ふたりぼっち記念日



 神田とあこやには謎が多い。
 間違いなく二人ともとそれなりに長く濃い付き合いであるリナリーにさえ、彼らの距離には不思議なものを感じている。
 まるで互いの次の一手を知っているかのような立ち合い。隣同士に座るのが当たり前のような空気。いくら嫌がられようとも神田にあいさつをするあこや、嫌がりながらも拒絶はしない神田。
 ほとんど一緒に成長してきたような関係のはずだけれど、リナリーの知らない部分で、二人には二人にしかわからない記憶を共有しているみたいだった。


 それは、リナリーと神田が二人で出かけた任務から帰ってきた夜のこと。





 神田は昨晩から様子がおかしかった。
 イノセンスの奇怪にまつわる任務で二、三日かかることなんて珍しくないのに、頻りに時間や日付を気にしてはイライラと舌打ちをする。幼い頃から一緒にいるリナリーは神田の癇癪にも慣れているが、探索部隊がすっかり怯えきってしまって可哀想だった。
 ようやく任務を終えてもどこか落ち着かない様子で、珍しく教団に早く帰りたがる。いつもだったら乗れそうな汽車が何本かあるなら無理なく乗れる便で戻るのに、今日は「一本早いのに乗る」とせかせか歩いていくからリナリーは小走りで追いかける羽目になった。


 ……何かあったかしら?
 あの神田が、早く本部に帰ろうとするなんて。



「あっ、いたいた神田!」

 回収したイノセンスをヘブラスカに渡したあと、団員の自室フロアまでの道のりを神田とともに歩いていると、慌てたようなリーバーがぱたぱたと走ってきた。
 任務終わりで気が立っている神田はその瞬間ギロリとリーバーを睨みつける。
 慣れている彼はちょっと苦笑いになって「疲れてるとこ悪いんだけど」と片手を上げた。

「あこやが酔い潰れちゃってさ……」
「ハア?」

 神田の不機嫌メーターが振り切れたのが目に見えるようだ。

「いや科学班で晩酌してたらあこやがふらーっと参加してきて、気づいたらジジの酒飲んで酔い潰れてたんだよ。泣き上戸っつーのか幼児返りっつーのか、さっきから神田はどこだーってメソメソしててさ」
「あこやったら……」

 リーバーにつられてリナリーも苦笑いを浮かべてしまったが、神田は心底面倒くさそうに溜め息をついただけだった。

 案内された先は科学班フロアの一角であこやはソファに丸くなって寝ていた。
 イライラした様子を隠しもしない神田は、六幻の柄頭の部分で酔い潰れた彼女の頭をごつんと小突く。それなりに痛そうな音だったけれど、あこやは「うー」と唸っただけで痛覚まで鈍っているのか、のそのそと体を起こした。
 リーバーが甲斐甲斐しく顔を覗き込む。

「あこや? 神田が帰ってきたぞ。部屋に戻れるか?」
「カンダ……?」

 ぽけっとした顔でリーバーを見ていたあこやは、ぱちぱちと音を立てて瞬きをしながら顔を上げると、すぐそばで凶悪な目つきをして自分を見下ろす神田の存在に気づいた。
 赤く染まった頬。
 普段しゃんとしているあこやが、いまは隙だらけのふにゃふにゃした様子で神田を見上げる。
 ──なんだか小さい子みたいで可愛い。
 いつもはお姉さんぶって面倒を見てくれることの多い彼女の油断した姿に、リナリーはちょこっと笑ってしまった。

 本当に泣いていたのか、酔いのせいか、あこやの両目は潤んでいる。
 こてん、と猫のような仕草で首を傾げた彼女は「神田……」と両腕を伸ばした。

「神田ぁぁ、遅かったじゃないのぉぉ」
「ウゼェ」
「ひどいいぃぃ……」

 神田は六幻の先っぽであこやの頬っぺたをぐりぐりと小突く。「もう、神田」と見かねてリナリーが止めると、盛大な舌打ちを零しながら刀を団服のベルトに差した。抱っこをせがむように伸ばされたままの両腕をぺいっと払いのけたうえ、「酒くせぇんだよ!」と身も蓋もない罵倒。
 酔っ払いの相手なんてできるほど心が広くない神田、しかも任務終わり……。
 あこやがどんな扱いを受けるやらハラハラしていたものの、これならまあ普段のケンカの範疇だろう。

「そんなに飲んでないもーん!」
「強いワケでもねぇのに調子乗ってんじゃねェよこの馬鹿女」
「あっ、ちょっと、ばかって言ったほうがばかなんだから!」

 バシバシと神田の団服を叩くあこや。──に対して本気で拳骨を叩きこむ神田。ごんっ、と洒落にならない音が響き渡った。
 リーバーが言うには泣き上戸か幼児返りということだったが。隣を見ると、彼はぽりぽり後ろ頭を掻いている。

「あれ。さっきまでは寂しい寂しいっつって突っ伏してたんだけどなぁ」
「『寂しい』……?」
「ああ。神田どこー、リナどこー、マリどこー、って感じで。付き合いの長いやつを呼んでるふうだったから、変だなと思ってお前たちを捜したんだよ」
「そうなの?……あこやでも寂しがることがあるのね」

 教団がホームで団員が家族。そう笑う彼女は昔から常に家族に囲まれていて、喪失に涙することはあっても寂しさを感じている様子など見せたことがなかった。

「とっとと立て!! なンで毎回毎回テメエが潰れるたびに俺が呼び出されなきゃならねェんだよいい加減にしろ酔っ払い!!」
「やだー神田抱っこー」
「両腕切り落とされてえのか!!」
「物騒ね……」
「いつも通りだな」

 ぎゃーすか騒いでいる双子を、通りかかった科学班は生暖かい目で見守っている。
 片方が酔っ払っているとか片方が二割増しでイライラしているとか含めても、まあ概ね『いつも通り』なのであった。

「うー」と子猫みたいに唸ったあこやは、神田の腰回りにがしっと抱き着く。
 神田は全身で拒否している。
 あこやの頭を押さえつけて必死に引き剥がそうとしている。
 しかし酔っ払っても凄腕エクソシストのあこやは簡単には剥がれない。ミシミシと骨の軋むような異音を立てながら双子の攻防戦は続いた。

「気色悪ィな離れろ!!」
「だって神田がいないのが悪いんだもーん」
「アァ!? ワケわかんねぇ言いがかりつけてんじゃねェよ!!」

 確かに本当に意味のわからない言いがかりだわ……。

 あこやは基本的にスキンシップ多めの女の子だ。リナリーには頻繁にハグしてくれるし、年上のお兄さんであるリーバーやコムイには甘えるような仕草をすることもある。とはいえ神田はそういう接触を厭うので、あこやなりに相手を選んでいる節はあった。
 それを考えると確かに、泣きながら神田に甘えているように見えなくも、ない、ようなやっぱりないようなあるような。
 放っておいても害はなさそうだけれど、神田が本気で怒ってあこやを投げ飛ばす前に仲裁に入ることにした。

「神田、このままにしておいても仕方ないから、部屋に運んでしまいましょう」
「チッ……なんで俺が……毎回毎回この女……!」
「しょうがないじゃないの。他の人が運んだらそれはそれで怒るんでしょ?」
「クソジジじゃなきゃ誰でもいい」
「はいはい、ジジね。じゃあジジを呼んでこようかしら?」
「リナてめぇ──」

 蟀谷に青筋を浮かべた神田の怒声はぴたりと止んだ。
 あら、とリナリーが首を傾げると、彼は腰の辺りに抱き着いたまま離れないあこやを見下ろしている。その横顔はやけに神妙で、そして痛ましい。

 どうやらあこやが何事か呟いたようだった。

「あこや……?」

「ねえ神田、お母さんいつになったら帰ってくるの」

 リーバーが息を呑む。
 彼の前任の科学班班長、キャサリン。あこやの母親だ。


「お父さんはどこ?」


 リナリーはフロアの壁に吊るされている暦を振り仰いだ。四月。
 あこやの父カゲマサの命日は、確か───

 神田は何もかも察したように口を閉じ、抱き着いたまま静かに震えるあこやの、カゲマサに似た黒髪を片手で覆った。
 撫でるでもなく、不器用に、頭のかたちに沿って添えられた掌。

「キャスは死んだ。戻ってこねぇ」
「……うそ」
「嘘じゃねぇ。七年前の一月アジア支部で死んだ。俺たちの目の前で」

 あこやの母親は、アジア支部での研究に携わるため本部から異動し、そこで亡くなったと聞いている。リナリーは会ったことがない。神田はアジア支部で保護されたというからそれで面識があるのか。
 リナリーの知らない二人の過去の断片だった。

「カゲマサも死んだ。二年前の今日だ」
「うそだ」
「嘘なわけあるか。任務で死んだ。探索部隊を庇ってアクマに殺され遺体も残らなかった。嘘だと思うならなんでテメェは今日この日に一人で飲んだくれてんだよ。……バカが」

 神田はいつになく饒舌だった。
 それがなんだか悲しかった。

 あまりにもせつない。悲しいのはリナリーではないはずなのに勝手に潤んだ視界の中で、すっかり自分の酔いも醒めてしまったらしいリーバーが目を伏せて俯いている。

「神田がいないのが悪い」
「俺はそうそう死なねぇよ」

 つながっているようでつながっていない、不思議な会話だった。
 だけれどこれが彼らのことばだった。他の誰にも理解しえない過去を共有する、二人だけの。

「……神田が帰ってこないから」
「出る前に任務行くっつったろうが話聞いてなかったのかテメエは」
「神田が遅いから〜〜!!」
「ウゼエ!!」

 神田はカッと両目を見開いてあこやの体をひょいっと担ぎ上げた。
「おえっ」と若干不穏なえづきがあこやから洩れる。一応酔っ払いなのだから腹部を圧迫するのはやめたほうがよいのでは……。リナリーが声をかけようとすると、神田の肩で腹部を折り曲げて上下逆さまを向いたあこやの顔がこちらを向いた。

「あ、リナおかえり!」
「ええ、ただいま、あこや。あのね神田……」
「なんだようるせえな。部屋戻れっつったのはお前だろうが」
「そうなんだけど……」

「ねえねえ、神田〜」あこやが呑気に神田の背中を叩いた。
 視線だけで二、三人殺せそうな──というのはあこやがいつも揶揄って言うことだが──形相の神田が、首だけ振り向いて反応する。


「気持ち悪い吐きそう」


 神田は容赦なくあこやを投げ飛ばした。


「「「あこや───ッッ!!」」」


 本と書類の山の向こうへ消えた彼女が着地したような気配はあったが、パニックになって駆けつけた科学班が「水! 水持ってこい」「神田のバカアアァ」「あこや死ぬなァァァ」と半狂乱になっているあたり、色々と無事では済まなかったようだ。
 神田は「ザマァ」と吐き捨ててきびすを返す。

「神田、もう!……憶えていたからあんなに早く帰ろうとしてたのね?」
「あ? んなわけねぇだろ」
「こんなときくらい素直にあこやの傍にいてあげればいいのに」
「酔っ払いの相手なんざ御免だ」

 すたこらと科学班フロアをあとにしていく彼の後ろ姿を見送ったリナリーは、同じく苦笑いで肩を竦めたリーバーと顔を見合わせた。

「素直じゃないんだから」
「これもいつも通りだな」


 蒼さんのリクエストより、神田が酔っ払いのお嬢に絡まれるお話でした。
 酔っ払い視点は難しいし神田視点はシリアスになりそうだしと悩んだ結果、初めてリナリー視点でやってみました。神田とお嬢16歳、リナリー14歳くらいの時のお話です。
 結局いつも通りややしんみりしてしまいましたが、このくらいの理由がなければ、神田は酔っ払いの相手なんてしてくれないような気がしまして……(笑)
 蒼さん、リクエストありがとうございました。



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