▼ ▲ ▼


中学3年生の1月。
雄英高校の推薦入学の受験を終えた私は、気が狂いそうな日々を過ごしていた。

「彩海、らしくねえぞ」

父が私の様子を見て、こらえるような含み笑いを浮かべている。
いつもだったらそんな父の態度に対して文句の1つも言いたくなるけれど、今はそれどころではない。

もやもや。はらはら。生きた心地がしない。
緊張で嘔吐してしまいそうだ。
どうして合格発表までは結構な期間を開けるんだろう。
1、2日後とかにしてほしい。
だめならだめと、さっさと通達してくれた方が楽だ。

受かってるよ、大丈夫!
いや、きっとだめだって。

励ます声と、否定する声が交互に脳内で反復されていく。
自分がこんなに緊張に弱いタイプだとは思っていなかった。

「……私、ちょっとコンビニ行ってくる」
「ちょっと、彩海?」

母の声を受け流し、コートを羽織って外に出た。
吐いた息は白く形を現し、空に昇っていくように消えていく。
この光景を見ると、私が憧れたヒーローとの出来事を思い出す。

かっこよかったな、焦ちゃん。

いじめっ子から救ってくれた彼は、あの日から私のヒーローで。
世にどれだけすごいヒーローが出てきても、誰よりもかっこよく、無敵な存在に思えた。

彼へのあこがれは今でも変わらない。
私も彼のようなヒーローになりたい。
その一心であの日から過ごしてきた。

「……はあ」

別に雄英に落ちたからと言ってヒーローになれないわけではない。
そうわかっているけれど、せっかくあの有名な雄英高校に推薦入試を受ける機会を得たんだ。
なんとしても受かっていてほしい。
済んだ事をうじうじと悩んでいるのは情けないけれど、終わってからあそこはああしておけばよかったとか、色々考えてしまうのだ。

2回目のため息をつきながら近所のコンビニへ入り、適当に店内を物色した。
食欲も湧かないし、読みたい雑誌があるわけでもない。
適当な雑誌を手に取り広げてみても、面白いほどに頭の中に内容が入ってこなかった。

「……帰ろう」

さすがに何も買わないのは気が引けたので、ミネラルウォーターを1本買って店を後にした。
すっかり暗くなった辺りは人通りも少なく、日中の活気ある道とは思えないほど静かだ。
ふと立ち止まり、空を見上げる。

ふう、と。
息を吐いてまた白く漂うもやが昇っていくのを見る。
冬というだけで自然と彼の事を思い出す。
不思議と、不安な気持ちが落ち着いていく気がした。

再び、ふう、と。
少し長めに深く息を吐き出す。

「……わっ!」

そのもやの軌道が、一気に歪んだ。
突然後ろから手にしていたペットボトルの袋を奪われたからだ。

「何してんだよ」

マフラーに顔をうずめて、訝しそうにこちらを見ている、彼。
その姿が目に入っただけで、少しだけ緊張が和らいでいく。

「息が白いなあって。今は冬なんだなあって思って」

私の返答に、彼はさらに難しそうな顔をした。
きっと変な奴だって思ってるんだろう。
伊達に昔からいるわけじゃない。
ポーカーフェイスだけど、考えてる事は普通の人よりはわかっているつもりだ。

「行くぞ」

そう、気だるげに呟き彼は進んでいく。
歩調は心なしかゆっくりに見えた。

「待って、焦ちゃん」

先に進むその背中を追う。
彼が進むたびに、吐き出された白いもやが私の方へと――後ろへと流れていく。
物凄く近くにいるわけでもないのに、彼の息遣いが見て取れる。
そんな些細な事が少し嬉しく感じる。

ぼんやりと光っている街灯が私たちを照らす。
薄っすらと浮かんでいた彼の影がさっきよりも濃くなった。

「……焦ちゃん、私受かってるかなあ」

私が零した弱音に返答はない。
けれど、彼の歩調がさっきよりもさらにゆっくりになった事は分かった。
少しずつ、私と彼の距離が縮まっていく。

「俺にわかるわけねえだろ」
「まあそうだよね。はは……」
「彩海。上を見てみろ」

彼はそう言い、空を仰ぎ見た。
私もそれに倣い、首を後ろに傾ける。

「……わあ、綺麗」

さっきは息に夢中になって気がつかなかった。
そこには冬の星空が広がっていた。
藍色に浮かぶ星たちは輝きの度合いは違えど、それぞれが一生懸命に光っているように見える。

「きっと、お前なら大丈夫だろ」

その言葉に、視線を彼に移す。
鋭い目つきで、一見したら少し冷たく見えるその顔立ちは、口角がわずかに上がっているように見えた。

「ありがと、焦ちゃん」

彼がそう言ってくれるだけで、さっきまでの気持ちが嘘のように落ち着いていく。
緊張で強張った頬が緩んで、さっきより笑えるようになった。

「帰るぞ」
「うん!」

再び彼は私の少し先を進みだす。
地面に浮かぶ影を眺めると、なんだか胸が苦しくなった。

どうして、焦ちゃんの言葉1つで一喜一憂してしまうんだろう。
どうして、これほどまでに彼の事が好きなんだろう。

彼の声が好き。彼の髪が好き。彼の瞳が好き。
こうして地面に浮かんでいる影ですら、愛おしい。

いつか、彼と肩を並べて、手と手を繋いで歩いていけるような、そんな日が来てくれないかって。
欲張りな自分が顔を出す。

「……………でいいや」
「なんか言ったか?」
「ううん。なんでもないよ」

彼にばれないように。
こっそりと、彼の影の左手に自分の右を伸ばしてみる。
影と私の手が重なり、1つに繋がる。
その光景をしっかりと目に焼き付ける。


(今はこれで、いいや)


私の自己中心的な欲求を、そっと胸にしまい込んで。
彼との手がほどけてしまわないように、その後ろを追いかけていった。


陶酔の隣 羨望の後ろで