お誕生日おめでとう





Twitter再掲+おまけ

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 静かなエンジン音と一緒に夜景が流れる。三田の交差点からだと、真正面に東京タワーを臨める。濃紺の空とオレンジのコントラストに、東京ってきれいだなと思った。

 運転は竜胆さんが代わってくれていた。本来だったら部下のわたしがするべきところだけど、彼はなにかの操縦ってものが好きなようで、体力的に余裕があるときなら率先してハンドルを握ってくれる。兄よりブレーキは多少荒くて、せっかちなせいか信号待ちで先頭だと、ポンピングしてちょっとずつじりじり進んで、信号が変わったとたんに走り出す。駐車や狭い道のコーナリングは、どちらかというと竜胆さんのほうが感覚的に難なくこなす。よく似た兄弟でも運転の癖は結構違って面白い。

 「そーいや、どーすんの?」
 「え?」

 突然の話のふりについていけず、運転席の竜胆さんを見る。なにを、なんて言わなくても当然分かるだろうぐらいの顔にますますきょとんとした。何かあったっけ。

 「明日…っつーか、もうあと2時間だけど」
 「…何かありましたっけ?」
 「え?兄貴の誕生日」
 「は!!?」

 さっきまでうつらうつらしかけていた眠気が吹き飛ぶ。聞いてない、まったく聞いていない。というかそもそも蘭さんに対して誕生日なんてものを重ねて考えたことがなかった。やっぱりわたしのなかで彼は人間じゃないらしい。いやそうじゃなくて。

 「え!?知らねぇの!?」
 「き、きいてないです……どうしよう」
 「会う約束は!?」
 「今日仕事終わったら行くとは言われてるけど…今まだ連絡ないから終わってな…あっ」
 「きてた!?」
 「今来ました、どうしよう!?せめてケーキ!?…この時間に!?」
 「ある、2、3軒アテあるから待て」

 わたしと同じぐらい慌ててくれている頼もし竜胆さんが、即どこかに電話をかけ始めた。「竜胆だけど」この電話の入りは普段なら拾って笑ってたと思うけど、今は縋る気持ちが強すぎてそんな余裕はない。いろいろと注文をつけたのち、「助かる」と息をついた彼に、わたしのほうがほっとして、神(竜胆さん)に両手を合わせて頭を垂れた。

 「あと10分で行く。すげえ急ぎだからそのまま持ってって大丈夫な状態にして。…サンキュ。……なんとかなった」
 「ありがとうございます…本当にありがとうございます神様…入信しますね」
 「安心すんのはえーよバカ。プレゼントどーすんの」
 「え…この状態から入れる保険があるんですか!?」
 「アテある。金は?」
 「そんなもんはいくらでもひり出すので大丈夫です、神。入信するので向かっていただきたいです」
 「了解」

 絶対ダメなところでハンドルを切り、やっぱり六本木方面に向かう。さすが坊ちゃんたちのホームタウン。

 その横で七光りを利用するだけのわたしは、ぽちぽちと光源の片割れにメッセージを打った。『わたしが終わってなくて、先入っててください』既読つくのが早い。『あと何秒?』『3600秒ぐらいで』『なげー』『1割にしろ』そしてせっかち。土下座のスタンプを送ったら、2秒後ぐらいに竜胆さんの携帯が鳴った。

 「うわ。……兄貴だ」
 「え?」
 「出るわ…もしもし?うん。…え?あー…」

 話題がわたしなのか、竜胆さんが気まずそうにわたしを見る。口パクでなんつった、と言って、わたしの携帯をつついてくるので、あわててラインの画面を見せた。当たりだったようで、竜胆さんの瞳がさっとメッセージの文字列を追っていく。

 「悪い、手こずってて。はい、すんません。急ぎまーす………ハァ」
 「なんか怒ってます?」
 「オレが疑われてっかも。もー…誕生日ぐらい聞いとけよ」
 「すみません…死ぬほどメモします…。カウントダウンアラームもかけます」

 スマホのカレンダーに一番目立つ色で、明日の日付に『蘭さん誕生日』を入れ、毎年繰り返し通知の登録もした。時刻は9時59分。少なくともあと1時間以内に片を付けて、家に戻らないと。








 六本木のカリスマ(弟)のツテで深夜に開けさせたセレクトショップ。行きさえすれば、金がありさえすればどうにかなるだなんて思っていた予測能力の低さを呪う。

 『予算10万前後、やたらオシャレな30代前半の男性に贈る誕生日プレゼントだとどれですか!?』
 『……』

 この時のお店を開けてくれたオーナーさんと竜胆さんの顔はとうぶん忘れられないと思う。広がる無言ののち、竜胆さんからオーナーに『兄貴な』と言い添えられ、そもそも彼らの行きつけなんだったと自分の失言を恥じてももう遅かった。

 そこからああでもないこうでもないと在庫をひっくり返し、時間ばかりが経って11時半さえ回り、焦り過ぎたわたしに竜胆さんがついに蘭さんが彼にねだっていたというブレスレットを譲ってくれて、どうにかケーキとプレゼントのきれいな紙袋を下げて自宅にたどり着いた。日付が変わる10分前。ラインはひたすら蘭さんの急かしとわたしの謝罪で溢れている。

 「じゃあな」
 「本当にありがとうございました……というか、もう一緒に祝っていただいたほうがいいんじゃ」
 「やだ。死ぬほど嫌。早く行け」
 「はい、すみません。おやすみなさい」

 一人で怒られるのが嫌すぎて弟を抱き込もうとした下心は見抜かれていたようだ。ドアを閉めると、車はさーっと走っていってしまう。これまでのあわただしさからの落差で、テールランプを見送りながら一瞬放心しかけたが、携帯が震えたことではっと正気に戻った。バイブレーションは続く。メッセージじゃなくて電話だ。画面を見たら蘭さんで、あわてて通話をとって耳に当てながら自室のベランダあたりを見上げると、ベランダの柵から携帯を耳に当てた彼が笑顔でこっちに手を振っていた。

 「『おかえり』」
 「遅くなりました」
 「『わかってんなら早くしろー?』」
 「はいすみません!」

 エレベーターに駆け込んで、3と扉の閉まるボタンを連打する。そんな乗客の動作に焦りを感じ取れない、気の利かない扉はうんざりするほどゆっくり閉まり、重い腰を上げるように浮上する。
時刻は11時57分。本当にギリギリだった。どうやって祝おうかなと、もう今更隠しようもないかさばる高級ショッパーを見る。それにしても、間に合ったけど、どっちも完璧に竜胆さんチョイス。品物に喜ぶのは間違いないだろうけど、わたしは本当にお金だけで解決していてなにもやっていない。本当にそんなことでいいのかな。

 悩んでいるうちにエレベーターが目的階につき、扉が開いて、いきなり当の本人の顔面が現れて悲鳴が出た。

 「ぎゃー!」
 「ウワ。そんなビビる?」
 「び、びっくりした……すいません……」

 玄関まで考える時間があると思っていたこっちは、無様に何も隠せないままおろおろとエレベーターからおりて、されるがまま蘭さんに仕事用の重い鞄を奪われた。その流れで反対の手のショッパーも拾いかけて、彼が目を丸くする。

 「何コレ」
 「あ……えっと」

 時計を見る。まだあと3分、いや、今動いてあと2分。そのあからさまに残り時間を気にするわたしの動作で察されてしまい、「言ったっけ?」と言われた。サプライズが下手過ぎて絶望する。竜胆さんにここまでサポートさせてからに台無しとは、とても報告できない。

 「ごめんなさい…サプライズしたかったんですけど。2分フライングで、おめでとうございます」
 「ありがと。誰に聞いた?」
 「弟さんに」
 「さっき?」
 「…う…」
 「なるほど、それでね」

 ここまで仕事というていにしていたことも、その間にこのプレゼントやらケーキやらを調達したことも、会って1分以内にすべて露見した。相手の飛びぬけた洞察力とわたしの飛びぬけた隠し下手のコラボ技がなせる業というか。さすがにプレゼントたちを本人に渡すのは気が引けて、持ってくれようという彼の手は断り、外廊下を一緒に歩きだす。

 それにしても、彼の反応はわたしがむしろ誕生日のことなんて当然知らない想定、といった感じだった。確かに聞いたことはなかったけど、誰からも扱いはほぼ芸能人の蘭さんだから、常識として知っているものとして扱われると思っていたわたしには、この反応は予想外だった。正直にそれを言ったら、

 「当日まで言わねえで夜バラしてビビり倒すオマエの顔見る予定だったんだけどなー」
 
 だそうで。目をむく。だったらわたしは何も知らない顔で普通に早く帰ってきたほうがこの人の期待にかなったってことだ。ここまでの心労はいったい………。

 「まさか…わざと…」
 「いや?そもそも聞かれてねえし」
 「……すみません」
 「別にいーよ」

 背中を押されて自宅玄関に入ると、鍵をかけるのと同時に流れるようにキスされて、考えていたことの大半があっという間に”どうでもいいこと”に流れて行ってしまった。「おかえり」作ったような甘ったるい声のなかには、意外にも本音が強く混じっているって、今は分かるようになった。

 時計を見たら59分だった。玄関で味気ないとは思ったけれども、部屋に戻ろうとするのを止めて、携帯の秒針を睨み、0時になってすぐに「おめでとう」と伝えたら、わりあいに彼が幸せそうに「ありがとう」と言ったから、やっぱり多少無理してでも祝うものを準備できてよかったと思えた。

 彼の好みを熟知した竜胆さんチョイスなだけあり、ケーキもプレゼントもことのほか蘭さんは喜んだ。片づけも飾り付けもしていないいつもの部屋ではあったけれども、ストックしていた頂き物のお酒とケーキとプレゼントで、かろうじて形にはなった、…ように思えた。が、ケーキ完食後、食器を洗おうと立ちかけたわたしに、テーブルに肘をつき、「なあ」ってすべて見透かしたような、おちょくるような顔が覗き込んでくる。あ、やだ。嫌な予感。

 「1から10まで竜胆に頼ったろ」
 「うっ」

 やっぱり突っ込まれた。祝いながら自分も不完全燃焼だったのは確か。本当に楽しみにしている恋人の誕生日なんだったら、プレゼントにしてもケーキにしても演出にしても、どれだけ時間がなかったとしても人に頼らずに自分でやるべきだし、それができないなら準備時間が足りないから改めて後に時間をくれというのが誠意だろう。プレゼントなんて彼が竜胆さんに直接リクエストしていたものだし、一切わたしの意思が介在していない。皿を置いて流れるように土下座した。

 「すみません……誕生日聞かないとかいうヘマを知られずに何事もなかったように当日に祝いたかったんです……」
 「正直でよろしいー。そんで?バレたからにはどーやって補填してくれんのかなぁ?」
 「…来週、リベンジ」
 「ふは。倍金かかるけど」
 「いいです!わたしが全部選びます!どっかで1日時間ください!」

 わたしの勢いで蘭さんは爆笑して、土下座のわたしの頭を撫でて上げさせた。いつの間にかフユ(うちの猫)が彼の胡坐に居座っていた。普段なら飼い主のわたしよりも懐かれている蘭さんに嫉妬するところだけど、今日ばかりはフユにそこをどけわたしの場所だと言いたくなる。

 「それが聞けただけでもまーいっか。もー竜胆と遊ぶのナシな」
 「なにひとつ遊びじゃないですよ……わたしがどれだけ追い詰められてたか」
 「だから追い詰まってんならそれをまず先にオレに言えっつってんの。竜胆じゃなくて。わかる?」
 「…へ?」
 「オマエの彼氏はどっちなわけ?」

 急に真剣なトーンになった声に、フユを睨むのをやめて顔を上げる。ここにきて今日初めてのお説教モードに驚く。怒るの、そこなんだ。誕生日を忘れられてたことでも、約束に遅れたことでもなく、そんなことに?

 「あなたですけど……」
 「だよなあ?なんでこーなった?」
 「……蘭さんって妬いたりするんですね!?いたっ」 

 バカ正直に驚きを伝えすぎて、口走るなり丸めた雑誌で頭をはたかれる。雑誌を取ってからはたくまでの動作があまりにも速すぎて全然避けられなかった。攻撃への姿勢が仕事の時と同じなんだよなと頭を抱える。

 「余計なこと言ってねぇでまず反省しろー?この毛玉三途に引き渡してもいいの?」
 「それだけは勘弁してくださいごめんなさいもう二度としませんから!!」
 「反省のきっかけが毛玉っつーのも気に入らねえからやっぱ連れてくわ」
 「いやー!!ごめんなさいごめんなさい!ちがうんです!!当日に喜んでほしくて!!そのうえ時間なかったから蘭さんの好み熟知してる竜胆さんに頼るしかなかったんですほんとにごめんなさい大好きです蘭さん許して」
 「………オマエそれフユのために言ってねえ?」
 「に……1、割ぐらい……」
 「今2割って言いかけたろ」
 「……すみません大好きです…」
 「それ言えば許されると思ってんな?」
 「…あわよくば…」
 「……」

 腹むき出しで蘭さんに媚びているフユと目が合う。すると、空気なんて読まない猫のはずが、今日はしょうがねえな、とでも言いたげにころりと膝から降りて部屋を出て行ってくれた。蘭さんの顔を見る。多少イラっとはしているようだけど、そこまでキレているようには見えない。おずおずと膝立ちになって、彼に抱きついた。匂いが濃くなると、張りつめた気持ちが勝手にほどけてしまう。まだなんの解決もしてないのに。

 「…今日は上手に媚びんじゃん」
 「……怒らせるの嫌だもん…誕生日だし」

 そう。誕生日。このとんでもない人がこの世に生まれた日だ。完璧な一日にしてほしいし、それがわたしのせいで機嫌が悪いままで過ごさなきゃならなくなったら最悪。腕をほどいて離れようとしたら、腰を抱いて止められた。至近距離で目が合い、ふいに浮かんできたせりふを言うか迷って、結局言った。

 「生まれてきてくれてありがとう」

 言いながらあまりにくすぐったく、恥ずかしくて尻すぼみにはなった。けれども、そのおかげもあって自分でもお手上げなくらいの本心だということは伝わったようで、蘭さんは「重」って薄く笑ってから、食らいつくようなキスをよこした。いつにない性急な、余裕のなさそうな顔に、胸がぎゅっとなる。

 こんな重たいセリフひとつでこうも喜んでくれるなら、もっともっと、彼がいやってギブアップするギリギリぐらいまで伝えたい。竜胆さんの手を借りない分、今日ほどツボにはまるものは用意できないかもしれないけど。



***


**おまけ

 「明後日帰ったらそっち行くわ」

 誕生日に気付いてるかカマをかけるつもりでわざわざ予告したら、『何時ぐらいになりそうですか?』と何の気もなさそうな返事がきて、これは知らないなと確信した。仕事の時は話が変わるが、基本的に梢は隠し事ができないから、知っていてとぼけようとするなら多少声が上擦る。

 「さぁ?10時ぐらいじゃね?オマエは?」
 『んー……5時から竜胆さんと例の住吉訪問なんですよね。まあ、同じくらいかなとは思いますけど』
 「てことはメシは食ってくるわけね」
 『ええ、先方指定のどえらい料亭です』

 三度の飯が何より優先の梢があからさまに面倒そうで笑う。そう昔でもない頃にクラブホステスだったくせに、接待嫌いオヤジ嫌いセクハラ大嫌いなのだ。本人曰く、自分がいいメシを食ってないときなら頑張れるが、わたしのメシの邪魔をするなブサイクジジイ、だそうだ。多少盛ってるけど。

 「ま、タダメシ食えんだから頑張れ」
 『……はぁ…ずっと竜胆さんの顔見ながら食べます』
 「ハ?人の弟オカズにすんなよ」
 『許してください。脂じじいよりイケメン見て食べたいのが人の心』
 「……」

 思えばこの頃からちょっと面白くなかった。長男じゃなかったら竜胆竜胆うるせーなって言ってたと思う。そんでその上、人の誕生日前夜に一緒にいるのが仕事とは言えその竜胆で、挙句こっちが楽しみにしてた、当日オレの誕生日って聞いて絶句する顔さえ竜胆が独り占めして、そのあと二人で六本木を奔走したっつーんだから面白くないどころじゃない。

 すうすうと平和な寝息をたてる顔をつつくと、「んむ」と普段とかけ離れたバカマヌケな声が出てひとりで吹いた。鼻をつまんだりくすぐったりすると、頑固に目は開けないくせに抵抗したり、険しい顔になったりする。

 梢で遊んでいたら、着信音の邪魔が入る。竜胆だった。どうせ起きねえだろうからその場で出た。

 「どしたー」
 『誕生日おめでとう』
 「おー。サンキュー』
 『寝てた?』
 「いや、ケータイいじってた。いいタイミングー』
 『そう?本永は?』
 「寝た。こいつうるさかったろ?面倒かけたな」
 『え?言ったのあいつ!?バカかよ』
 「言わねぇでもわかるよ。オレがオマエに頼んだんじゃんヴェルサーチ」
 『あ…そっか。確かに。ゴメン、オレもまさか誕生日聞いてねえと思わねえから焦ってさ』

 そう言われると、微妙竜胆にも向いていた苛立ちがすっと引いていく。まあ、そうだよな。てっきり自分の兄が恋人に祝われると信じてて、知らんって言われたらこいつの性格なら一緒になって慌てるはずだ。

 『あいつすげー面白かったよ。時間ねーって自分で大騒ぎしてんのに、これは最近の趣味じゃないとかここが体形的に似合わねえとかめちゃめちゃうるせーの。で結局決まんなくて間に合わねえから、オレがこれ持ってけって言って、それも抵抗したけど時計見せて無理やり持ってかせたんだよ。愛されてんなーと思った』
 「……」


 ーー『生まれてきてくれてありがとう』

 そういや、あんなこと初めて言われた。あれはけっこうきた。地味に腹立ってたのに、あっさり流されて動揺させられたのが悔しくて、もう一度寝ている頭を小突く。

 『おめでと、兄貴。来週仕事かぶるときメシいこ』
 「じゃ肉」
 『了解』

 通話を切る。寝ようと思ってたのに、変な話で眠気が薄れてしまった。オマエのせいだよと鼻をつまんだら、ふさがった声がオレの名前を呼ぶ。

 「らん……」
 「?…なに?」
 「……はげ」
 「ハ?」

 ムカつくより先に、とっさに頭に手が伸びて、そんな自分も含めて余計ムカついた。どこも別に薄くなんかねえし。歳取ってねえし。

 「起きろ!!」
 「はぇっなに、なに…なにですか?」
 「なにですかじゃねえよな〜?殺すぞクソアマ」
 「へ!?なんで!?」





***
ふさふさだよごめんねほんと