降谷零 カーチェイスの助手席に乗りたい





※めっちゃ中身ないです


 零くんの携帯が鳴るなんていつものことだけど、なんとなく今日はその時点で、なにか胸騒ぎはしていた。ハンズフリーにするのを忘れていた零くんのかわりに通話画面を開けて、運転中の彼の耳に当てて、数秒もしないうちに零くんから「なに!?」と緊急事態のリアクションが出たので、私は脱ぎかけだった靴をちゃんと履いた。こりゃ降りることになるな、と思ったからだ。

 「分かった、向かう。…香織」
 「はい、降ります」

 カバンも構えていつでも降りられますのポーズをとったが、車は側道に寄ることもなく、逆にスピードを上げた。運転手の顔は険しいままで、とんでもないことを言う。

 「下ろしてる暇もないんだ。シートベルトはしてるな?」
 「え怖。こんな紐でも意味ある話?」
 「大アリ、命綱だと思え。歯食いしばってろよ」
 「コワ、……うそ、…いやァァア―――!!!!」

 悲鳴が置き去りになるようなスピードを落とさないまま、ド鋭角にUターンを決められて、巨大な遠心力に振られて顔と肩がドアガラスにめり込む。ふつうに痛いし怖い。回転中心の運転手は体勢を崩さず、アクセルベタ踏みでアッという間に車を首都高速に突っ込んだから、助手席の私は震えあがった。信号がなくなったら、止まる車がいなかったらこんなのどうなっちゃうの。命綱にしては大変頼りない硬めの細い布を握りしめ、言われた通り歯を食いしばり心から渋滞を祈った。正直ちょっと泣いていた。

 「チッ」

 長い付き合いのはずの恋人から、聞いたこともない舌打ちが飛び出してビビッて目を開けると、祈りが届いてか数百メートル先から、赤いテールランプがずらりと並んでいた。隣に聞こえないようにほっと息をつくかつかないか、その頃に今どう考えても必要のないギアチェンジが行われ、首都高に突っ込んだときより震えあがる。

 「シートベルト外せ」
 「ハ!?命綱って言ったじゃん!」
 「いいから外せ!」

 殺すぐらいの剣幕に完全に怯んで、心の中で南無三!と叫んでボタンを外す。ベルトが巻き上がったとたんに、零くんに抱き寄せられて、何がなんだか分からないうちにさっきよりきついGが引き寄せられたほうに思いっきりかかり、喉はもう悲鳴を上げるどころではなく縮み上がった。座席にくっついたままの下半身から上半身が千切れそうだ。何が起きたのかと上げにくい顔をかろうじて上げると、フロントガラスの光景が真横に倒れていて絶句してしまった。片輪走行だ。

 「ムリ!!!なに!!??」
 「喋るな、舌噛むぞ!!」

 大渋滞の2列の間を、片輪走行で縫うように抜けていく。むりむりむり!そもそもそんなに距離走れる格好ではないはずだ。ちょっと涙滲むぐらいだったのが、私はいよいよ本気で泣いていた。どれくらい行ったか、というところで、ちょうど車と車の間にギリギリ一台分ぐらいのスペースがあり、そこに滑り込んだかと思ったら今度はちょうど差し掛かったトンネルの壁を支えにまた片輪走行が始まる。息つく間もない。どんな神経で運転してるんだとキチガイ(零くん)を盗み見たら、完全に目がイっていた。なぜかヒロくんの顔が浮かぶ。無意識に彼のことを仏か何かだと思っていたのかもしれない。ヒロくん助けて。走馬灯のように他の同僚や友人、家族の顔も流れ、その中にたぶんこのいらないテクニックを零くんに授けてしまった犯人が思い浮かび、次に会ったら絶対に殴ろうと思った。まだ死ねない。

 また電話が鳴る。もうさっきのように運転中の通話などというオマケのような交通ルールを気にしない零くんは1コール鳴り切らないうちにそれに出て、どなたかと通話を始める。そしてそうこうするうち、遠方に目をやり、ぎらりと目を光らせたかと思ったら「見つけた。止める」と不穏なことを言って切る。

 「香織」
 「なんでしょうか…」
 「後ろのジャケット取って」
 「ジャケットお!?今!?」
 「今。取ったらそれを頭からかぶって、屈んでダッシュボードの下に詰まっててくれ」
 「……」

 基本彼の言うことが正しいことは分かっているので、どんなに意図が分からない指図であろうと2つ返事で受けることに定評のある私だが、詰まってろ、という指示にはさすがに、元気よくハイとは言えなかった。覚悟を決めるためにすー、と息を吸って、後部座席に投げてあった零くんのスーツの上着をとり、言われた通りの場所に詰まった。狭すぎるが死ぬよりはいい。

 ここから先は、車がどういう挙動をしたか全く分からない。あちこちに遠心力がかかったり、明らかに衝突の衝撃を受けたりして、身を乗り出すだけでも舌を噛むと分かったので、所定の狭小空間に詰まって頭を抱えていたら、2発の銃声ののちにフロントガラスが派手に割れて、さっきまで私がいた座面がガラス片まみれになって息が止まる。ぞっとして零くんを見上げると、身を低くして直撃は避けたようで、頬と額に深そうな切り傷ができている以外は彼はさっきとほぼ変わらなくて唖然としてしまった。何が信じられないって、このイレギュラー中のイレギュラーと思われる事態なのに、彼が全く動じていないことだ。普段どんな世界で生きてるの、この人。

 「無事か?」
 「ひ、…人の心配してる場合か!?」
 「元気そうだな。あと一発で決めるから、もうちょっと辛抱してくれ」
 「一発!?それは」

 なんの一発、とまでは言えなかった。またひどい遠心力がかかり、ギャギャギャ、というタイヤの限界みたいな摩擦音ののちに、車全体にこれまでで一番の衝撃がかかって、ガラスが飛び散り、焼けこげるような匂いと爆音がして、車が止まった。「ふう」満足そうな零くんの溜息から、まあ、その一発が車ごとの体当たりで、予定通り“決まった”ことが分かる。

 「悪かったな」

 零くんが先に運転席を降りて助手席のドアを開け、ガラスまみれの助手席を後ろにスライドさせて救出してくれた。頬の傷が深そうで、しっかり流血して服まで汚している。本人に自覚がなさそうなので、慌てて手近なハンドタオルで押さえたら、「イテ」と人間らしいコメントが聞こえた。これを痛いと感じる人があんな運転しちゃうのか…と気が遠くなる。

 「全然気付かなかった。ひどいな、シミ抜きしないと」
 「いやいやいや、服の心配いいから。自分の心配しようよ!縫ったほうがいいぐらいパックリだよ!?」
 「そうか?このぐらいならいけそうな気がするけど…まあとにかく、後処理はほかに任せて。僕らはここから離れよう」
 「車大破してますけど…」
 「大丈夫」

 高速のド真ん中で、カージャックのように後から到着した公安らしい一台に乗り換え、最寄りのインターから高速をおりる。先ほどとは打って変わっていつもの穏やかな運転、だけれども。

 「……あのさ、ちょっと楽しんでた?」
 「えっ?……いやいやいや、まさか。緊急事態だったし、必死だっただけだよ」
 「……」
 「……マア…ちょっとだけ…」
 「…当分零くんの運転する車は乗らない」
 「悪かったって…」

 零くんにこの車のウンチクといらないドラテクを吹き込んだ男に、“憎い”と一言送った。2分後に「なんで!!?俺なんかした!?」って電話が来た。