シスコン製造機のお姉ちゃん

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 携帯のバイブが震える。開ける。6時。酒が残りすぎてて、たったそれだけの動作でぐらーっと頭が沈むような気持ち悪さを感じた。あと5分目を閉じたらまだ気持ち悪さが抜ける、んじゃ、ないか…。なーんて、抜けるわけがないのにちょっと目を閉じただけのつもりが、一階から炊飯器のブザーが聞こえて飛び起きた。

 「ヤッバ!」

 一人で叫んでふすまを開け、階段を駆け下りる。ご飯のタイマーは7時半、つまり1時間半の寝坊。このままだと朝ごはんは白米となめ茸だけになるし、次男三男はあと30分じゃ起こすのに時間全然足りないし、真一郎の弁当がなくなるし、などなど。とにかくヤバい、やらかした、とキッチンに駆け込むと、卵の香ばしい匂いにふわっと迎えられる。

 「えっ」
 「え?あ、ネエ起きられたの!?大丈夫!?」
 「……エマちゃあぁん」

 とっくの制服姿で卵を焼いててくれたのはいちばん下の超よくできた妹、エマだった。天使の笑顔に心底感謝して思わず両ひざをつくと、薬とカルピスが出てきてさらに感動した。中2の妹に二日酔いの面倒見させまくるってダメな大人が過ぎる。土下座。

 「ほんっとにごめん超ありがとう!もう絶対寝過ごしません」
 「寝過ごしてないよ?言ったじゃん、昨日の夜に寝てていいよって。ありがとうってネエも言ってたよ?」
 「…ウソ」
 「ホント。昨日帰ってきたときすごい顔色して吐いてたから無理だなって思って言ったの。覚えてないの?」
 「……ぜんっぜん覚えてない」

 そもそもどうやって店から帰ってきたのかも記憶がない。昨日はキャストの誕生日パーティだったこともあって羽振りのいいお客さんばっかりで、割りもののお酒は一切なかった。コールを受けすぎてまずいなって思いはしたけど、盛り上がりとお金に目がくらんだと言っていい。どうにか閉店まで持ちこたえて送り出したところまでで記憶は終わり、その先がふっつりと途切れている。誰かに送ってもらったのか、タクシーで一人で戻ったのか、でそもそも帰ってきて家族が起きてたかどうかさえ知らないが、エマがこう言うならエマは起きて迎えてくれたんだろう。

 無理やり記憶を起こそうとすると、まだ酒が残って靄のかかりまくった頭が痛い。酔っぱらいのやらかしは聞いたほうが早いとあきらめて、エマにもう一度謝った。

 「ごめん。迷惑かけて」
 「ううん、ウチタクシーの運転手さんにピンポンされて出ただけ。真兄が抱っこしてったし、ちゃんとトイレで吐いてたし、なんにもなかったから心配しないで」
 「あぁ、真一郎か…じゃあいいや…あ!ってかここまで一人だった!?誰か送ってくれてた!?」
 「店長さんが一緒だったよー」
 「げーーウソ…最悪…申し訳ございません…」
 「優しかったよ?今日はお休みでいいよーって言ってくれてたし」
 「……それもコワ…はーあ、ダメだぁ……うっ、きもちわる」
 「寝てていいってば。それともご飯だけ食べちゃう?」

 無理してでも食べちゃったほうがだいたい良くなるって、自分が飲酒経験もないのにわかってしまっているエマは、てきぱき支度してソファの前におにぎりの乗ったお盆を置いてくれた。病気のときだけはここで転がって食べてOKってルールだけど、二日酔いは…。万次郎あたりはダメって言いそう。

 それにしても、エマの後ろ姿ときたら本当に大人になった。4年前にわたしが水商売を手伝い始めたばかりの頃は、出勤の夜には万次郎と二人で仮病使ったり本当に怪我したりしてどうにか引き止めてきたり、人の布団に入って泣きながら迎えてくれたりしてたのに、たったこれだけの時間でけろりと仕事を理解して助けてくれるなんて、子どもの成長って本当に早い。ちょっと寂しいぐらい。

 わたしがそんなババアの感慨にふけっているとは知らないエマは、バラエティ番組の時計を見て「あっ」と悲鳴を上げた。

 「もうこんな時間!ちょっとニイたち起こしてくるね!」
 「本当にごめんね…」
 「いいの、もうごめんはナシ!」

 エマはフライパンとお玉を掴むと、あっという間に階段を駆け上がっていった。マンガみたいな起こし方だけど、真一郎だけなら効く。イザナと万次郎は運が良ければで、たいがいベッドから引きずりおろすまでは無理。どうせ今日も無理だろうなーエマごめんねーって思いながら、うとうととソファで目を閉じる。タレントの声が遠くなり、意識がすっと落ちかけ…

 「おーきーろー」
 「ぐぇっ」

 全身、特に鳩尾に容赦なく荷重がかかって呻いた。重さも声もぜんぶ三男、万次郎である。

 「マイキーやめてよ!ネエ具合悪いんだから!」
 「二日酔いじゃん。ソファずりーし」
 「…絶っ対言うと思った……重いってマイちゃーん」
 「はー?」

 しばってないと暴れ放題の長い前髪の隙間から、万次郎の不機嫌な目がのぞく。この子はまあ、エマとイザナが来る前は特にうちの末っ子をほしいままにしてたし、実際かわいくてわたしもじいちゃんも真一郎も甘やかしすぎた。おかげで、

 「万里子より重くねぇし。かわいいだろ」
 「えーもうデカくてかわいくなーい。マイくんなんちゃいになったんでちゅかー」
 「わかんね、3歳ぐらい?」
 「でっけー3歳児だな」
 「なに?発育よくてかわいいって?」
 「ムリヤリすぎない?」

 かわいいって言わせるまで引き下がらないみたいな、こんなお約束がいつからかできてしまった。それも正直かわいいんだけど、マジで一人で何もできないしやろうともしないので、お友達にはそれは苦労をかけていることと思う。特にケンちゃんとか。

 「いつまでやってんだガキ。メシ食えよ」
 「…あ?」
 「あ、イザナ。おはよう」

 向こうから聞こえてきた声に顔を上げたら、知らないうちにイザナがドアのところにいて、真一郎とじいちゃんはもう席についていた。意識を落としたのは一瞬のつもりだったのに、ずいぶんやすらかに寝ちゃったようだ。簡単にイザナの挑発に乗りかける万次郎の頭を撫でて宥めながら挨拶すると、イザナはフン、と鼻を鳴らして挨拶はくれなかった。酔っぱらい帰還への呆れもあるだろうが、この場合はたぶんシンプルに、甘やかしすぎんな、だ。わかってるけどちょっと宥めたらおとなしくなる狂犬がかわいくてしょうがない。

 結局かわいいからご飯食べなって促して万次郎はテーブルに解放し、わたしもソファで起き上がった。まだぼんやりはするものの、さっきよりはずいぶんいい。テレビを見ながらおにぎりを咥えると、早々に食べ終わった真一郎の手が頭に乗っかった。

 「大丈夫か?」
 「うん、だいじょぶ。ごめん、めっちゃ吐いてたらしーね」
 「覚えてねぇのかよ。オレ手で受けたわ」
 「マジかそれはゴメン」
 「まあそんなんは別にいいけど、あんま無理すんなよ。今日は寝とけ」
 「え。店は?」
 「誰かにやらせっからいい」

 今夜に続き、昼の仕事までなくなって、休みということより失業の危険に目をむいてしまった。そんなわたしの不安なんて気付けない真一郎は、さっさと部屋をあとにしてしまう。そういうことなら夜の仕事は受けないとと、急いで店長にメールを打つ。昨日は申し訳ございませんでしたお気遣いいただきましたおかげで今日は全く問題なく元気ですもし宜しければ今夜もお伺いしたいと思っております云々。

 営業で鍛えた指で3秒程度で打ち終え送信して携帯を閉じたとき、ちょうどインターホンが鳴る。

 「着いたぞー!マイキー!」
 「上がってー!」

 ケンちゃんだ。万次郎にここ数年一番迷惑をかけられているお友達であり、エマの片思い相手でもある。上がってって軽率に言うけどエマ大丈夫かな。テーブルを振り返ったら、そわそわと髪を直していてかわいかった。早く付き合ってほしい。ケンちゃんだって絶対好きだと思うんだけどな。

 来客が居間まで届く前に、万次郎はいそいそとわたしのソファの前に座った。「今日はケンちゃんじゃないの?」「うん、今日は万里子のキブン」「二股女みたいなこと言うじゃん」テーブルに落ちてたブラシを拾って、前髪に通していく。ブリーチしまくった金髪は痛みに痛んでて、下手にやると引っかかって痛がるからこれが意外に時間がかかる。そのわたしを見て、イザナがいつもの溜息をついた。

 「だから自分でやらせろよ。オマエがそんなだからいつまでも万次郎がコレなんだろが」
 「だからイザナもやってあげるってば」
 「いらねぇよ!話聞け!」
 「は?ヤダ。オレだけでしょ万里子」
 「なんであんたはさっきから罪な女みたいになってんの?」

 「はよーございまーす」

 しょうもない言い争いに終止符を打ったのはケンちゃんだった。イザナは舌打ちして出て行く。いつものことだから彼は気にしないだろうけど、「お客さんの前で舌打ちしない!」と一喝だけはしておいた。  

 「いらっしゃい、ちょっとそっちで座って待ってて。よければご飯もどうぞ」
 「エッ!?」
 「なんかあるでしょ、エマ。出してあげて」
 「すんません…お構いなく」 
 
 お構いなくなんて大人びた敬語を使った彼は、エマに声をかけてテーブルについていた。「ごっ、ご飯と目玉焼きぐらいなんだけど…!」「マジ?食いてー」新婚みたいな会話内容を盗み聞いてにやにやしてしまう。あまじょっぱーい。

 「仕事休みになったんだっけ?送りいらねぇ?」
 「ううん、さっき行けますって連絡した。6時に銀座に送ってマイちゃん」
 「げ。また同伴?」
 「またって言うほどないでしょ。今日はザギンの高級すき焼きー♡」
 「えーーーー」
 「いいでしょー。おいしかったら同じの食べにいこーね」
 「そーゆー問題じゃねぇし…」
 「食わないの?」
 「それは食うけど!」

 いつも通りのポンパに仕上げて、拗ねたおでこにチューをひとつ。これで黙っちゃうんだから本当にかわいい。うちの男たちはたいていのケースでこれで済む。エマも万次郎とイザナには照れちゃってやらないけど、真一郎をたぶらかして何かを買わせるのにはよく使っている。

 「ほれ、ちゃんと着替えてらっしゃい」
 「……」

 はぁ、ってでっかい溜息ついて、万次郎は立ち上がってソファを離れた。ケンちゃんを呼んで自室に連れて行くらしい。彼は食べ終われたかなと思って振り返ったら、万次郎が部屋の出口で振り返って怒鳴った。

 「オレ同伴がヤだっつってんだからね!すき焼きじゃねーから!」
 
 みんながぽかーんとしてる間に、ふんと鼻を鳴らしてどすどすと去っていく弟は、身体だけちょっとでかくなったかわいいかわいいガキんちょのままだ。笑っちゃうぐらい。にやにや見送ってたら、残ったケンちゃんとエマ夫妻が揃った呆れ顔を作ってくる。

 「…あんま甘やかしちゃダメっすよ」
 「…イザナじゃないけど、ネエってそーゆーとこあるよね」
 「そーゆーとこって?」
 「シスコンダメンズ製造機」
 「……」

 自分でもうすーく思ってたことではあったけど、ついに8歳下の妹にばしっと指摘されてしまった。万次郎に比べてエマはやっぱちょっと発育がよすぎる。心配。



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佐野家解説

◎真一郎
モテなさすぎて結婚の気配がない。普通に高校卒業とともに暴走族引退してバイク屋開業してらっしゃる。激シスコンブラコン。こいつがいちばんダメンズ製造機

◎万里子
佐野家のおかあちゃん。夜はキャバ嬢、昼は真一郎の店番。家族ビッグラブ。

◎イザナ
8歳のときに佐野家に加入。現在黒龍総長。姉の地雷を無意識で踏みぬくのが得意なのでやや怖がっている。弟のシスコンはやりすぎだと思っているが自分もなかなか。

◎万次郎
東卍総長。イザナとバチバチなため真一郎に無理やり黒龍と不戦協定結ばされてる。オレが万里子の一番だから!!!!

◎エマ
4歳ごろに佐野家に加入。家族ビッグラブ。たぶん佐野家でいちばん大人。シスコンダメンズ製造機にいち早く危機感を持った。