泣かない君へ

  1. Info
  2. Update
  3. Main
  4. Clap
  5. Memo
  6. Home
Last up...12/16 メイン追加
再会の才 / よろずりんく

Text


 

 

それは一瞬の事で。
前にも後ろにも人がいて。
気付けば退路を塞がれていた。


「ようお嬢ちゃん。こんにちは」


例えばこんな都市伝説がある。
怖い怪人に襲われた時に『助けてカブトムシさん』と呼べば、ヒーローが颯爽と助けに来てくれるのだそうだ。
フレメア=セイヴェルンは薄暗い路地で取り囲んでいる不良のお兄さん(スキルアウト)達を見上げながら、かの存在を思い出していた。いいや。事実として、その存在を他の誰より知っていたりもする。
しかしフレメアは声を上げない。助けて、そんな簡単なたった一言を告げようはせず、黙々と不良のお兄さん達を見上げる。
フレメアは幾度か命の危険に曝された事がある以外は何の力も持たない至って普通の女の子だ。気を抜けば足が崩れそうになるし、心臓はばくばくする。恐怖で声が出ない訳ではなく、恐怖そのものがない訳でもない。
坂の上に置いてあるサッカーボールを押すのはとても簡単だ。ほんの少しの力を指先に込めるだけでいい。でも簡単だからこそ、それに巻き込まれて大切なものが一緒に転がり落ちてしまう恐怖を何よりも知っていた。
だから。
『人的資源』プロジェクトの一件で新たな性質を得たフレメアは、勇気を振り絞って再び身に迫る脅威と対峙する。
守られる弱者なんてごめんだ。自分で何とか出来るならやるべきなんだ。
どうにか隙を伺って逃げ出せば……!

『フレメア!』

赤いランドセルに取り付けてあるカブトムシのキーホルダーがガタガタと揺れる。薄い羽を羽ばたかせ形作る声には焦りの色が滲んでいた。
確かにフレメアはあの一件から一段と成長しただろう。ヒーローを待ち焦がれないと強くなっただろう。
しかし、今回は。今回ばかりは毛色が違う。フレメアが事件のキーである前回と、フレメアが全くの無関係で巻き込まれただけの今回とでは、彼女が与える影響力に天と地程の差があるのだ。
だけど、まだ幼い彼女はそこまで考えが及ばない。これからどうなるかなんて思ってすらいない。

「なんだ、カブトムシが喋った?」
「おい、ブザーだったりしたらまずいんじゃね」

浜面仕上から貰った防犯ブザーは大事にポケットの中にしまわれているので残念ながら不良達の憶測も目論見も大外れなのだが、そんな事など知らない不良の一人がフレメアに、より正確には背後にあるカブトムシに触れようと動きだす。すると釣られるように、もう一人が本当にフレメアへ。
スキルアウトと言えども連中の中にも『ちびっこと雨の中のねこには優しくするべし!』という不良の鉄則(笑)に従う者もいれば、そういったお約束を踏みにじる全方位で下衆な奴も世の中にはいる。迷子の少女はそういった下衆な連中にとって格好の餌食だ。このままでは奴らの毒牙に掛かる事間違いなしであろう。
それでもフレメアはあの頃のようにヒーローを求めようとはしなかった。それは弱さだと、思ってしまっていた。
だがしかし。

「彼女に手を出すな」
「ぁ、……!!」

求められるだけがヒーローが現れる条件とは限らなかったりするのは失念してはいけない。
視線が一斉に声の主へと集中した。
路地の奥からともなく現れた白い少年は、彼女を害する脅威を排除するべく鋭い視線と口調で男達に迫る。

「これは警告です。指一本でも彼女に触れようとするならば、容赦はできませんよ」



結果は言うまでもないだろうが、あえて言おう。
結局の所。無能力者のチンピラ風情が超能力者に勝てる道理なんてなかった。とある少年達のような例外が頻繁に起きては彼らを生み出した学園都市も、本人達も、たまったものではない。
場所は移り、カブトムシこと垣根帝督は先程とは変わって太陽の光を一身に浴びながらフレメアを連れて歩いていた。
固く結ばれた手と手。こうしていれば、暴漢に襲われる心配はなく、フレメアが勝手に動く心配もない。
学園都市第二位が付いておきながら何故あんな事になっていたかと言えば、迷子の彼女をナビゲートする過程においてあらゆる危険を憂慮した垣根は人通りの少ない路地の選択を避けていたのだが、その甲斐むなしく、彼女は安全に遠回りをして余計に歩く道ではない、すぐ側にあった大通りに抜ける近道を行ってしまった。
垣根は今まで彼女に付き添って助言を与える事で、導き、手助けしてきた。しかし、最終的な決定権は彼女にあるのだ。フレメアにとって垣根帝督は絶大な信頼を置ける者の一人ではあるが、彼女自身が最終的にこっちの方が良いんじゃないか?と考えてとっとと行動を移してしまえば仕方のない事だった。けれど現実にはそんな風に片付けられない問題でもある。
先程、厳しく叱ったせいか、フレメアは俯きがちに黙ったままだ。正直に言えば心苦しい事この上ない。出来る事なら彼女にはいつも笑っていてほしいと思う。でも、優しくするのと甘やかすのは違う訳で、実際に何かあってからでは遅いのだ。今回はどうにかなったし、これからもどうにかする自信はあるが、万が一という事もあるかもしれない。
ふと。
俯いていたフレメアが内側の繋いでる方をじーっと見つめている事に気が付く。

「どうしました」
「大体、カブトムシ。手ケガしてるし。ほら」
「ああ本当ですね。気付きませんでした」
「にゃあ……」

フレメアはとても不安そうに見つめている。
繋いでいる手を軽く持ち上げてよく見ると、手の甲に薄い痕が残されていた。相手の攻撃は全ていなしたつもりだったが、無能力者の素人相手に油断していたのが災いしたのであろう。しかし負ったのは、指摘されるまで気付きもしなかったすり傷だ。はっきり言って気にかけるまでもない。
そもそもとして、身体そのものが未元物質で構成されている垣根帝督は、痛覚が存在せず傷が出来たとしても新たな未元物質で身体を補える。余程の力を持った攻撃でなければ、致命傷は勿論の事重傷にすらなり得ない。
だというのに。
フレメアの足が止まる。手を繋いでいた垣根もまた自動的に止められる。

「ごめんなさい」
「フレメア?」
「ごめんなさい……」

さっきの言い方がキツかっただろうか、と思ったのも束の間、勝手に突っ走った事を言っているのではない事はすぐに気が付いた。
自分の振る舞いが結果的に垣根を傷付けてしまった。すり傷であったとしても。怪物級の生命力を持っていたとしても。

「私の、せいだ。何も出来なかった」

けれど、だからどうしたと言うのだ。
そんな理屈めいたものなんか関係なかった。垣根が抱える数々の重み、超能力者、未元物質、人の枠を外れた存在だといったものなんかはどうでも良い。
友達が、大切な人が、傷付いた。
たったそれだけで悔やむ理由としては十分なのだ。友達だから。フレメアとは、そんな風にあっさりと言えてしまうような真っ直ぐな女の子なのだ。
元々は彼女らを傷付ける為の兵器として生まれたような、化け物と言われても仕方のない自分を、彼女は一人の存在として認め、人間として認め、友達として認め、心配してくれる。彼女にとっては当たり前すぎて何て事のないそれが、どれだけのものをもたらしてくれるのか。
彼女は気付いていない。自分が救われてばかりの小さな存在でいるようで、実は救いを与え続けている大きな存在である事を。
自分はいつだってフレメアに救われている。彼女に純粋さを向けられて、いつの間にか胸を満たすものがある事を知っている。生きる意味を、生きる喜びを、この場所にいて良いんだと当たり前のように教えてくれるのは、誰でもない彼女なのだ。
それなのに。

「カブトムシ。私はだめだな」

フレメアの目尻から叱られている時さえ流れなかった雫があふれ、頬を伝い落ちた。それから鼻水をすする音、続く嗚咽はない。悔しいあまりに思いきり泣くのを我慢しているようだ。
いつだったか、みんなを守れるような自分になると言った少女は、その誓いをずっと胸に抱き続けてきたのだろう。証明するように、彼女はあの頃とは比べものにならないぐらいに強くなっていた。前までは怯えていた怪談話や都市伝説を怖がらなくなり、学校ではどんな事も率先して同級生を守ろうと勇ましく振る舞っている。
か細い腕と小さな手で何かを守ろうと懸命になって。
守られる事に過敏になってしまうのは反動なのだろうか。浜面仕上から聞いた話によると、彼女は実の姉と親しくしていた兄のような存在を亡くしたらしく、それもあるのかもしれない。
失敗して反省するのは良い事だと垣根は思う。自分の何がいけなかったのか、考えて考えて失敗を次に繋げられるのだから。でも、フレメアが今やっているのは真逆の事で『自分は何も出来なかった』という悔しさに全ての思いを集約させて自分を責めている。後悔、それをバネに強くなる人だって確かに存在するが、フレメアはまだ8歳の幼い子供で、無能力者で、か弱い女の子だ。こんな事を続けていては、遠くない未来で少女の小さな背中は抱えた重荷に押し潰されてしまう。そんな未来にはなってほしくない。
しゃがみこみ、フレメアに目線の高さを合わせると、垣根は話し出す。

「……違い、ます。あなたが私に傷付いてほしくないと思っているように、私もあなたに傷付いてほしくないと思っている。あなたが私を守りたいと思うように、私もあなたを守りたいと思っている。……そして、あなたが涙を流して悲めば私も一緒に悲しくなるのです。言ったでしょう、私は自分のやりたいようにやっているだけだと。そこをあなたが責める必要はない」
「…………」

涙に濡れた頬を拭ってやりながら、まるで兄が幼い妹をあやすように。こういう時はこうすれば良いんだよ、と親が子を支えながら優しく言って聞かせるように。

「大丈夫。あなたは駄目なんかじゃない。あなたはあなたのスピードで強くなっていけば良いのです」

大切な人、物、契約、自分、思い出、感情、何だって良い。誰にだって守りたいものはあって、それを守る為に人は努力をする。生きている限り誰しもが通る道だ。しかし、進む速さは一定ではない。努力をする人がいれば、いる分だけ様々な速度で進んでいくのだ。全力で走っては息切れを起こし途中でリタイアする人もいれば、余裕で走りきる人だっている。まず言えるのは個人には個人に合った速度があるという事。彼女も例外ではない。
どこまで呑みこんで貰えたのかは分からない。幼い少女はただ、俯き加減に黙って頷いた。瞳は濡れたままだったが、もう零れ落ちる事はなかった。
垣根は思う。きっと彼女の力ではどうしようもない何かがまたやって来る時があるかもしれない。守られる事で己の無力に打ちひしがれ、泣いて唇を噛み締める時があるかもしれない。だとしても自分がやる事、言う事は変わらないし、今回や彼女が誓いをたてたあの日のように、そこで簡単に止まってしまえる程彼女は弱くもないだろう。
でも、それで良いのかもしれない。例えほんの少しずつだって、ゴールが見えなくたって、人は何かへ進んで行ける。
進めば得られるものだって、きっと――。


14.6.2
//掬い上げた心の切れ端から小さな泪