華麗なる犬死に



 冬合宿は夏に比べて追い込み方が半端ない。
 日中は本気でやってらんねーって気分になるし、日が落ちたあとのトレーニングはもう無心だし、夕食後の筋トレになると段々会話がバカになってくる。まともな話をするくらいなら体を動かすほうに神経を注ぐ、さもなくば心身が休みたがるからだ。

 でもやっぱ喋ってないとやってらんねー、という瞬間もある。
 口を動かして悪態でもつかなきゃ意識がどっか飛んでいきそうになる合宿終盤だ。特に風呂。

「そういやこの間ネットで読んだんだけどさ……」

 ぐったりと湯舟のなかでそんなことを言いだした戦犯は、一体誰だったのか。

「女子って傘の柄と下着の柄が同じらしいぜ」

 健全な男子高校生がこれだけ密集すれば、そりゃそういう方面に話が飛ぶのも無理はない。

 冬合宿中は特に鬼補佐と名高い英の──むろん心が折れそうになるたび絶妙なタイミングで「がんばれ!」と言いにくるからだ──、「つい先日まで中学生だった一年生たちの情操教育によろしくない!」という教育方針により、クラブ棟の部室も寮の個室もいかがわしいものはほぼ撤去された。
 アイドルや女優のグラビア写真はギリセーフだったが、何年か前の先輩たちの負の遺産は今年初めの大掃除で全て捨てられている。

 とはいえ、そんな英も男風呂の話題にまで耳目を光らせることはできない。
 そもそも変な話、男子の猥談には妙に寛大な英なので、過激に嫌悪するようなことはなかった。

「傘の柄か……」と死にそうな声を上げたのは倉持だった。
 普段なら「そんなバカな話あるかよ」と一蹴しそうなものだが、早い話どいつもこいつも疲れていたのだ。傘の柄だろうが下着の柄だろうが、何か口を動かしていないとそのまま風呂のなかに沈みそうだった。

「じゃあ水玉の傘差してるやつは水玉ってことかよ……」
「そうなんじゃねーの。見たことないから知らんけどよ……」
「まあ女子の下着とか無縁だよな、こういう生活してっと……」

 倉持と山口がだらだらと会話する横で、辛うじて理性が残っていた白州が「やめろよ……」とこちらもまた疲れきった顔を向ける。

「合宿中はマネも泊まってるんだぞ。気まずくなるのは嫌だろ」
「あ〜マネな、マネ。確かにな」
「だめだ、傘差してるとこ見たらよからぬことを考えそうだ。やめようやめよう」

 賢明な判断だ。
 部内恋愛が明確に禁止されているわけではないが、今の野球部はマネージャーたちも『仲間』として扱う風潮が強い。恋愛沙汰のトラブルが起きることを、誰もが暗黙の了解のうちに避けようとしているのだ。
 それもあって俺と英の関係は最初やっかまれていたわけ。

 去年の本当に初めの頃は、マネのなかじゃ誰がいい?……なんて話題も少しはあったが、最近は皆無。
 もういい加減みんな打ち解けたからだろう。

 ……と、傘の柄の話題に参加しないように取り留めのないことを考えていると、半分寝ている麻生が天井を仰ぎながらつぶやいた。

「英の傘って何柄?」
「だからやめろって……」

 すぐさま文句をつけたのは熟年夫婦の相方・白州。
 その横で苦笑いしていたナベは、「まあでも」と顎に手を当てる。

「傘に限らず、小物ってやっぱり選ぶ本人の趣味なんだし、似たような雰囲気になるものなんじゃないかな。タオルとかもそうだよね。こだわる人は同じような色柄で統一するから、っていうことなんじゃ?」
「おお……確かにそれっぽいな……」
「さすがナベ先生……」
「高嶺はそのへん気ぃ遣うからやっぱ傘の柄と下着の柄一緒なんじゃねーの」
「なんで戻った山口」

 というかその理論でいくと男も一緒なんじゃ……。
 と思ったけど黙っておいた。

「英の傘ってあれだろ。紺色のやつ」
「あ、そうだな。で白い花柄なんだよな。俺、前に入れてもらったことある」
「ネイビーに花柄か……」
「折り畳み傘はあれ、晴れと雨兼用の薄ピンクのやつ。入れてもらった」
「あー思い出した。レースついてるやつな」
「ピンクにレースか……」

 やめろって白州が止めてくれたのに……。
 とりあえずなんか喋ってないと寝落ちしそうな男どもの寝惚けた会話を右から左へ受け流しつつ、英ってそんな感じだったっけな、と改めて記憶を遡る。

 別に同じ家に住んでいたわけではないから洗濯物なんてまじまじと見ないし、風呂だって一緒に入らされたのは幼稚園までだ。写真は残っているかもしれないけど記憶はない。
 着替え中に誤って部屋に入るなんてこと……は、あったな、ついこの間。でもあのときはじっくり見る前にキレたから、やっぱり憶えてないし。
 夏服の制服が透けてるなんてことも、あんまり意識したことがないから多分なかったのだろう。英は昔からスカートの下には短パンを常備するタイプの女子だ。ミニスカートも履かない。

 ……あ。
 そういや夏休み、倉持がドリンクのジャグを引っくり返したことはあったな。あのときはバッチリ透けちまったから着替えさせたはず。色まではさすがに憶えてねーな。

 俺、英の下着にはあんま興味ないんだな、多分。
 いちいち下心出してたらつきあっていけないもん、あいつ。

「紺色に花柄とピンクにレース? シックなんだか派手なんだかよくわかんねーな」
「まあ赤のド派手なのよりはましだろ……」
「確かに。あんま想像したくねーよ、英が赤い勝負下着つけてるとこ」

 だっはっは、と笑い声が浴室に反響していく。
 中学生の頃ならこんな話題にもいちいち腹を立てて噛みついただろうが、この面子が騒いだところでたいして気にならない。俺も大人になったんだな……。
 というかまあ、こいつらだしなー。

 ……、ん?
 そういや俺、英のクローゼット漁って下着取り出したことなかったか?
 なんだこの記憶。そんな下着泥棒みたいなことやったのか、俺。タンスを開けて、下着と寝間着を取り出して、顔色の悪い英に投げつけた──
 ああ、英が熱上げてぶっ倒れたときか。
 あれは焦ったな。普段は体調が悪かったら無理するようなやつじゃないから、紅子さんに支えられて廊下を歩く英を見かけたとき、自分まで血の気が引いて眩暈がした……。

 この一年の記憶をゆっくりと辿っているうちにうとうとしてきた。
 体は疲れているし、風呂は温かい。倉持たちの話し声がいい具合に響いて、頭のなかは英のことを思い出して。いい加減出ないと水没してしまいそうだ。

「おい御幸ィ! んで結局どうなんだよ!」
「あ───……ピンクのレースなら持ってたと思うぜ……」


「「「…………」」」
「…………」


 ……あれ、俺いま何言った?

 むにゃむにゃと何か返事をしたような気がするが、自分の発言内容が思い出せない。やばい、いま完全に寝てた、さすがにもう上がらねーと。
 はっと顔を上げた拍子に、しらーっとした顔の倉持たちが目に入った。
 湯気でぼやけているが倉持も白州も山口も麻生もみんな冷たい視線を送ってきている。

「御幸お前……」
「見損なったぞ」
「いつの間にそんな関係になってんだよ」
「色ボケてんじゃねーぞキャプテン」

「なに……なんで俺こんな責められてんの?」

 呆気にとられる俺を置いて、倉持たちは一斉に湯舟を上がっていく。
 ナベまでなんともいえない表情になって「ちょっとフォローしかねる……」と出ていった。なんだなんだ、一体なにごとだ。



 ──翌朝。

「ちょっと一也」

 朝一のランニングへと繰り出していく部員たちのなか、仁王立ちしていた英の形相に思わず身を引いてしまった。
 やべえなんか怒ってる。

「……おはよう、英ちゃん」
「おはよう、かずくん。そうね、朝のあいさつは大事だわ」

「え、なんすか朝から」「またけんかですか」と沢村・降谷の二人が横をすり抜けていく。
 またとはなんだ、またとは。

「ナベくんを問い詰めたら吐いてくれたんだけど、あなた昨日お風呂でわたしの下着の色柄をバラしたそうじゃないの」
「…………えっ」
「おかげで朝から誰も視線を合わせてくれないんだけどどうしてくれるの」
「…………、えっ」
「えっ、じゃないわよ。あの子たち絶対とんでもない勘違いしてるわよ。今更一也に下着の色柄を知られているくらいで恥ずかしがりやしませんけどね、あの誤解だけは今すぐダッシュで解いてきなさいっ!」
「ハイッ!!」

 声を荒げることの少ない英のキツめの語調につい背筋が伸びる。
 俺そんな爆弾発言してたのか。どうりであいつらの視線が冷たいわけだ。それで「いつの間にそんな関係になってんだよ」という山口の発言……。

 いや、寝惚けて会話するもんじゃねーな。


「……でも英、ピンクのレース持ってたよな?」
「黄金の右脚が唸らないうちに早く行って」
「ハイ」

 俺はその日一日、事情を知る面子からひたすら冷たい視線を浴び続けた。


 翔さんのリクエストより、傘の柄と下着の柄は同じらしいな〜と盛り上がる野球部メンに御幸が口を滑らせちゃうお話でした。
 下着の話で盛り上がる野球部メン、最初は想像つかなかったのですが、冬合宿で瀕死の状態しかも風呂と考えたらわりとぺらぺら喋り出しましたね。中学生の頃は激怒していた御幸さんも、大人になって(?)みんなの話をぼんやり聞いております。
 楽しいテンションのお話になりました! リクエストありがとうございました。



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