ロマンス探知機



 色々あって本当に壊滅してしまった旧本部からの引っ越しを終えても、わたしは暫くの間任務に行くことができなかった。
 襲撃による負傷が完治していなかったこともあるし、静養するに伴い衰えた機能を回復する時間が必要だったこともあるし、そんなわたしを任務に行かせないために『薄氷うすらひ』の修理が最後に回されたせいでもある。

 方舟での戦いを終えて旧本部に帰還したときと今度は逆。
 婦長やコムイの許可を得て続々と任務に出立していくエクソシストたちを、リハビリと称して通用門までお見送りに向かう日々だった。

 本部の面々は中央庁によって再編され、馴染まない新本部の構造や臭い、家族とは呼べない新参者の視線に神経をすり減らし──アレンやクロス元帥のこともあって、メンタルが参ってしまい婦長から向精神薬を処方されたのは神田以外には内緒の話だ。
 というか、わたしは神田にも内緒にしていたのに婦長がバラした。

 最後まで不調が残ったのは骨折した左腕で、骨は癒合したものの動きに違和感があった。まあ剣腕は右だし、動かしているうちに戻ってくるだろうということで、引っ越し後ひと月を経てようやく前線へ復帰。


 復帰一発目は当然のごとく神田と組まされた。
 まあ、一番あれこれ知っている間柄で、無理しなくていい相手だから助かるんだけど。





「ただいまー!」
「おかえり、あこやちゃん、神田くん」

 新しい『六幻』を装備し、長いこと体を休めて絶好調の神田と組んだ任務で、まさか負傷などあるはずもなく。

 久しぶりにまともな奇怪の調査とイノセンス保護という内容の任務を完遂し、本部へ戻ると、ニッコニコのコムイに出迎えられた。

「どうだった? 新しい『薄氷』は」
「調子いいよ。ズゥ爺っさまに今度お礼言いに行きたいな」
「うん、行っておいで、アジア支部のみんなも喜ぶよ。……その前にあこやちゃんはちゃんと診察してもらってね。神田くんと一緒だったし、怪我ないと思うけど」
「はいはい、わかってますって」
「神田くん、ちゃんと医療班連れて行ってね!」

 顔に「なんで俺が」とでかでか書いてあるが、神田は無言できびすを返した。
 おかしいな、嫌がる神田を医療班に引きずって行くのがわたしの仕事だったはずなのに、いまや逆転してしまっている。
 そんなに心配しなくてもわたしは別に医療班に行くのを嫌がったりしないけど……と思いつつ、コムイと、その隣で目を光らせている中央庁組のフェイ補佐官を交互に見比べた。

 疲れてるなぁ、コムイも……。
 こう四六時中スケジュール管理されちゃ仕方ないけど。
 昔はすぐ仕事をサボって変な研究や薬の開発に精を出すコムイにみんな困っていたのに、こうやってきっちりコントロールされている彼を見ると、それはそれでなんだか苦しい。

 室長用の偉そうな机にどかっと腰掛け、コムイのひょろ長い体に抱き着いた。

「じゃ、あとでまた報告書出しにくるよ」
「わっ、あこやちゃん……」

 ぽんぽんと背中を撫でやり、白い室長帽をぱふぱふと叩く。
 フェイ補佐官をちらと見上げると、眉を顰めて顔を逸らされた。べっと舌を出してやる。
 ふんだ。
 わたしにとっては教団がホームで団員が家族だけど、家族を苦しめるような人たちは家族じゃないもんね。



 室長室を出たところで待っていた神田の無言の圧力を受け、まずは医療棟の診察室を訪れることにした。
 旧本部はあの悪の総本山みたいな塔だけで全てが完結していたから、近道したいときは最悪吹き抜けを飛び降りることだってできたのだが、新本部は建物がいくつもあるからいちいち移動しないといけない。引っ越し当初は物珍しさやリハビリで色々歩き回っていたが、すっかり飽きてしまった。

 エクソシストの黒い装束は目立つ。
 人目を引く容姿の神田と一緒にいると倍目立つ。
 世界中の支部や中央庁から編成されてきた本部新参の団員は、エクソシストを間近に見たことがない者も多い。もの珍しげな視線が嫌でこっそり顔を顰めていると、隣の神田が溜め息をついた。

「……なに」
「別に」
「……戻っていいよ。神田じゃないんだし、診察くらいちゃんと受けます」

 ごつん。六幻の柄で頭をぶたれる。
 そのまま無言ですたこら診察室へ向かっていくので、同行してくれるつもりらしい。

 医療班は、先達ての襲撃であまり被害を受けなかったこともあり、ほとんどそのまま旧本部の面々が引き継がれている。これで医療班の面子まで変わってしまっていたら、確かに診察を嫌がる昔の神田みたいな有様になっていたかもしれない。

「怪我はないみたいだね。腕と足の調子はどうだい」
「足は問題ない。科学班がアンクルガード作ってくれたし、平気。腕はまだ微妙に上がりきらないかなぁ、戦闘には問題なかったけど」
「どんどん動かしていくしかないかな。心のほうは、どうかな」

 先生は婦長に並ぶベテランだ。ぶすっとした顔で回転椅子に座っているわたしのことも、診察室の壁に凭れてそっぽを向いている神田のことも、子どもの頃からよく知っている。

「……べつに、ふつう……」
「はいはい。あこやは住んでいる環境が大きく変化するのは初めてなんだから、ストレスが溜まっても無理ないんだよ。室長や科学班やアレンのことも心配だろうけど、今は自分のことだけ労わってあげなさい」
「…………」

 ああ、そっか。
 他のエクソシストや、本部のみんな、支部や中央庁の人たちさえも、もともと住んでいた家や場所と離れて黒の教団にやってきた人ばかりなのだ。

 根っこを引き抜くのが初めてじゃない。
 わたしは本部生まれだから、逆にこれが初めてなのだ。

「神田も、よく見ていてやってくれ。あこやのこと一番よくわかってるだろ」
「なんでみんな神田に頼むかなぁ? 子どもじゃあるまいし」
「……一人で寝られねぇやつがふざけたことぬかしやがる……」
「寝てるもーん!! なに知ったかぶってんのさー!!」
「ああ? リナから全部筒抜けなんだよ間抜け」
「…………そうだった」

 新本部に移ったことで、これまで個室だったのが大部屋になったのも、環境の変化のひとつ。
 わたしは女性エクソシストということでリナリーやミランダとの三人部屋だ。任務の出入りが激しく、ほぼ一人部屋みたいなものだけど。

「別に寝てないわけじゃないし。寝つきがあんまよくないだけで」
「枕が変わったら眠れないタイプではなかったはずだね。任務先の宿泊には問題ないのかい」
「昨日の夜は大丈夫だったよ。……違うの、宿舎に知らない人の気配がたくさんあるから気が散るだけ。そのうち慣れると思う」

 さすがに睡眠導入剤まで処方されてはかなわない。
 先生はその意を汲んで「じゃあ、寝不足で倒れるようなら無理やり点滴をブチ込んであげよう」などとおっそろしいことを笑顔で言い残し、神田ともども診察室から放り出してくれた。

 宿舎の地下一階にある大浴場で汗や埃を流したあと、普段着に着替えたその足で隣の棟の食堂へ向かう。
 どうせやることは同じなのでなんとなく神田と合流してしまった。


 ……だからみんな神田に頼むのか……。行動パターンが一緒だから……。
 今度はわたしが溜め息をつき、神田は「なんだよ」と眉を顰める。
 別に、なんでもないです。


 娯楽棟の扉を入った正面のカウンターで注文を済ませて、トレイを持って料理を待つ。
 新しい厨房は以前より広くて器具もピカピカだから、料理するみんなは楽しそうだ。色々な設備が新しくなってみんなの仕事が快適になるのはいいことなのだろう。

「はいあこや、任務お疲れ様! これサービスよ」
「わー、杏仁豆腐だ。いいの、ジェリー」
「いっぱい食べて早く元気になんなさい! 今ジジたちが食堂にいるから顔見せてあげたら?」
「ん、そうする」

 いつも通りの神田の蕎麦も揃ったので、彼を引っ張ってジジを捜した。
 ちなみに神田は基本的にティエドール元帥が近くに座ろうとしたらわざわざ席を移動するが、それ以外は大抵誰が一緒にいても気にしない。アレンやラビだって、隣に座ってきたって多少文句を言うだけだ。多分、食事中無闇に席を立てば父の拳骨が降ってきたのを覚えているからであろう。

 ジジやジョニーなど、旧本部組の科学班が数名ついているテーブルには、マリとリナリーもいた。二人も任務終わりなのだろう。この面子なら神田も抵抗はあるまい。
 真っ先に気づいてくれたのはマリだった。
 彼の顔がこちらを向いて、それを見たリナリーもわたしたちを見つける。

「あこや、神田! おかえりなさい!」
「ただいまー。ここ座るね」
「もちろん!……あこや、久しぶりの任務どうだった? 怪我してない?」
「張り切りすぎて神田に蹴飛ばされる程度には絶好調よ」

 わっと温かく迎えては怪我の有無を確認してくれるみんなと帰還のあいさつを交わしていると、ジジも「あこや〜〜」となぜか泣きながら抱き着いてきた。

「ちょ、ジジ酒くさっ」
「近寄んな酔っ払いクソオヤジ」

 安定の神田ガードが発動。例のあれだ、『カゲマサの墓前でジジには指一本触れさせないと誓った』ってやつ。
 着席早々に神田のご機嫌がすごい勢いで斜めになっていくのが解ってか、マリとリナリーが向かいの席で苦笑いになった。

「なんだよ! 俺の可愛いあこやの無事を確認して何が悪い!!」
「誰がテメエの可愛いあこやだ細切れにしてカゲマサの墓に供えるぞ」
「……ぶふっ」

 復唱しただけとはいえ神田の口から「可愛いあこや」なんて単語が出てくるとは。
 一瞬だけ堪えたけど無理だった。盛大に噴いた。

「……うくく……可愛いあこやだって……神田が……ちょっ無理おもしろい」
「ラビや師匠がいなくてよかったな、一生言われるぞこれは……。あこや、水」
「あーっはっはっは、ひー、ありがとマリ」

 本人は自分がどれほど面白いことを言ったかという自覚がないようで、稽古用に持ってきていた刀を抜いてジジに振り下ろしたところだった。
 長い付き合いだけあって白刃取りもお手の物のジジと睨み合っている。

「か、かわ、可愛いあこや……無理死ぬ……わたしの死因笑いすぎ……」
「そこで照れるとかじゃないあたり、だめね、この二人」
「リナリー。昔からだろうこれは」

 暴れ回る神田に慣れている旧本部組や、ジジと神田の小競り合いを懐かしく見守る古参組の間で、「なんだなんだ」「食堂で戦闘か」と知らない顔がざわついていた。支部に籠もりきりでエクソシストやその戦いを実際に見たこともないような人たちだ、珍しいのだろう。
 気が済むまで笑ったところで、ようやく神田の服の裾を引っ張った。

「ほ、ほら神田、蕎麦伸びるよ……ふふふふふ」
「チッ……おまえ何笑ってんだ」
「いや、気づかないままのほうが幸せだと思うよ」
「ああ?」

 流れるような動作で納刀する神田を座らせて、なんとか箸を持たせることに成功する。
 ジジは「よっこらせ」とわたしの隣の椅子に座って頬杖をついた。

「助かったぜあこや。危うく頭から真っ二つになるところだった……」

 昔の一件(酔っぱらったジジにファーストキスを奪われた例の件だ)があってから、神田はジジに対してやや心を開きつつも、有事の際には警戒心マックスになる。ジジも分かっていてわざとからかうのだから抜刀されても自業自得だ。

「お望みとあらばいつでもブッタ斬るぜ酔っ払い」
「いや!! オレはおまえたちの結婚式を見るまでは死んでも死なんぞ!!」

「あっジジばか」と洩らしたのはロブだ。
 蕎麦を啜ろうとしていた神田の動きが止まった。
 わたしは目を丸くしてジジを見つめる。

「……結婚式ぃ? わたしと神田が? あ、わたしが旦那さん見つけて、神田もお嫁さん見つけるってこと?」
「あこやはともかく神田に嫁が見つかると思ってんのか? おまえら二人のだよ、ふ・た・り・の」

 背後で食事をとっていたジョニーやロブが「あちゃぁ……」とでも言いたげな表情で、自分の皿を確保してそそくさと逃げていく。相変わらず勘がいい。いや、単に慣れか。
 いざとなれば自分で身を守れるエクソシストの二人は正面で「あちゃぁ……」と頭を抱えている。

「オレぁカゲマサとキャスの結婚式覚えてるぜ! 葬式ばっかのあの大聖堂で結婚式を挙げたのはあれが初めてだったなァ……。幸せなときも困難なときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死が二人を別つまで愛し慈しみ貞操を守ることを神に──、ハッッ」

 ジジはここでようやく、自らの失言が一体どんな悪魔を──AKUMAではないほうの──呼び起こしたのか気づいたらしい。

「しまったこれ新しい本部が壊滅すっから思ってても黙ってろってロブに言われたんだった」
「ほおぉぉ……」

 すらりと立ち上がった神田が腰の獲物に手をかけた。
 漆黒の前髪の隙間から凶悪に光り輝く双眸が覗く。ごごごごご、と地獄の底から邪悪なものでも召喚するようなオーラが立ち昇り、周囲の気温は体感で二℃ほど下がった。リナリーとマリは無言で食事を持って立ち上がる。

 あーあ、どうすんのこれ。

「お望み通り壊滅させてやろうじゃねェか……! そこに直れ!!」
「ギャ───ッ!! ヘルプ!! あこやヘルプ!!」
「ちょっと今取り込み中だから無理。オムライス冷えちゃう」
「薄情者ぉぉぉ」
「待ちやがれクソジジッ!!」

 脱兎の如く逃げだしたジジを神田が全速力で追っていく。仕方ないから蕎麦はわたしが食べておいてあげよう。
 テーブルには被害がなかったと見て避難していたみんなが続々と戻ってきた。
 新本部になっても変わらない、家族たちの手慣れた対応にちょっと笑ってしまう。

「い、いま神田が物凄い形相で誰かを追っていったであるが……放っておいても……?」

 ビクビクしながら新たにやってきたのは、先日晴れてわたしの弟弟子となったクロウリーだ。
 任務終わりなのか、顔や手にガーゼを貼っている。

「いつものことだから気にしなくていいよ。どうぞクロウリー、隣座って」
「でもこれ、誰かの席なのでは?」
「当分戻ってこないからいいよ」
「で、ではお言葉に甘えるである」

 神田の蕎麦を避けてやり、クロウリーを隣に迎えた。
 当分戻ってこないというのはさすがに嘘だけど、まあいいか。どこまでジジを追っていったんだか知らないが。

「……ジジ、大丈夫かしら?」

 二人が消えていったほうを見やって笑いながら頬に手を当てるリナリー。
 言葉と顔が一致してませんよ。

「大丈夫なんじゃない。昔っからああなんだし」


 ……ああ、そっか。

 たくさんのものを喪って、旧本部へと置いてきた。
 根っこを引き抜かれて、今まで積み重ねてきた何もかもを引き剥がされたような気持ちでいたけど、変わらないものも随分とある。
 ちょっとだけ、新しい本部も好きになれそうだった。


 と、考えた瞬間、正面に座っているリナリーの顔がキラリと輝く。

「……でもあこやと神田の結婚式って、確かにいいかも!」
「リナ。それ神田の前で言わないでね。ほんとに爆発するから」


 春さんのリクエストより、『わらうようにねむる』の続きでジジが誤爆してしまうお話でした。
 実は、レゾンデートルを書くうえでは結婚式について色々考えるところがあって、はじめだいぶシリアスな話になっていたのを丸ごと書き直しました。教団とりわけエクソシストにとっての『神』は、イノセンスを与えて使徒を戦争へと送り出す存在であるのに、そんな相手に向かって愛や永遠を誓うのか……みたいな。
 でもジジのおかげでいい具合に爆発しましたね。いいキャラです。ジジ大好きです。
 春さん、リクエストありがとうございました!



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