愛の分配法則



※20万打企画「もう一度うまれて響きあおうね」と同じ設定です。子どもは姉と弟の二人。弟は「若」という愛称で呼ばれています。


 俺のパーツは全部お母さんに似たらしい。
 ぱちりとした二重瞼、重い睫毛、目立たない鼻梁、笑顔を作るのが苦手な唇。白い額や頬、華奢な手足、生まれたときは少し小さかったところや、季節の変わり目には必ず体調を崩すところまでそっくりなんだそうだ。

 でも、お母さんとは全然似ていないと思う。
 お母さんはいつも笑顔だ。
 たまに怒ると怖いけど、それ以外はご飯を作るときも掃除機をかけるときも俺に勉強を教えるときも姉ちゃんと女子トークするときも、ずっとずっと笑顔。
 笑うのが苦手な俺とは大違いだ。

 お母さんは可愛い。
 お母さんは父さんのことが大好きだ。
 俺は父さんが少し苦手だ。





 俺の父さんは元プロ野球選手だ。
 俺が子どもの頃に現役を引退して以降、コーチとして野球に携わっているらしい。仕事のことは詳しくはわからないし、現役時代の父さんの記憶はあまりないけれど、たまにテレビにも出ているしそれなりに有名だったみたいだ。

 でも俺は野球が苦手だ。
 運動神経がよくないわけじゃないけれど、他人と競争するのがあまり好きじゃない。姉ちゃんは勝気な性に合ったみたいで草野球を続けているけど、俺はとっとと辞めた。父さんもお母さんも「そっか」とだけ笑った。
 それでもたまに親戚や周りの大人には言われる。
「御幸一也の息子なのに」って。

 だから俺は父さんが少し苦手だ。



 ……だからだから、父さんの仕事が一日休みの今日、お母さんと姉ちゃんが二人揃ってお出かけしてしまったので途方に暮れている。



 御幸家の女子二人の出発を見送ったあとリビングに戻ると、父さんは、最近お母さんにおねだりされて購入した『人をダメにするソファ』に沈み込んでいた。
 こういうところを見ているから、「うちの父さんは元プロ野球選手なんだぞ」って自慢する気になれないんだ。色んな人に「高校時代すごかった」とか「プロになってもこうだった」とか教えてもらうのだけど、俺から見ればとにかく呆れるほどお母さんのおねだりに弱いただの父親だし。

 半分以上ソファのなかに埋まりながら、恩師の恩師が書いたという野球の本を読んでいた父さんは、壁掛け時計を見上げて訊ねてきた。

「昼飯なにがいい?」
「べつに、なんでも……」
「じゃあチャーハンな」

 父さんの得意料理だ。
 父さんは、息子の贔屓目をナシにしても顔がいいほうだと思う。『精悍な顔』って感じだ。体格はいいけど太っているわけじゃない。それで野球がうまくて、なぜか料理もうまい。大抵はお母さんの作るごはんのほうが美味しいけど、チャーハンだけは父さんのほうが上だった。
 キッチンでカフェオレを作りながら、ソファに埋まって読書している父さんを振り返る。

「……父さんさぁ」
「うん?」
「お母さんのどこが好きなの」
「……なんでそんなこと訊くんだよ?」
「なんとなく」

 そう、なんとなくだ。
 この間、同じような質問をお母さんにしたことを思い出したから。

「そういうのは胸の内に秘めとくもんだろ」

 ふいっと父さんは顔を逸らした。
 お母さんはべらべら教えてくれたのに、父さんからは出てこないのか。別にだからといって父さんがお母さんを好きじゃないなんて思いはしないけど、なんとなく納得いかなくてむっとしてしまった。

 しばらくすると父さんはむくりと起き上がり、キッチンに立った。
 冷蔵庫や戸棚のなかを漁って、昨日の残りの冷やごはん、卵、ベーコン、ねぎを取り出す。「んー」と唸って、にんじんと玉葱とキャベツも出てきた。今日は具沢山だ。
 美味しいチャーハンを作ろうと思ったら具材は少ない方がいいらしい。父さんがお母さんにそう教えていた。
 お母さんは「お母さん的にはチャーハンの美味しさと栄養を秤にかけたら野菜に軍配が上がるんです」とバッサリ切り捨てていたけど。

 余裕な手つきで野菜を小さく切ったら、フライパンに油をしいてにんじんと玉葱とベーコンを炒める。合間に軽く塩胡椒。火が通った具材は端っこに避難させ、空いた中央にマヨネーズを溶かすと、溶き卵を流し込んだ。

「皿、出しといて」
「はーい」

 チャーハン用のお皿を二枚準備してから、冷蔵庫のなかから麦茶を出す。
 その間に父さんは残ったご飯やキャベツやねぎを投入して、フンフンと何かの鼻歌を歌いながら炒めていた。……なんの曲だろう。

「御幸のばぁちゃんが亡くなってから俺が台所に立つようになって、一番にまともに作れるようになったのがチャーハンだったんだよな〜」

 御幸のおばあちゃん──つまり父さんのお母さんは、父さんが今の俺と同い年のときに病気で亡くなったと聞いている。

「英がよく様子見にきてくれてさ。チャーハン味見して、味が濃いとか具材がでかいとかすげぇ文句言うの。おかげで英の好みのチャーハンに仕上がったわ」
「父さんはさ、おばあちゃんが死んじゃって大変だった?」
「んー……。でも天乃のおばあちゃんたちが助けてくれたし、英がずっと傍にいてくれたから、そんなでもなかったかな、今思うと」

 父さんはいつも飄々としていて、俺はこの人が我を忘れて怒ったり悲しんだり泣いたりするところを見たことがない。
 チャーハンを炒める横顔も昔のことを語る声もいつも通りのテンションだったけど、父さんも悲しくて泣いたりするんだろうか。なんだかあまり想像できないな。お母さんは、映画や小説でよく感動して泣いているけど。


 ──例えば、いま、お母さんが死んでしまったら。
 残された俺や姉ちゃんや父さんは、これからどうやって生きていくのだろう……。


 できあがったチャーハンをお皿に盛りつけた父さんは、俺の顔を見やって苦笑いした。
 空のフライパンをコンロに戻し、大きな掌で頭を撫でてくる。

「そんな顔すんなって。英は俺より先には死なねぇつもりらしいから」
「……うん」

 いつもは四人ぴったりの食卓に二人きりでついて、父さんの具沢山チャーハンを食べた。
 お母さんが作っているのと大して手間は変わらないのに、なんでか美味しい気がする。不思議だ。お母さんがいつも「おとーさんのチャーハンが世界いち」なんて、嬉しそうに、ご機嫌で食べているからかも。

「父さん」
「うん?」
「あとでキャッチボールしよ」

 父さんは眼鏡の奥で両目を丸くした。
 なんだよ、その顔。そんなに意外か。確かにあんまり誘ったことないけどさ。

 ごちそうさましたあと二人で食器を洗って、食休み、とリビングでごろごろする。そうしていると父さんのスマホにお母さんから電話がかかってきた。
 スピーカーホンにして、父さんが「もしもしー」と応答する。

『あ、一也? お昼ごはんちゃんと食べた?』
「食べた食べた。チャーハンした」
『いいな。わたしも一也のチャーハン食べたい』
「はは、また今度な」

 お母さんはたまに父さんのことを「一也」とか「かずくん」と呼ぶ。そういうときのお母さんはなんだかお母さんじゃないみたいで、ちょっと変な感じだ。
 父さんは、電話越しに聞こえてくる母さんの声に、やわらかくほほ笑んだ。

『あのね、ちょっといい感じのパーカーがあったから若に買って帰ろうと思って。ネイビーとボルドーとどっちがいいと思う?』
「だってよ」
「ネイビーとボルドーって何色?」
『あ、若ちゃんそこにいたの。紺色と赤色どっちがいい?』
「じゃあ、紺色」
『わかった、紺色買って帰るね。晩ごはんは何系がいいですか? お肉ですか、お魚ですか?』

 父さんは目線だけで「ホラ」と俺に返事を促した。

「昨日お肉だったから、お魚……」
『わかりました。じゃあお父さんは、焼くのがいいですか、煮るのがいいですか?』
「お父さんは焼くのがいいです。久々にシシャモなどどうでしょう」
『いいですねー! あ、ごはん炊いといてくれると嬉しいな』
「はいはい、わかりました」

 嬉しいな、とは言っているけど多分副音声で『ごはん炊いて、洗濯物を入れておいてくれると嬉しい、ついでに畳んでくれるととっても嬉しい! お父さん大好き!』とつくと思う。父さんにも副音声が聞こえたみたいで、くつくつと喉の奥で笑いながらうなずいた。
 通話が切れたあと、父さんは立ち上がる。

「お母さんって、ごはん何がいいか訊くときなんで敬語になるんだろうなー」
「うーん。なんでだろ」
「かわいいなー」

 ……ゴチソウサマです。

 倉庫からグラブとボールを取り出して庭に回る。よく父さんがティーバッティングをしていたというネットは、いまは姉ちゃん用だ。たまに伯父さんの完吾くんも遊びに来て、父さんとキャッチボールをしている。
 野球をやめた俺に合わせて、最初は近い距離から投げ合った。
 父さんの投げるボールは必ず俺の胸元に収まる。段々と遠ざかるにつれて俺の投げるボールはあちこち飛んでいくようになったけど、父さんは苦もなく追いついた。

「つーか、なんでいきなりお母さんの好きなとこなんて訊いてきたんだよ。恋愛小説でも読んだのか?」
「べつに、なんとなくだってば。この間お母さんに訊いたから、父さんはどうなのかなって」
「ふーん。お母さんなんて?」
「……そういうのは胸の内に秘めておくもの、なんでしょ?」

 父さんは反論できずに苦ーい表情になった。
 乾いた音を立ててグラブに球が収まる。左手に伝わる衝撃。右手でボールを握って投げ返す動作。野球自体は嫌いじゃなかった。ただ、ベンチ入りとかスタメンとか、そういうのに関する人間関係が煩わしかっただけで。

「好きなとこ、なぁ……」
「そんな真剣になって悩むほどのこと?」
「そりゃお前、いっぱいありすぎてわかんねぇってこともあるだろ」
「父さんそれ言ってて恥ずかしくないの」

 聴いてる息子は恥ずかしいです。
 しかし父さんはけろっとした表情をしていた。すごいな。

「うーん、まあ普通に顔も好きだけど」
「うわ……」
「引くなって」

 顔が好き、って。
 確かに外見というのは人の印象を決めるうえで大きな要素になるかもしれないけど、そこまでハッキリ言いきってしまうのもどうなんだろう。今日び小学生でさえ「優しいとこ」とか「面白いとこ」とか、ちゃんと性格も見てますよってアピールするんだけど。

「……んー。まあさっきも言ったけど、ばぁちゃん亡くなったあと支えてくれたし、高校に行くときも色んなものを吹っ切って一緒に甲子園目指してくれたし。ずっとずっと英が隣にいてくれたから、今度は俺が英の隣にいたい、って思った……」
「へえ……」
「から、プロポーズしたら、保留にされて」
「……え?」
「そしたら逆にムカついてな。『お前この期に及んで俺以外に男がいるか?』『俺以外の男がお前の隣に立てるのか?』とまあそんな感じで押しに押しまくったら、折れてくれたな。いやぁ折れてくれてよかったわ」
「へ、へえ……」

 父さんも意外と苦労したんだなぁ。
 今までなんとなく、寝ても覚めても野球ばっかりだし意地悪するし野球や勉強にはスパルタな父さんが、なんでお母さんみたいな美人で可愛い人と結婚できたのか心の底から不思議だったけど。

 ……ちょっと父さんのこと好きになったかも。
 なんかこう、不憫で。



 その後、キャッチボールを終えたついでに洗濯物を取り込み、和室で畳んだあと、俺と父さんは縁側に寝転んで昼寝してしまった。
 目が覚めたのは、優しく頭を撫でる掌の感触が気持ちよかったから。

「……あれ……」
「あ、起きた? ただいま」
「おかえり、おかあさん……あっ、ごはん!」

 がばっと起き上がった俺に、お母さんは「しー」と人差し指を唇に当てながら顔を寄せる。
 俺の隣には、すよすよと寝息をたてる父さんがいた。
 お母さんはウフフと嬉しそうに笑って、スマホのカメラを起動する。

「お父さんがお昼寝なんてめずらしーい。パパラッチしちゃお」
「……お母さんってホント父さん好きだよね……。なんでプロポーズ保留したの?」
「なぁに、男の子どうしで恋バナでもしたの?」
「そんなんじゃないけど」

 カシャ、とシャッター音が意外と大きく響いた。
 その拍子に父さんも覚醒して、うー、と唸ったあと「メシ!」と起き上がる。俺と同じ起き方するなよ。

「ただいま、お父さん」
「悪い、まだ炊いてねぇわ。すぐやる」
「もうお姉ちゃんがセットしてくれましたー。洗濯物ありがとうね」

 こて、とお母さんは小首を傾げて笑った。

 その仕草を見た父さんが、ぎゅっと眉間に皺を寄せて、恥ずかしいようなばつが悪いようなそんな顔してふいっと顔を背ける。

 あ、いまの、照れたんだ。
 お母さんが可愛くて照れた。絶対そうだ。


 ──うーん、まあ普通に顔も好きだけど。


「……あー、そういうこと」
「なにが?」
「父さんはお母さんの顔が好きって話……」

 がば、と父さんが後ろから俺の口を塞いだ。もう遅い。お母さんはきょとんとしたあと、ぷっと噴き出して肩を震わせた。

「ふふ。昔からそうよねー。『それに俺、お前の顔が一番好きだからなぁ』だったかしら?」
「あーもー忘れろよ……」
「忘れませーん。あとねー、『普通に英が一番可愛い』って言ったって洋ちゃんが言ってたしー」
「記憶力いいのマジむかつく」
「お母さんもお父さんの顔好きよ」
「ハイハイ」

 洋ちゃん。父さんとお母さんの高校時代の友人の倉持さんだ。
 今度聞いてみようかな、二人の高校生の頃のこと。

 俺のことを背後から抱き潰したままギャーギャー騒ぐ父さんと、父さんをからかって遊ぶお母さん。ひょこっと和室に顔を出した姉ちゃんが「なになに、なんの騒ぎ」と首を傾げる。暑苦しいしやかましい。そろそろ放してほしい。


 俺のパーツは全部お母さんに似たらしい。
 お母さんはいつも笑顔だ。たまに怒ると怖いけど、それ以外はご飯を作るときも掃除機をかけるときも俺に勉強を教えるときも姉ちゃんと女子トークするときも、ずっとずっと笑顔。

 俺の父さんは元プロ野球選手だ。
 俺が子どもの頃に現役を引退して以降、コーチとして野球に携わっているらしい。仕事のことは詳しくはわからないし、現役時代の父さんの記憶はあまりないけれど、たまにテレビにも出ているしそれなりに有名だったみたいだ。


 お母さんは可愛い。
 お母さんは父さんのことが大好きだ。
 で、父さんはお母さんの笑顔が大好きだ。


 御幸家は今日も平和。多分これから先も、ずーっと。


 璃麻さん「息子視点の未来の2人」、永丘テコさん「子供のお話の続話」というリクエストより、長男視点で相変わらずお互いの顔が好き同士な夫婦のお話でした。
 倉持とは大人になってもなんだかんだと関係が続いていたらいいなと思います。子どもたちが大きくなってきてからは、頻繁に会ってごはんを食べるわけじゃないけど、年賀状とか旅行のお土産とか送り合っては電話でお礼言ったりするようなね。
 前回、英お母さんがお父さんのことを延々惚気る話だったので今回は御幸父さんに……って思ったんですけど、なかなか口を割ってくれませんでした。ノンビリした家庭になっていると思います。リクエストありがとうございました!



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