杏/虎杖

「悠仁、昨日白金にいた?」

冷静に、普段と変わらない態度で。これはただの世間話だ。

「い、いや?昨日は任務で八王子の山の中だった、いやー厄介だった!」

これは黒に限りなく近いグレー。態度、言動が嘘であることを物語っている。
まず一つ目、泳ぎまくっている目。二つ目吃音、三つ目聞いてもいないことをペラペラと話し始める。

いわゆる“嘘をついているときに人間がしがちなこと”をご丁寧にすべて体現してくれている。これはもう決定、浮気だ。
確信を得てしまったが最後、どうしようもない悲しみがこの身を包み込んだ。


昨日、任務の帰りに白金の道を歩いていると聞きなれた笑い声が聞えてきた。その方向に顔を向けると悠仁が花屋の綺麗なお姉さんと談笑していた。それはもう、嬉しそうに。頬を染めて鼻の下を伸ばして。

さあっと血の気が引いて全身の力が抜けた。不思議と涙は出てこなくて、それでもどうやって高専まで帰って来たのか全く覚えていない位にはショックを受けていた。


「あんたなんで問い詰めないのよ」
「聞けないよ、黒過ぎだもん」

私は自分に自信がなかった。悠仁は優しい人、呪術師には珍しい善人だ。ふとしたときに私でいいのかな、 と不安になる。

自分のことのように顔を歪める野薔薇は今にも殴りに行きそうなほどに激昂していた。第三者が自分以上に感情的になっているのを見ると不思議なくらい冷静になった。

悠仁の人の良さは野薔薇ももちろん知っている。あいつがそんなことする? と内心思っているだろうにあくまでも私の味方でいてくれている。

「自分が今どんな顔してるかわかってる?」
「わかんない、どんな?」
「泣きたいのを我慢している顔」

そう言う野薔薇の方が泣きそうになっているのを見て我慢していたわけではないが何かが壊れ、年甲斐もなく二人身体を寄せて涙を流した。



野薔薇のおかげで話す決心が付いた。なるべく顔を合わせないようにしていたので悠仁の部屋を訪ねるのは久しぶりだ。
私が来たことを知らせるノック四回、ドアが開くまでの数秒を使って暴れ回る心臓を宥めるようにゆっくりと深呼吸をした。


「なまえ、どした?」
「ちょっと話があるんだけど」

変わらない悠仁の態度に理不尽な怒りが湧いた。
部屋に入ると私のお気に入りの紅茶を淹れてくれた。それだけなのに、いつものことなのに涙が滲んだ。先程から喜怒哀楽が代わる代わる顔を出してきてついていけない。

「先週の金曜日の話なんだけど」
「先週…?」

悠仁は首を傾げ記憶をたどっているようだったがそれが本当に忘れているのか、ふりなのか疑心暗鬼に飲み込まれた私には判断が付かなかった。

――駆け引きもカマを掛けることも苦手だ、直球勝負当たって砕けるしかない。


「花屋のお姉さんと付き合ってるの?」
「はぁ?俺なまえと付き合ってると思ってたんだけど」

怒気を含んだその声さえ演技なのではないかと思ってしまうほど私の目は濁ってしまっていた。
何を言っているかわからない、 それを全力で表す悠仁に二度目の“怒”が顔を出した。
怒りたいのは私の方だ。カッと怒りが身体を駆け廻り拳をローテーブルに叩きつけた。バキッ、 良い音を奏でたそれは真っ二つに割れた。怒りに囚われ呪力の制御が出来ていなかったらしい。

「嘘つかないで!私見たの、悠仁が…!」

目撃した内容を嗚咽まじりに説明すると目を丸くしていた悠仁の頬がどんどん赤らんでいった。泣きすぎて上手く話せていなかったと思うが最後まで黙って聞いていた悠仁は私の手を取り、どこから話せばいいかな、 と頭を掻き話し始めた。

ひりひり痛む患部に悠仁の少し冷たい手が触れて気持ちがよかった。

「あの花屋は五条先生に紹介してもらったんだ、昔馴染みとかなんとかで」

あの呪術師最強、私と悠仁が付き合ってるの知っててなんで昔馴染みの女を紹介するんだ、意味が分からない。

「前に釘崎と話してただろ?花束貰ってみたいって…俺花とかよくわかんねぇから五条先生頼ったんだ。だから先生は悪くないよ」

思っていたことが悠仁に筒抜けで恥ずかしくなった。悠仁が私の話に口を挟まず最後まで聞いてくれたように私もちゃんと聞こうと目で話を続けるよう促した。

「花ってひとつひとつに花言葉ってやつがあんだよ。俺が選ぶ花ほとんど嫌な意味で、あのお姉さんには相談に乗ってもらってただけ」

花屋に行ったのが私のためだった、というところは純粋に嬉しいが。これを聞かずに話を終えることはできない。一通りの説明が終わったところで一番聞きたかったことを投げかけた。

「それでなんでデレデレしてたの」
「それは…」




「なまえのとことても大切に思っているんですね、彼女さんがうらやましい…って言われて照れてただけぇ?!紛らわしいのよ!!」

野薔薇は悠仁の頭をスパーンとはたいた。少し痛そうではあるが、同じことを思ったので野薔薇に感謝していた。

「なんで釘崎が怒るんだよ…」
「そんなの私の大事ななまえを傷付けたからに決まってるでしょ」
「の、野薔薇ぁー」

口調は怒っているようだが唇を噛み締め目にはうっすら涙が溜まっていた。完全に壊れてしまった涙腺は止めどなく無色透明の液体を垂れ流した。


「ちょっと!鼻水付けないでよね!」


浮気される(誤解)という初めての経験で謀らずも女の友情が深まった。もちろん悠仁と野薔薇にはちゃんと謝罪をして、勘違いで事を大きくしてしまった私は反省の意を込めて二人に食事をおごった。





臆病な愛、疑い、疑惑、乙女のハニカミ