「轟ちゃん、最近変わったわね」
蛙吹梅雨が独特の前傾姿勢で轟に近づき、言った。
思った事を何でも言ってしまう性格、と自分を評していた蛙吹は、轟の様子を見て何か感じる事があったのだろう。
席が離れているのに、わざわざ轟に近寄って言った。
以前ならその発言にクラスメイトは肝を冷やしていたところだが、今は誰1人としてそんな者はいなかった。
蛙吹の発言に皆が賛同していたからだ。
「そうか?」
「ええ。なんだか楽しそう」
まるで自分の事かのように、蛙吹は嬉しそうに顔を綻ばせる。
轟は視線を隣にいた緑谷に移し、目配せをした。
緑谷はその視線に答えるように首を縦に振る。
轟には蛙吹と緑谷が同じような表情を浮かべているように見えた。
変わったというのなら、それは緑谷のおかげだと轟は思った。
口には出さないが、轟は緑谷に感謝していた。
雄英体育祭で自分の凝り固まった狭い世界をぶち壊してくれた。
自分の原点を見つめ直すきっかけをくれたのが緑谷だった。
「体育祭終わった後もそうだったけど、最近特に明るくなったよね!」
何かあったん?
いつの間にか会話に入っていた麗日は何かを期待しているかのように、大きな目を輝かせている。
最近?特に?
麗日の言った言葉を反芻する。
轟に心当たりはない。
「……別に」
素っ気ない返事だが不思議と刺々しさはなかった。
以前の轟とは違う事は、火を見るよりも明らかだった。
その事に気づいていないのは当の本人だけだ。
「……なあ」
放課後、校舎裏。
轟は隣に立つ苗字に話しかけた。
今日も猫の姿はない。
「俺……変わったか?」
クラスメイトとのやり取りが引っかかっていたのか、轟は苗字に尋ねた。
入学当初から幾度となく顔を合わせている苗字もそう思うのか、純粋に疑問だった。
苗字は轟をじっと見つめる。
茶色の虹彩に小さく自分が写り込んでいるのを轟は見た。
2、3度睫毛が降り、煌めく茶色のビー玉の中の自分が横にぶれるように歪む。
苗字がかぶりを振っていた。
「だよな」
どこか安堵するような、そっと胸を撫でおろすような気持ちだった。
轟は視線を先ほど見ていた垣根に戻す。
いつ来るかもわからない黒猫を待つのにも大分慣れてきた。
視界の端に入る空は少しずつ藍色に近づいている。
「帰るのか?」
苗字が腕時計を確認したのが横目で見え、轟は再び視線を移した。
苗字は轟に向き直り、律儀に頭を深々と下げた。
顔を上げた苗字の口元がわずかに開く。
「轟くんは……優しい」
鈴の音のような声が囁いた。
轟は驚き目を丸くする。
何も言わずに苗字は踵を返して去って行く。
優しい?俺が?
思わず自分の耳を疑った。
同時に歯がゆいような、こそばゆい感情が襲いかかる。
「……なんだよ、これ」
苗字が帰った後で良かった。
らしくない、戸惑っている自分を見られたくなかった。
その場にしゃがみ込むと、垣根の下にまん丸いビー玉が2つ光っているのを轟は見た。
「…!」
高揚し、その場に駆け寄りたい気持ちをぐっとこらえる。
警戒心を解いたのか――……黒猫は品定めするように轟を見た後、軽い足取りでその距離を埋めた。
轟の手が黒猫に触れる。
まるで感触を思い出したかのように、黒猫は喉を鳴らして目を細めた。
「……どこ行ってたんだよ、お前」
ゴロゴロと喉を鳴らし続ける。
轟の口角がわずかに上がった。
先ほどまで混乱していた頭が落ち着いていくのを感じる。
久しぶりの再会を喜びながら、轟は思う。
やっぱりここが好きだ。
猫と会える、この場所が。
そしてここは、猫だけでなくて――……。
「……何考えてんだ、俺」
抱いたことのない、未知の感情を轟は自覚した。
今まで憎悪や悲愴といった負の感情ばかりが渦巻いていた轟は、この感情の名前を知らない。
『この問題わかるヤツ、ヘンズアーップ!!!』
なぜだか英語の授業でのプレゼントマイクの声が、ふと頭に浮かんだ。