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消化器外科の病棟に空きがなく、未明に手術を終えた今牛さんは、救命科の一般病棟に戻ってきた。手術時間2時間57分。病室の時計を見た彼は、入室前よりやや弱った顔で、迎えた私に「目算ぴったりだね」と言った。しっかりしていらっしゃる。
「真は?」
「帰られました。最初渋ってらしたんですけど、帰らなかったら私が怒られるか、って言って」
「は、…言いそう」
フタの割れた携帯電話をその手に返した。見た目は派手に損傷していたけれど、液晶のライトはつくから、たぶん機能は失っていない。
「佐野さんにかけますか?」
「明日でいいよ。どっちにしろ病室じゃダメじゃねえっけ」
「……まあ、少しなら…たぶん」
「ルール曲げるほど急いでねぇから」
本当に見た目によらない人である。返答に毎回地味に驚きながら頷いて、病室を仕切るカーテンを握る。
「じゃあ、私はこれで。何かあったらナースコール押してくださいね」
「センセー泊まりなの?朝に上がり?」
「私?…は、少なくとも明日の夕方まではいます」
「ヤッバ。医者すげぇ」
「下っ端なので」
疲れていない頭脳での診断力が要求される上級医は、夕方出勤の朝8時交替だが、いくらでも替えの効く雑兵でしかない研修医は、当然のように翌日の日勤帯もきっちり勤めきらなければならない。変なタイミングで急患が入ろうものなら帰るなんて言い出せずに結局翌当直帯にずれこむことも多々。病院がブラックっていうのは、もう取返しがつかない5年生の病院実習の頃に初めて知った。積み重ねてきた時間と努力を捨てられる時期なんて、とっくに過ぎていた。
「センセーいくつ?」
「24です」
「へー。オレの4つ上だね」
「はい…え?」
「え?…オレがハタチだし」
一瞬遅れて入ってきた情報についていけず、今更持っていたカルテに目線を落とすと、今牛若狭、の横に、確かに1980年の記載があった。てっきり同じくらいか年上だと思っていたこっちは唖然で、まじまじと顔を見てしまった。ハタチ、ハタチにしては…あまりに、完成しているというか。このやつれた状態で顔の整い方が分かるのだから、よっぽど顔立ちがきれいだったのだとここにきて初めて気付いた。
ぽかーんとそのきれいな顔を凝視していたら、彼はそんなポカンの私を見て弱弱しくも噴き出した。あ、やだ。笑った顔なんて余計にイケメンだ。なんで気付かなかったんだろう。
「は、何その顔。いくつに見えてたの」
「…私よりちょっと年上ぐらいかなって」
「そんな老けてる?」
「そんなんじゃ…大人っぽいですよね」
「それ、敬語やめない?年上の賢いお姉さんセンセーにそんな話し方されるとなんかかゆい」
「かゆいって」
それを言ったらこちらこそかゆい。賢いお姉さんセンセーって。研修医になってからというもの、ひたすら上級医にもナースにも怒られる日々で、褒められ慣れない新米社会人はみごとにその言葉を真に受けて恥ずかしくなってしまった。尊敬の念を込めた“先生”なんて、初めて言われたかも。
「ダメ?」
「…さすがに…怒られちゃうので。いくら年下でも、患者さん相手に」
「そう。…センセー名前は?」
「あ、…乃木といいます」
今更自己紹介をしていなかったことに気付いて、あわてて名札を見せた。リールのついた名札をわざわざ手元まで引っ張って、「有紀サンね」とわざわざ下の名前を読み上げる。にこりともしない不愛想からこの距離の詰め方、狙ってやっているのだとしたらシンプルにすごいなと思った。
「それじゃ…ゆっくり休んでください。おやすみなさい」
「ん。有紀サンも、……夜勤って寝ていいの?」
「一応は。このあと当直室で寝ようと思ってます」
「じゃあオヤスミ。ありがとね」
合コンで会ったりしたら沼に落ちそうな人だ。患者さんで良かった。
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「先生先生先生!!!!」
「…えっ?すみません寝坊ですか!?」
叩き起こされるイコールなにかやらかした、の図式ができあがりすぎていて、寝ぼけているのにまずそれを聞いたら、私を叩き起こした医局長(女医)は「ごめんそうじゃない!」と勢いよく否定して、「昨日の急患!!」と興奮そのものの様子で言った。
「え、え?急変ですか?」
「違うそうじゃなくて!すっごいイケメン!」
「いけめ………ああ…」
確かにイケメンだけども。その勢いで自分のミスか彼の容態を心配させられただけにげんなりしてしまい、素直に呆れを出してしまったら、医局長のほうは私のローテンションのほうに目を丸くして、肩を叩かれた。
「ああってちょっと、なに?一晩で慣れるレベルじゃないでしょ?すっごい顔。ちゃんと見た?」
「見ました、確かにすごかったです」
「喋った?」
「喋りました」
「どうだった!?」
「どう……不愛想だけどわりと優しい感じで、イケメンでした」
「うわ、中身までイケメンなんだ…怖いね」
「怖いです」
理想だったら理想だったで怖がる女たちに、カーテンの向こうで「怖いって」「じゃあどうしたらいいんだよ」と男性陣の笑い声が聞こえた。時計は6時半。3時間はきっちり寝れたようだ。手櫛で適当に頭を撫でつけながら、ベッドスペースを仕切るカーテンを開ける。
つづく