破れた檻に戻る





*2 蘭17歳 竜胆16歳 ひなぎ23歳

 蘭との再会はポストの前だった。身長も髪型もぜんぜん違ったから、最初はなんにも知らない人だと思ってふつうに近づき、目当ての自宅のポストを開けた。そうなってみて、そのポストのちょうど上の箱が開いていることに気付き、はっとして振り返った。

 「よ。久しぶり」
 「ら…え?え!?蘭!?」

 もともと背は高かったけど、もうこの近距離では見上げて首が痛いほど伸びていた。面差しはさらに大人びて、意外にも少年院帰りらしくつんつんの黒髪短髪だって、なんだか好青年みたいに似合っていた。でも大人を食ったような表情だけは変わらない。ひとの心配なんてよそに、なにも関係なさそうに飄々と笑うその顔が、本音なのか自分さえ欺くためのものなのか分からなかった。ついその頬に手が伸びる。一瞬驚いたように目を見開きながらも、妙に触られ慣れているようで手から逃げはしなかった。

 「本当に蘭だ……」
 「…オマエ大丈夫?なんも知らねえの?」

 なんも、とはつまり、彼らの罪状のことだろう。今更よく見たら、蘭が持っているのは溜まった広告と、彼らにこのマンションに帰ってくるなという旨の怪文書だった。こみ上げた嫌悪感で勝手に眉根が寄り、そのどうしようもない紙をその手から奪って破り捨てる。思ったより手にも顔にも憎しみがこもってしまい、紙を破り終えてしまうと行き場のない苛立ちは手を握り込んで抑えるしかなかった。

 「…ひなぎんなかではオレらまだ小坊のガキなんだね」
 「……」

 それにどう答えるのが正解なのかまるで分からず、なにも言えなかった。爪が掌に刺さるほど力んだ手を、蘭の手で拾われる。手なんてもっと別人で、薄くて骨ばっていて大きくて、なんだかクモみたいだった。わたしは彼らをどう思ってるんだろう。そりゃ、殺人は一線を越えすぎてると思った。けど、あんなふうに泣いた子どもの記憶を、どうやったらそこと切り離せるっていうの。

 「おかえり!」

 結局なにも答えずに、逆にその手を握って訴える。少なくとも誰一人歓迎していないだなんてふうに誤解してほしくはなかった。

 「……ただいま」

 いまの一瞬だけで、表情がぐるぐる動いた。“ただいま”の言い方こそ温厚で優しく、かつてのお兄さんらしい蘭だったけれど、どう見てもウソっぽくて、無理をしているように見える。どういうわけか、わたしにそのままでいてほしくなかったらしい。さっきのしみじみとした、『ひなぎんなかではオレらまだ小坊のガキなんだね』というセリフだって、たぶん言外にはそれをやめろというニュアンスが含まれていた。なにが正解なんだろう。なにを思って、わたしにそうでいてほしくないのかな。皆目見当がつかず、手を握ったままでどうしようか迷っていたときだった。

 「兄ちゃーん?」

 記憶にある声とは若干違ったけど、その呼びかけ方ですぐに竜胆だと分かる。ポストコーナーの入口を振り返ると、よく覚えのある形の双眸がまるくわたしを見つけて、「ひなぎ」と呼んでくれた。その呼び方がむかしと変わっていなくて、なんとなく竜胆は蘭ほど今のわたしを嫌がらないような気がしてほっとする。「竜胆」と応えた自分の声には、あからさまに安堵が出まくっていた。手を振ると、ちょっと照れくさそうな、居心地の悪そうな顔で目を横に流しながら、両ポケットに手を突っ込んでこっちに来る。蘭ほどじゃないけど、竜胆もずいぶん背が伸びた。

 「まだこのマンションいたんだ。もう出たかと思ってた」
 「えー…竜胆まで社会人実家出ろって言うの」
 「言ってねぇし。どんだけ普段言われてんだよ」
 「バレた。被害妄想すみません」
 「別にいいけど」

 やっぱり竜胆には蘭のような距離がないような気がする。そっと蘭を盗み見たら、しっかりと目が合った。考えていることなんか全部見透かされている気分になったし、逆にこっちはなにも分からなくて、こうなるとわたしがかつて面倒を見ていたなどとはとても言えないなと思った。完全に格上だ。

 「竜胆、出んぞ」
 「え?なんかあんの?」
 「ちょっとな。じゃあなひなぎ」

 またクモみたいな手で人の頭をかるがる撫でて、竜胆を従えて蘭はポストスペースから出て行った。直前も一緒にいたはずの竜胆が外に出る用件を知らなかったってことは、まあ、わたしと同じエレベーターに乗り、隣の部屋に戻ることを避けた、ってことだろう。

 嫌われてはいない、と思う。蘭のことだから、人殺しだと知れたこの集団住宅のなかで、自分たちと関わることの醜聞からわたしを遠ざけたのかもしれない。そうなんだとしたら今すぐにでも追いかけて、そんなことはどうでもいいと怒鳴りたいけど、それも違うかも。追いかけられるのが、本当に迷惑かもしれない。そう思われるのはどうしても怖くて、この一歩が踏み出せなくて、情けなさに辟易した。

 ひとの心をこんなにも読みたいと思ったのは初めてだった。


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