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遠くにぱちぱちと火花が散る音がする。瞼のむこうで、エメラルドが不規則にちらちらと揺らめく。暖炉の前はどうしても、眠たくなってしまう。
「母上、…風邪をひいてしまいます。寝室でお休みになってください」
優しい声が言い含めてくれるのが分かっても、意識が持ち上がらない。心地よく体が重くて、眠気に逆らいたくなかった。「よい、寝かせておいてやれ。あとでわしが部屋に送り届けよう」その“あとで”までには目を開けないといけないな。大丈夫。触れられれば、起きられるはず。だってあの右大将閣下に怒られたらひとたまりもないもの。
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まどろんでいたら、火が弱まっていた。薪の山から、なるべく乾いたものを2、3本選び取り、火種を潰さないようにくべる。消えてしまったって魔法を使えばどうにでもなるけど、いつ戦場になるかわからない野営の場では、体力は節約していなければならない。
湿った風が強くなり、勢いを取り戻しつつあった炎が不安定に揺らいだ。はっとして私が手をかざすよりも早く、別の手が炎を守った。その手の小柄さと、ここまで近付かれて気付けないような気配の消し方ですぐに誰だか分かった。
「閣下、…お休みのはずでは」
「代わってやる。衛生兵に倒れられちゃこっちも進めねえからな」
その瞳に映っていた炎がめらめらと勢いを増した。底知れずの魔力に節約の二文字などないようだった。いつもそうだ。消耗している部隊のなかで、部隊長を務める右大将閣下だけはまるで出立したてのようにいつも飄々としている。そういう顔で誰の疲労も顧みずに進んでくれるから、まるで自分の疲労が気のせいかのように錯覚されて奮い立ち、進んでいける。でも、
「私は大丈夫です、昼に休ませていただいていますから。閣下がいざというときに動けないほうが困ります、どうかお休みください」
その顔だってすべて本物というわけじゃない。生ける伝説だろうと刺されれば傷はつくし、眠らなければ疲労はとれない。そして彼が進まなければ国の未来がないのだから、命の優先度が自分とは違い過ぎる。お気遣いは受け取れないと頭を下げたら、軽い衝撃が後頭部をはたいた。
「ゴチャゴチャ言ってねえで聞き入れろ。俺が倒れたら当然だが、お前が倒れても進路はねえっつってんだ。履き違えるな。転寝するような凡骨は今すぐ寝ろ」
「…でも」
「それ以上抜かしたら力づくで気絶させる」
「………」
まるでこちらが休むことが任務遂行のための絶対正義だと思い込ませるような言い方だ。戦場での経験値だって圧倒的に向こうが上なので反論なんてできないが、どう考えても休息で優先されるべきは私ではないだろう。本来絶対に守られるべき人にそういう気遣いをさせてしまうこと自体、情けなかった。
「申し訳ありません。明日は必ず」
「そうしろ」
「毛布、お持ちします」
「あ?それでいい。よこせ」
「え?あ、いえ…私の使っていたものですし、新しいものを」
「体温が残ってたほうが暖が取れるだろうが」
「え、ええ……?」
自分が口元までぬくぬくと包まっていた毛布はさすがに憚られ、渡すのをためらっていたら、手元からひったくるように奪われてしまった。使い古しを渡していいはずがないしと一応新しいものを取ってきても、「冷えた毛布はいらん」と一蹴される。こうまで仰るなら本当にその使い古しがいいのだろう。最後にもう一礼して、火から一番遠い共同の天幕に向かおうとしたら、呼び止められた。
「待て」
「はい」
「こっちでいい」
指し示されたのは火に最も近い、彼のための天幕だった。確かに彼一人のためにある天幕なので、今は空いているだろうけど、上官の寝床を奪うなんて恐れ入りすぎて震えあがり、何度も首を横に振った。
「いけません閣下、それはいくらなんでも」
「いい加減にしろ。俺はまどろっこしいことは嫌いなんだ。三秒以内に入るか魔石器の塵になるか選べ」
「そ、…そんな…」
命は惜しいし、苛立ち度合いから後者も本気八割だろうし、ごにょごにょ言いながら私は指示通りに三秒以内に生ける伝説専用の天幕におさまった。満足した様子の右大将閣下はもう振り返らず、あぐらをかいた後ろ姿しか見えない。
「夜の祝福あれ」
「…夜の祝福のありますように」
小柄なはずなのに、まったくその背中は大きかった。
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