弟の部下に言い寄られる話

***


 食欲の秋。

 秋茄子、松茸、銀杏をはじめ、サンマとかカツオなんかも脂がのるし、梨とか葡萄でデザートも抜かりなし。最高の季節だけど、秋が旬の食べ物ってもたれにくい上にご飯に合うから、まあ太る。

 「なんかフォルム丸くなった?」
 「……いらっしゃい竜胆くん♡」

 一回ディスらないと会話に入れない蘭ちゃんは無視して、でた無神経、みたいな顔で兄を見ている竜胆くんの隣に座った。定位置は彼らの間だし、今日もそこのスペースは空いてるけど、知らん。気遣いの弟がわたしにそっちのスペースをちょいちょいと指さすのも首を振って拒否したら、「…兄ちゃん」とたしなめていて、本当にしっかりした子だなと思った。見た目に反して。

 「ごめんって、オレ正直なの」
 「…今日蘭ちゃんはテキーラだけね」
 「えー?ベルエポック入れるから許して♡」
 「えっ!?蘭ちゃん大好き!!!」

 ぐるんっと掌を返して二人の間に入り、蘭ちゃん(ATM)にハグしたら、「オレも〜」と長い腕に抱きしめ返されて、ふわっと首筋に高そうな香水が香る。こんな茶番にぽんと数万投げちゃう男なんて嫌でしかないが、自分に向けてくれるなら話は大いに別だ。デブと言われようが何しようが、靴舐める一歩手前までならやってやらんこともない。

 「鮮やかな掌返しだな」
 「っぱ財力よ」
 「オレ万里子のそゆとこ潔くて好きよ」
 「わたしも蘭ちゃん大好き♡よそいかないでね」
 「オマエ一筋だよ♡」

 大茶番を繰り広げる兄とキャバ嬢をよそに、常識人の弟は蘭ちゃんが軽率に言ったベルエポックの一番高いやつを頼んでくれていた。ゴールドぐらいだと思ってたから一応蘭ちゃんの顔をうかがったけど、一切止める気配はない。最初から20万コースのつもりだったのか。本当に普段何やってるんだろう、と都度気になりはするが、聞いたら最後な気がして、一回も何者だなんて聞いたことはない。言動の端々で予想するなら、良く言って悪徳社長、悪く言うと犯罪者の元締めって感じだ。どっちにしろ逮捕されても驚けない。

 「つまみはー?」
 「なんでも。正直それも入んないぐらい満腹で来てるから、好きなの選んで」

 竜胆くんの問いかけにそう答えたら、すかさず蘭ちゃんの手がぱつぱつのドレスを撫でにくる。慌ててひっこめたけど間に合わず、「何か月ですかー?」とお約束を投げてきて、デコピンで返した。

 「なんで?同伴…じゃねぇよな」
 「いや、フツーにご飯作りすぎた…松茸頂いたんだけど、もったいない病発症しちゃって一升炊きして…」
 「ブフッ」
 「絶対薄くね?」
 「多少ね!多少!ちゃんとおいしかったよ!!」

 今頃向こうが見えそうなぐらい薄く切られた松茸に、万次郎あたりがビンボーって文句言ってそうだ。味と香りはしみてたから許してほしい。兄弟は貧乏丸出しのわたしに涙が出るほど爆笑している。結局おつまみは一番高い生ハムになった。

 「つまみ食いしたんだ」
 「気付いたら3杯食べてた。帰ったら絶対なくなってると思ったら悔しかった」
 「などと供述しており」
 「つまんでねえじゃん。ガチ食いじゃん」

 うまかったのなー、って蘭ちゃんにさらにお腹を撫でさすられた。あてつけがましく一番まるく腫れたところばかりしつこく往復してくる。なんの内臓も入ってなさそうな薄い腹が恨めしくなって拳骨を握ったら、酒いらねぇの?と甘い声で囁かれて解くしかなかった。貧乏って嫌だ。

 ホールに届けられたシャンパンボトルに手を伸ばすと、竜胆くんに制された。慣れた手つきでなんの苦労もなく、ポンって音じゃなくて、きゅぽ、とわずかな摩擦音だけで抜栓してくれる。上手すぎて引いた。

 「うっそ、上手…」
 「フツーだろ」
 「万里子は派手めにポンって言わすもんな〜」
 「それよ、気をつけてるんだけどなー…あ、さすがに注ぐよ!?」
 「いいから」

 片手で瓶の底を持って、高めの位置からグラスへ、とくとくと軽い音とともにシャンパンが注がれる。グラスの半分程度まで入れたら、瓶を引いてトーションへ。見習いたい、ソムリエのお手本のような注ぎ方だ。18歳?同い年の弟、イザナを思い浮かべ、同じことができるか考えた。しれっとできそうな気もするけど、どっちかって言うとうちの家族は全員、手刀でビンの口を切るほうがしっくりくる。

 「家族何人だっけ?」
 「わたし入れて6人。胃袋だけで言うと15人いるなって時ある」
 「弟中学とかだろ?そりゃ食うわな」
 「イザナって食細そうだけど」
 「あの子はすっごいムラある。食べるときは万次郎超えるよ」
 「意外」
 「ほんと。どこに入ってんだかあのほっそいのに…ありがと」

 結局全員分竜胆くんに注いでもらい、細いグラスを受け取った。入れてくれた蘭ちゃんにもお礼を言うと、それはそれはきれいに微笑まれた。金の泡が惚れ惚れするほどよく似合う。

 3つ分のきれいな音がチン、と重なった。

 「じゃー、ガキどものおもりで大変なママに。お疲れ♡」
 「ありがと。ママは許すけどババアは怒るよ」
 「ああ、イザナ?」
 「え。きみたちの前でそう呼んでるのあの子!?帰ったら正座させる」
 「ほっとけほっとけ、思春期のガキの照れ隠しだから〜」
 「…同い年に言われても」
 「まぁ飲め」

 高級な泡のお酒はあまりに飲みやすくて、最初は値段を考えて控えめにしていたのに、ふたりがどんどんグラスを空けて注いでいくので、つられてハイペースになってしまった。ふたり、といえども蘭ちゃんのほうがよりひどくて、わたしと竜胆くんがギリギリ1杯目を空けるぐらいの頃にボトルを空にし、知らないうちに理性を吹っ飛ばしてボーイを呼び止めたかと思えば、2分後にはドンペリが現れて、竜胆くんと大爆笑してしまう。

 「蘭ちゃんが育てたんだからスパークリングじゃ満足できねぇだろー?」

 ドンペリ片手に蘭ちゃんがわたしをソファから引きあげて腰を抱き、キスでもしかねない距離に顔を近づける。それがあまりに成金オヤジの酔っ払いそのもので、竜胆くんはソファから落ちそうなぐらい笑ってるし、わたしも抱かれたまま涙目になるぐらい笑った。もうちょっと煽ったほうが面白そうなので、頑張って笑いをこらえ、両腕をその首に回す。

 「もう(高級なお酒を知る)前には戻れない…はしたなくてごめんなさい蘭ちゃん…っ」

 どこぞのコテコテ官能小説みたいなセリフを言うと、蘭ちゃんは一瞬驚いたように目を丸くして、にや、と意地悪く笑ってさらに顔を寄せ、おでこをくっつけた。ノってくれるらしい。

 「欲しい?」
 「(ドンペリが)欲しい、です…っ」
 「何を?はっきり言わねぇと蘭ちゃんわかんねぇな」
 「…ら…蘭ちゃんの…すっごいの、万里子の口に」
 「やりすぎ」

 くださいって言う前に、竜胆くんから低めのストップがかかり、ドレスの首根っこを掴まれてハムスターよろしくソファに引きずり戻された。「えー。妬くなよ竜胆」「妬いてねぇよ!!!」よっぽど実の兄が言い寄られるのが気持ち悪かったらしい。たしかに真一郎とかがこんな風に迫られてたらもはや笑うを通り越して凍え死にそうだなと思い、竜胆くんにはこの直後に心から謝った。

 ここからも蘭ちゃんのペースは落ちず、3本目にアルマンド、4本目にクリュッグが来て、完全に値段表記を上から行く大バカに変貌してしまっていた。わたしも竜胆くんも止めるではなく爆笑して囃すぐらいには酔っぱらっていたから、店の隅の半個室は通り過ぎるキャストやホールスタッフが引くほど乱痴気騒ぎになった。

 「次どーれにしよっかなぁー」
 「待って兄ちゃん、その前に」
 「んー?なーに竜胆」

 ソファに長い脚を投げ出して完全に一人で使っている蘭ちゃんに、竜胆くんが何かのグラスを差し出した。お水、にしてはグラスが小さいし。酔っぱらってふわふわの頭で、いつの間に頼んだんだろう、とその様子を見守っていたら、軽率にイッキする癖がついた蘭ちゃんはそれをカッと喉を開いて飲んだかと思ったら、そのままばたんとソファに倒れた。え。

 「えっ蘭ちゃん!?…蘭ちゃーーん!」
 「オヤスミ。いい加減にしろ」
 「…りんちゃんそれなに」
 「テキーラ」
 「おう……」

 実の兄を容赦なくテキーラで殺した竜胆くんは、残ったクリュッグを悠々とグラスで飲んでいる。恐ろしいほど顔色が変わらない。彼はザルっていうか、ワクってやつだ。その空になったグラスに気付いて、中途半端に本業を思い出したわたしが慌ててボトルに手を伸ばしかけたら、「こぼしそうだからいい」とごもっともな拒否が入った。

 「つか、オマエも顔赤い。水飲めよ」
 「あ、うん…ありがと」

 身を案じられる気恥ずかしさに首を竦めて、お冷を口に含むと、アルコールと比べると刺激は圧倒的に足りないながら、足りていないものが身体に染みていくようだった。気持ちが緩んで、大きく息をつく。ふらふらと力の入りにくい体幹を横目にみて、竜胆くんが肩を貸してくれた。

 「かっこよ。惚れてまうやろー」
 「気付くの遅ぇよ」
 「知ってはいたけどぉ」

 そういえば竜胆くん単品とこんなに距離が近いのは初めてかもしれない、って思いはしたけど、酔っ払いのかすんだ頭ではあまり現実味を感じられなくて、考えるのをやめた。今日は帰るのも大変かも。ちらりと腕時計を見ると、もうすぐ閉店の1時になりそうなところまできていて、ちょうどホールスタッフが革ばりの伝票を届けに来た。それを見もせずに気絶した蘭ちゃんの胸ポケットからカードケースをスったかと思えば、金属製のカードを抜いて伝票に挟み、スタッフに渡して何事か囁く。何を言われたのか、上客の指示にスタッフは目を丸くして、「かしこまりました」とホールを走って行ってしまった。

 「…え?なに?何言ったの?」
 「オマエの荷物取ってこいって」
 「えっ!?」
 「家まで送るよ。そんなんで店の送迎待てねぇだろ」

 それは今に寝そうなわたしには大変にありがたいお申し出だった。これだけ太い客が早めに上がらせろと言えば、たかだか閉店15分前、簡単に上がらせてくれるだろうし、同僚が大量に乗った車で順に家を回られるよりも乗せてもらったほうがはるかに早く、楽だ。神様。でも未成年。弟の友達。今更そんなことでグラグラ揺れるわたしのもとに、爆速でコートと鞄が届けられてしまった。

 「兄ちゃん起きて。帰るよ」
 「……んー…」
 「オレ今から手塞がるから自分で歩いて」
 「なんでー……あぁ」

 今から手がふさがる、の意味をわたしもわかっていないうちに、蘭ちゃんはわたしたちを寝ぼけた目で一瞬見ただけでなにかを理解したらしい。だるそうに身体を起こしたかと思えば、さっきまでの気絶が嘘のようにすたすたと歩いて行ってしまう。

 「えっ!?ちょっと、大丈夫なの蘭ちゃん!?」
 「ダイジョーブーオレ飲み直してから帰るわあ」
 「うそ!?ちょっと、アレ」

 声をかけても全然止まる気配もなくホールを出て行ってしまう。本当にいいのかと竜胆くんの顔をうかがうと、なぜかばつの悪そうな顔で「…ほっといていいから」と言われた。

 ちなみに手がふさがる、の意味は、わたしの抱っこだった。歩けると言ったのにパンプスを取り上げられて、俵抱きに店を縦断されてしまい、羞恥で死にそうになる。店内に居合わせた客の指名はもう二度と取れないし、店に大量にいる灰谷ズのファンからの嫉妬はさらに加速するだろう。竜胆くんは1ミリも悪くないしむしろ優しいんだけど、優しいんだけど……。

 「…せめて竜胆くんがオッサンであれば……」
 「は?」

 枯れ専って誤解されたけど、もはや解くのも面倒で、その先は黙ってタクシーまでドナドナされた。



 タクシーの奥に詰められ、竜胆くんも隣に座って扉がばたんと閉じた。タクシーまででいいのに、本当にわざわざ着いてきてくれるらしい。わたしに先に住所を言わせたのち、「そのあと六本木方面で」と言い添える。

 銀座の夜はまだまだ車通りも人通りも多かった。深夜だというのにまるで7時8時と景色が変わらない。眠い目に繁華街の眩さがしみて、窓から車内に目をうつすと、竜胆くんと目が合った。キャバのシートより距離があるのに、密室というだけで何か気恥ずかしくなってしまう。何も意識していなさそうな涼しげな顔のまま、シートに投げていた手をそっと握られ、さすがに少し動揺した。とはいえ、酔っぱらいのキャバ嬢と客だから当然といえば当然の距離感なので、ほんの少し握り返して再び窓の外を見る。

 「家族起きてんの?」
 「どうかな、真一郎はだいたい起きて待ってるけど」
 「意外。弟とか絶対起きて待ってそうじゃん」
 「万次郎はおねむよ。イザナは起きてんのかもしれないけど、わざわざ降りてくることはないかな」
 「うわーむっつり。ぽいなー」
 「むっつりって」
 「オマエ帰ってきたの見てから寝てそう」
 「どうかなぁ」

 ほとんど脊髄反射でどうでもいい会話をしながら、意識は握られた手のほうに向かされていた。手のひらを指でくすぐるように撫でたり、指を絡めて強く繋いだり、ずっと手で遊ばれているからだ。あったかくて大きい骨ばった手。蘭ちゃんとよく似てるけど、彼より少し分厚い。

 「ああ、でも今日はみんな寝てるかも」
 「なんで?」
 「松茸ご飯好きだから、どうせ全部食べておなかいっぱいで転がってると思う」
 「なにそのすげぇ平和な話。イザナも入ってんの?」
 「だからイザナが食べるときはいちばん食べるんだって」

 クールぶった顔がいっぱい食べてるのを思い浮かべるだけでも笑ってしまう。食べている間にこりともしないけど、おかわりが早くて、米粒ひとつ残さない。それに対抗してくる万次郎とエマ、たしかにどこのホームドラマかってぐらい平和な絵だ。

 握られていた手がいつの間にか離れ、ほっぺたをつまんで竜胆くんのほうを向かされた。少し拗ねたような顔が迎える。

 「松茸の話するから食いたくなってきた。土瓶蒸し食いに行かねぇ?」
 「え、最高。絶対行く」
 「寿司屋だけどいいよな?」
 「お寿司も食べたい!!やったー!!」
 「じゃ明日な。5時で仕事間に合うか?」
 「よゆー。むしろありすぎかも。ご飯作ってかなきゃだから5時半ぐらいでもいい?」
 「おけ」

 職場以外で会うのは初めてになる。突然降ってきた高級ご飯もそうだけど、わたし自身も気に入ってもらえたんだなと少し嬉しくなった。竜胆くんはまたわたしの手を握ったあとに、反対側の手でどこかに電話をかけ始める。

 「あ、オレ。…違う、弟のほう。明日5時半2人って入れる?」

 予約だった。仕事の速さと、2人ってワードに静かに目をまるくする。てっきり蘭ちゃんも誘うものだと思ってたし、というか、だから、本当に未成年かって話。結構年齢のいった高収入のお客さんでもなかなかないスマートさにツッコミを入れたくても電話中で入れられず、唖然と見守っていたらあっという間に席は確保できたようで電話が切られ、「とれた」と短い報告がきた。

 「仕事早い……行きつけ?」
 「そこそこ行ってる。15分前ぐらいに家迎え行くわ」

 ちょうどそこで、「このあたりですか?」と運転手さんに聞かれ、家の近くまでガイドすることになって会話が切れた。内心突然の竜胆くんとの二人っきりに動揺しまくっていたけど、それを問いただしていたらタクシーの運転手さんが困りそうだったから何も言えないまま、タクシーは家の前に到着して扉が開いてしまう。

 手前に乗っていた竜胆くんが降りて、差し出された手をとってわたしもタクシーから降りた。立ち上がると、ぐんと近くなった彼の顔が、ふっとわたしの側面にまわり、頬にキスを一つ落とす。

 「おやすみ。また明日」

 驚きすぎて声も出なかった。蘭ちゃんならこういうことは平気でするけど、兄と比べると常識的な一線を引いていた彼が、急に。「あ、…うん」とマヌケな挨拶を返すころには、タクシーの扉は閉じていた。
ちなみに予想したとおり、居間には食べ過ぎてまるまるした死体が4体転がっていて、炊飯器は空だった。



 翌日迎えに来てくれた竜胆くんは、昨日のあの一瞬甘かった空気なんてなかったように、拍子抜けするほど元通りだった。やっぱり酔っ払いの距離感だったんだなと安心したのもつかの間、わたしは今、緊張で大汗を書いている。なぜなら、

 「…座れよ」
 「……」

 連れられてきたお寿司屋さんが、明らかにヤバかったから。

 立地もおかしいし、厳かな佇まいから凍ってはいた。で、数百万しそうな、すらっときれいな木目の一枚板のカウンターを前にいよいよ着席を躊躇った。傷をつけたらどうしよう、もそうだし、そもそも支払いができるのかっていう。庶民のわたしをよそに、セレブは腕時計を外して慣れた様子で着席している。

 「…ちょっ…とまって、さすがにお金借りるかも……」
 「ハ?いや、払わせねぇけど」
 「いやバカ弟の同級生に払わせるわけないでしょ!?」
 「逆に聞くけどキャストに払わせる客いるか?…ビール2つで」
 「だから」
 「あとで聞くからとにかく座れ」

 静かな正論とともに手を引かれて結局座ってしまった。怖くてカウンターに手を乗せられない。わたしも腕時計は外した。

 お通しとビールの間にわたしたちは水掛け論を繰り返し、結局どうにか一皿目が来たときに割り勘という結論に落ち着いたので、ちゃんと食事を楽しむことができた。灰谷兄弟行きつけのトンデモ寿司屋なだけのことはあり、人生で食べた中で圧巻でいちばん美味しかった。ずっと感動するわたしを竜胆くんが満足げなドヤ顔で見ていてちょっとかわいかった。

 きっかけの土瓶蒸しを日本酒と一緒に楽しみながら、話題は自然に共通の知人、イザナに移った。きちんと聞いたことがなかったのだけど、彼らはだいたい中1の頃からの付き合いなのだそうだ。最初は敵同士、喧嘩でボコボコにされてのスタートだったと定型文みたいな冒頭を聞き、遠い目をしてしまった。この界隈の人たちは一回血を流さないと喋っちゃいけないルールでもあるのか。

 「万里子のこともそのぐらいから知ってたよ」
 「え、うそ。なんで?」
 「イザナが身辺警護言いつけてくるから」
 「は?…イザナが?わたしの?あなたに?」

 万次郎ならともかく、わたしには普段そんなに優しくないイザナとその情報が全然結びつかない。首をかしげるわたしに、竜胆くんは一切ウソがなさそうなちょっと恨みがましい顔で大きく頷いた。

 「まぁ正確には誰を守れとか言われてねぇけど、オマエ昔コンビニ夜勤やってたろ?あの頃あのへんうるせえから掃除しろってマジ何回も。最初狙いわかんなかったけど、オレらが行かされる時間は確実にオマエが店にいたから、てっきりイザナの女だと思ってた。キャバで再会してオマエが『弟がいる』って言うまでな。兄貴爆笑してたわ、純愛物語じゃなくてシスコンかよーって」
 「知らなかった……」

 意外に愛されていたらしい。もっとも、この前彼氏ができたと言ったときになんとなくその片鱗は見ていたんだけど、イザナの場合は男を作ってる暇があったらオレらに時間を使えっていう独占欲に近いものかとなんとなく勝手に思ってしまっていた。自分があの子に守られる側だったと言われると、その誤解がとたんに申し訳なくなってくる。素直じゃないのは知ってたけど、ここまでとは。本当に不器用だ。帰ったら撫でまわそう。

 「あ、そーいやアレ、どうなった?彼氏。できたって弟に言った?」
 「ああ、言うの忘れてた…あれね、別れた」
 「え、早。なんで?」

 すっかり言うのを忘れていた先月の事件を、そのまま報告した。彼が予想した通り、弟たちはわたし、というか相手を殺さんばかりの勢いだったこと、イザナが相手の大学に乗り込みかけたこと、万次郎は口を聞いてくれなくなり、真一郎はずっといやがらせの歌を歌っては『別にオマエのことじゃないから』ととってつけたような笑顔で言ってくるなどしてきたこと。最初は放っておこうかと思ったがあまりにそれが続き、それを我慢して優先するほどの相手かと考えたら、結局トータル3週間足らずで別れてしまったこと、すべてを。

 竜胆くんは話が進めば進むほど目が細くなり、最後にはもう1ミリぐらいしか開いてなかった。

 「…無視する弟もやべぇけど、それで折れるオマエもたいがいよ?」
 「わかってる、わかってます…。でもかわいいんだよ……」

 いちばん堪えた万次郎の無視がなくなって、別れたこともどうでもよくなったのを思い出す。別れたとたんに機嫌を直したのが、わんこみたいで本当に可愛かった。そう思ってるのが本当にまずいのはもちろん自覚してる、してるんだけど。

 「……一生」
 「独身、わかってます、言わないで!」

 自分で言うのと他人に指摘されるのではダメージが100倍違う。竜胆くんの言葉は奪い、黙らせた。



 食事を終えてトイレから戻ってきたら、竜胆くんがもう上着も腕時計もつけて、わたしのコートを腕にかけて出口で待っていた。

 「行くぞー」
 「ちょっと待ってお会計は?」
 「済んでる。ご馳走様でしたー」

 トイレで一瞬予想したことが的中して頭を抱える。やりそうだと思った。「ちょっと」と文句を言いかけたわたしに、竜胆くんはわたしにコートを羽織らせてさっさと店の外に追い出してしまった。あとから出て来てわたしの背中を押して大通りへ向かう彼に、重ねて文句を言う。ぜんぜん目を合わせてくれない。

 「さっき割り勘って話に落ち着いたじゃん!」
 「よく考えたらオレが選んだ店だし、松茸ミクロに切るヤツに金出させんのもどうかなって」
 「……バカにしすぎ、蘭ちゃん乗り移ってる?」
 「オレら兄弟なの忘れてる?」
 「……」

 そうだけど。そうじゃなくて。きみはそっちじゃないでしょ。いろいろ言いたいことはあったけど、こっちを向いた悪戯っぽい顔が、たしかに蘭ちゃんとそっくりで何も言えなくなった。

 大通りに出ると、竜胆くんが流しのタクシーを捕まえてくれた。自分だけ乗るつもりで手前に座りかけたら、後ろから背中を押されて奥へ詰めることになり、昨日の夜と同じように竜胆くんが隣に乗り込みながら目的地を言う。

 「新橋駅まで」
 「?用事?」
 「は?同伴だけど」
 「同伴!!?」

 聞いてない。というか、ダメだ。昨日あれだけお金を落としてもらって、今日はお寿司まで奢ってもらって、その上同伴出勤の料金なんて、さすがにかけられすぎだ。てっきり今日がただの遊びだと思っていたわたしと、同伴だと当然伝わっているものと思っていたらしい竜胆くんとで思いっきり齟齬が生じていて、「料金かかる!手前解散でいいから!」「んなダセェことするか」などと本日何度目かの水掛け論を始めたら、運転手さんが怪訝な顔で振り返った。

 「あのー…?」
 「あ、出してください」
 「えっ!?あっずる」
 「うるせぇ」

 大きな手のひらがわたしの口を覆い、運転手さんに丁寧に「お願いします」と言う。車は結局銀座方面へ出てしまった。なんだか昨日から流されっぱなしだ。張り付いたままの大きな手を剥がしながら、情けない気持ちで背中に密着した竜胆くんを見上げる。

 「そんな気遣わないでね…そりゃ松茸は薄いけどド貧乏ってわけじゃないから」
 「…別にこっちもおまえんちに気遣って貢いでるわけじゃねえよ。多少は意識しろって話」
 「…いしき?」

 なんの意識だ、と思ったけど、その赤く照れた顔に、さすがに意味は一瞬で分かった。いつも飄々とした彼の、こんなに感情が表に出た顔は初めて見た。ここまでずっと他人意識が根強かった“弟の友達”が、急速に自分の領域に入ってくる。

 顎近くにあった手が引いて、ゆるくわたしの肩を抱いた。

 「今は家族で手一杯でいいよ。手が空いたとき、一番に考えてくれれば」
 「……」

 あまりに優しすぎて、驚いて言葉が出なかった。こんなにひとが大事にしているものを尊重しながら好きだと言ってもらえることがあるのか。家族からもらったものを除けば、人生で感じた愛情のなかで抜群の一位といえた。ドキドキしつつも穏やかに嬉しい気持ちを噛み締めて、力を抜いてその身体にそっと身を預ける。

 もしいつかわたしが好きだって言って、その時もまだ竜胆くんが好きだって言ってくれたら、こんなふうに居心地がいいんだろうなと思った。それはきっと幸せなことだ。

 「……大人過ぎない?」
 「無理はしてる。本音言ったらすげぇ引かれそうだから言わねぇ」
 「うそだぁ」
 「それは実演してほしいってフリ?」
 「うぁ、え、……そ、そういうんじゃ」
 「冗談」

 一瞬匂わされた男の顔だけで、情けなく恐縮したわたしを竜胆くんは笑って撫でた。そこから目的地まではほんの数分だったけど、さっき飲んだわずかなアルコールなどは吹っ飛んでしまっていて、まともに喋ることもできなかった。

 店の近くに着いて車を降りようとしたら、「げっ」と竜胆くんが外を見て顔を思い切りゆがめた。視線をたどるとそこには蘭ちゃんがいつもの胡散臭い笑顔で立っていて、わたしたちを見つけるとにやにやとタクシーに近付いてくる。

 「蘭ちゃん!」
 「同伴出勤お疲れさまでーす」

 開いた扉のふちに肘をついて、はるか上から見下ろす蘭ちゃんに、竜胆くんが深い溜息をついた。

 「…わかってんなら来んなよ……」
 「寂しいじゃーん。そろそろ万里子が緊張して喋れなくなる頃かなって来てやったんだよ、感謝しろー?」
 「!?」

 そう言う蘭ちゃんの顔はまるですべて見ていたかのようだ。全部言ったのかという意味を込めて竜胆くんを見たら、首を横に振られた。でもそれにしても、確かにこのあと竜胆くんと二人でずっとお酒を飲むっていうのも、どういう会話していいかわからなかったのも確かだ。

 「「……アリガトウ」」

 心外ながら、わたしと竜胆くんは揃ってお礼を言うしかなかった。



 その日はさすがに飲みすぎず、竜胆くんの送りは丁重にお断りして、わたしは自力で家に帰った。この判断は本当に大正解だったと、この10分後には自分に感謝することになる。

 「なにこの惨状!?」

 家についた時点で異変は明らかだった。強盗にでも入られたのか、玄関前の外にまで靴が散乱していて、急いで家に飛び込んだら飛び込んだで、廊下にも服だの本だのハンガーだのが散乱している。わたしの帰宅に気付いてか、エマが居間から顔を出した。

 「あっネエ!!お帰り、大変なのマイキー大暴れで!」
 「えっ?これ万次郎なの?」

 ひとりで暴れたとは思えない。真一郎あたりが止めようとして喧嘩になったのかよくわからないが、とりあえず外部犯ではないってことで、廊下のものを拾い集めはじめたとき、ゆらりと殺気だった何かが居間の入口に立った。

 「万里子…?」

 万次郎だ。バーサーカー状態。なんで?しかもたぶんわたしに怒っている。怒られるようなことをした覚えは…と記憶をたどりかけ、そういえば今日竜胆くんがタクシーで迎えに来てくれたとき、家にいたなと気付いた。

 「…なんだろうな、何もしてないのにこの見つかっちゃった感は……」
 「何もしてねぇ?ふざけんな。夕方のタクシーなに」
 「…やっぱそれかぁ……」

 本当に竜胆くんに送ってもらわなくてよかった。見つかっていたらそこで戦争になっているところだ。黒龍と東卍は一応不戦協定のはずだけど、この状態の万次郎が聞くとは思えないし、竜胆くんだってタダで引き下がるような子じゃないだろう。

 万次郎はわたしの心当たりがあったことに余計に殺気を増し、わたしの耳を引っ張った。

 「いだだだだ」
 「それかぁじゃねぇよ同伴ヤだっつったの聞いてなかった?なぁ?耳ついてるよな?」
 「めっちゃ怒るじゃあん」

 こうなったらもう時間が経って怒りが薄れるのを待つしかない。諦めて強めのお経みたいになっている説教を聞き流していたら、玄関が開く音が向こうからして、「は?」とイザナの声がした。とたんに万次郎の説教が止み、さっきのわたしへの殺気がかわいく思えるほど、目の凄味が増した。

 「すげぇ散らかってんの何?」
 「イザナ!!!!!」
 「あ?」

 居間に顔を出したイザナに、万次郎はわたしをあっさり離してすっ飛んで行って胸倉を掴んだ。本気の喧嘩の様相で、わたしは慌てて仲裁に入ろうとしたけど全然間に合わず、イザナの影に隠れる形になる。

 「どーやって死にてえ?今日という今日はゼッテー許さねえ」
 「はぁ?何キレてんのこいつ」
 「ごめん、自分にはわかったけどイザナになんでキレてんのかはわかんない」
 「?オマエには何」
 「同伴で」
 「ああ…」

 わりあい頻発する喧嘩(というか駄々)の種なので、イザナはまたか、と呆れ顔をしただけだった。その反応さえガソリンになってしまう万次郎は、ぎらぎらと怒りに我を忘れた目を見開く。

 「コロス…教育足りてなさすぎだろマジ何考えてんの?よりによってテメェの部下って…ハァ???管理不行き届きにも程あんだろがブッ飛ばすぞ」
 「部下?なにが?」
 「ハイタニリンドウ。知らねぇとは言わせねぇぞ」
 「竜胆?」「竜胆くん??」

 聞き返した名前がかぶり、わたしとイザナは顔を見合わせた。そのイザナの顔を見て初めて、イザナに二人と知り合ったってずっと言ってなかったことに気付く。

 「ハ?知り合い?」
 「え……っと…お客さん…?」
 「で、今日万里子と、いや今日だけじゃねぇかもな?同伴したくそはげうんこ野郎の名前だ」
 「ひどい蔑称…」

 なぜ万次郎が竜胆くんを知ったかは分からないけど、要はイザナに、自分の部下を姉に近づけるとは何事だってことだろう。ちなみに万次郎は東卍の子たちに、『万里子をいやらしい目で見た者は総長直々に4分の3殺しの刑』『万里子に必要以上に話しかけた者は市中引きずり回し』などしょっちゅうその時の気分で刑を言い含めているので、あの子たちは町ですれ違いでもしたら参勤交代かってほど無言でわたしに頭を下げる仕様になっている。わりとやめてほしい。

 イザナは自分が文句を言われている理由を理解すると、万次郎が胸倉を掴む手を無理やり解いてわたしを見た。

 「それは事実か?」
 「はい、すみません、お寿司おごってもらいました」
 「ハァ…マンジローはまずオレのせいにすんな、オマエの手落ちでもあんだろが。で万里子」
 「ハイ」
 「何を未成年に寿司奢られてる」
 「うっ」

 その一言の殺傷力が高すぎて、思わず呻いた。それは本当にそうだ。いくらしたのか知らないが、とりあえずお寿司もタクシーも一回もお財布は出していない。イザナの目線がダメな大人に突き刺さる。

 「それは……それはもうマジで…言い訳のしようもございませんで……全然受け取ってくれなくて」
 「万里子」
 「ハイ、申し訳ありません。すぐさまお返しにあがります」
 「オレとタメだぞ」
 「わかってます本当に申し訳ございませんもうやめて」
 「付き合いでもしたらどうなるかわかってんな?」
 「…ひう………」

 さっきあった色々なことが一気に頭をよぎり、さっきの幸福感が蘇って勝手に顔が熱くなってしまった。そんなわたしの変化に気付かない弟たちじゃない。ぎらっと揃って殺気立ったのが分かって、しまった、と思ったときにはもう遅かった。

 「「あ??」」
 「すみません違いますそういう話は1ミリも出てませんので!!」

 急いで訂正してももうダメで、万次郎のほうが怒りを通り越して笑顔になってしまった。両こめかみに拳骨のグリグリがめり込まれる。

 「万里子ー?万里子の彼氏だーれ?」
 「マイちゃんですマイちゃん痛い痛い!!」
 「わかってんじゃーんダメだぞー?キャバだけでもけっこー怒ってんのにそーいうのはオレどーかと思うな」
 「ハイ」
 「んじゃ連絡先消す?」
 「それは勘弁してあんたたちのご飯は主に灰谷兄弟のバックからきてんのよ!!」

 竜胆くんごめん。当分ダメかもしれない。


***