Text
『古よりアルカに伝わる破邪呪は
魔物より汝を守る為
月の女神の分身をさしむける
対するは紅き魔物にひそむ邪の力のみ
この大いなる力の助けを借りて
決して恐れる事なく
汝とアルカの大地と月光の力を信ずるべし
月夜のアルカより』
それは、全身に広がるジリジリと焼けるような痛みですら忘れてしまう程の、
「お願い、消えて」
どうして、どうして、どうして、どうして。
心の中で幾度となく唱えた言葉は、とっくのとうに唇から音になる事を止めてしまっている。どうして。その一言だけが頭の中へ留まり続けぐるぐる巡り、次第にそれだけが頭の中を占めていくのに数秒足らず。
どうして、どうして……。
今のシグにはそれだけしか考えられなかった。有り得ない。どう考えたって有り得ないはずなのに。
いつも自分と一緒にいて、自分の傍で笑顔を向けてくれていた少女。今やその彼女が自身に向けるものは敵意でしかなくて、こちらを今にも殺そうと襲いかかって来ているなどと、そんな事、絶対に信じられるはずもなかったのだ。
「ごめんね。貴方個人には恨みはないのだけど、あたしの使命の為に死んで」
はじめまして、君を殺しにきました
今まで見た事もなかった少女の冷酷な瞳に、シグの左胸は一度ならず二度三度と撃ち抜かれた。少女に与えられた身体へのダメージなんかよりも、言葉という弾丸が何よりもシグを傷付け内側から抉っていくような痛みを感じさせている。
「アミ、ティ……」
「その名前で呼ばないでくれるかな」
「アミティ」
「違うってば」
「アミ、」
「何度言わせる気なの?」
やっとの事で紡いだ少女の名前は、あろう事か少女自身の口から否定されてしまった。その意味が理解出来ず呆然と彼女を見つめるシグに追い討ちをかける冷たい言葉。
「言っておくけど、あたしはアミティじゃないよ」
「じゃあ、おまえは誰……?」
「その問いに答える必要はないかな。だって、」
(貴方は今ここで死ぬんだから)
彼女の言葉が最後までシグに紡がれる事はなかった。
(……っ!)
紡ぐ事を止めざるおえなかったのだ。
ざっざっ。砂を蹴り上げる音にいち早く気付いた彼女は、先程とは打って変わってシグに興味をなくしたのかその姿を視界から完全に外し、『彼』が来るであろう方向へと目を配らせ続ける。そんな彼女の様子をおかしく思いそれからようやく音に気が付いたシグは、加えて感じた事のある気配が段々と近付いて来るの察し、彼女と同じく一方向を見続けた。
近付く黒い影。その姿が徐々に明るみに出ていく程シグの心臓は大きく脈打つ。
全てが明らかになった時、見えるのは――
「まさか貴方から来てくれるなんて思わなかったな」
――紅。
彼を一言で表すならそう、紅だろう。紅色の衣をはためかせながら、高らかな笑みを浮かべている彼。その姿を認めたシグの瞳は揺れていて、動揺を隠せないでいる。無理もない。自分の友人であるクルークの姿をしている彼とは、何度も何度も戦い続けて、言うなれば彼とは宿敵とも呼べる存在だったのだから。その彼がどうして……。今日何度思ったのかも分からない疑問の言葉がまた一つ。
彼女との相対を引き裂くように現れた彼。敵か、それとも。
「久しいな、女神よ」
「ええ、何年ぶりかしら。紅い魔物――」
紅い彼は彼女を女神と呼び、彼女が応える。
まるで、久々に会った知人との世間話を楽しんでいるかのような穏やかで自然すぎる会話なのに、それとは反対に両者に行き交う殺気がシグをこれ以上なく戸惑わせる。しかし、それでも何となく気付いた事がある。彼と彼女の関係は良好ではない事と、今の所は結託して自分を襲おうとしているのではないという事。分かった所でどうにかなるとは思えなかったが。
「……嗚呼、嘆かわしいわ。人間達の罠にお間抜けな貴方が掛かったりしなければ、こんな挨拶すら言う事もなかったでしょうに」
「以前から気配だけは感じていたが成る程、私を滅しにわざわざ転生したという訳か? 女神たる貴様も大概暇だったと見える」
正に売り言葉に買い言葉と言うのだろうとシグは思った。予想外の彼の返しに彼女は眉を歪め一瞬だけ不快感を露にするものの、それも束の間。
「へぇ。本気も出せない借り物の身体で、いつまでそうやって余裕でいられるかな? 何なら、今からでも半身を取り戻した方がいいんじゃない? 勿論、その隙を叩くつもりだけどね」
「抜かせ。娘の身体、返してもらうぞ」
「アミティの事? 元々あたしが覚醒するまでの借り物の人格でしかないのに。さては好きになっちゃった? ふふ、あの魔物が? ないよね? 醜い嫌われ者だものね?」
「……」
彼が途端に黙り込んでしまったのは、図星だったからなのかもしれない。瞳を閉じれば思い出す古の記憶。嫌われ者の悲しい記憶。段々と彼の顔に怒りが滲んできた頃。くすくすくす。耳に飛び込んでくる嘲り。卑しく嘲笑う彼女に殺意を尖らせて彼は睨み付けるが、意に介してないとでも言うかのように彼女は続ける。
「まぁいいや。どうしてもって言うなら、実力行使で奪ってみなよ。出来るものなら、ね!」
瞬間、シグの視界に眩い光が包まれたと思ったら何故か自身が吹っ飛ばされていて、気付いた時には地面に叩きつけられた後だった。痛む身体に鞭を打ちながら起き上がると思わぬ光景に愕然とする。先程まで自分がいたであろう場所が文字通り真っ黒焦げになっているではないか。唐突な出来事に何が何やらで混乱していると今度は後方から、ぼさっとするなやられたいのか!?つんざくような怒鳴り声が耳に届く。
やがて再び強烈な光が包むのを感じ、瞬時に働いた防衛本能によってシグは真横に飛んで何とか黒焦げになる事を免れる。不格好に転がりながら同時になるほど、とようやく状況に納得した。自分は今攻撃を受けていて、先程の衝撃は彼がやってくれたのだろうと。蹴りか拳か魔導かも分からない、何故敵対している筈の自分を庇うのかも分からない。だが、彼がフォローしてくれなかった時を想像するのは容易い。
「お前にある選択肢は三つだ。女神に倒されるか、私に身体を明け渡して完全となった私が女神を倒すか、……二人で女神を倒すか」
無様に倒れこんでいる自分に背を向けながら庇うように前を出る彼を見上げながら、疑問を口にする。
「どうして、」
敵対しているはずの自分を庇うのだろう。
戸惑うシグに彼は迷いなく言い放った。
「あの娘を――アミティを助けたくはないのか?」
返ってきた言葉に答えるようにシグは紅い背中に向けて笑う。その表情は晴れかやで、どこまでも清々しいものに変わっていた。
アミティを助けたい、それだけ聞けば後は十分だったから。戸惑いなんかは必要なかった。
満足げな笑みを携えて立ち上がったシグの身体は既にあちこちがボロボロだったが、それでも今のシグには関係がなかった。アミティを助ける。それだけの想いが今のシグを動かすのだ。宿敵が協力を申し出た事、彼等の間に何があったのかなんて気にする必要も余裕もない、だからこれで良い。只一つの事だけを成し遂げる為に、彼等は前を見据える。
「ふふ、二人同時に相手かぁ。面白い、やっぱりそうでなくちゃ! 良いよ、アルカの月の女神の名の下に。お前達魔物を排除するわ」
「残念だが、排除されるのは貴様だ」
「もう迷わない。アミティは返してもらう!!」
こうして、古より繰り返された魔物と月の女神の戦いが今再び始まった――。
13.3.4
//はじめまして、君を殺しにきました