完璧なデッドロック


「大丈夫だよ、弔。千歳がすぐに来る」


バーの床で撃たれた痛みを噛み締めながら横たわり、テレビを見つめていた気怠げな瞳が、AFOの言葉によって微かに見開かれる。
AFOと死柄木が会話している内に黒霧が既に電話をしていたようで、直ぐに来るそうです。と弔が願ってやまない返答が返ってきた。

それから数十秒も掛からずにバーの扉が開かれ、医療鞄と杖を携えた白衣の男が慌ただしげにやってきて、床に転がっている死柄木に近付いた。


「あぁ…千歳…いてぇ…」
「すぐ手当する。…両腕両脚か。貫通してるなら幸いだ。止血をしたら運ぶぞ、弔」


ちらりと銃槍箇所を確認すると鞄からターニケットを取り出し、素早く止血を開始する。
転がしておいてそのまま放置をするとはどう言う事だと、未だテレビに映ったままのAFOを見た。彼はいつだって千歳と目が合うとにやりと嬉しそうに笑う。

軽々と死柄木を横抱きにすると、足で扉を荒々しく開ける。普段なら死柄木がそんな事をすれば窘める側ではあるが、今はそれを気にしている場合ではないらしい。
ベッドへと近付くと壊れ物を置くようにそっと仰向けに寝かせる。
弔が倒れていた付近に置きっぱなしにしていた医療鞄と杖を持ってくると、皮手袋は外した代わりにゴム手袋とマスクをして早々に治療予定部位に手際良く注射針を刺した。

パルスオキシメーターを装着させ、携帯型X線撮影装置で銃弾が遺残していないかを念の為確認する。
幸い体内で分裂していないようだと確認すると今度は杖に手を伸ばし、杖の持ち手部分と柄の部分を分離させる。
きらりと、灯りに反射した刀身から鈍い光が死柄木の目についた。
仕込み杖はやっぱロマンがある、なんて現状ではなんの関係もない事を死柄木は考えていた。


「斬るぞ」


事情を知らない者が聞くととんでもない事だと思うだろう。
弔の返答を待たずに、千歳は死柄木の両腕と両脚を容赦なく、持っていた仕込み杖で両断した。


「ッ……あー……やっぱ痛くもねぇが、バラされるのは妙な感覚だな…」


事情を分かっていても自分の身体が切断される所を、身構えずに見ていられる訳ではないらしい。普段は無気力さが勝ち痛みに対して大きなリアクションをしない死柄木が刹那力んだのを見て、年相応そうだなと千歳はほんの少しだけ口端を持ち上げた。

切取千歳、“個性”カット&ペースト。
特定条件を満たしていれば、人体を痛覚・出血なく切り取る事が出来る“個性”と、両手で持ったものを綺麗にくっつける事が出来る“個性”の複数個性所持者。この“個性”を活用し、ヴィラン相手の病院を運営している。
――表向きは通常の病院で"元"ヴィランの更生保護施設や、犯罪に巻き込まれたり親がヴィランとして逮捕され、行き場を失った子どもたちを児童養護施設となっているが。


「軽口が叩けるなら大丈夫だ。しかし、両手脚となると…暫く安静が必要だろうな」
「面倒くせぇ…まぁいい、千歳が暫く通ってくれるんだろ?」
「お前が病院に来てくれたら楽なんだがな」
「はぁ?ざけんな、通え」
「だろうな」


軽口を叩く死柄木に少し微笑みながら、片手の治療を行う。自分の手を持ちながら作業をする人間を側から見るというのは、何とも言えない気持ちではあるが見慣れた光景でもあった。
普段は手に顎を乗せたり脚を組んだりすることが多くとも、四肢がない上部分麻酔をされている状況だと出来ることなど何もない。とりあえず彼は自分の治療をする千歳をじっと見つめた。

手際良く動く指も、器具がカチャカチャと鳴らす音も、角度が変われば色も変わる不思議な瞳と黒く長いまつ毛のコントラストを生み出している真剣な顔も、昔から好きだった。昔から、よく見ていた。
沈黙の時間が続く。死柄木が話したい事などなかったし、何故こんな怪我をしたのかと千歳が聞いて来ることもなかった。
ヴィランたちの治療をしている彼だが、決してヴィランの行うことには口も出さなければ手も出さない。手伝うことも、不用意に踏み込んでくることも勿論ない。

それに対して死柄木が思うことは何もなかったが、何とも言えない気持ちではあった。
常に自分の横に居ればいいのに、口には出さないが頭では考える。
言った所で聞いてくれるような人間ではない事を理解していた。真剣にでも冗談めかして言ったとしても、普段の無表情を少しだけ崩し、申し訳なさそうに謝って来るだけなのだ。

無理な事を考えるだけ無駄だと、死柄木はそうそうに思考を放棄してボロ臭い天井を見つめる。
疲れた身体に対して反抗する事なく目を閉じると、すぅっと意識が沈んでいった。



―――



どれほど寝ていたのだろうか、うっすらと目を開けると蛍光灯の光が死柄木の目を鈍く刺す。
反射的に右手で目を覆うとしたが麻酔が切れかけているのかびりびりとした痛みが走り、動かそうとした腕を別の手が遮った。


「もう起きたのか、あまり動かすなよ」


起きるまで書類に目を通しながら、ずっと傍にいたらしい千歳が死柄木の頬に触れる。体温の低い冷たい手が、術後の発熱で火照った身体を冷やすのが心地よく、無意識にその手に擦り寄った。
死柄木の子どものような行動にまた少し微笑む。
まだ眠気があるのか、再びゆったりと目を開けたり閉じたりを繰り返している。


「千歳…」
「眠いなら寝なさい」
「………おきるまでいろ」
「…嗚呼わかった。おやすみ」
「ん」


頬を撫で、前髪越しに額にキスをする。そうすると死柄木は満足げに口端を持ち上げて笑むと、あっという間に小さな寝息を立てた。
眠った顔はいつまでも昔と変わらない。
衝動から掻きむしったと思われる掻き傷に薬を塗りながら、不健康そうな下瞼を撫でる。

その時、控えめな音で扉がノックされ、小さな声で黒霧が千歳を呼んだ。眠りの浅い死柄木に気付かれないようになるべく足音を鳴らさず、気配を隠して部屋から出る。
扉の前に立っていた黒霧がちらりと室内の様子を伺って、霧がゆらりとゆれた。


「死柄木の容体はどうですか?」
「問題ありません。ただ安静は必要です」
「通って頂けるようですね」
「経過を見ますから…ところで、先生。まだ繋いでおられるのでしょう?」
「お疲れ様だね千歳。いつも感謝しているよ」


テレビはカメラを消していただけのようで、千歳の声に反応してAFOが姿を現した。
相変わらず彼は千歳を見るとにやりと笑う。


「何があったか知りませんが、経過観察中は弔をけしかけませんように」
「大丈夫だよ。僕も弔の怪我は心配だからね」


顎を撫でながら微塵も思っていないという事を隠しもせずに、変わらずにやりと笑う。
死柄木を盾に手のひらで転がされているのを理解しながら、千歳にはどうしようも出来なかった。ということまで全て理解しながら、AFOは笑うのだ。
そのしたり顔が子どもの時から虫唾が走るほど嫌いだった。
反抗する気のない千歳ではあるが、AFOの態度に呆れた黒霧の溜め息が耳に届く。彼もどうしようもないほどの苦労人だが、共犯者だ。

これ以上話す事はないと、千歳は死柄木の部屋へと戻る為に踵を返す。
その千歳の背中をテレビ越しに見ながらくつくつとAFOが喉を鳴らすのを、続けて呆れたような目で黒霧が見る。


「…挑発は程々になされた方が宜しいかと」
「問題ないよ。あの子はどう扱ったって、弔を捨てられないんだ」
「ヒーローの顔をしながらヴィランを治療する医者の鏡じゃの」


苦言を申した黒霧の言葉を、AFOも、画面越しに横から割り込んできた殻木も一蹴する。
千歳が16歳の頃、AFOの紹介で千歳は死柄木の主治医兼教育係となった。
哀れな死柄木を若かりし頃の千歳が愛着を覚えた時点で圧倒的な負けだった。
彼はAFOの手下ではなくとも、死柄木に何かあった際には全てを投げ出してやってくる忠実な僕であった。

誰よりも哀れな子だとAFOは喉を鳴らす。自分の僕でなくとも、自分の部下の僕であるなら、AFOはなんとでもできるのだ。そして、いずれ彼は自分の物となる。
そもそも、千歳の両親がAFOに頼った時点で彼の人生は決まったようなものだった。それをわかっているからこそ、それに死柄木がいるからこそ、彼は何も文句は言わない。
全てをわかっていて人を使おうと言うのだから、AFOが性悪だという千歳の意見は何も間違っていないだろう。

切取千歳が死柄木弔に対して出来ることなど、何もない。



title:ギリア