃわちゃしていたらてつくんに「オイそこそろそろ入場しますよ〜」と首根っこを掴まれた。

「アナリストってのはスポーツアナリストだろ。選手のプレーとか戦術とか、色んなデータを収集・分析して提供してくれる人のこと。梓がいまウチでやってることだよ」
「ええええ、それって世界バレーとかでパソコンとインカム持ってやってる人でしょう。そんな大層なことやってないよ……」

 スポーツアナリスト。自分とは縁遠い言葉だったから咄嗟に結びつかなかったけれど、バレーの中継でたびたび画面に映るので知識としては知っている。
 でもわたしはそこまでではない。てつくんは身内贔屓が強いからなあ。とか思っていたら夜久くんが、

「いやでもアナリストがガッツリつくのって大学からだよな、バレーの場合。いずれは高校レベルにも下りてくるんだろうけど、春高の中継とか観ててもまだそんなメジャーじゃない感じだ。数字まで出してるうちは珍しいほうだろ」
「……夜久くんが言うなら、そうなんだね」
「試合前に主将いじめて楽しいかい、梓ちゃん」



 バレーの大会の特徴として、何試合かを同時進行でおこなうというものが挙げられると思う。
 他の球技に較べるとコートがこぢんまりとしているから、体育館を分割してAコートとBコートで試合が進行していくのだ。春高バレーになると同じ会場で女子も同時、CコートDコートとかサブアリーナまである。だからこそ準決勝戦以降、会場のまんなかにコートがひとつだけ置かれることは『センターコート』と呼んで特別視されていた。
 隣のコートのホイッスルや応援の声、選手たちの掛け声が無作為に飛び交う。
 昨年の春高予選であまりの音の多さにくらくらしたので、新人戦では耳栓をしてみたのだけど、するとホイッスルの音やみんなの声がよく聞こえなくて却って困った。ボールが飛んでくることもあるから聴覚を遮断するのは危ないし。こればっかりはもう耐えるしかない。大会一日目だから、観客が少ないのがまだ幸いだった。

 前の試合が終わってからコートに入場すると、ちょうど正面辺りの応援席に音駒の赤い横断幕が括りつけられていた。各校それぞれの横断幕が掛かるなか、やっぱり音駒の赤はよく目立つ。
 その近くには応援用のメガホンを持つ部員たち、それからあかねちゃん。加えて制服姿の人も何人かいて、選手の誰かを指さして手を振ったりしていた。誰かのクラスメイトかな。
 試合前のプロトコールを終えて、ベンチ前でみんなが円陣を組む。

「“俺たちは血液”……、……あ、ちょっと待って」
「なんだよ!」
「梓。おいで」

 “いつもの”をやろうとしていたてつくんがちょいちょいと手招きをしてくる。このタイミングで呼ばれるということは、円陣に参加しろということだろうか。でも、よその学校でもあんまりマネージャーが入っているのは見ないんだけど。
 ちょっと困っていると、直井コーチがわたしの膝の上にあったノートを取り去ってしまった。あ、あ、ちょっと……。
 ずかずか近付いてきたとらくんと福永くんに両腕を掴まれ、連行される宇宙人みたいになりながら間に捻じ込まれる。わたわたしていたら夜久くんに腕を掴まれて無理やり拳を握らされた。全員強引だ。

「え、あの、てつくん」
「“俺たちは血液だ”」
「聞いちゃいない……」

 ──俺たちは血液だ。
 滞りなく流れろ、酸素を回せ、
 “脳”が正常に働くために。

 音駒のこれは儀式みたいだと、最近思う。
 普通のチームの円陣は、大きな声でテンションを上げるためとか、気合いを入れるための意味合いが大きい。けれど音駒のゲームはテンションとか気合いとかじゃない、情報と技術で淡々と相手を追い詰めていくもの。てつくんの掛け声は、全員が『音駒』という守りのバレーのシステムの一部と化すためのスイッチみたいだ。
 わたしたちは血液。
 研磨を音駒の“脳”と譬えたところからの発想だろうけど、けっこう巧いこと言ったものだなあと、これが始まったときは感心した。研磨の戦術を十全に活かすための音駒品質。みんなは研磨にボールを渡す。わたしもまた研磨に情報を渡す。

「……わたしも、血液か……」

 あかねちゃんにアナリストなんて言われたときは全然しっくりこなかったけど、血液なのだと考えてみたらすんなり納得することができた。
 試合開始のホイッスルが鳴った。
 いつもどおりセッターが後衛ライトから始まるS1ローテ。研磨のフローターサーブがネットを越えていく。


EINE KLEINE



 IH予選大会の一日目、音駒は二回戦と三回戦をストレートで勝ち上がった。
 翌週には二日目が行われて、四回戦から準々決勝まで一気に進む。シードの井闥山や梟谷はこの日の五回戦から登場だ。傾向として、これまで勝ち上がってきた各学校がこの段階で出てくるシード校に順当に叩き落される、といった感が強い。なんとも悔しいことに。

「一日に四試合とか頭おかしい……」

 と、ぼやきながら観客席に横たわる研磨にジャージの上着をかけてあげる。音駒は四回戦と五回戦を勝ち上がり、次の六回戦の相手が決まる試合を観客席から見ているところだ。
 シードじゃない学校が勝ち上がろうとしたとき、二日目が本当に過密で四試合ある。シードを取れないというのはこういうことなんだなあ、と痛感した。
 手白くんと交代しながら出場しているものの、圧倒的に研磨の消耗が激しい。お疲れさま、の気持ちを込めて頭を撫でてみると、静かにすり寄ってきた。……猫。

「さっきね、井闥山の結果見てきた。第一セット25−7、第二セット25−8だって」
「何その心折れそうなスコア……」

 井闥山や梟谷みたいな超強豪と、二日目まで勝ち上がったとはいえシードを取るまでではない中堅の学校では、冗談みたいな点差がつくことも少なくない。完膚なきまでに叩き潰されてボールを追う気力もなくなる敗者も気の毒だと思うけど、戦意を喪失した相手をそれでも負かさなければならない強豪の側も、しんどいものがあるだろうなと思う。
 試合に勝って。
 相手にもバレーボールをしてきた日々があって。
 そういう努力や青春みたいなものの積み重ねを、自分たちの手で叩き折る。
 強者の業だな、と最近おもう。
 敗者たちの努力の屍の上に立つ。
 強くあり続けるというのはこちらが想像するより苦しく、辛い。灼熱の砂漠か、酷寒の氷原か、それとも乾いた風の吹き荒ぶ曠野か、強豪の日々とはそういうものを突き進む道行。

 いつの間にか、隣の研磨から小さな寝息が聞こえていた。
 トンと右肩……というか頭に重みがかかる。福永くんだ。こっちも寝ている。で、その向こうに座っていたとらくんも福永くんに寄りかかっているからこれも寝ている。

「なんだなんだ、カワイイことになってんな」
「夜久くん……。起こしたほうがいい、かなあ。首痛くならない?」
「いいよ寝かせとけ。首痛くなるほどの時間ねえだろ」

 言いながら夜久くんはスマホを取り出して、昼寝猫三匹に囲まれるわたしを面白そうに撮影していた。
 WSの二人はリベロとの交代もない。試合に出ずっぱりのこの二人が一番疲れているのかもしれなかった。

 しばらくして再び試合の準備をする頃合いになると、てつくんが一人ずつ肩を叩いて起こした。福永くんはハッと体を起こしたあと、ぱちぱち瞬いて、わたしを見て、またぱちぱちして(猫みたい)、小さく「ゴメンネ」とつぶやいた。

「ううん、だいじょうぶ。福永くんは首痛くしてない?」
「してない。重くなかった?」
「そんなでもなかったよ。行こ」
「ウン」

 福永くんにお弁当を奪われてビクビクしながらあとをついて行ったのも、もうすぐ一年前のことになる。
 無口な彼はいつも脳内でダジャレを考えているらしい、と知ったのはずいぶんあとのことだった。そのことを知ってからは福永くんとの沈黙も特に気詰まりではなくて、(なんかまたダジャレ考えてるんだなあ)と思いながら隣にいることが多くなった。
 わたしのお気に入りは「Aパスえぇパス」である。「ナイストスサロンパス」は、語感はいいけどけっこう強引だと思ってる。

 わたしと福永くんがパタパタと追いつくと、最後尾の研磨が足音に振り返った。

「……なんか最近仲よくなったね」
「去年同じクラスだったし……。福永くんは、ほら、ちゃんとてつくんから助けてくれるので」
「……ああ……」
「けんまたまに見捨てるじゃん」
「……まあ……ウン」

 てつくんの愛ある絡み……もといウザ絡みから逃げて研磨の後ろに隠れると、三回に一回くらいするりと逃げられるのだ。主に研磨がめんどいとき。
 一方福永くんは毎回律義にてつくんとカバディみたいになって、「福永そこどきなさい」と言われつつ背中に庇ってくれる。まことに頼れるWSである。

 その後の第五試合は、第三セットまでもつれたものの粘り勝ち。毎年の傾向として第五試合以降はほとんどシード校同士の戦いとなるので、ここから一気に相手の強さが変わる。ノーシードからここまで上がってきた音駒は、じつはけっこう珍しい。
 そして続く第六試合、準々決勝の相手はやはりというべきか、前回王者井闥山学院。

「……すっげぇなあ」

 井闥山応援団の陣取るあたりを見上げて、てつくんがつぶやいた。
『努力』と印字された横断幕。ずらりと並ぶ井闥山ジャージの部員の数は、音駒の優に二倍はいる。加えて保護者、それと制服姿の生徒たち。井闥山の花形は野球でもサッカーでもなく男子バレーボール部らしく、最終日でもないのに部員以外の応援の姿が目立っていた。
 応援団がメガホンを打ち鳴らすたび、地面ごと空気が震える。

「……へいき?」

 レシーブ練のボール出しを手伝っていると、ネットをくぐってきた研磨が耳元でつぶやいた。それくらい顔を近付けないと、わたしや研磨の声量では掻き消されてしまう。
 ここで勝てばベスト4だ。必然的に応援団の数は多くなり、声援やメガホンの音も大きくなる。わかってはいたことだけれど、頭がくらくらした。
 うるさくて、こわい。頭のなかを掻き回されてぐちゃぐちゃにされる感じがする。……試合前から気持ちで負けている。

「あ、あんまり平気じゃない」
「だよね。指示とか聞こえないかも」

 そのときわあっとギャラリーが沸いた。耳をつんざくような歓声──に聞こえるのはわたしだけかもしれないけど、音駒側も思わず肩を揺らす。佐久早くんがスパイクを打ったのだと気付いたのは、飛んできたボールを両手で受け止めてから。
「すみません」と声をかけてきた先方にボールを手渡す。1番にキャプテンマーク、セッターの飯綱さんだ。際立って長身というわけではないのに、やっぱり東京の強豪を率いるだけあって雰囲気がある。
 灼熱の砂漠、あるいは酷寒の氷原、あるいは孤独の曠野を往くチームの常に先頭で身を晒す、主将とはそういう生きもの。

「全国なんて行ったらこれよりうるさいんだぜ。今から慣れとけ」
「そうそう。いつもより声張っていこう。特に研磨」

 井闥山相手に委縮している様子が全くない夜久くん、海くん。研磨は「ええぇぇ……」と、ものすごく嫌そうな顔になった。大きい声出すのめんどくさいもんね、わかる。てつくんは井闥山応援団を睨みつけるように見上げて、そして口角を上げた。……悪い笑顔だ。

「よーっし! 始まるぜ」
「試合が始まれば気にならなくなるよ」

 通り過ぎざま、夜久くんに背中を叩かれた。海くんや、福永くんもそれに倣って叩いていく。
 最後にてつくんがぽんと撫でるように、掌を添わせた。
 熱。が、じんわりと背中から浸透していって、呼吸を思い出す。知らないうちに息を止めていた。

「深呼吸、深呼吸。……さあ、今日も頼むぜ、“酸素”」

 ……深呼吸。
 脳に、酸素。わたしたちは血液。
 胸元のお守りの感触を確かめる。大丈夫、ここは地獄ではない、バレーコートだ。
 いつも通り面白い、バレーボールをしよう。


2 : Feroce-c