「澤村ーちょっと助けてくれー」
スパァン、と病室の扉を開けてやってきたのは檜佐木だった。
片手に書類を抱え、片手にはお見舞いのお茶菓子を持っている。扉は足で開け、足で閉めていた。行儀が悪いにも程がある。
呆れ顔で「はぁ」と読んでいた本に栞を挟むと、檜佐木は勝手知ったる他人の病室の振る舞いで、戸棚に置いておいた茶器を取り出した。
「はいこれ今日の茶菓子」
「うん、ありがとう……仕事の質問しに来たの、お茶しに来たのどっちなの」
「なに言ってんだ茶ァしに来たに決まってんだろ」
いいのか、隊長が替わったばかりでバタバタしているはずの九番隊の副隊長がこんな堂々とサボリ宣言なんてして。
……まあ、いいか。
六車隊長だって百年前には隊長職に就いていた人だ。大きく組織や仕組みが変わったわけでもないし、適当にこなしているに違いない。
檜佐木が給湯室へ向かったあと、ぱたぱたと軽やかな足音が近づいてきた。
「澤村三席っ、あたしもうムリですぅ!!」
雛森さんだった。
彼女は深刻な重態からなんとか回復し、五番隊副隊長として先日隊務に復帰したばかり。
わーんと泣き喚きながらあたしの膝のあたりに顔を埋める、彼女のつるんとした後頭部をなでなでした。五番隊の新隊長は檜佐木のところと同じく、『仮面の軍勢』から迎えられた平子隊長である。
「澤村先輩……ちょっと匿ってください……」
続いて病室の窓から顔を覗かせたのはイヅルくんだ。
こちらも五・九番隊と同じく新しい隊長は鳳橋隊長。市丸前隊長と同じくらいの曲者らしく、イヅルくんはまたも変人上司に頭を悩ませる日々を送っている。
いそいそと窓から病室に侵入したイヅルくんが真っ青な顔で「やあ……雛森くん……」と声をかけると、顔を上げた彼女もまたひどい顔で「吉良くんこんにちは……」と応えた。
藍染の裏切りからこちら色々と微妙な関係だった彼らも、同じ苦労を分かち合う者同士、最近はあたしの病室でよく顔を合わせて喋るようになったようだ。
「お? なんだ吉良に雛森、来てたのか」
「お疲れさまです、檜佐木副隊長」
「檜佐木さん、いつもいますよね……」
「まー同期だからな」
帰ってきた檜佐木は、目を丸くしつつも急須からお茶を注いでいく。
すると今度はだかだかと荒っぽい足音が近づいてきた。雛森さんとイヅルくんが扉のほうに注目すると、スパァン、とまた勢いよく開く。
「あとりさーん、今日の茶菓子は何スか!」
わかっちゃいたけど、恋次くんだった。
あまりにも正直な彼の言い草に後輩副隊長ズは苦笑いになる。お茶を運びながら「お前らなァ……」と檜佐木が眉を顰めた。
「澤村の病室はサボリ場所じゃねーんだぞ!!」
「それ檜佐木が言う?」
──とか言いながらお茶菓子はちゃっかり余分に用意していた檜佐木なので、あたしの病室は忽ち休憩室へと変貌した。
お茶を飲んでほっと一息ついたイヅルくんがこちらを向く。
「それで、澤村三席はいつ退院できるんですか?」
「うーん、阿近さんから許可が下りたら、かな。霊圧がゼロになった詳しい原因とか、折れた斬魄刀のこととか色々あるみたい。はっきりするまでは大人しくしてろって言われて」
「まあ妥当だな。澤村は放っておくと大怪我するから」
「…………」
檜佐木のネチネチした嫌味は無視だ。
あたしが目を覚ました当初はみんな労わってくれたり喜んでくれたりと優しくしてくれたのだが、療養して元気になってくると「すぐ死のうとする」「すぐ無茶する」「しばらく四番隊で大人しくしとけ」と言いたい放題なのだ。
そのうえお見舞いと称しては病室でダラダラお喋りしていく。
今のところ体のいいサボリ場だ。
毎日適度に休憩して去っていく檜佐木はいいとしても、乱菊さんは日番谷隊長がキレて捜しにくるし、一角と弓親は昼寝を始めるし、ルキアと恋次くんが揃うと長話になってそれぞれの部下が回収にくる。一応診察や観察といった目的のある阿近さんでさえ、「ア〜〜疲れたしばらく寝る」とかって椅子に座ったまま寝てしまうのだ。
最近は、来てもいないのに「○○は来ていませんか!?」と捜索しにくる隊士がいるほど。
「あ、お花が新しくなってますね」
「うん、ルキアからなの。朽木家のお庭のお花ですって」
窓際に置いた花瓶には、三日と空けず新しい花が入れ替えられる。
こちらも毎日訪れてくれるルキアが三日に一度、「兄さまからです」と微笑みながら挿してくれるものだ。なんだか入院するたびに朽木隊長から花をもらっている気がする。霊術院時代は措いても、最近はルキアと仲良くしているから「妹をよろしく」と言われているような気分だ。
檜佐木が買ってきた今日のお茶菓子は最中だった。部下の女の子がお勧めしてくれたお店で買ってきたというが、確かに上品で高級そうなお味だ。
そんな最中を大口開けて放り込み一飲みにしてしまった恋次くんが、もしゃもしゃと咀嚼しながら同期二人の顔を見る。
「その後お前らどうよ、新しい隊長」
ずぅぅぅんと沈む雛森さん、胃を押さえるイヅルくん。
話を振った張本人はギョッと身を引いた。
「なんていうか……前の隊長が部下に仕事を回さない人だったから……自由な人が上司ってホント大変なんだなって……」
「うちは元々自由な人が上司だったけど……別の方向に癖が強くて……イヤまあ仕事はしてくれるんだけどね……」
「お、オウ、大変なんだな……」
互いに労わり合う後輩たちをよそに、檜佐木はずずずとお茶を啜っている。
そっちはどうなの、と視線を送ると、まあ別に、と彼は肩を竦めた。程々にうまくやっているみたいだ。仮面の軍勢から迎えた三人の隊長の中では、確かに六車隊長が一番まともそうに見えるし。
まあ、新しい隊長たちの癖がやたらと強かったおかげで、イヅルくんも雛森さんも落ち込む暇がなくてよかったかもしれないな。
自由奔放な上司に振り回されて大変な気持ちは痛いほど解るつもりだ。といってもあたしはいい加減慣れたし、向こうも慣れてくれたから、「やってください!!」と強めに言えばやってくれるようになった。彼らだってそのうち慣れるだろう。
そうはいっても不憫なことに変わりないので、よよよと泣き崩れている二人の頭をヨシヨシと撫でておいた。
すると照れくさそうに頬を染めたイヅルくんが顔を上げて、そういえば、と首を傾げる。
「十一番隊のほうは大丈夫なんですか? 澤村三席の退院の目処が立たないとなると大変なのでは……」
「うーん、最近は副隊長と隊長がハンコ押すの嫌がってて大変みたいだけど、銀爾くんが胃キリキリさせながら頑張ってるよ」
「うわぁ……」
「会ったら労わってあげてね」
三時のお茶会は、主に上司の愚痴を肴に小一時間ほど続いた。
変わらず朽木隊長についていく恋次くんは最近の彼のそこはかとない変化について語り、雛森さんは平子隊長の放浪癖や飄々とした人柄に苦労していて、イヅルくんはいちいち挙動が派手な鳳橋隊長に胸やけを起こしているそうだ。
檜佐木は後輩三人組の話にうんうんと相槌を打つにとどめている。この三人と一緒にいると、檜佐木がちゃんと先輩っぽく見えて面白い。
「檜佐木センパイも寂しいんじゃないっすかー? あとりさんがいなくて」
「は? 俺は毎日サボりに来てるし、別に」
「通い妻ですね檜佐木さん……」
「吉良いま何つった」
事実じゃないか。
あと堂々とサボりって言うな。
「いいなぁ。あたしも毎日来たいなぁ」
「平子隊長厳しいのか?」
「厳しいわけじゃないんだけど……『ま〜たあの三席んトコ行っとったんかいな』って言われちゃうから、なんか気が引けちゃって」
「平子隊長って謎に澤村先輩につっかかるよね。現世で何かあったんですか?」
「うーん……話をしたくらいだけど」
気に入られる要素があったかどうかはちょっとよくわからない。
檜佐木が引率した現世実習での一件もあってこの三人との関わりは深かった。
護廷十三隊に名を連ねるようになって様々な人と出会い、所属してきた各隊ではたくさん先輩後輩の関係を築いてきたけれど、やっぱり真央霊術院時代からの付き合いの面子は気が楽でいい。
あのとき檜佐木を助けてくれた三人が、一人も欠けることなくこうして副隊長としてしっかり勤めている。
彼らはなんでもないことのような顔をしているけれど、実はたいへんに尊く、得難い縁だ。
「通い妻センパイは隊長に何も言われないんスか」
「阿散井あとで隊舎裏な。──うちは別に。むしろ『そろそろ四番隊に行く時間じゃねぇのか』って言われるな」
「諦められてるんですね……」
「理解のある隊長だと言え。阿散井こそ朽木隊長にサボリがバレたら大目玉だろ」
「平気っす。朽木隊長、あとりサンのことに関しては寛大なんで。……っていうかこれも何でなんすか?」
「さあねぇ。ルキアと仲良いからじゃないの」
「朽木隊長、ちょっと朽木に甘くなったよな」
「色々と心境の変化があったみたいよ。ルキアの席官入り解禁も近いでしょうね」
ちまちま食べ進めていた最中の最後の一かけらを口に入れる。
空になった湯飲みに気づいた雛森さんが「澤村三席、お茶淹れましょうか」と笑った。
「やだなー、別に起き上がれないわけでもないんだから。自分で淹れるよ」
「いいじゃないですか! たまにはあたしたちにお世話を焼かせてください」
「あ、僕も行くよ」
にこーっと笑う彼女に逆らえず、ついつい湯飲みを渡してしまった。こうして痛みを堪えながらも普段通り振舞おうとする雛森さんに、安堵すると同時に自分が情けなくなる。
あたしはまだ夢を見る。
市丸隊長に手を伸ばす夢を。
給湯室へ向かおうとした雛森さんとイヅルくんが病室の扉を開けると、足音も気配もなく廊下に佇んでいた平子隊長にぶつかった。
「なんやお前らァ。副隊長が揃いも揃ってサボリか〜?」
「ひっ、平子隊長!!」
……やわらかなイントネーションの訛り。
細かく拾えば市丸隊長の口調とは違うところもあるけれど、独特なその響きに、嫌でも思い出すからこの人が苦手だ。
あたしが彼を苦手に思っていることを知っていて、それでも絡んでくるから余計に。
慌てて立ち上がって頭を下げた副隊長たちの中、ゆっくりと会釈をする。
「お疲れさまでございます、平子隊長。あたしが雛森さんたちを引き留めてしまいまして」
「あー、エエわ別に。どうせこいつらお見舞いとか言いながらサボってんねやろ。しっかり人数分の茶ァまで用意して」
「ずっと入院しているので、話し相手がほしくって」
ひええええと震える雛森さんの頭に、平子隊長はポンと掌を置いた。
ぐりぐり撫でくり回しながらニヤニヤとこちらを見ている。なんなんだろうなぁ。やけに気に入られているというか、からかい甲斐があると思われているというか。嫌われるよりはマシかもしれないけど。
「……可愛がるのも、ほどほどにしてあげてくださいね」
「おーコワッ。帰るで桃〜」
「は、ハイ!! 失礼します!!」
サボリがバレて隊長直々にお迎えが来てしまった雛森さんは、緊張した面持ちで病室を去っていった。
あーあ、お気の毒に。
不憫なものを見る目で彼女を見送っていると、窓の外から「恋次さーん」と六番隊の隊士の声が聞こえてきた。恋次くんをよく捜しに来る平隊士の声だ。
「ゲ。オレも帰ります!」
「あ、僕も。失礼します、澤村先輩、檜佐木さん」
そそくさと二人は窓辺に近寄り、周囲を見渡して自分を捜す部下の影がないことを確認すると、しゅたたっと素早く去っていく。
なんというか、示し合わせたかのように集合して解散していく三人組だなぁ。
「なんで窓から出入りするんだろう……」
「一応サボリの自覚があって後ろめたいんだろ」
「檜佐木は?」
「俺は六車隊長に『見舞いに行ってきます』って言ってっから清廉潔白」
「ああ、堂々とサボってるのね」
「オイ」
ぎゅむ、と頬を抓られた。痛い痛い。
檜佐木は一通りあたしの減らず口を邪魔するように頬を引っ張ると、ふっと笑って「じゃーな」と歩きだす。
「明日のおやつは煎餅がいいなー」
「図々しいやつ!」
櫻井舞香さんのリクエストより、檜佐木と恋次、吉良、雛森の後輩組と話しているお話でした。
時系列的には無様本編終了後、現世に旅行に来る前です。三席の復活は雛森さんより早めという脳内設定がありましたが、病室にサボリにくる後輩トリオが書きたくてこんな感じになりました。隊長交代直後は慣れるまで大変だっただろうな……。
本編がシリアスなまま終わったので、久しぶりに平和な三席たちが書けて楽しかったです。ありがとうございました!