イザナに言い出したい

***

 「おはよ、イザナ」
 「…はよ」

 雑ながら挨拶は返ってきた。すでに配膳は済んだテーブルについて、だるそうに煎茶を啜る。低血圧なせいかスイッチが入るのに時間のかかるイザナは、基本的に箸に手をつけるまでが長いけど、わりあい今日はすぐに手がついた。ご機嫌も体調も悪くなさそう、に、見える。

 「…なんだよ」
 「エ」

 さりげなく動向を探っているつもりだったけど、イザナには丸わかりだったようだ。後ろ暗い気持ちまで見透かされている気分になり、とてもいたたまれなくて、呆れたような目線からすいっと逃げてしまった。

 「イエ…なんでも…」
 「はぁ?何」
 「何もないです何も」
 「あんだろ。何の敬語だよ」
 「万里子なんかしたの?」

 しまった、万次郎まで引っかかってしまった。我ながらウソが下手過ぎて、「なにもないってば…」と言いながら目をそらしてしまったら、兄弟そろってあからさまなわたしの嘘に箸をとめてわたしを凝視してきた。普段はぜんぜん仲なんて悪いくせに、こういうときだけは無駄にシンクロしてくるから嫌になる。

 「何?オトコ?ぶっ飛ばすか?」
 「ちが…ちがうけど、そうだとしても二言目がぶっ飛ばすって」
 「ハ?マジ?浮気じゃん」
 「してないよ万次郎一筋だよ…」
 「オレの目見て言えよ」
 「なんでよ」
 「ホラ浮気!」

 食い気味に断定されたことで、思ったよりはるかに面倒なことになっていることに気付いた。せめてこの場にいるのがイザナだけだったらそのままカミングアウトできたかもしれないのに、よりによって全員いるところで違和感を気取らせてしまった時点で負けだ。真一郎は誰かと電話しながらも、「万里子浮気はダメだぞ〜」と自分はする相手もいないくせに茶化すだけ茶化して居間を出て行ったし、エマも「浮気ハンターイ」と言いながらキッチンへ洗い物に行ってしまい、じいちゃんはじいちゃんでまた始まったと言わんばかりのうんざり顔でそそくさとテーブルを離れていく。味方がいなさすぎるでしょう。どういうこと?

 だんまりを貫くしかしょうがないなと思っていたら、思いのほか早く救世主の声がした。

 「マイキー!!ついたけどー!!」
 「イザナー」

 ケンちゃんと鶴蝶くんのお迎えだ。弟ふたりは揃って舌打ちし、わたしは机の下で強くガッツポーズを握った。いくら傍若無人のふたりでも、彼らを待たせたままの長期戦であれば優位はわたしにかわる。

 「ふたりとも上がってー!」

 わたしがすかさず玄関に向けて声を飛ばすと、イザナに耳を引っ張られた。

 「いたいいたいいたい」
 「今日仕事じゃねえだろうな?」
 「え…仕事だけど」
 「休め」
 「ハ!?」
 「話がある」
 「いやさすがに…」
 「ええー?」

 ここまで黙っていた万次郎が、反対サイドから急にすっとぼけた声を出す。あ、怒ってる、と思っておそるおそるそっちを見たら案の定で、額にでっかい怒りマークをつけながら超笑顔の万次郎がわたしの両ほっぺたを掴んだ。

 「万里子ダメじゃーん。弟に大事な話があるって言われてんのにぃ?別のオトコに酒注ぎに行っちゃうような薄情なオンナだったのー?」
 「……やうみまう……」(※休みます)
 「だよなー?びびったー。オレどーしよっかと思ったー」

 顔から手が離れる。いつの間にか居間にたどり着いていたケンちゃんと鶴蝶くんが、めずらしく兄弟同士で手を取り合ったおのおのの友人を前に顔を見合わせていた。

 わたしにキレたことでスイッチの入ってしまった万次郎が、総長みたいな威圧感をもって静かに部下に言いつける。

 「今日の集会延期な」
 「は?なんで?」
 「なんでも。文句あんの?」
 「……わーったよ、しょーがねぇな…」

 普段ならその暴君ぶりを注意のひとつもするところだが、今日は本当に余計な刺激をしたくなくてふつうにそれを見送ったら、万次郎がゆっくりと顔だけ振り返り、ふーん?これで?注意しないの?みたいな顔をする。判断をミスりすぎて逆に笑えてきた。今更怒ったところで刺激するばかりで意味もないので、ただすーっとその目線から顔を逸らす。そのわたしのさまを見ていたイザナが、鶴蝶くんに向かってこともなげに「黒龍以下同文」と言いつけ、鶴蝶くんもケンちゃんとまったく同じ顔で「……分かった…」と苦々しく了承した。

 イザナと万次郎が支度に出て行って、居間に鶴蝶くんとケンちゃんとエマが残る。音が万が一にも廊下に出ないようにケンちゃんがぴったりとドアを閉めてから、わたしになまぬるい顔を向けた。

 「…なんつーか…その……大丈夫っすか」
 「……ふたりにまでご迷惑をおかけしてしまい…」
 「「いやオレらは…」」

 そこまでかぶって顔を見合わせ、「…いいんすけど別に」とケンちゃんが言葉をまとめて締めくくった。本当にいい子たちである。あのわがまま放題たちの面倒を引き受けてくれているだけのことはある。心底ありがたいけれども、同時に申し訳なくもなってきた。

 「…真一郎に言っとくから、なんか欲しいパーツとかあったらお店行って。迷惑料だと思って」
 「え!?」
 「いやそれはっ」

 遠慮しつつもぱっと輝いてしまった目は隠せない。揃ってガタイの大きなかわいいふたりの肩を叩いて、わたしも居間を出ようとしたら、なぜかドア前に待ち構えていた万次郎の真っ黒な目とばっちりかち合った。

 「浮気」
 「今ので!!?」





 ポケットから振動がして、携帯をひらく。やっぱり竜胆くんだった。同じバイブレーションだけど、タイミングとかのせいか、彼からのメールは見なくてもなんとなくわかる。滲む幸福感にひっそり笑いながらメッセージを開けると、『なんか集会延期なった。店行っていい?』とのことで、一瞬喜びかけてすぐにテンションが下がった。ちがう、今日行けないんだってば。しかもその延期自体そもそも、わたしのせいである。

 その旨を『ごめん、今日お店行けないの。その延期もわたしのせい』と手早く送ると、送って3秒ぐらいで着信が鳴った。まあそりゃそうだ。自分で送っておいて意味が分からない。わたしが出るなり、竜胆くんが「なにそれ。どゆこと?」と聞いてきた。

 「朝イザナと万次郎がわたしにキレて、どっちの集会も延期になって、わたしは出勤停止ってこと」
 『はぁ?なんで。何したんだよ』
 「……ちょっとその…ミスって」
 『何を?』
 「…言い出そうと思ったの、イザナに。竜胆くんと付き合ってますって」
 『えっ!?言った!!?』
 「ああいや、まだ本題切り出せてはないよ!?ただその、今日ご機嫌大丈夫かなーってうかがってたら、うかがってるのがバレちゃって…『なに?』って言われてへたくそに誤魔化してたら、ふたりとも“なんか隠してる”の時点でムカつくタイプなもんで…それで朝から爆発して、夜尋問タイムに」

 人に顛末を教えるという反芻で、自分でも事態の意味不明さに引いてしまった。初見のほうは驚きもドン引きもひとしおだろうと思う。竜胆くんはしばらく黙ったのち、呆れ切った声で、『そう…』とだけ言ってきたので、当事者を傷つけないように言おうと思ったらそれしか言いようがなかったんだなと笑ってしまった。

 『…ってことは、マイキーと一緒に問い詰められるわけ?』
 「ってなるとたぶん真一郎もエマも参加だと思う」
 『……言える?』
 「……」

 夜を想像した。万次郎が先に帰ってくるとしたら、まあ、言えるはずはない。竜胆くんと付き合ってて、などと言おうものなら、あの子は絶対にその先の話は聞いてくれなくなるし、言ったとしたらこの先は良くても年単位の無視だ。イザナが一人先に帰ってきてくれるなら家族への口止めも一緒にできるような気もするけど、こちらも希望でしかない。それが外れてしまったら、ふつうに全員からの猛攻を受けることになる。…。

 「……いや、もういいかな」
 「?何?」
 「なんか隠しててもしょうがない気がしてきた。別に悪いことしてないのになんかこそこそしてるのもばかみたいだし」
 「待て万里子なんか変な方向行って」
 「行ってないよ。だっておかしいもん、ハタチ越えてなんで彼氏でこんな騒ぎになるわけ」
 「いやそりゃそーだけど」
 「だよねぇ!?」
 「待」
 「言う!ちゃんと言う、なんなら竜胆くんも来る!?」
 「えっ、オレも!?」
 「嫌ならいいけど!」
 「嫌じゃねぇけどそうじゃなくて落ち着けって!」 


途中