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――変わらないなあ。
胸の中でそう呟いてから、笑みを零した。
まあ、あの戦いから一年の月日しか経っていないのだから当然と言えば当然なんだけどさ。立ち並ぶ建物も、そこら中無造作にそびえる電柱も、道というより隙間にしか見えない狭い土地も、いつまでも眠る事を知らないまばゆさも、人工的な光に惑う暗闇も、そして、隅っこで身体を震わせながら僕を見据える、彼女の澄んだ海色の瞳も。ほら、何もかも変わっていない。
それは僕にとっても唐突な邂逅だった。折角久々に人間界へ訪れたのだからと、のんびり見て回っていたらこれだ。確かに彼女とはまた会って話してみたいと思っていたが、流石にこうも早く機会に恵まれるとは予想していなかった。
弱いヒトは多くの恐怖を抱えるモノで過去を蘇らせては再び恐怖に染まる。人間はその現象をトラウマと呼ぶんだと。前に本で読んだ事がある。忘れたつもりはないよ、以前僕が彼女にした事を考えればその反応は妥当だ。とはいえ、僕はこの機会を無駄にするつもりもないから彼女には少し申し訳ないけど、僕に付き合ってもらおうかな。
「――……っ」
「そう怯えなくても良い。僕はもう世界を滅ぼしたいなんて思ってないし、第一そんな力はない」
「信じろって? 知ってるんだから。地獄人は神器を持っていない代わりに身体能力が高いんでしょ。その気になれば私をどうする事だって出来るんじゃないの」
「何の理由もなくあんな騒ぎを起こした僕が地獄界から出て来られる訳ないだろう? これを見てみなよ」
「?」
左腕の袖を少し捲って彼女の目の前に差し出すと、くるりと捻って外側を強調するように見せる。それは腕輪であり、首輪でもあり、爆弾とでも言える。一見すれば何ら変わり映えのない人間界の腕時計のように見えるが、付けたのは地獄界の上層部だけあって地獄界風のちょっとした細工がされていた。
「確か君は地獄界のアトラクションパーク、ドグラマンションで遊んだ事があるんだったね。要はそれと同じ、地獄人はおろか地獄界の怪物さえ一発で死ぬ毒がこの腕輪に仕掛けてある。監視状態にある僕が何かおかしな行動をしたらその瞬間に僕は死ぬから安心して良いよ」
納得してもらえるとは思わない。それが普通だし、慣れた。地獄界でも散々そんな目で見られたからね。でも、本来なら問答無用で死の監獄に放り込まれてもおかしくない身でありながら、それで済まされているだけでも有り難いと思う。許されざる大罪を犯した僕達親子は、本当なら今頃死んでいても文句は言えなかったんだ。実際に話はそういう所まで進んでいた。
でも僕達を助けてくれる人がいた。現・神と、元・神だった。彼らは僕達親子に温情をかけて貰えるように地獄界の長に掛け合ったそうだ。結果、父さんは主犯として監獄送りになったが死刑という厳しい処罰は免れ、子供の僕は24時間365日、監視対象として過ごす事で収まった。
現在、神に就いている人は僕自身直接会った事はないけれど、彼は随分とお人好しらしい。僕達のせいで酷い目に遭ったというのに今回の件にまで口添えしてくれたのだから、頭が上がらない思いであると同時に正直に言って天界の統治はこの人で大丈夫なんだろうか、という気持ちが膨らむ。理由を伝えた事も大きいんだろうけど。
彼女もそっち側の人間だったのだろうか。震えはもうなくなっていた。僕の言葉をどこまで信じてくれたのか分からないが、とりあえず恐怖は薄まったようだ。
「まあ、あんたが今更人間界で騒ぎを起こすメリットはないかも。復讐に走ったとも思えない。で、それを信じるとして、じゃああんたは何をしに来たの? ……格好もなんか普通、だし」
「人間界……いや日本のことわざ、郷に入っては郷に従え、だったかな。人間界に馴染む格好をして目立たないようにしているのさ。なるべく注目はされたくないからね。ねえ、君は植木くんがどうして僕に勝ち得たのか分かるかい?」
質問を質問で返しながらわざとらしく論点をずらすと、彼女は眉をひそめてあからさまに不快感を露わにした。ごめんね、目的を話す前に必要な事だから少し我慢してほしいな。
彼女の懐疑的な視線に僕は笑みを返し続ける。やがて面倒になったのか、無駄だと受けとったのか、彼女は盛大に溜め息を吐いた後、逃げ出しもせずに僕に合わせて続けてくれた。
「……そんなの決まってるじゃない。植木が強かったからよ」
「そうだね、植木くんが強かったから。合ってはいる。でも考えてみてよ。植木くんは当初、僕の魔王を打ち破れず押されていたじゃないか。確かに植木くんは強い、魔王なしにしても僕と互角に渡り合える程の強さを持っていた。ケド、それだけじゃない」
「何が言いたいの」
「愛だよ」
「へ、……はあ?」
「君が植木くんにとって大切な存在だからさ」
「な、何言って」
「知っているよね。大切な人を想う気持ちがどれ程の力を生むのか、君は目の当たりにしてきたんだから」
「……」
くるくる変わる彼女の表情はとても興味深く、見ていて面白いとすら思う。怯えているように見えれば強気に言ってきたり、訝しんだと思えば慌てたように顔を赤く染める。かと思いきや次は真面目に黙った。何だか忙しない。人間ってみんなこうなのかな。
彼女なら、彼の本当の力を間近で見て来た彼女なら僕が言っている事が理解できる筈だし、特殊な能力を持ちながら実力は無いに等しい彼女が激しいバトルを潜り抜けて来られたのは仲間という存在が彼女の背を押したからなんだろう。身をもって知っている筈だ。
誰かを大切に想う気持ち。僕だってそれぐらいは知っているよ。ねえ、それを人は“愛”と呼ぶんだろう?
「僕はね、愛っていうものがよく分からないんだ」
「どういう意味よ」
「どうもこうもそのままの意味さ。僕は愛を受けて育たなかったから理解が出来ないし、何かに情を向ける事が出来ない。守人の一族の下に生を受け、一族の使命に人生を捧げていた父さんにとって重要だったのは、役割を従順に果たす駒であって僕という個人はどうでも良かったからね。ああ、そんな深刻な顔はしなくて良いよ。使命に囚われていた父さんはもういないから。君達と元神様のおかげでね」
全て終わった後、父さんはただ一言僕に詫びた。すまなかった、と。そして一族の使命から解放された僕達は、ちょっと特殊な能力を持っているのと会える時間が限られているだけの変哲もないただの親子に戻った。
(そもそも、僕は父さんに対してどうも思っていなかったんだけどなあ。守人として育てられた事に苦しいとも悲しいとも思わなければ、嬉しいとも楽しいとも思っていなかったんだ。まあ、将来を押し付けられる事だけはただただ鬱陶しかったけどね)
昔年の恨みを果たす為に心血を注いできた父さんと、一人で夢を見てきた僕。解放されたとはいえ、僕達はそれ以外の生き方を知らない。目的の為に親子を築いていたあの頃とは違い、透明な壁越しからだけれど父さんは父さんなりに普通の親子になろうと努め始めたみたいだ。でも、率直に言って僕はどう対応すれば良いのか決めかねていた。戦闘の癖を直すのに多少の矯正訓練が必要なように、長年染み着いたものを変えるのは簡単な事じゃないと最近になって気が付いた。父さんがぽつりと最近の様子はどうだって簡潔に聞けば僕は昔と変わらぬ態度で淡々と返事をし、昔と異なり父さんから珍しく心配をされれば戸惑いながら曖昧に言葉を濁す。まるで不器用に生きる小さい子供のような、ぎこちない親子関係が続いていく。
僕は愛を知らない。
親から子へ注がれる情。穏やかに僕を見る目。今の父さんが僕に向けるものがそれなんだっていうのは漠然と分かる。でも、僕はそれに対して感情を抱けないし、何も返せない。
例えばの話、父さんがもし今目の前で死にそうになったら僕は助ける為に尽力するだろう。でも、それは父さんが好きだからとか大切だからとかじゃなく、親子とはそういうものだって知っているからなんだ。
それが僕にとっての普通だった。
もう一度言おうか。
僕は愛を受け取れない。
僕は愛を感じられない。
僕は愛を返せない。
僕は愛を知らない。
だから。
「……どうして、あんたは、こんな、平然と何でもないような顔で言えるの……?」
「それは多分僕に足りないからじゃないかな。君は思った事はないかい、こいつは普通じゃないって」
「そんな、事……っ」
自分が普通じゃない事はもう気が付いているんだ。僕はどうしようもなく歪んでいる。知識として正しく理解していながら、感情がそこに及ばない。誰しもが持つ、当たり前の事が僕には足りない。大切で致命的な何か。少し前まで弱さだと勘違いしていたそれ。すぐに死んでしまう脆い人間より、地獄人である僕の方が生物として完成されている筈なのに。僕はとてつもない欠陥を抱えてしまっている。
――愛って何だろう?
――人を好きになるって何?
そんな時に決まって思い出すのは彼と彼の仲間達の姿だ。僕は愛を知らないが、彼等が深い絆で結ばれている事は知っていた。
今も目に焼き付いている。圧倒的な力を思い知らされ諦めてしまった彼が決死の想いで魔王を放ったあの時。彼が彼女を守ろうとして見せた感情の爆発。それはまさしく愛だった筈だ。
知りたいと思った。
その感情を。
知れば何かを変えられるんじゃないかと。彼等なら欠陥だらけの僕に教えてくれるんじゃないかと。
叶えた時に喜び合える誰かがいてこそ夢なんだと気付かせてくれた時のように、僕は答えを掴みたい。
「知りたいんだ、愛っていうものを。何故植木くんは君に執心するのか、愛とは何なのか、何をすれば生まれ出でるものなのか、愛を抱くとどうなるのか、どうしても知りたい。だから僕はここに来た」
暫くは人間界に滞在するつもりなんだ、そう付け加えて微笑む。一方、彼女はゆらゆらと潤んだ瞳を揺らして困ったような表情で僕を見た。
はて、僕は何かおかしな事を言っただろうか。これでも、なるべく優しくを心掛けて気を遣ったつもりなんだけど、人付き合いって難しいものだ。
……ああ。もしも、足りないものを補えれば分かるようになるのかな。どうして彼女の方が辛そうに今にも泣きだしそうな顔で僕を見るのかとか、それを何とかする為にどうすれば良いのかとか。
彼女の方へ手を伸ばしかけて、やっぱり止めた。人間は脆く儚い存在だから今の僕では触れた瞬間に壊れてしまいそうな気がしたんだ。それは嫌だなって思うのと同時に、強烈な拒否感が身体を駆け巡り手を震わせる。そして……僕は動揺していた。おかしな事を言うけど正確には自分が動揺している事に深く動揺していたというべきか。まさか、という考えに至るものの答えを出すのはまだ早い。確かめよう、コレが何なのか。理解不能な心と身体の震えを押し隠して、にこやかに僕は続ける。
「だから宜しくね。森あいさん?」
思えばこの時から既に海色の瞳に惹かれていたんだろう。そんな風に考えるのはもう少し後になってからの事だった。
14.11.3
そして次の日、森と植木の前に見覚えがありすぎる転入生がやって来たらいいね。
//少年は恋を患い息の苦しさを知る