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とある日の昼下がり。都内某所のスタジオの入り口を1人の男がくぐっていった。
スマートフォンのメッセージとフロアマップを照らし合わせ、奥へ奥へと突き進む。
『スタジオB』
目的の標識を目の前にして立ち止まった瞬間だった。

バン!

さながらクラッカーのように派手な音を立て目の前の扉が勢いよく開かれたので、意表を突かれた男性はその場に制止した。しかし、扉の中から飛び出てきたのは紙吹雪ではない。ネオンカラーを彷彿させるアイドルだ。

「「こんにちは!Re:valeです!」」
「猪俣監督!わざわざ来てくれてありがとう!モモちゃんが監督のために特等席を準備しといたよ!さあさあ、入って入って!」
「監督、久しぶり。顔が真っ青じゃないか。ちゃんと食べてる?僕手作りのグリーンサンドでよければ持ってくるけど、どう?」

監督はサングラス越しにRe:vale2人を見やり、深いため息を1つ落とす。

「どうも。モモ、ユキ、久しぶり。なんだ、急にこんなところに呼び出して。そんな暇、俺にはないんだよ」

サングラスを外さずとも感情が汲み取ることはたやすいほどに、その態度は露骨だった。
近寄りがたいオーラを発しているにも関わらず、気にも留めない様子でRe:valeは監督を連れだしていく。

「まあまあ、そんなこと言わずに!」
「ほらほら、席に着いた着いた。これからあなたを心躍る世界に案内するからさ」
「心躍る世界だあ?」

半ば強制的に案内された席に座る。監督はあたりを見回してぎょっとした。
自分だけだと思っていたスタジオには他にもギャラリーがいたのだ。『IDOLiSH7』『PaSTELLA』のアイドルと、その他関係者と思われる者たちが用意されたパイプ椅子にそれぞれ腰かけている。そしてステージに並ぶは黒く煌々と存在を放つピアノ。しかもそれが2つ。監督は瞬時に思った。はめられた、と。

「ユキ、俺は言ったよな?ピアノ演奏の件は君に一任すると。これはどういう了見だ?まさか最初に話が合ったオーディションを今ここでやろうってことじゃねえよな?」
「まさか。僕はただ気分転換にどうかなと呼び出しただけさ。そんなにやつれるほど心血を注いでいる台本なんだから、さぞかし素敵に仕上がってはいるだろうけど」

一瞬空気がぴりついたが、間髪入れずに割って入った人物が瞬時に中和した。
「どうぞ」とほのかに湯気が漂うハンドタオルを差し出す彼女は、柔和なほほえみを浮かべている。

「猪俣監督、初めまして。PaSTELLAのマネージャーを務めております、月詠と申します。御待ちの間、よろしければ目元にお使いください。少し温めるだけでも大分変りますから」

隙のない完璧な所作に監督は押し黙った。言われるがままにホットタオルを手に取り目に押し当てると、細い息が思わず漏れ出た。
事情を知らないものから見ても、猪俣監督が切羽詰まっている事は一目瞭然だった。

「大丈夫。今日ここに来れたことは監督にとって幸運な事さ。もちろん、ここにいる全員、もれなく幸せになれる。きっと雷が落ちたみたいに衝撃的で、初恋のように目が覚める出来事が待ってる」

千はこれから起きる出来事を見透かしたかのように言う。
落ち着いた口調とは裏腹に、隠しきれない好奇心が滲み出ているような微笑みが浮かんでいた。





「緊張してますか?沙也さん」
「そりゃあしてますよ。でも、今は緊張よりわくわくが強いかも。なんたって今日のステージは1人じゃないからね!紫くんだけでなく、一織も一緒なんだよ!これ以上心強いステージなんて、早々ないでしょ!」

ステージの袖口で役者が顔を揃えた。
碓氷紫、橘沙也、そして――……和泉一織。
クラスメイトでもある3人は見慣れた制服姿ではなく、各々にドレスアップした姿で集っている。

「それにしても沙也さん……ドレス、すごく素敵ですね!淡いピンク色、お似合いです」
「そんな!紫くんだってかっこいい!というか、なんか不思議な感じだね。私たち、みんな別人みたい。変なの。普段たくさん顔を合わせてるはずなのに、なんかこそばゆいっていうか」
「そうですね。一織くんと沙也さん、お2人が並ぶととても絵になってなんというか、本当に素敵です。困ったな。月並みな言葉しか出てこなくて歯がゆいのですが……」
「ありがとう、紫くん!結構嬉しいかも。ね、一織!」
「ありがとうございます。まあ、なぜ演奏をしないはずの私まで正装しなくていけないのか、またステージに立たないといけないのかは甚だ疑問ですが」

一織のじっとりとした視線が沙也に突き刺さる。
沙也の笑顔に焦りが混じり、歪むように口角が崩れていった。

「沙也さん、もしかして一織くんにちゃんと説明してなかったんですか?」
「したよ?ちゃんと昨日、一緒にステージに立ってほしいって」
「昨日、ですか!?」

驚き事態を瞬時で察した紫。無神経にへらへらと笑う幼馴染を苛立ちながら睨みつける一織。目を泳がせて濁す沙也。
これから舞台に立つとは思えないような混沌が渦巻いていた。

今日はRe;valeの2人が計画した、監督への連弾お披露目会。
当初の予定では碓氷紫と橘沙也だけがステージに立つはずだったが、沙也がRe:valeの2人へ懇願したため、和泉一織の3人で上がる事となったのだ。
紫は事前に話を聞いていたので、当然一織にも話が言っているものだと思っていた。通りでここ最近、一織とこの手の話題をするときに話が嚙み合わない事が多かったはずだとようやく腑に落ちた。

「連弾だと聞いてはいましたが、まさか2台ピアノの連弾とは思いませんでしたし」
「だ、だって私がやりたい曲が2台ピアノの曲だったんだもん」
「私がステージに上がって何をするか具体的な説明を受けていませんし」
「私の隣に座ってくれてればいいの!一織はただ、座ってるだけでいいから!あ、でもちょっと曲紹介もしてほしい……な、なんて」
「曲紹介って……この期に及んで厚かましいな。座ってるだけなら観客席でもいいでしょう。こんなことをする必要あります?」
「あるよ!」

力強い瞳で沙也が一織を捉える。

「私が一織にいてほしいんだよ」
「……やっぱりお2人はとっても仲がいいですね」

紫は2人のやり取りを微笑みながら見つめ、頷くように一呼吸した。
「羨ましいな」そう、小さくぽつりとつぶやいて踵を返す。

「では、またあとで」

スタッフの合図に、一足先に紫がピアノへと向かって進んでいく。
その背中を見やり、沙也は一織の方へ向かい合うようにして立った。
一織は呆れたように深いため息を落とす。

「ここまできたら仕方がないですね。あなたには期待もしてますし」

一織は沙也へと手を差し出した。

「あなたが私を導いて。そして教えて。“なぜ、音楽が生まれのかを”」

沙也はかぶりを振り、その手を丁寧に取った。
歩調を合わせた2人がステージへと進んでいく。
スポットライトが彼らの輪郭をなぞるように照らし、観客達へ存在を露わにする。
物語の始まりの音が、会場全員の耳に届いた瞬間だった。





和泉三月は息を飲んだ。
同時に熱いものが一気にこみあげて、頬の中央で押しとどまった。
今じゃない。自分にそう言い聞かせて、必死に冷静さを取り戻そうと抗いながら、けれど視線はステージから決して外さなかった。

自分に馴染みのある2人が手を取り合って、ステージに立っている。

その事実で感動の涙が溢れ出そうだった。これは親心に近しいものだ。
手をつないで立ち並ぶ2人を見ていると昔の幼かったころの姿が重なって、膨大な感情が押し寄せてくるのだ。
隣に座る大和が何かを察したように、一瞥もせずにそっとティッシュを差し出してきたのを、三月もまた見ることなく無言で受け取る。息の合ったやり取りを感嘆の眼差しでPaSTELLAの水城志貴と桃川太郎がまじまじと見つめていた。

「本日は突然のお誘いにもかかわらずお集まりくださり、誠にありがとうございます。私はIDOLiSH7の和泉一織です。本日は介添人を努めてさせていただきます。奏者はPaSTELLAの碓氷紫さん。そして、Re;valeのキーボードの橘沙也さんです」

突然任されたとは思えないほどに淡々と司会進行をこなすので、紫は内心驚き関心しながらお辞儀をした。
さすがIDOLiSH7の先輩、と言ったところか。

(一織くんなら当然、って顔をしてますね。沙也さん)

本人の事ではないのに自信満々に、得意げに微笑む沙也が目に入り、思わず紫は笑みがこぼれた。おかげさまでほどよく緊張がほぐれた。

(連弾をすると決まって沙也さんとたくさんお話をしましたね。あなたは思った通りに素直な人で、思った以上に芯の強い方でした。おかげさまで、充実した時間を過ごせましたよ。だから私も――……)

「曲はラフマニノフ作曲、2台ピアノのための組曲 『第2番 Op.17: IV. タランテラ』」

(全力で、あなたに、皆様にぶつけます)










始まった。
私と紫くんの連弾。『第2番 Op.17: IV. タランテラ』。
同じタランテラでもたくさん曲があるけれど、大体の共通認識は”毒蜘蛛に刺された毒のせいで踊り狂う、激しい舞踏曲”だ。
私たちにぴったりだって思った。
森の音の中のユキさんも、音楽に陶酔していて。紫くんもピアノが好きで、憧れた音を追い求めてここまで来て。そして私も、音楽に毒されるほどにのめり込んだ。

私と紫くん、2人が歩んできた道は違うから、1台のピアノで連弾をするんじゃなくて、1台ずつのピアノで表現をするのがぴったりだと思った。
それに私の隣には一緒に音を育ててくれた一織がいてほしい。その思いがどうしても強かった。
一織、わがままを言ってごめんね。
いつも突拍子もない事ばかりで呆れちゃうよね。



(君はなぜ、音楽が生まれたんだと思う?)

一瞥した一織の瞳がそう、私に語り掛ける。



(伝えるための手段だったから)
(手段?)
(うん。思いを、願いを伝えるための手段。私にとって音楽は言語、そのものなの。
言葉や絵やダンス――……世界にはいろいろな手段が溢れている。みんな自ずと、伝えたい思いを最もふさわしい手段を選んで表現をしてる。私はそれが音楽なの。真の思いを伝えるには音楽以外、考えられないの)
(大げさだな)
(いいよ。大げさでも。だって、本当の事だもの。
 音楽は思いや願いを伝えるための手段として生まれたの。
 それにこんなに美しく熱い音楽が、届かないわけないでしょう!?)





ビクッ!と。
音を立てて猪俣監督が小さく跳ね上がったのを、千は見逃さなかった。
満足げな微笑みを浮かべて、曲も終盤に差し掛かった演者たちを舐めるように見回す。

「これだから君は飽きないのさ。共に音楽に毒された同士、これからも仲良くしようじゃない。まあ、この毒は周りにも伝染力が強いのが厄介なんだけど」

PaSTELLAの2人は目を見開いていた。そこには普段見ない"碓氷紫"がいたから。
橘沙也の熱に煽られ、呼応するように情熱的な演奏をする紫の姿は、今まで見せたことがないほど恍惚とした表情でその場のアイドルを魅了した。
そしてそれは一織も然りで。
一織は決して演奏をしているわけではないというのに、一喜一憂するかのように表情が変わっていた。普段は感情を表に出さない一織が、時に無邪気な顔で、時に大人びた表情で。それはまるで演者の心情を――……橘沙也を映し出す鏡のように。



激しい和音が会場中を反響し、余韻を残しながらも音が消えていく。
演奏は終わりを迎えた。
演者たちの息遣いが聞こえるほどの静寂に包まれる。
しかし一瞬の空白は、湧き上がるように溢れた拍手でかき消されていった。










監督が不本意のまま開催された連弾お披露目会もとい発表会は大成功に終わった。
私たちの演奏にとても感動をしてくれたようで「君たちの出演はマストだ!!絶対出てね!!脚本上がったらすぐ連絡する!!」と早口でスタジオを去って行ったが、無事に脚本が上がったとユキさんから聞いた。
主演はユキさん。そして、

「紫くん!お疲れ様!これからスタジオ収録緊張するけど頑張ろう!」
「沙也さん、お疲れ様です。はい!緊張もしてますが高揚感が勝っていて、楽しみです!なによりまた、沙也さんと演奏できますし!楽しみ過ぎて眠れなかったんですよ」
「またまた〜!紫くん、口がどんどん上手くなるよねえ。みっちゃんから寝坊したって裏情報が届いてるから、お世辞はきかな……」
「ちょっと2人とも、マネージャーがもう到着しているようです。早く行きますよ」

和泉一織と、碓氷紫のWキャスト。
私は一織の吹き替え奏者だ。
監督が言うには、熱い音のぶつかり合いをドラマでも表現したいから、2台連弾の演出は絶対に外せないんだそう。
そしてもちろん、ユキさんのこのセリフも。

「君はなぜ、音楽が生まれたんだと思う?」

車に乗り込んで開口一番、私は一織に問う。
一織は少し考えるようにしたけれど、ふっと顔を緩めた。
いたずらっ子のように、含みのある意地悪い笑顔は、にやりと音が聞こえてきそうだ。

「あなたの手段は”ここ”じゃないんでしょう?」

一織の人差し指が私の唇を制止するように抑えこむ。
その感触がくすぐったくて、自然と笑いが込み上げてきた。




end.