半月とロンド



 檜佐木と結婚して二年が経った。

 最初のうちは「いつまで苗字を澤村で通すつもりだ」とか「もっと夫婦らしくしろ」とか方々から文句を言われたものの、周囲もあたしたちも徐々に慣れていき、ようやく色々なものが落ち着いてきたところだ。
 瀞霊廷内に家を建て、二人暮らしになり、生活のリズムもなんとなく掴めてきた。
 銀爾くんの「檜佐木三席」という声にもちゃんと反応できるようになったし。



「オーイ澤村ー」
「なんでしょうか檜佐木副隊長」
「「ハイそこぉっ!!」」

 食堂で昼食をとっていると当の主人──夫とも旦那とも亭主ともいう──、檜佐木修兵副隊長が近寄ってきた。
 すると一緒に卓についていた乱菊さんと恋次が、箸でビシッと檜佐木を指す。

「行儀が悪いですよ、おふたりとも」
「イヤイヤイヤ結婚して何年経つんスか。何しれっと『澤村』呼びしてんスか檜佐木センパイ。あとりさんも何しれっと『檜佐木副隊長』とか呼んでるんスか!?」
「おい阿散井、人の嫁を馴れ馴れしく名前で呼ぶな」
「アンタらが結婚する前からこうなんですけど!? 檜佐木センパイがおかしいんですって」

 あたしの正面、恋次の横に着席した檜佐木は「うっせーなぁ」と顔を顰める。
 乱菊さんは呆れたように溜め息をつき、諦めて食事に戻った。

「公私混同したくないってあとりの意向? らしいっちゃらしいけど、頑固よねぇ。もう二年よ?」
「だってややこしいじゃないですか、九番隊にも十一番隊にも檜佐木がいるなんて。『澤村』って呼びかけてから『檜佐木三席』って呼び直す人の多いこと多いこと」
「雛森とか吉良なんてもう開き直って『澤村三席』だしな」

 そういうことである。
 現世じゃ結婚した人間は夫のものであれ妻のものであれ苗字を同じにするのが一般的なようだが、寿命の長さが違う尸魂界では別に無理して苗字を揃える必要はない。家名さえ持たない者も中にはあるのだ。
 流魂街出身の死神は地区の名称をそのまま流用している人もいるし、貴族でもない我々にとって、苗字とはさほど重要な意味を持たないのだった。

「で、何か用事?」
「ああそうだった。今日は飲みに行くから晩飯いらねぇ」
「そう。わかった」

 結婚する前から大勢でわいわい飲み会をするのが好きだった檜佐木だ。副隊長という立場上、部下を連れて食事をすることも多い。結婚したからといって特に回数が減るわけではなかったし、減らせとも言ったことはない。
 するとそれを聞いた乱菊さんが「あら」と目を丸くする。

「じゃああとり、今晩アタシと飲むわよ!」
「いいですね。久々に」
「どうせだし朽木も誘っちゃう? 新婚同士色々愚痴ることもあるでしょ〜」

 ルキアは恋次と結婚したばかりだ。新婚ほやほやの奥さんを奪われそうになっている恋次が「えっ」と顔を上げたが、「じゃあオマエこっちの飲み会に来いよ」と檜佐木が救いの手を差し伸べる。

「じゃ、そういうことで!」

 鶴の一声ならぬ乱菊さんの一声。
 そういうことになった。





 本日の飲み会での収穫といえば、ルキアと恋次は意外と仲良くやっていること、乱菊さんには相変わらず決まった男性が現れないこと、この二つだった。

「じゃ、お疲れ〜」
「乱菊さんもほどほどにね」

 年嵩の二人に容赦なくお酒を入れられてべろっべろのルキアをおんぶして店を出る。
 酔っ払いを生み出した張本人はまだ飲み足りないので二軒目に向かうそうだ。酔っ払うけど酔い潰れはしない、乱菊さんのしつこい酒の強さは厄介だ。

「姉さま……」
「はーい、なにルキア」

 闇の帳に針で刺したような星々が煌く。
 しんと静まり返った通りに、二人ぶんの体重を載せたあたしの草履の足音はよく響いた。

「姉さまは、檜佐木副隊長と結婚されて……、どうなのですか?」

 背中でむにゃむにゃいっているルキアに思わず苦笑する。
 大切な人を永遠に喪った乱菊さんに遠慮して、頑なに檜佐木との生活を黙秘するあたしに気づいたのかもしれなかった。
 まあ、かといって特段のろけたいネタがあるわけでもないんだけど。

「別に、普通よ。変化はゆっくりでいいって、あたしも檜佐木もそう思っているから」
「そうですか……素敵です」

 ルキアの細い腕が首筋に回った。十三番隊の副隊長に昇進してなお、この子はあたしごときを姉と慕い、たまにこうして甘えてくれる。
 可愛い妹分の体温で背中をぽかぽかと温めながらルキアたちの家までの道のりを歩いていると、角を曲がったところでばったりと男二人にかち合った。

「うおっ、あとりサン」
「恋次くん、奇遇ね。ねえ、この背中の可愛い子とその肩の酔っ払い交換しない?」
「喜んで!」

 顔を真っ赤にした檜佐木を連れた恋次があからさまに「助かったー!」みたいな顔になる。
 その肩に凭れてニコニコしている人はあたしを見つけて「おう澤村〜」と手を振った。どうやらいい具合に酔っ払ってご機嫌らしい。酔い潰れて歩けないというより、可愛い後輩にウザ絡みしているのか。

「ごめんなさいね、うちのが」
「いやこっちこそ」

 お互いの連れ合いをお互いのもとに引き渡す。うとうとしているルキアが「姉さま、いつの間にこんなに筋肉質に!?」と大ボケをかましていたが、恋次は慣れた様子で「あーハイハイ」と流していた。

「お疲れさまです」
「うん、気をつけてね。また明日」

 ぺこりと会釈して歩いてゆく後輩夫婦の背中が、角を曲がるところまで見送る。
 絡む相手を失ってやや大人しくなった檜佐木は、二人が見えなくなったあと一息ついてから「帰るか」ときびすを返した。

 ──その死覇装の背中を、ぎゅむと引っ掴む。

「ぐえっ」
「あ、ごめん」
「なんだよ?」
「疲れた。あたしもおんぶして」
「ハア?」

 何言ってんだこいつ、という心の声を隠す気もなさそうな表情の檜佐木に「いいでしょ」と押してみると、苦笑して後ろ手に手招いてくれた。
 ぴょんっとジャンプしてその背中に飛びつく。
 動じることなくあたしの腿裏をつかまえると、檜佐木はゆっくりと歩きだした。

「どーした、急に」
「別に。……飲み会じゃ毎回介抱したり取りまとめたりする側だから、たまにはあたしも酔い潰れて誰かに連れて帰ってもらってみたい」
「性格上ムリだろお前の場合」
「難儀な性格してると思うわ、我ながら」

 彼は返事をせず、ただ肩を揺らして笑った。
 戦闘時には爆弾ともなる物騒な装飾品をつけた首に腕を回し、ちくちくする黒髪に頬を埋める。ぽかぽかして暖かい。歩幅とともに揺れる感覚も、ほんの少しだけ酔ったこの身には覿面だった。

「ま、そうやっていつでも周りのために動ける澤村はスゲーと思うよ」
「……そう?」
「ああ。だから、たまには俺がおぶってやるさ」
「ふふ」

 なんだかかっこつけた感じの檜佐木がおかしくて、あたしは肩を竦めて笑いながら、回した腕にそっと力を込めた。

「……檜佐木ってあたしのこと好きよねー」
「なんだ。今更気づいたのか?」

 いえいえ、ずっと前から知っていましたとも。

「澤村は誰の前でも大抵『いい部下』で『いい上司』で、『いい先輩』だからな。仕事以外の時くらい俺に我が儘言えばいいんだよ」
「……承知しました。檜佐木副隊長」
「お。照れたな」

 照れてないよ。
 ただちょっとはずかしかっただけ。

「……、……しゅーへー」
「なんだイキナリ!!」
「お、照れたな?」
「照れるかこれくらいのことで!」

 はいはい。耳が真っ赤なのは酔っているせい、ということにしてやろう。


 変化はゆっくりでいい。死神の人生は長いのだから。
 檜佐木の背中から見上げた夜空は雲が晴れ、半分欠けた月が淑やかに首を傾げていた。暗い天蓋に針で刺したような星々が絶え間なく煌く。

「夜空がきれいね」
「そうか? いつも通りだろ」
「そうね。いつも通りね」

 しんと静まり返った通りに、二人ぶんの体重を載せた檜佐木の草履の足音はよく響いた。


 あなたと仰ぐ瀞霊廷の空は今日もうつくしい。
 幾星霜の年月を経ても、きっといつまでも。


 ミムラさんより「修平と未来if」、Takaさんより「未来ifで檜佐木に甘える」でした。結婚して二年が経ってもやっぱり相変わらずです。三席がおんぶをせがむなんて……と自分ではめいっぱい甘えさせたつもりです。こうやって、たいして変わらない関係を保って周りをじりじりさせながらゆっくり変化していく、そんな二人なのかなと。
 なんというか、『無様』らしくもなく平和でほのぼのしたお話になりました。お二人ともリクエストありがとうございました!



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