天上の檻





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 引っ越したマンションの、唯一同じフロアのお部屋には、きれいな兄弟が住んでいた。彼らは当時小学校にさえ入る前だったから、もちろんご両親もいたし、そのふたりだって異彩を放ってはいたけれども、この子どもたちには及ばないように感じていた。名前を蘭、竜胆と言った。無邪気で元気で、名前のとおりお花みたいに笑って、なんでも信じて好奇に目を輝かせて熱心になれる、とっても純真な子たちだった。

 とにかく一挙一動が人の目を惹いた。才能としか言いようがないと思う。純粋に顔形がとても整っていたのもそうだし、声も、歳のわりにずいぶんと滑舌のよい喋り方も、すべて人好きがする。そのうえ人懐こくて、隣に移り住んできた干支半周ちかくも年上の人見知りのわたしをあっという間に手懐け(懐いたというよりはこの表現が正しいと思うので)、越してきてほんの2か月もしないうちに、彼らは留守番のたびにうちのインターホンを鳴らすようになった。

 「ひなぎ、ピアノやって」

 同じく習っていた蘭に、こうやってよくせがまれた。竜胆はヴァイオリンだったから、一緒に演奏したりもした。蘭はそういうとき、連弾に誘っても混ざってはこなくて、ソファで満足げに二重奏を聞いて、時折えらそうに弟に「りんどーミスってる」とにやにや指摘する。その指摘は憎らしいことに絶対に正しく、弟は「兄ちゃんうるさい!」とそのたびへそを曲げながらも、結局頑張って正しく弾けるようになるのだった。

 留守番は彼らも、うちも多かった。両親の仕事がどちらも忙しかったから。家政婦がひととおりの家事をしに来るのも、その家政婦がいじわるな物言いをするのも同じで、そのたび身を寄せ合うようにしてうちの防音室か、近所の公園に避難していた。平日夜遅くまでと、土日祝日のほとんどずっと。今思えばほぼ育っていたうちはさておき、当時4、5歳そこらの彼らを子どもだけで置いて泊まりの仕事に躊躇のないあたりに、彼らの両親の異常性はほんのりと出ていたといえるだろう。

 その異常性が爆発したのは、ふたりが小学校2年生のとき、彼らに弟が生まれたあとだった。当時わたしだって中学生で、事態を正しく把握できる能力があるとは言い難かったけれども、あれはそんな子どもにもわかりやすく道を外したエピソードであった。ふたりはあの両親の実子ではなかった。長く続く世襲の大会社を預かる彼らの両親が、不妊に苦しみ世間に隠しながらも新生児の時期に金に物を言わせて養子縁組した赤の他人であり、それを本人たちにも伏せて育ててきたが、実子が腹に宿り、五体満足な健康体の男児でこの世に生を受けたとたんに、蘭と竜胆は用済みになったのだ。正気の沙汰ではないことだが、小学校入りたてみたいな子どもたちは自分たちが愛する両親と思ってきたものに他人という宣告を受け、金は自由にしてかまわないから静かに消えてくれ、と頼まれた。もちろんもっと言い方にオブラートはあったと思うが、のちに中学生になった蘭がそのようにわたしに要約したから、聞いた当人がそうとったのならそういう内容だったのだろう。まして蘭は頭がいいから、一瞬で相手のせりふの婉曲や建前をそぎ落とし、正確に要旨を引き抜ける。どれだけつらかったか、想像するにはわたしの人生経験ではまるで足りなかった。その共有ができないことが苦しく悔しく、どうしてよりによってこの子たちにそんな悲劇が起こるのかとこの世を嘆いた。このことは自分の人格形成にもずいぶん影響したと思う。彼らにとっては言うまでもないが。

 他人の宣告を受けたその日、ふたりは決してわたしには泣きつかなかった。めずらしくうちに来ないから、不思議に思ってわたしが探し回り、2時間以上かけて家からずいぶん離れた広尾稲荷神社のベンチで手をつないで座っているのをようやく見つけたのだ。

 「蘭!竜胆!」

 このときのことは今でも鮮明に思い出せる。ぱっと顔をあげたふたりは、わたしの顔を見るなり目を大きく見開いて息をのんだ。竜胆はすぐにも泣き出し、蘭は涙こそ見せてくれなかったけど、それを耐えるように唇をかんだのが分かった。なにも事情は知らなかったけど、ふたりになにかつらいことがあったことだけは分かり、躊躇わずにふたりまとめて抱きしめた。

 「なんで」
 「一緒に行ったところ、ぜんぶ回った。こんな遠くまでよく来られたね」
 「……」

 若干13歳の自分を頼るしかないこの小さいのが愛しくて、絶対に守らなきゃ、と使命感にかられていた。中学生のお小遣いでずいぶん見栄を張ったカフェに入って、残金を危ぶみながらちょっとしたお菓子とココアをおごってあげた。たったそれだけのことでも、まるでおとなを見るような憧憬のこもったふたりの目線が心地よかった。

 「…いらないって」
 「え?」
 「弟がぜんぶやるから、もういいって言われた」
 「ニューヨークに引っ越すんだって。オレと竜胆は今のうちにいていいって」

 身体が温まってからようやく、ふたりは事情を話してくれた。それを聞いたのが今ぐらい世間のルールとかそういうものをある程度分かっている歳であればよかったけれど、いくらふたりがおとなっぽいと思ってくれたって、わたしなんてどうしようもなく無力な子どもだった。ただ、それを理解してはいなかった。そんなのは絶対に間違っているから、わたしが正さなければと思った。そしてふたりを連れて家に戻り、彼らの両親に直接食ってかかったのである。いわゆる中二病というやつ。自分ならどうにかできると思ったんだろうね。ばかな話。思い出すと死にたくなる黒歴史だ。

 結果は当然惨敗。本題を怒鳴るよりもはやく、わたしの両親に連絡されてしまったから。

 「子どもはアンタたちの道具じゃない!!!いらないなんて急に言わないでよ!!!」

 無理やり連れ出されるときにかろうじて叫べたセリフは、いちばん聞いてほしいふたりにはまるで届かなかった。このセリフはふつうに自分で恥ずかしいは恥ずかしいのだが、他人の子どもにこんなことを言われて朗らかに笑顔で「また遊びにきてねぇ」なんて笑えるほうが人としては恥ずかしくいかれているなと、大人になった今でも思う。

 灰谷のご両親とその血の繋がったご嫡男は、それから約2か月後に渡米した。蘭と竜胆はあの広い部屋にふたりきりになった。あっという間に順応というか、おそらくそう変化せざるを得なかったのは蘭で、痛々しいほどたったの数日で大人になり、その兄の変化を肌で感じて涙をのみ込むようにゆっくりと竜胆も変わった。天使のわっかの浮かんでいたサラサラの黒髪も、とつぜん光に透ける金髪に変わる。私立名門小学校がそれを許すはずもないから、「学校!」と叫んだら、「退学したからもうカンケーねぇの」と今につながる不敵な笑顔を向けられた。子どもだけでそんなことができるはずがないからこの時はウソだと思ったけど、その後彼らが後見人と話しているところに偶然居合わせて、そりゃ退学も公立への編入手続きもやらざるを得ないだろうな、と納得した。なにせその後見人だという壮年の男性もたじたじになるほど蘭は弁が立ったし、その雰囲気がどれほどぴりついてもひとつも動じずに、竜胆は後ろからただならない無言の威嚇をしていたから。つまり、このときにはもうできていたのだ。蘭が矢面で、後方支援に竜胆、という構図が。

 髪色で余計に目立つようになったふたりは、そこからさらにエスカレートした。暴走族も不良も流行っていた時代だったから、そこらじゅうの明らかに年上で身体の大きい子たちに喧嘩を売りまくる。どう考えても負けそうなものなのに、ふたりは自分たちの身体の小ささを逆手にとり、相手の油断に武器と知略をもってつけこみ、制圧。それを繰り返して、中学に上がる頃には、私服の小学生相手に制服を着崩した不良が頭を下げる異常事態がふつうになっていた。この頃のわたしとふたりの関係は、もうとっくに疎遠だったといっていい。時折マンションの共有部分で会って話すことはあっても、ふたりとも世界のちがう恐ろしげな話ばかりしてきて、わざとわたしを遠ざけていたんじゃないかと思う。そして、あの事件。それぞれ12歳、13歳のころに傷害致死罪で逮捕され、少年院に入って、六本木から姿を消した。

 問題児なんてものではない。ふつうに犯罪者。昔は彼らを可愛がっていた近所の大人の誰もが、最初に見捨てた大人の業も忘れてふたりを蔑視する。人一人死んでいるのだからそれは当然のことだといえたけれど、やっぱりわたしはあの神社で見つけたときの彼らを忘れられなかったし、今の彼らの姿は、あのときの深い悲しみがやり場をなくして化けたなにかのように感じて、見るに苦しく、誰か助けてやってほしかった。でも、自分がそれをたしなめる度胸はなかった。助けたいのはやまやまでも、彼らを変えたあの転機を知るからこそ、ではその怒り、失望、苦しみを他のどこにやるのかと言われたら、自分などにその答えを用意できる自信がなかったから。

 
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