選りすぐりの夜たち・後篇



「ということで先輩によると、英ちゃんとミユキくんは青道に入学してすぐの頃から二人でコンビニに来てたって。他の部員も一緒に団体で来るようになったのはここ半年の話らしいよ」

 翌日、さっそく大学でオタク友だちに先輩から聞いた話をすると案の定食いついてきた。

「へええぇぇ。したら彼氏彼女で一緒に甲子園目指そうとかそういう少女マンガ的な?」
「ところがどっこい、先輩の見立てではまだ付き合っていないそうで」

 彼によると二人はそもそも下の名前で呼び合う親しい関係のようだが、他の部員の前では適度な距離を保っているのだそうだ。
 ただ、クラモチくんたちもあの二人が親しい間柄にあるということは了解していて、言動の端々に“そういう二人だ”という扱いが見て取れるという。

「ハアア〜〜今時の高校生ってわっからんわ〜〜」
「二か月前まであたしたちも今時の高校生だったんですけどねぇ」

 まあ青春を捧げる対象が彼らとは全く違ったから、どこか遠い世界のストーリーのように感じてしまうのは仕方ないかもしれない。
 このあっついのに汗水垂らして太陽の下で野球とか、正直信じられん。
 一つのスポーツに集中することは尊敬に値すると思うが、思うだけだ。自分もやろう、とは思わない。部屋でマンガ読んだりネットの海を漂ったりしているほうが快適だ。

「すごいよな〜……今年は甲子園観てみようかな」
「あんたの場合は野球マンガにはまったほうが早いんちゃう」
「でも野球ってルール難しいじゃん。人数多いし。スポーツものって結局それで断念しちゃうんだよね」
「せやな。……とりあえず続報あったら即ラインしてな」
「了解っす」





 彼らは来る日も来る日も野球に明け暮れた。

 やはり一番顔を合わせるのは英ちゃんだった。大抵はミユキくんと二人で来たから、多分毎日一緒に帰っているのだろう。たまに部員を何人か引き連れてきたり、英ちゃん以外の野球部員がどやどやと訪れたりもした。
 月日が流れるにつれてあたしは彼らの顔を覚えていったし、彼らもあたしの顔を覚えていった。だからといって会話をするようなことはないけど。

 時にはどこか沈痛な面持ちで、時には眩しい笑顔で。
 クラモチくんが一人で、英ちゃんとミユキくんが二人で。
 かと思えば他の部員の後輩らしき男の子が「クラモチ先輩は〜コーラ!」とパシられて──

 夏を終え、秋が去り、冬を越え。
 あたしは大学二年生になり、彼らは高校三年生になった。
 それまでよく来ていた男の子たちの顔を見なくなり、代わりに新しく入学したてくらいの少年たちが訪れるようになった。三年生が卒業して、新しい一年生が入ったんだろう、と先輩は笑った。

 英ちゃんとミユキくんの関係に変化はあんまり見られない。
 まあもともと仲のいい二人だから、きっと変わっていたとしても、あたしには気づけなかっただろう。

 結局なんだかんだと理由をつけちゃぁ甲子園を観ることもなかったけれど、あたしは週三日決まった曜日に、このコンビニで、彼らの青春のひとかけらを見守り続けた。



 オタクという生き物は、旬のジャンルに精を出していればいつの間にか時間が経っているものだ。
 気づけば大学二年も半ばを過ぎ、年明けには成人式を控える身となっていた。ついこの間まで中学生だったような気がするし、中身は一切成長していないつもりなのだが、外面ばかりが大人になろうと焦っているかのようだった。

「いらっしゃいませー」

 間抜けな入店音に反応して声を上げると、見覚えのある男の子二人が肩を並べて入店してきた。
 ミユキくんとクラモチくんだ。

「そういえば、甲子園行けたのかな……」

 今年の夏はうっかりバスケマンガにハマって大忙しだったので、甲子園のニュースはいつも通りチェックせずにいた。夏の間は、彼らもあんまりコンビニに来なかったような気がするけど。

 ……イヤ待て、先輩が世間話のひとつとして青道のネタを振ってくれたような気がするぞ。
 蘇れあたしの記憶!!

 ……無理だ推しの記憶しか出てこん!!

 かといって、とっくに終わった甲子園の話題を急に出して「どうだったの?」なんて訊けるほど仲がいいというわけではないし。
 出場できていれば問題ないけど、惜しくも逃しました、とかだったら申し訳ない。
 ていうかこんだけ近所に住んでて知らないのかよ、あたし。

 クラモチくんとミユキくんは雑誌コーナーの前で立ち止まった。

「お前いつ言うんだよ」

 ……おや?
 そういえばこの二人が二人だけでコンビニに来るの、珍しいのでは。

「なにが?」
「なにがって英のことだろ。あいつ大学進学すんだろ? このまま別れんのか」
「ん〜〜……」

 別れる、というのは多分恋人同士としての別れではなくて、進路の話なのだろう。
 どこか刺々しい雰囲気のクラモチくんの横で、ミユキくんは雑誌を開いてパラ見している。そうだね、今月号の表紙はきみの好きな長澤ちゃんだもんね(ストーカーじゃなくて。レジ前で英ちゃんと二人でその話をしてたから知ってるだけ)。

「お前がなに考えてっか知らねぇけどよ、あんだけいい女そうそういねぇだろ」
「倉持って英のこといい女だと思ってんだ」
「言葉のあやだろ! 世間一般的に! 客観的な! 評価!!」
「そんな力一杯否定しなくても……」

 ちょっと笑いそうになってしまった。危ない危ない。
 ミユキくんが雑誌を棚に戻すと、二人は飲み物とお菓子をちょっと見て回り、レジまでやってきた。いつものスポドリと、あとはグミとかチョコレートとかガム。

 ペコ、と二人が会釈してくれたのであたしも笑顔を返しておく。
「いっつもいるなこの人」とか思われてそう。
 あたしも「いっつも来るなこの子ら」って思ってるからお相子だろうけど。

「逆に倉持どうなんだよ。一年のやつらはけっこう『倉持先輩と高嶺先輩付き合ってる説』濃厚だって話してたらしいぜ?」

 お、やっぱそう見えるよね。
 あたしも最初は絶対そうだと思ったもん。だってミユキくんと英ちゃんだと、美男美女すぎてなんか……単純に妬ましい……いややめよう。

 クラモチくんはジャージのポケットに両手を突っ込んで、ミユキくんをじとっと睨みつけた。


「くれって言ったらくれるのかよ」


「…………」
「…………!?」

 無反応で財布から千円札を取り出したのはミユキくん、動揺してレジ袋を握りつぶしたのがあたし。

 え、この反応……ミユキくんって英ちゃんのこと好きなわけじゃ、ないんだ?
 もしかしてこの二人の間には矢印など元々存在しなかった……?

 待って、それよりミユキくんどう答えるの。

 内心で激しく動揺するあたしをよそに、お釣りと商品を受け取ったミユキくんはきびすを返す。「おい御幸!」とドスのきいた声で彼を呼んだクラモチくんがあとを追い、二人はそのまま店を出ていった。

「え……えええぇぇぇ……?」

 ちょっと待ってよ!!
 せめてミユキくんがどう答えるかだけ教えてよ!!

 寒風吹きすさぶ暗闇へと紛れていく二人の後ろ姿を見守っていると、奥で休憩していた先輩がひょこっと顔を出す。

「あーあ、あの子たちもあとちょっとで卒業かぁ」
「先輩、急展開です! ま、まさかの三角関係勃発!! ここにきてヤンキー×美少女カップルの可能性が浮上しました!!」
「クラモチくん別にヤンキーじゃないと思うけど……何事?」

 このあと数日ほど、彼らの会話の続きが気になりすぎて眠れぬ夜を過ごしてしまったことは言うまでもない。



 あの衝撃事件から二ヶ月ほど経った。
 あれからも青道野球部はたまにコンビニに現れたし、ミユキくんやクラモチくんも別々に顔を見せたけれど、結局彼らの三角関係(仮)がいかなる展開を見せたのかは、推理することもできなかった。

 いつも通りだったのである。
 ミユキくんと英ちゃんはごくまれに二人で寄ってくれた。どうも部活を引退して彼女の帰宅時間が変わったらしく、あたしのシフトとはかぶらなくなっていたらしい。
 別に殊更イチャイチャすることもなく、左手の薬指に指輪がはまっていたりすることもなかった。

 そして年が明けた頃から、ミユキくんもめっきり姿を現さなくなった。

 あの子たち元気にしてるのかな。
 なんとなく、バイトを始めた時からずっと来てくれる常連さんたちだから、こうして顔を見られなくなるのは寂しい。彼らの野球に懸ける青春のひとかけらに触れることが、あたしは案外楽しみだったみたいだ。
 いつか大人になった彼らが高校生活を思い出して、「みんなであのコンビニよく行ったなー」「いっつも同じバイトの女だったなー」と、笑ってくれたらいいなとさえ思っていた。
 ……おこがましい話だ。


 聞き慣れた入店音に反射で声を出すと、そこには久方ぶりのクラモチくんがいた。

「いらっしゃいませー」

 どうやら雪が降っているらしい。「さっみ」と小さくつぶやいて、頭の上にかぶった粉雪を払うような仕草をする。
 彼は、いつも大体の青道野球部がそうするように、雑誌コーナーに立ち寄った。
 野球関係の雑誌をぱらぱらと眺める。何かの記事をじっと見つめて、みんなと一緒にいるときのやんちゃな空気が嘘のように、静謐な空気で文字を追っていた。……何を読んでいるんだろう。

 それからまた飲み物とお菓子を持ってレジにやってきたクラモチくんは、ペコ、と会釈をしてくれた。

「雪……」
「え?」
「雪、降ってますか?」

 バーコードを読み取りながら訊ねると、クラモチくんはちょっと目を丸くして「まあ、ちょっとだけ」とうなずく。

「もうすぐ卒業ですね」
「そっすね。……まー、またやかましい後輩がお世話になると思いますけど」

 彼らの後輩。エイジュンくんとか、フルヤくんとか、あとアサダくんにクキくん辺りが、コンビニ常連の後輩くんたちである。基本、先輩たちにパシられて来ていたようだ。

「最近あの子たち見ないなって思って。眼鏡の男の子と、マネージャーの女の子と」
「あー、御幸はもう寮に入ったんで。英……マネージャーは多分、部活引退して時間があるからあんま来ねぇのかも」

 寮……。大学野球の学生寮だろうか?
 成る程なぁとうなずいて、商品をレジ袋に詰めていく。

「……あの、どうしても気になっちゃって。あの二人、結局どうなったの?」
「御幸と英?」
「そうそう。いや付き合ってんのか否かってうちの店でもけっこう話題になってて……」
「マジかよあいつら」

 さすがに無遠慮が過ぎるかなぁとびくびくしていたが、クラモチくんは意外にもおかしそうに笑っただけだった。
 彼はおもむろに店内をきょろきょろ見渡して、他のお客さんがいないことを確認すると、「どっから話したもんかなー」と腕組みをする。

「もういい加減ネットとかにも出回ってる話なんすけど」
「えっ、そんな有名人なの、あの二人」
「おねーさん、さては高校野球興味ねーだろ」
「う……ごめんなさい……青道が野球強いのは知ってるんだけどね」

 存外柔らかい笑みを浮かべたクラモチくんは「あ、唐揚げください」と保温器を指さした。英ちゃんがよく買って帰っていた唐揚げだ。あの子はここのコーナーが好きで、おでんやら肉まん・ピザまん、唐揚げにアメリカンドッグにフライドポテトと、ようよう悩んではミユキくんに「早くしろよ」と呆れられていた。
 クラモチくんも、その光景を思い出したのかもしれない。

 ……そっか。
 じゃあもうあの二人には会えないのか。

「あの二人、もともと幼なじみなんすよ」

 その一言から始まったクラモチくんの語りに耳を傾けながら、確かに感じた寂寞を噛みしめていた。





 季節は春を迎え、あたしは大学三年生に、ミユキくんたちはそれぞれの一年生に、彼らの後輩が高校三年生になった。
 残念ながらあれからミユキくんと英ちゃんが二人でいるところを見かけることはなかった。大抵は英ちゃん一人か、たまにミユキくんの代わりを務めるようにクラモチくんが一緒に来た。

 記憶を遡ると、英ちゃんが最後にコンビニで買ったのは、ホットココアと肉まん。
 で、クラモチくんがピザまん。
「分けっか」と訊ねた彼に英ちゃんはコクンとうなずいていた。その様子を見ていると、やっぱりヤンキー×美少女カップルも捨てがたいなぁと思うし、「くれって言ったらくれんのかよ」というあの言葉の深意を勘繰りたくなってしまう。

 いつも通りのシフトに出かける準備をしつつ、リビングで出勤前のお茶を飲む。
 夕方のニュースはスポーツコーナーに差し掛かった辺りだった。プロ野球のことは甲子園以上によくわからん。セ・リーグとパ・リーグの違いから教えてもらわないとだめだ。

『───七回裏から登場したのは昨年ドラフト二位で入団した……』
「どらふとにい……」

『……ミユキカズヤ選手』

 噎せた。

「ミユキカズヤぁぁぁっ!?」
「ちょ、ねーちゃんテレビ見えないんだけど」

 即座にお茶をテーブルに置いてテレビに掴みかかる。甲子園好きの弟から飛んできた文句には目もくれず「ちょ、リプレイリプレイ巻き戻し!」と無茶なことを叫んでいると、テレビの画面にはスポーツサングラスを掛けたイケメンが映った。
 間違いないミユキカズヤだ。これミユキくんだ。何回もレジ担当したもん間違いない。

「御幸一也……うわすごい、漢字かっこいいな……」
「ねーちゃん邪魔」

 最初に感心するのがそこかよと自分でも呆れたけど、しょうがない。ずっと心の中ではカタカナで呼んでいたのだから。

「そうか、ネットに出回ってるってそういう……いやそりゃそうだ、ドラフト二位指名の影で支え続けた幼なじみとか何だそれ今どき少女マンガでもねーよ。野球マンガでもねーよ。コテコテすぎる……」
「ねーちゃんいい加減どいて」
「すまんすまん……」
「なんだよ急に。御幸一也に一目惚れでもしたの?」
「恐れ多いこと言うな!! 確かにイケメンだけどな!! 住む世界が違うだろう!!」
「そんな力一杯否定しなくても。少なくとも御幸一也は同じ次元にいるよ」

 え、待ってこれあたしもしかしてかなり危険度の高いネタを持ってることになるんじゃない?
 二人の決意、高校入学後のあれやこれや、卒業前にクラモチくんたちが超絶苦労したすったもんだの末の色々を、あたしは余すことなく教えてもらっている。いまをときめくプロ野球選手の御幸一也に、世界で一番大事な女の子がいるという、その事実……。


 やばい。
 墓まで持って行かないと。


「……バイト行ってくる……」
「ねーちゃん体調でも悪いのか?」
「大丈夫……あ、今度プロ野球のこと教えて特に御幸一也」
「やっぱ一目惚れか!? わかった今度試合のチケット取ってくるから観戦しよーぜ!」
「違うつってんだろこの愚弟!!」


 ──で、この数年後、御幸選手の結婚報告を受けたワイドショーで高校時代の二人の写真が流れてまた吃驚仰天することになるのだが、これはまた後の話だ。


 かわさん、夕稀さんのリクエストより、コンビニバイトのオタク女子大生視点のお話でした。
 これはもともとツイッターで小ネタ的に呟いていたものです。ツイッターのネタからはいくつかリクエスト頂いていたのですが(成人式や結婚式の話など)、一番軽くて楽しいノリのお話になりそうだなと思ったので、こちらにさせて頂きました。第三者視点シリーズ第一弾です。御幸はプロに行った設定。
 一人脳内でわちゃわちゃする女子が書けて楽しかったです。リクエストありがとうございました!



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