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「ふゆみちゃーん!」
少し離れた距離から響く、ソプラノの声。
拙い発音の呼び方に思わず頬が綻ぶ。
振り向けばそこには可愛らしい女の子が眩しいぐらいの笑顔をこちらに向けていた。
そしてその女の子に手を引かれ歩く弟の姿も目に入る。
「おかえりなさい!」
隣の家に住む、奏出彩海ちゃん。
弟の焦凍と1つ違いの女の子。
ご両親が仕事柄家を空ける事が多いため、よくうちの家に遊びに来ている。
今日もきっと、幼稚園が終わって焦凍と遊んでいたんだろう。
2人は手を繋いだまま私の許へと、一生懸命に走ってきた。
その微笑ましい姿に先ほど綻んだ頬がさらに緩んでいく。
「ただいま。2人でどこに行ってたの?」
「公園!しょうとちゃんと一緒にブランコ乗ったの!」
楽しかったね!、と彩海ちゃんは焦凍に笑いかける。
焦凍は少しだけ表情を和らげて首を縦に1回振った。
「いいなあ。今度私も混ぜてよ」
「いいよ!彩海、ふゆみちゃんのブランコ押してあげる!」
「本当?それは楽しみだなあ」
私の言葉に彩海ちゃんはとても嬉しそうに笑った。
3人で自宅に上がり込むと、中から私たちを出迎える母の声が響いた。
「焦凍、彩海ちゃん。手を洗っておいで。おやつがあるわよ」
「はーい!!」
元気が良くて、天真爛漫。
素直で、無邪気。
なぜだか不思議と目を引かれてしまう、そんな魅力がこの子にはある。
そんな華やかな存在が男だらけの轟家に舞い込むと、一気に空気が和やかになった。
彩海ちゃんは私にとっては妹のような存在であり、弟たちからしたらお姫様の様な存在なのだろうと思う。
きっと母も娘の様な感覚でこの子を見ているんだと思った。
「はい。ジュースをどうぞ」
「ありがとう!」
にこにこと笑い、元気よく母から差し出されたジュースを手に取る。
彩海ちゃんは座ってる焦凍に受け取ったジュースを差し出した。
「はい、牛さんヨーグルト!しょうとちゃん好きだもんね!」
焦凍は口元を綻ばせ、紙パックのジュースを受け取った。
その表情を見て、満足そうに彩海ちゃんはリンゴジュースのパックにストローを刺す。
仲良く並んでジュースを味わう2人を見ていると心が和む。
私は向かい合わせに腰を掛け、その様子をまたじっと見つめていた。
その視線に気づいたのか、彩海ちゃんは不思議そうに首を傾げている。
「2人は本当に仲よしだね」
「うん!彩海、しょうとちゃん大好き!」
その言葉に焦凍は驚いたのか、目をまん丸にして横に座る彩海ちゃんを見た。
数秒後、顔を真っ赤にして俯き、ヨーグルトのストローから口を離す。
「お、れ……彩海ちゃんのことは……」
「おばさんもふゆみちゃんも大好き!」
みーんな大好き!
そう言い、彩海ちゃんは再びリンゴジュースをストローで啜っていく。
しょんぼりと肩を落とす弟の様子が少し不憫に思え、思わず苦笑してしまう。
「そういえばね。彩海、個性が出たの!」
弟の様子には気づいていないようだ。
突然、思い出したかのように彩海ちゃんは言った。
個性が出た。
その言葉にその場にいた母、弟、私は一斉に彩海ちゃんを見る。
「見てくれる?」
おずおずと、恥ずかしそうに彩海ちゃんは言った。
きっと一気に注目を浴び、少し恥ずかしかったのだろう。
「うん!彩海ちゃんの個性、見てみたい!」
その恥ずかしさを緩和させるように、笑顔を向ける。
すると表情が明るくなり、彩海ちゃんは元気よくその場から立ち上がった。
「彩海、歌います!」
個性を見せる、と言ったのに歌いだす彩海ちゃん。
歩いて場所を移動するその姿はまるでミュージカルの舞台にいる役者みたいだ。
ソプラノの声が奏でる歌はどこか懐かしく、暖かい音色で。
まだ幼く拙い活舌の歌声に、不思議と聞き入ってしまう。
この曲、なんだったかな。
どこかで聞いたことあるはずなんだけど。
「―――……」
ああ、思い出した。
この歌は。
「人魚……」
人魚姫の映画のテーマソング。
この間、焦凍と彩海ちゃんと一緒に見た映画だ。
「……すごい」
映画や童話の中の架空の存在――その人魚が、目の前にいる。
けれどその表情は絵本や映画の中で見るような憂いある表情ではなく、いつも見慣れたあの眩しい笑顔だ。
「彩海、人魚になったの!」
「すごいわ……とっても素敵な個性ね」
母は彩海ちゃんの傍に寄り、手を取った。
嬉しそうにその手を取る彩海ちゃん。
いくつかの小さな水泡が母と彩海ちゃんの周りに漂うように姿を現す。
彩海ちゃんのお父さんの個性は魚人化で、水を自在に操れる個性だ。
きっとこの水泡も彩海ちゃんが作り出したものなんだろう。
「どう?しょうとちゃんっ!」
彩海ちゃんが焦凍に話を振った。
その時の母の表情を、きっと私は忘れない。
とても愛おしそうに、優し気に目元を細める、母の顔。
その視線の先には、言葉を出すことも忘れて見とれる弟。
まるで映画のワンシーンを切り取ったような、暖かい光景。
初めて目にした、人が恋に落ちた瞬間は、
とても甘美で、
とても儚く、
とても―――美しいものだった。
イズ・ビューティフル