泣かない君へ

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再会の才 / よろずりんく

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記憶を失ってから初期の上条







「……っ、ぅっ、……」

薄暗い闇の中でベッドの上に座り、声を押し殺して泣きじゃくる少女。その下で見守る事しか出来ない自分。
どうすれば良いのだろうか。
上条当麻はとても困った状況に置かれていた。

彼の名誉の為、誤解のないようにここに表しておくが、それは時を遡ること十分前。時刻は深夜二時をまわった所。いつものように風呂場のユニットバスを寝床にしていた上条は、暗闇の中物音で目を覚ました。眠い目をこすりながら居候の寝相でも悪いのかな、なんて考えていると、途中で音は単なる物音ではなく、声である事に気が付く。寝ぼけた脳が完全に覚醒した頃。実はそれが人がすすり泣く声であると認識され、上条は慌ててすっ飛んでいった。
以上が、今に至るまでの経緯だ。
そう、今現在、同居人である少女――インデックスは泣いているのだ。
決して上条が泣かせたとか不純な行為をしたとかではない。
上条自身、神の存在を真面目に信じている訳ではないが、お約束に乗っ取って言いたい。神に誓ってやましい事などしていないと。いや、原因が分からない以上、責任はあるのかもしれないが。
ともかく、上条当麻には何故この少女が泣いているのか、検討もつかなかった。
大方悪い夢を見たのだろうとは思う。だが、安心させるようにどうした?などといった優しい声をかけた所で、インデックスは僅かな反応を示すだけで泣きじゃくるばかり。完全にお手上げといった状態だ。
この少女が何故泣いているのかも、この少女に何をしてあげれば良いかもよく分からない。

(どうすればいい? 俺はどうすれば、)

奥歯を噛む上条に浮かぶのは、焦りの色。はっきり言って、上条は非常に苛ついていた。不愉快だったのだ。少女が泣いているっていう時に、何も出来ない無力な自分がたまらなく歯がゆくて。

(なぁ、『俺』はこういう時どうしていたんだ……?)

なればこそ、記憶を失った身の上である上条はこう思ってしまう。今の自分に少女の涙を止める事が出来ないのなら、以前の自分になら止める事が出来たのだろうか、と。
上条は以前の自分自身を知らない。人づてに聞いた話によると、何でも、上条当麻はこの少女を過酷な運命から救ったらしい。
今少女と居られるのも、今少女が穏やかな毎日を送れるのも記憶を失う前の上条当麻が行動を起こしたからに過ぎない。
そう、今の自分ではない。自分はただ、上条当麻を引き継いで演じているだけなのだ。だからこそ、この少女に今尚救いを与え続けている確かな実績を持つ上条当麻ならば――……。
現実はそう、優しくない事はとっくに知っている。優しくて暖かいものだったなら、そもそもこんな悩みなどしていないし、一度死んだ人間が復活するなんてのは有り得ない。だがしかし、有りもしない幻想に縋ってしまう程、上条にとってこの状況は耐えられるものではなかったのだ。
自分はこの子の幸福を壊さない為に嘘を付き世界を欺き続けているのだ。ならば、この子の幸福が守られなければ、何の為に自分はこうしているのだろうか?
そこまでいって深くブレーキをかけた思考。例えるならば、勢い良く駆け上っていた階段の途中で、急に足を止めてしまったかのような。
上れない、考えられない。頭の中で警告が響く、その先は行って(考えて)はいけないと。この先を考えるという事は、たった数日間ではあるが、けれども必死に築いてきたものが全部崩れるという事を暗に意味している。
家族も、友人も、自分の事さえ何も分からぬまま送る日々。記憶喪失という課せられた重み。そんな重みから今の上条を支えているものを含めた全部が。

「……っ、ねぇ。とうまは……ひっく、どこにも行っちゃわないよね……っ?」
(――……っ)

それは、呼吸するのを忘れたのかと思った一瞬。少女の喉から絞り出された小さな叫びは、心臓に釘を打ち込んだかのような衝撃を上条にもたらす。
幼い子供が駄々をこねるみたいに。どこにも行かないで、と少女は涙でぐしゃぐしゃとなった痛々しい有り様で訴え続ける。
言われなくたって、自分はどこにも行きはしないというのに。
だけれど、それは自分に向けたものではない、いつの日か少女と最初に出会った自分に向けられた言葉だ。記憶を失う前の上条当麻(べつじん)に向けられている言葉だ。少女に救いを与え続けている上条当麻への言葉だ。
そもそもと言うべきだろうか。それは、その願いは駄目だ。駄目なのだ。以前の上条当麻はもう……存在しないのだから。
少女が懇願するその存在はもう、なくて。少女の願いは一生叶わないと知っている。だから少女の想いは報われない、はずだった。本来ならば。上条が努力を止めてしまえるならば。
ズキリと胸が痛んだ。少女に嘘を付き続ける事への罪悪感で一杯になって。
とてもとても辛かった。少女の求める上条当麻は自分ではないという事実が改めて重く突き刺さって、痛くて、苦しくて。
それでも、偽り続ける事を止めようなんて選択肢は出てこなかった。答えは単純だ。何故なら、上条当麻(じぶん)はこの少女の幸福を願わずにはいられないのだから。
この気持ちが何なのか、未だに分からないけれど。
例え痛くたって、辛くたって、苦しくたって、上条当麻はインデックスの幸せを決して壊せやしないし、守る為ならば世界も自分すらも欺き騙してやると誓ったのだ。
だから言った。
これで、彼女の悲しみが消えれば良いと願いながら。偽物だけど、本当の言葉を。いつもの調子で少しおちゃらけて見せて。

「何言ってんだ。当たり前だろ、そんなの」
「とうまぁ……」
「それともなんだ、この俺が唐突にテメェの目の前から消え去るってのか? 一応言っておくが俺はまだ学生だっつーの。学園都市内じゃ定住場所はここしかないし、外に行こうったって自由には出来ないって。だから」
「うん。っ、うんっ。そうだよね……。とうまがどっかに行っちゃうはずないもんね……っ。とうまはここにいるもん……!」

少し否定の意思を見せただけで、まだ話の途中だと言うのに嘘のように無邪気に喜んだインデックス。
どこかに行ってしまうかという疑問よりも、ただ、純粋にその存在を確かめたかっただけなのかもしれない。泣いてばかりだった彼女の顔に晴れの兆しが見えて、上条はほっと胸を撫で下ろした。
自分の言葉でインデックスが喜んでくれたのだ。それは自分は無力ではない、彼女の幸福をこの手で守れるという事を示している。
即ち。

(俺はまだこの子の拠り所になれる……!)

笑うしかなかった。
嬉しくて、嬉しくて。
血が行き渡るような暖かな感覚が、手のつま先から足のつま先までの全身にまわる。
拠り所の先が例え記憶を失う前の自分であったとしても、少女の力になりたい。この少女の力になれるのであれば、こんなにも嬉しい事は他にない。


「とうま……、あのね」

インデックスは多少落ち着きを取り戻したのか、それから状況整理を兼ねてゆっくり話し始めた。
やはり上条の予想は当たっていた。悪い夢を見てこうなってしまったらしい。
上条が自分を忘れてどこかに遠くに行ってしまう悪夢。深い闇の中で目覚めた時、あの病院で冷たく放たれたいつかの言葉を思い出し、酷く混乱、動揺してしまう。
上条は消え入りそうな細い声で説明する少女が、いつ壊れてもおかしくない、儚い存在に見えて仕方がなかった。見えない恐怖に怯え続ける少女にせめて何かしてやりたくて、抱える不安を打ち消そうと優しく少女の頭に手を乗せて言ってやる。
『俺はインデックスの傍から離れない』
偽物だけど、本物の言葉を。
刻み付けるように、何度も何度も繰り返し言い聞かせる。


その甲斐あってか、幸い、彼女が本来の明るさを取り戻すまで差ほど時間はかからなかった。


「とうま、とうま」
「大丈夫なのか、インデックス?」
「うん、もう平気。……本当、私は何を言っていたんだろうね。とうまはここにいるのに」

曖昧な顔で濁しながら微笑む。
何度も言うが、インデックスが求める上条当麻はどこにもいない。
だから、どこにも行かないという約束は既に反故も同然だ。
言ってしまえば今の関係も、少女が向ける笑顔も、好意すらも、何もかも前の自分のものでしかないのだ。
だけど、と、上条は思う。
少女の傍にいたいというこの気持ちだけは、自分のものにしても良いのではないか?
不意に肩が揺らされた。

「ねぇ、とうま。今日は一緒のお布団で寝てほしいかも」
「あー……」
「ダメ?」
「えーっと、インデックスさん? それは色々とまずいものが……」
「〜〜っ」
(そんな潤んだ瞳と甘い声でお願いされたら、……断るに断れなくなるんですけど!?)
「もうこわいのは嫌なんだよ……?」
「わ、わ、インデックス?!」

じわっと、インデックスの瞳に少しずつ潤いが足されていく。
現在進行形であるそれを何としても阻止したい上条は大慌てで何かを言おうとするが、まさかまさかの言葉に詰まってしまった。
決定打を打たれたも同然である。

「う、ぐ、ぐぐ、……あーっ、たくもう仕方ねぇ! 特別、特別に今日だけだからな?!」
「うんっ!」

若干やけくそ気味ではあったものの、とびきりの純真な笑顔で喜ばれたら立てこもり事件失敗など最早どうでも良くなってくるのだから無邪気さというものは恐ろしい。

(負けた……)
インデックスが壁際左奥に寄ったおかげで、空いたスペースにお邪魔する事となった上条(お邪魔も何も元は家主である上条本人の場所であるが)
こうして一つの布団に二人分の温もりが出来上がった。狭いベッドの上では互いの息の音が把握出来てしまう程近く、少し動けばどこか触れ合ってしまう。
インデックスの手が上条の手に当たった時、インデックスは笑った。人の温もりに触れると安心するね、と言って。
上条は笑い返してインデックスの右手を握った。こうすれば、どんな悪夢を見たって不安を打ち消せると思ったから。どこにも行かないと、感じてもらえるはずだから。
普段の上条ならこの色々な意味で危ない状態から即棄権退場していたであろう。でも、今回だけはしないと決めた。少女の願いを叶えたかったのも勿論ある。だが、何より人の温もりというものを上条自身が心地よく感じていたから。
今日だけだと頭の中で言い聞かせて。握った手から伝わる温度に酔いしれながら、再び上条は眠りに堕ちていった。



(……の、はずが。色々と気になって結局何度も起きてしまい、完全な寝不足に陥って二度とこんな事はしない!と改めて胸に誓った健全な男子高校生上条当麻なのであった)

13.8.30
//少年少女共生論