シスコンたちに彼氏ができたと言ったら

※未成年の飲酒は法律で禁止されています


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 カラン、と氷が音を立てる。スコッチの芳醇な香りとクリスタルグラスが演出した上品な雰囲気を、蘭ちゃんがまんまるな目でぶっ壊した。

 「え?まさか処女?」
 「……」

 反対隣で竜胆くんが水割りを吹いてむせた。その背中を介抱するフリして一発殴り、テーブルの下で蘭ちゃんの高そうな革靴をピンヒールで踏む。
 
 「デリカシーどうした?壊しすぎてマイナスに振ってんの?」
 「いやいやいや…だってオマエ、その歳で初彼氏って言ったらそういう話になんだろ…」
 「なんない。発想がクズ」

 店のすみのテーブル、わたしの両隣を囲むこのデリカシーなし人間たちは、灰谷蘭くんと竜胆くんと言って、実の兄弟同士だ。イザナの友達だそうだけど、別にイザナに紹介されたわけじゃなく、この子たちが2年前に偉そうな大人にこの店に連れてこられたのが初対面である。当時16歳だった彼らに、酔っ払いの母ちゃんテンションだったわたしはなぜか変な大人についていくなとこっぴどく叱ったのだが、それが逆にツボにハマってしまったらしい。それから2週間とたたないうちに、わたしが未成年の頃からこの店で働いていることを掴んできて、それをネタに定期的にこの店に現れて、わたしを指名ししこたま飲んでいく太客だ。彼らはいわゆるそういう接客を求めて来ていないから、わたしも気が緩みすぎてついいろいろなことを正直に話しすぎてしまうのだけど、今回に関してはちょっと、口が滑った、と後悔した。

 「で?相手ダレ?」
 「……高校の同級生」
 「あーね、大卒連中の就職前の同窓会で再会してってパターンね。ありがちー」
 「安定したら実家出ようかなって思ってて、もしよかったら一緒に住む?ってやつな」
 「……」

 悔しいが寸分違わない推測だ。ぐうの音も出ない。この子たち高校生のくせに、なんでそれがありがちなパターンだと知っているのか。
 自分の年甲斐のなさが情けなくなり、蘭ちゃんに入れたロックを奪って呷る。

 「いつから?」
 「……先週の日曜日」
 「もうヤった?」
 「わけねぇじゃん処女だろ兄ちゃんよく考えろよ」
 「だよな〜〜でも確認って大事だろ〜?」
 「…神様お願いですこいつら殺してください」
 「神頼みするしかねェのかわい〜〜」

 アルコールが回ってきている蘭ちゃんがわたしの肩を抱いて、持っていたグラスを手ごと奪って残りを飲んでいく。くっきりした喉仏が上下するのを真横に聞きながら、本当に顔だけはいいんだよな、と泣きたくなった。

 クラッチに入れている携帯が鳴る。普通なら仕事中には見ないけど、灰谷兄弟に遠慮してもしょうがないので遠慮なくそれを開くと、ちょうど話題の、付き合いだした男からのメールだった。デートの待ち合わせ時間と、『会えるの楽しみにしてる!』に、頭上で二人が鼻で笑った。

 「くっそフツー」
 「味薄いわ。亀甲縛りに興味あるか聞こうぜ」
 「マジでやめて」

 黒髪短髪、さっぱりとした塩顔の彼が脳裏に浮かぶ。キャバクラで働いていることはカミングアウトしたけど、一生この光景をお見せできる気はしなかった。誘われて2回遊んで、告白されて、すごく好きだと真摯に伝えてくれる彼に素直に嬉しいと思って受けただけだけど、好き好んで幻滅されたくはない。

 「つーかなんで今までいなかったワケ?いただろ、告ってくるヤツなんかいくらでも」
 「……たまーにいたけど、なんか返事する前に謎にこっちがフられるんだよね」
 「……オマエそれさあ」
 「待て竜胆。面白ぇから言わなくていい」

 わたしの肩を抱いたままの蘭ちゃんが、笑いをかみ殺した声で小刻みに震えている。それを見て、わたしに哀れなものを見る目を向けてくる竜胆くん。弟のほうがまだ常識人だ。なぜフられるのかなんて、とっくに知っている。

 「わかってるよ。そりゃ男兄弟全員ゾクのトップじゃフツー嫌だもん」
 「……いや、それ…もあるかもしんねえけどさ」
 「…っ!…っっ!!」

 蘭ちゃんは引き笑いしすぎて声が出ていない。竜胆くんは言葉を選ぼうとしすぎてか、めちゃめちゃ目が泳いでいる。あれ?見当違いなこと言ったかな、と思ったら、蘭ちゃんの大きな手がわたしを撫でた。もうこの議論を終わりにしようってことのようだ。中途半端に終わらされた感が気になりはしたものの、次に竜胆くんが出した知り合いの芸人の話題が面白くて、その違和感もすぐに忘れてしまった。

 出際にそれを蒸し返したのは竜胆くんだった。閉店ギリギリまで飲み続けてへべれけになったお兄ちゃんを肩に抱えながら、わたしに尋ねる。

 「なぁ、彼氏のこと弟に言った?」
 「言ってないよ?」
 「え。それヤバいんじゃねぇの」
 「………?なんで?」





 あのときの心配げな竜胆くんの顔の理由は、実際に家に帰り、翌朝、「彼氏ができた」と兄弟に伝えてから、いやというほどわかった。

 「「ハァ???」」

 下の弟二人の目の色は一瞬で変わり、テーブルでお茶をしばいていた真一郎の雰囲気までなぜか急に固くなる。そんなに大変なこと言ったっけ。彼氏ができたって言っただけなんだけど。思わずエマのほうに目をやったら、なんでそんなこと言っちゃったの、みたいな悲壮な顔をしていて驚く。だからそんなに大変なこと、今言いましたか?

 「万里子、オレ聞き間違えちゃったかも。もー一回言って?…言えるよな?ホラ言えって」

 万次郎はかわいーい笑顔を取り繕ってはいるものの、明らかに声が取り繕いきれていない。その証拠にもう、わたしの肩を掴む手が痛いほど力んでいる。

 「奇遇だなマンジロー。オレも今聞き間違えた。そんで何だって?枯れ木?」
 「……えっと…いや…かれ…」
 「「かれ????」」
 「……えーっと」

 こうまでくるとさすがに、彼氏ってワードが地雷なのはわかり、もう事実を繰り返せなかった。「あっ、洗濯物しなきゃ〜」と我ながら白々しく言って万次郎の手をほどこうとしたら、テーブルから真一郎の低い声が響いた。

 「万里子」
 「……ハイ?」
 「洗濯とかいいから座れ」
 「え…」
 「「「座れ」」」

 ついに三兄弟の命令がハモり、わたしは1も2もなく、一度離れた席につかされた。両サイドにイザナ、万次郎、向かいに真一郎。抗争でもしてんのかというほど怖い顔に、何の後ろ暗さもないのに黙ってしまう。

 「どこの馬の骨だソイツは」

 馬の骨って。とは言えない。

 「えーっと…元高校の同級生…」
 「名前は」
 「い、言っても知らないでしょ…」
 「今何やってんの?」
 「ギリ大学生」
 「就職先は」
 「不動産」
 「ツラ見せて」
 「そうだな。写メ」
 「えぇ…」

 あらゆる方向から詰められる尋問に、比喩じゃなく身体が縮んでいくような気がした。いつも仲悪いのはどこにいっちゃったのか、イザナと万次郎は仲良く組んで、揃って携帯を出せ、と手を出してくる。微妙に画面を見られないように身を引きながら携帯を開けたけど、ロックを解除するやイザナに奪われ、あっという間に「コイツか」と当ててきた。わたしが目をそらすと、真一郎と万次郎もその画面にかじりつく。指名手配でもしたいのか。

 その顔写真に、いちばん遠慮なく顔を思いっきりしかめたのは万次郎だった。

 「はぁ?こんなの?どこがいいの?」
 「会ったこともないでしょうが…」
 「なら会わせろ。ヤキ入れる」
 「ダメに決まってんでしょ!!」

 昨夜、竜胆くんに言われた『それヤバいんじゃねぇの』がリフレインした。こういうことか。なんで万次郎と真一郎に会ったこともないのに二人とも分かったんだろう。というか、そういえばそもそも、蘭ちゃんはなんであんなに笑ってたんだ?

 その理由は、翌日には分かった。なぜかって、わたしが彼の大学に行ったとき、イザナが校門で待ち構えていたからだ。氏名どころか大学も教えた覚えがなくて震え上がったわたしは、待ち合わせをそっちのけに「アイサツだから」と明らかな大嘘をついて拳を構えるイザナを引きずって帰るしかなかった。これまでも告白してきた相手にイザナが“アイサツ”してきたんであれば、2日後に急にフられるのも納得がいく。

 それに加え、今回初めて相手ができたと教えた万次郎はもうどうやっても機嫌を取れずずっと無視だし、真一郎だって大人げなく、手塩にかけて育てた娘がどこの馬の骨とも知れない男のところに嫁にいっちゃうみたいな歌をずっと歌ってくるし、そんな生活が2週間も続けば、わたしの男に傾きかけた天秤は簡単に家に戻ってしまった。

 「別れた!!から!!無視やめて!!」
 「えっ!?万里子大好き!!!」

 今までのピリついたムードを180度転換して抱き着いてきた万次郎に、ちょっと怒っていた気持ちはあっさりしなびてしまう。久しぶりの金髪を抱きしめて撫でてたら、エマが部屋に入ってきて苦笑した。

 「ネエ、大丈夫?」
 「……わたしの味方はエマだけだわ」
 「えー?でも別れられてよかったじゃん。あんなのネエにもったいないよ」
 「……アレ??」

 絶対安全圏だと思っていた唯一の妹に裏切られ、静かに頭を抱える。もしかしてこれ、一生独身?



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