泣かない君へ

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再会の才 / よろずりんく

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9組として感覚が完全に麻痺している黒いナギ。
死ネタ。













「本当なら誰かを殺すのも、戦うのだって嫌なんです」
人は彼女をこう呼ぶ、優しすぎる少女と。

ある日のある時、デュースの本心を聞いてしまってからというもの、ナギの彼女に対する印象がお気楽お花畑少女に固定化された。
このご時世だ。候補生といえどもいつ戦地に送り出されるか分からない状況で「戦いたくない、殺すのも死ぬのも嫌だ」とのたまう者は少なくない。
だが、彼女の本心は身勝手なそれらとはまるで違う。自分本位からではなく、他者を傷付けたくないという心髄な気持ちから出た言葉は、ナギをこの上なく苛立たせた。
そういった彼女の人柄を評して優しいと言う者もいるが、学院の暗部――ナギ曰くドス黒いアレやコレを見る事は日常茶飯事、いくつもの死線を潜り抜けて来た彼の瞳にとって、それは優しさなどでは決してなく、甘い理想論に映ったのだ。
誰かを死なせたくないから殺したくはない。誰かを傷つけたくないから戦いたくはない。そんな風に思っている人々が世界中に溢れていれば、どんなに良かったか。理想の世界だ。そう、理想。
結局は理想は理想でしかあらず、現実は非情の一言だ。殺さなかったらこっちが死ぬし、戦わなかったら自分が傷付く。
これが、彼の生きてきた世界。クリスタルが死者の記憶を忘れさせてくれるという世界的な常識のように。ありふれた当たり前の現実を当たり前のように見続けた彼は、皮肉な事に、異端児が集まる曲者揃いな0組の中で普通すぎる彼女が、最も異端に見えて仕方がなかった。
だが、彼女だって腐ってもあの0組の一員である。
どんなに甘い考えを持っていたとしても、きちんとやるべき事はやっていたのを見届けていたし、彼女自身心を痛めながらも割り切っているように見受けられたので自分からは一切何も言わなかった。0組に関して不干渉を決めていたのもあるだろう。
なので、いつか来るであろう今日という日も、何も言わずに全部終わるのだろうと、この時思っていた。
彼の予想は大きく裏切られる事となるのだが。


「置いていけ」
「え……」

朱雀領西に存在するとある基地、とある野外の一角にて腰を下ろしている男女が二人。
元は朱雀の管理下にあったこの地区は今や皇国に占領されてしまい、物資の中継地点として利用されている。だが、それらの許し難い状況も後少しで終わろうとしていた。この作戦さえ成功させれば取り戻す事が可能な段階まできているのだ。
つまり、逆に言い換えればこの場所もまだ敵地という事になるのだが、今の二人はそれを気にしている状況ではない。
二人の内一人は戦闘で衣服が薄汚くなり、所々が切り裂かれ、正にボロボロと言っても良いような佇まいをしている。それでも、膝から擦りむいた痕は見受けられたものの、大きな怪我を負っていないのは幸いであろう。
もう一人の方は片方とは違い、衣服は切り裂かれおらずボロボロといったものではない。だがしかし、黒や白の上から赤が滲み、現在進行形で衣服を汚し続けている。流れ続ける赤を止めようとはしたが、徒労に終わるだけ。それが示す現実とは。

「ナギ、さん……?」

手酷くやられた方であるナギの口から重く言い放たれた言葉を、彼を看ていたデュースは理解出来ず反射的に返してしまった。

「悪い、よく聞こえなかったか? もう一度言う。俺のことは置いていけ」

そう言って満身創痍である身体をこれでもかと見せつけるかのように、戦いで荒れ果てた砂地へ背中を放り投げる。
これは二人にとっていつもと変わらぬ戦場の光景だ。戦って人が死ぬ。このご時世だ、珍しくも何ともない変わらぬ日常、の筈だった。
只それがナギにとっては当事者になってしまった事と、デュースにとっては近しい者に下ってしまった事だけが唯一違っている。それだけの些細な違いも、この二人にとっては絶大な変化と言えるだろう。
最も、いつかこの日が来る事を覚悟していたナギはこの変化をあっさりと受け入れているのだが。
問題は当のナギではなく。

「置いてけって言ってんだけど?」
「……嫌、です」
「何言ってんの、見て分かるだろ。治癒も効かないこんな身体、……っ。流石の俺も、虫の息で多く見積もっても10分って所かね。もう、助からねぇんだよ」
「そんなのって……。もとはと言えば、わたしが敵に見つかったからこんな事に……!」

事の始まりは、彼女が単独で攪乱工作を行う役割を引き受けていた事に起因する。内容はいたってシンプルだ。敵の通信電波基地を破壊するだけ。
役目を果たし終えた彼女は、他所で工作していたメンバーと合流し、そこで前線に参入する予定だった。
簡単に言えば、それを許してくれる程敵も甘くはなかったというだけの話だ。
ドクターアレシアの秘蔵っ子が集められた0組。皇国の兵器に対抗出来る数少ない人材。その一人を失う訳にもいかず、指揮官はたまたま別任務で彼女の近くにいた彼に緊急命令を下した。彼女を援護せよ、と。
その結果がコレだ。しかし朱雀にとってコレだけで済んだのなら安いものだろう。命には差があって、彼の価値と彼女らの価値の差をナギは知っている。
現実なんてこんなものだ。

「おいおい、責めてほしいわけじゃないだろ? こんな所で忘れちまう奴の恨み言を聞くよりも、とっとと任務に戻った方がよっぽど建設的だと思うね、俺は」
「……そうですね。ナギさんの言う通りです。わたし、諦めません。とっとと任務を果たして貴方を助けます。マザーに診てもらえば可能性はいくらだってあるはずですから」
「は、マザー……ね…」

その提案を鼻で笑うしかなかった。自分の命はもう助からない、これは決まっている事なのだ。それを覆すと? 諦めていないと?
0組に課せられた任務の主要目的は、目標人物の撃破。今から短時間で目標を見つけ出すのは愚か、そこから一人で撃破しようなどと現実的ではないという事は彼女自身も頭では分かっているはずだ。
それに加えてもし無事に任務を終えたとしても、あのアレシアが愛しい我が子達ならともかく、一諜報員如きを気にかけるとはどうしても思えなかった。見るからに可能性の低い、いや殆ど不可能といっても良い賭け。
それならば自身の犠牲が無駄にならない為に、こっちは放っておいて任務を着実に全うしてもらいたいのだが、しかし彼女の性格を考えると最後まで諦めずに奔走するだろうという事は安易に想像ができ、苛ついた様子で溜息を吐く。
彼女は確固たるものがあると、梃子でも動かないのだ。自分より他人が傷付く事を嫌う彼女が自分のせいで他人を死なせるなど、許せる筈がない事も、死して忘れてしまうまで彼女は諦めないだろうという事も、全部、見通してしまえた。

「行って来ますね。必ず、戻ってきますから」
「どうしてそんな必死になるんだよ……」
「それは……、わたしが困るからですよ」
「はぁ?」
「わたし、決めたんです。ナギさんがいつか本当に笑える日を待とうって。わたし、まだナギさんの本当の笑顔を見ていません。だから……!」
「――……っ」

彼女を見上げる瞳、言葉をなくした唇、心、思考、今までしてきた事も、己自身を支えてきたものでさえ、一片の例外なく彼のその全てが揺らいだ。
彼女の一言が引き金となって、静かに放たれた弾丸がゆっくりゆっくりと核心へ。
笑顔。
そうだ、彼女の言うとおりだからだ。候補生になってからというもの、出てくるのは乾いた笑いのみで腹の内から笑った試しがなかった。
もしかしたら、昔はあったのかもしれない。只、全て忘却してしまった。死者と一緒に消えてしまったのか、暗部を見続け暗い陰に覆われていった過程で失ったのか、どちらにせよナギには笑顔を他人に見せる事は出来なくなっていた。
笑顔は作るものだったからだ。道化のような馬鹿っぽいヘラヘラとした笑みをピタリと仮面のように貼り付けるだけ、それだけ。
他組の奴らは欺きの対象であり、馬鹿を演じきり文字通り馬鹿にされる毎日を送る。自身と同じ境遇である同組の奴らも、自身と同じく仮面を付ける事に慣れてしまったような、陰に染まりきっている連中だ。そこに仲間意識はあっても、嘘か本当かも分からない顔同士で、純粋にお付き合いが出来る者は多くない。だから、それでいい。
(それでいいのか、本当に……?)
諜報部に身を置くにつれ薄れゆく人間性。薄れている事すら分からなくなってしまう程麻痺していった感覚。
笑顔などとっくに忘れたし、もう向ける者などいない。それが普通だった、
そうだ、普通だった、前までは。幻の0組が現れるまでは。
デュースは? 0組はどうだというのか?
他組でありながら暗部を見続け、それなのに陰に染まらない絶対無二の存在。燃え続ける灯火のような朱。9組にとって、ナギにとって0組は……、
撃ち抜かれた核心。
ああそうか、モーグリが言っていたのはそういう事だったのか。そこまでに思考が至ると、あまりにも馬鹿らしくて腹の内で嗤えた。
9組の担当であるモーグリは言ったのだ。0組こそが、君達の支えになるのだと。
それは諜報活動においてでも、朱雀にとってでもなかった。もっと根本的なものだったのかもしれないと、今、ここで気付いてしまった。
彼は必要以上に彼らと関わろうとしなかった。当たり前だと思っていた毎日を享受するだけだった。だが、ここまで答えに行き着いてしまったらもう無視は出来ない。麻痺していた感覚を自覚した今、彼は失った人間性を自らの手で取り戻せるのだから。
ここで彼は一瞬でも何故か"あいつら"となら、一緒にいても良いような気がしてしまった。もっと早くに気付いていれば、違う未来もあったのかもしれないと。
(あいつらに混じって心から笑う俺? 駄目だ想像できねえって!)
最も、気がしてしまっただけだ。今となっても彼女らのようなぬるま湯に浸かろうとは思えない。そもそも、もう自分には未来さえ残っていないのだ。
だからこそ、馬鹿じゃないかと吐き捨てたくなった。こんな、身を染めきった自分の笑顔を見たいだと、こんな自分の笑顔を見る為に危険を冒そうなどと。お花畑すぎるのも程があるだろう。


「……っ、ほら、こうしている内に敵さんのお出ましだぜ……?」

遠方より僅かではあるがガサガサドタドタと忙しない足音が聞こえ、二人の間に緊張が走る。足音の主はどう聞いたって一人や二人といった数ではない、大勢のそれも軍隊クラスの数だ。こちらが見つかるのも時間の問題だろう。
デュースは咄嗟に立ち上がり、笛を両手に身構える。
ナギは焦った。ここは敵地のど真ん中なのだ、いくら0組程の実力があった所で多勢に無勢。奴らに囲まれる事は絶望的な結果を生むだけ。
今0組を失うのは朱雀にとって大きな痛手だ。それだけは確実に避けねばならない。

「逃、げろ……。今なら間に、合う……っ」
「嫌です」
「一人で相手に出来るかずじゃない、ここからはやく――」
「わたしっ!!」

背中を向けているデュースの表情は見えない。声が震えている事しかナギは伺い知る事が出来ない。
彼女は今どんな顔をしているのだろう?
分からなかった。何故彼女がここまでしようとしているのか、彼には理解が出来ない。治癒すら効かない手負いを一人を生かす為に、彼女は戦うというのだ。代えが効かない自分の身を危険に晒して、代えが効くような一諜報員如きを救う為に。殺すのも戦うのだって本当は嫌いな癖に、どうして?

「いつか言いましたよね。わたしは誰かを殺すのも、戦うのだって本当は嫌だと。でも、それでもっ、わたしだって守りたいものを守る為の覚悟はしています!!」
「――……」
「わたしにあなたを守らせてください……」

そしてデュースは前を見据えながら一歩踏み出して行った。
遠ざかっていく背中、近付いてくる気配。
結局、彼がデュースの表情を見る事は最期まで叶わなかった。




普段の彼はみんなのアイドルなのだと言って明るく振る舞っている。みんなのアイドルでファンが沢山いるのだと。
すると、そんな態度を周りの人は馬鹿にして、彼に酷い言葉を浴びせていった。馬鹿に始まり、落ちこぼれだとか、とても口に出せないようなものまで。
異端児扱いされている0組にも様々な言葉を投げかけられるのは日常茶飯事だ。だからエイトやキングは言わせておけば良いと、気にするなと言ってくれる。
しかし、悪意に晒されて傷付かない人間などいない。少なくとも、彼女はそう信じている。いつも冷静に受け流しているエイトやキングでさえ、苦虫を噛み潰したような顔をする時はするのだ。
なのに彼はいつも笑ったままだった。呆れる時はあれど、大して怒りも悔しがりもせず、只、仮面のような笑顔を顔に貼り付けたままだった。
それを見た時からだ。デュースが彼の本当の笑顔を見てみたいと思い始めたのは。自然に彼の事を目で追うようになったのは。傷付いているはずの彼を守りたいと思うようになったのは――……。

(わたしにはナインさんやシンクさんみたいに力があるわけでも、クイーンさんやケイトさんみたいに魔法が得意なわけでも、セブンさんやキングさんみたいに心強さなんてないけれど)

COMMからは命令違反を咎める声が発せられるが、聞こえぬ振りをした。
彼女だって、現状がどんなに無茶なものなのか十分承知している。
それでもと、心の底から思うのだ。

(わたしは彼を守りたい……!)

この想いは彼女にとって何よりもの原動力となる。




こちらの姿を捉えると、一斉に向かってくる前衛部隊。デュースは必死に冷静を保ちつつ、目標を補足した。
そこで短時間で精一杯に練った魔力で氷の爆裂魔法を出来るだけ全力で何度も放ち、向かってきた前衛部隊を殲滅する。
その過程でデュースが形作った氷は攻撃と同時に後方で待機していた銃撃部隊による数え切れない銃弾から彼女の身を守る壁にもなってくれていた。
だが、いくら魔力が練られた氷壁と言えども、限界は必ず訪れるものだ。少なくとも兵士はそう確信し、いつまで抵抗が持つのか楽しみだと余裕そうに笑みまで浮かべている。現に氷壁はミシミシと音が鳴り続け、正に今限界を迎えようとしていた。
しかし、そこで壁が壊れるまで易々と待っている程、デュースは馬鹿ではない。壁はあくまでも壁、時間稼ぎでしかないのだから。
左手に光が宿る。急凌ぎの先程とは打って変わり、丁寧に魔力を練っていく。
そして、光が格段に強くなった瞬間、デュースの手の平から強力な炎弾が放たれた。
向かっていく先は今尚崩れつつある氷の壁。冷気と熱気がぶつかり合い、じゅうう、という音が鳴り響いた。灼熱の炎を直に受けた氷壁はみるみる内に溶けていき、あっという間に蒸発。そのまま周囲を覆う水蒸気へと変わっていく。
すると少し前の余裕はどこにいったのやら、兵士達の間に動揺が溢れだす。視界が悪く密集している場所で安易に引き金を引き、下手に味方を打ってしまってはと考えて身動き出来ずにいる為だ。デュースの狙いはここにあった。
銃で狙い撃ちをされれば勝ち目がなくなり、一気に残りを全て潰す為に短期決戦に持ち込まねばならなかった。只防御するだけならウォールでも良かったはずだ。
こうなれば後は簡単と言っていいだろう。インビジを唱え気配をなくすと、素早く移動し始める。流れ弾の心配は最早いらない。この状況で逃げ出す事も出来たものの、そんな選択肢を彼女は選ばない。目標は大胆にも敵兵のど真ん中だ。
やがて黒のレクイエムを演奏すると、何が起きたのかを理解させる前に周囲が晴れた時には全てが終わっていた




……はずなのに。



「危ねぇ、デュース!」
「え?」

聞き慣れた声と気配を察して後ろを向いた時、どこからともなく現れた魔導アーマーの牙が今にも襲いかからんとしていた所で。
これはデュースの失態だ。戦場で気を抜いてはいけないというのに、一つの難関を乗り切っただけであろうことか彼女は安心しきってしまった。完璧に不意打ちをくらい、迎撃しようと笛を吹こうにも魔法を打とうにも、もう間に合わない事は明白で――

バリバリバチンッ。

その時、デュースは後方より雷光が飛んでくるのを感じた。
刺々しくて、鋭くて、でも親近感と懐かしさを抱いてしまう感覚も一緒に。
(――ああ、この魔力の雰囲気は、)
『受け取りな。アイドルからのプレゼントだ』
小さく掠れてはいたけれど、耳まで届いた確かな声。
光は真っ直ぐ、着実に魔導アーマーへとぶち当たり、機械不全を起こした魔導アーマーは寸前の所で動きを止めて

「うおりゃああぁぁッ!!」

空から降ってきたナインの一撃により、今度こそ全てが終わりを告げる。
魔導アーマーに搭乗している人物。この人物こそが彼女らの最重要目標だったのだ。
こうして、0組の任務は無事に完了したのである。








「大丈夫だったかよ、デュース」

とてもかったるそうに槍を肩に担ぎナインが言った。
ぶっきらぼうに見受けられる態度とは裏腹な自分を心配してくれる優しい声音に彼女はとても嬉しく思う。

「はい、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「ひゃー。それにしてもすごいねぇ。これ、全部デュースがやったの? 僕たちが来なくても案外平気だったかもね〜」

傍らで周りを見渡していたジャックが寄って来る。ナインと行動を共にしていた一人だ。
いつもと同じようにふざける彼の笑顔は、いつもと同じように彼女を心安らかなものへと導いてくれる。

「いえいえ、みなさんが来てくれて良かったです。あの雷撃がなければ、わたしは今頃どうなっていた事か……」
「あぁん? 雷撃だぁ?」
「ええ。魔導アーマーに背後を取られてしまった時、雷魔法で助けてくれましたよね?」
「いや、俺はソイツの脚が止まった時にぶっ刺しただけだ。そもそも、雷魔法は得意な方じゃねぇしな」
「そもそもナインは得意な魔法の方が少ない気がしますが」
「……うっせぇぞ、コラァ」

後ろの方からの思わぬ突っ込みに不意を付かれ、微笑ましさが込み上げてきた彼女はくすりと笑みを零す。ナインはその様子を見て眉をひそめるが、彼女に悪気のないと分かっていたのとデュース相手に声を荒げるのも大人げなく気が引けたので、矛先を少し遅れて到着した突っ込みの主であるトレイに正しく向け始める。
しかし「落ち着いてください」と我に返り本題の方を進めたがったデュースに止められてしまうのだが。

「雷撃、ですか。私は後方で増援の足止めをしていましたので……。ジャックではないのですか?」
「えー、僕も知らないよぉ?」
「え、ちょっと待ってください。じゃあ、あれは一体誰が……」
「私達以外とすると……。状況から察するに、あそこで倒れている候補生の方では?」

トレイが指差す先。戦いの地点からそう遠くない場所に、その人物はいた。
ここまで手負いの身体を引きずって来たのだろうか、足下にくっきりと跡が残され、制服には白黒と流れ出した赤の上から砂がこびりつき、赤茶色のおどろおどろしい有り様をこちらに見せつけて。
いたと言うのは少しおかしいのかもしれない。

だって彼はもう息を引き取り、亡くなった後だったのだから。

「死んじゃったからもう忘れたけど、この人9組の諜報部みたいだね」
「こいつ……。死んだっていうのに笑っていやがる……」
「こんな戦場の中で安らかに逝けたのです、この方は何かを成し遂げて満足したのでしょう。そもそも、人が死を意識した時に感じる恐怖の一つ目には、世界と自分との関係が断ち切られる事に対する恐怖というもので、俗にこの世に対する未練とも言えるのですが」
「アァン?」
「つまり」
「そ、そんなことよりも、デュースが命令違反するのって珍しいよね〜。……って、デュース……?」
「……わかりません。わたし、は……」

考えてもみればジャックの言うとおりだ。何故自分は命令違反などしたのだろう、分からなかった。命令を無視したという事実はあるのに、肝心の動機が頭からすっぽり抜けてしまっている。何度考えたところでよく分からない。この人に理由があるというのか。
例え問うた所で答えが返ってくる筈もなく。デュースはもの言わぬ遺体をただただ見下ろし、不思議な感覚に襲われる。
命を懸けて戦っている以上、残念ではあるが命を失う事もある。だから、このような光景は正直珍しくもない。
なのに、人の命が失われてしまった事への悲しみとは別に生じている、胸の中で渦巻くもの。正体不明のもやもやと胸に穴がぽっかり空いたようで何も思えない気持ち悪い感覚。この妙な感覚は初めてではない。過去に縛られない為のクリスタルの恩恵だ。
(どうして、)
でも恩恵というのなら、どうしてこの理解したがたい想いすらも、全部攫って何もなかったかのように完全に忘れたままでいさせてくれないのだろうと思う。時々付きまとうこの感覚が彼女はどうも苦手だった。
デュースは彼の傍に駆け寄るとゆっくりしゃがみこみ、砂で汚れた頬にそっと触れる。残された僅かな温もりが手の先から伝わった。意外にも彼が取っていた表情は苦痛に喘ぐものではなく、安らかな微笑み。
ナイン達はデュースの行為を咎めようとはしない。作戦は終わったのと、0組と9組の関係を思えば自分達と親しい人物だったのかもしれないと気付くのは容易だったというのもある。だけど何よりもデュースは優しかったから。
自分達は何とも思えない事を何とも思えない。だが、デュースは少し違う。優しさに溢れた彼女が戦場とは不釣り合いな柔らかなこの表情に何も思わない訳がない。
しかし、穏やかに、まるで静かに眠るようにして死んだ彼は最期に何を思い、手助けをし、このような顔で死んで逝ったのか、結局のところ彼女らに知るすべはないのだ。

「もう良いのですか」
「はい……。行きましょう」

只、こうして彼女らは再び歩み始めていく。
遠ざかっていく微笑みと一緒に取り残された記憶と想いの一欠片。
少し休む事はあっても生きている限り止まるのをやめた彼女は、名前すら知らない彼に思いを馳せても決して振り返りはしないだろう。
何故なら、それがこの世界の理なのだから。


13.7.20
//わらうようにねむる