本当はね

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 本当は最初は、ドラケンくんのほうが好きだったんだ、って言ったらどんな顔するかな。でも仕方なかったのだ。あんなの、誰だって恋に落ちると思う。

 あれは忘れもしない中3の冬のこと。

 もとは私が寿命ギリギリのチャリに無理させたのが悪かったんだけど、コンビニの前でチェーンが車輪に噛んで、立ち往生になってしまったことがあった。帰ろうとしたら乗るのはもちろん押しても動かず、どうしたらいいか分からなくて、どうにもならない感じに固まったタイヤの前でしゃがんで茫然としていたら、その当時から現在の身長だったドラケンくんが、はるか高みから「直すか?」と声をかけてくれたのだ。タッパはあるわ顔も格好もいかついわで、もちろん初めて見上げた時は怖かったけど、私があれほど困惑した事態を前にまったく悩まず素手で絡まったチェーンを解き、正しい位置に戻してくれて、恩着せがましくもせずに「修理したほうがいーぜ」と言ってくれた顔に強烈に男らしさを感じてしまった。男らしさ?違うか。頼りがい?ちょっと的確な表現が思いつかないけど、要はすっごくときめいたってことだ。お礼を言ってあわよくばもう少し会話しようと思ったけど、ちなみに5秒で失恋した。コンビニからエマちゃんが登場したからだ。当時まだふたりは付き合っていなかったけど、お互いに好き合っていることぐらい、空気で分かった。

 そのコンビニは、ドラケンくんを含めてよく同じチームの人がたむろしていて、連絡先も交換していないのにそれ以降顔を合わせることが増えた。相手にはなれないと分かっていながら、やっぱり会って話せると嬉しかった。断っておくが、この頃まだ私はマイキーに出会っていない。

 「純、付き合ってるヤツとかいる?」

 出会ってどのくらいだったか忘れたけど、ふいにカッコいいと思ってる人からこれを聞かれたときの私の舞い上がり方、みなさまお分かりいただけるだろうか。

 「い、ないけど…なんでそんなこと聞くの」
 「紹介したいヤツいんだよ。別に付き合わなくていーけど、会ってみねぇ?」

 このように、もちろん淡い期待は瞬く間に脆く崩れ去ったけど。でも彼のこの申し出をきっかけに、私の携帯にはドラケンくんの連絡先が入ったので、このときも結果はヨシだった。そしてこれで言われた、“紹介したいヤツ”というのでようやく登場するのが、マイキーだ。

 わざわざ紹介したいなんて言うから、てっきり相手は彼女募集中かなにかだと思ったのだけど、マックで初めて顔を合わせたマイキーはぜんぜんそんなではなかった。女に舞い上がるでも緊張するでもなく、まるで男友達を紹介されたようにフラットで、ドラケンくんが思ったような役割を自分が果たせたとは到底思えない時間になってしまったから、解散した直後にわざわざ確認してしまった。

 「私で大丈夫だったの?紹介するの」
 「おう。やっぱ相性いーわ」
 「あれで!?」
 「アイツ飽き性だから、フツーあんな会話続かねーんだよ。なんか合うかなと思って会わせてみたけど良かったワ、サンキュ」
 「……ほんとかなぁ……」

 心配をよそに、期待通りの働きだと彼は言った。その後も根気強くドラケンくんがマイキーをコンビニに連れてきたり、私たちを遊びに連れ出したりするうち、何をきっかけにか徐々にマイキーが心を開いて、ふたりで遊びに出るようにもなる。といっても、付き合うなんて話になったのはここからさらに3年後のことだ。ふたりで遊びに出るようになった頃には、私はすでにドラケンくんではなくマイキーを好きになっていたけど、なにせマイキーにはそんな気配が1ミリたりともなかったから、進展しようがなかった。女とエロの話はしてもまるで男同士の付き合いの冗談で、頭の大半はバイクと男友達とたい焼きのことで占められているようにすら思えた。

 関係の変化はものすごく唐突だった。ドラケンくんとエマちゃんとマイキーと私で一泊旅行に出たとき、ホテルのフロントがみえたあたりで、突然マイキーがこう言ったのだ。

 「オレ純と同じ部屋にすっから、ケンチンエマと泊まれよ」
 「ハ?」

 話しかけられたのはドラケンくんだったけど、私もエマちゃんも揃って声をあげた。まあ、もちろんこれはもどかしいふたりを早くくっつけるためで、耳元で「合わせろよ」と言って、「オレらも付き合いたてだからさぁ」と事実無根をでっち上げ、まんまと彼らを同じ部屋に押し込み、翌朝にはくっつけさせた。さて、もともと両想いだったふたりは無事にすすむとして、じゃあ私たちは?って話だけど、以下の通りである。

 「くっつくといいねぇ」
 「大丈夫大丈夫。あそこまでお膳立てしてヤんなかったら男じゃねーよ」
 「……ま、それもそっか」
 「そーそー」
 「くっついてからウソでしたーって言ったらふたりどんな顔するかな」
 「ウソ?」
 「え?…ほら、付き合いたてとか言ったじゃん?」
 「あ。……付き合う?」
 「は?」

 おわり。

 もちろんこのあと何を言ってるんだとか押し問答があったわけだけど、マイキーお得意の「まぁいいじゃんいいじゃん」節からの、「オレじゃ不満なわけ?」の唯我独尊が始まり、当然のごとく押し切られた。結果的に望んでいた行先ではあっても、ここまでの時間でマイキーからの恋愛感情なんて感じたことがなかったし、展開が飛びまくっているせいでそれはもう戸惑った。ただ先に付き合いたてだなんてウソをついてしまった手前、そんな戸惑いをドラケンくんとエマちゃんの前で出すわけにいかず、まるでその関係が普通のように過ごしてしまい、そっちが本当になってしまったというだけのことだ。

 「ていうか、オマエら付き合ってたんだな。言えよ」
 「あ、…なんか…言い出しづらくて。ごめん」
 「別にいいけど。自分が紹介したヤツらが付き合うってフツーに嬉しいしよ」
 「そうだったね。紹介ありがと」
 「相性いいっつったろ」
 「…うん」

 このやりとりをしたときの後ろ暗さときたら。彼らとの付き合いも3年にもなれば、ドラケンくんとマイキーが圧倒的に互いに特別なことは分かっていた。あなたにそんなことを言ってもらえるほど、私はマイキーにとって特別じゃない。でもそんな不安を正直に吐露するほど野暮でもなく、私だってマイキーのことがちゃんと好きな以上、できる限りのことをするだけだと思って、この時に覚悟をきめた。

 そしてその付き合いも7年。うち同棲6年。つい先日衝撃の懺悔とそれなりの告白とプロポーズを食らい、言っちまったら即行動のこの男があっという間にぜんぶ決めたおかげで、今日を境に、同棲は夫婦生活にタイトルを変える。

 挙式、披露宴、のち、婚姻届提出予定。幸せ絶頂だろう。ふつうなら。そこがふつうじゃないのがもう、相手が佐野万次郎ってことなんだなと思う。

 「純ちゃんおめでとう〜〜〜!!!!」
 「……ウン、アリガトウ……」

 ついこの間立場が逆だったエマちゃんに飛びつかれ、力なくお礼を言う。

 だいたい結婚式なんて私は絶対にやりたくなかったのだ。そんなお金があるなら旅行に回したい派だし、人を集めて祝ってくれっていうのもドレスもガラじゃないし恥ずかしくて嫌だ嫌だと拒否しまくったのに、レースで私の百倍稼いでくる天上天下唯我独尊が譲ってくれなかった。せめて盛大にやらないでくれというリクエストだって真逆に行かれた。いったい何人集めたんでしょう。無理。

 「…純ちゃん?」

 幸福絶頂のはずの兄の嫁があきらかに絶望していたことで、エマちゃんに怪訝な顔をさせてしまった。いくら思い通りではないとはいえ申し訳なくなり、取り繕おうとしたら、後ろからマイキーの呆れ声がした。

 「当日まで諦めねえのオマエ。今更中止になんねぇよ?」
 「えっ!?やっぱり純ちゃん、マイキーと結婚なんてイヤってこと!?」
 「ちげえよ、結婚式ずっと拒否ってんの」
 「えっ?……え、式自体イヤ…ってこと」
 「わっかんねぇよなー。ドレスとか人前とか無理っつーの」
 「……マイキーが強行したってことぉ!!?何やってんのバカマイキー!!」

 諦めが悪くもなる。ふつうなら3〜4か月とも言われる準備期間は、式場の大口のキャンセルが出たところをそのままの規模で買い取ったマイキーの横暴によって1か月未満だった。そもそも式にさえ同意していない状況で、買い物行ってくるーって出て行ったはずが、とつぜん来月の結婚式などというトチ狂った買い物をして帰ってきたのだから、この事態の収拾できなさといったらない。巨額のキャンセル料を出されると黙るしかなく、しぶしぶ新婦の招待客リスト作りとドレスのフィッティングだけは協力した。けど、今からでもやめられるものならやめたい。これだけ急なスケジュールでスポンサーの重役や同僚選手陣、関係者を漏れなく出席させているということは、あらゆるスケジュールを捻じ曲げさせたはずだ。ワガママ嫁が今すぐ結婚式したいとか言ったんだろ、とか、恨まれそう。ちがいます。やるならせめてふつうに準備したかった。

 言い争う嫁と親友を後目に、一足早く佐野家の一員になっているドラケンくんが、そっと私の横に立つ。

 「…悪い、としか言いようがねぇんだけどよ」
 「……ドラケンくんのせいではないでしょ」
 「いや……オマエが旦那にしたの、そういうヤツだから、って言いたかった」
 「…………」

 そんなダメ押しはいらない。ここにきて急速にこんな優しい常識人を勝ち取った友人が羨ましくなったし、当初感じた直感と淡い恋心は間違いなかったのだと思った。ドラケンくんいいな。私の気持ちにも同情しつつ、長い親友の幸せに水は差さず、分かるから頑張って諦めろと肩を叩いてくれる、双方への優しさ。

 「…もう中止できないことぐらいわかってるし、諦めてるんだよ、ちゃんとやる、やりますけど」
 「おー、不満は今のうち吐いとけー」
 「人が多すぎるし誰が誰だか分かんないし、謎にえらい人いるし失礼があったらどうしよう、いっそバージンロードで転んで意識なくなって中止にしたい。…絶対そのほうが丸くない!?打ちどころ悪く行けるかな!?」
 「「ぜんぜん諦めてねぇじゃん」」

 いつの間にか聞いていたマイキーとドラケンくんのツッコミがハモり、私はマイキーにデコピンされた。その顔が本当に感心するほどいつも通りで、こんな小心者の緊張なんて人生で一度も経験していないんだろうなと思うと気が遠くなる。気が合わない。この先大丈夫かな。これがマリッジブルーなのか。

 「遠い目しないで純ちゃんちがうの、マイキーってこんなだしめっちゃ言葉通じないときもあるけど、やさし……うーん…えーっと……」
 「エマー。なーんもフォローできてねぇぞー」
 「だ…って状況が状況だもん!マイキー!!」
 「説得しようったってうんって言わねぇんだからしょうがねえだろ」
 「なんでそれで強行になっちゃうの!」

 私のためにぎゃんぎゃん怒ってくれるエマちゃんと、何が悪いのか絶対に伝わっていないマイキーというスピーカーに挟まれて遠くのお空に意識を飛ばしていたら、「まあまあ」とふたりの長兄がスピーカーたちを宥めにかかった。年長者らしい低音が、あっという間に私を含めて場を落ち着かせる。さすが。日本最大級の暴走族のトップも、この兄弟のトップもやってきた男はダテじゃない。

 「純」

 ぽんと肩を叩かれて、謝罪でもされるのかと思った。ら。

 「ま、ちょっと赤い道歩いてさ、なんか聞かれたら誓いますっつってくれりゃ終わるから!」
 「……」

 佐野家は佐野家。パワープレイは彼らを育ててきたお兄ちゃんだって同じだった。

 「…えっと、新手の詐欺?」
 「真ニイーーー!!!」

 ちなみにこの間、イザナくんはテレビの前のお茶の間かというほど我関せずで爆笑していた。