▼ ▲ ▼
ついに今年もやってきた。
恋人のメインイベントであるうちの1つ、バレンタイン。
今年も来てしまった。
この悪魔の期間が。
「お!やってるね!」
バレンタイン前の日曜日。
寮のキッチンを借りてチョコづくりに励んでいた。
参加していなかったクラスメイトの友達が1人、匂いに釣られてやってきたようだ。
「彩海は轟くんにだよね?えっと……フォンダンショコラ作ったの?」
目の前に置かれたスマートフォンの画面を覗き込み、友人は言った。
その発言に思わず肩を落としてしまう。
そう。当初はその予定だったのだ。
「生チョコだよね。ビターの」
手際よく使用した調理器具を洗いながら、七絵が言った。
私は目の前の生チョコが入ったボックスにラッピングをしている最中だ。
「生チョコいいね!おいしいもんね!」
「まあ、溶かして混ぜて固めるだけだからね。彩海には簡単よね」
「い、いや!ココアパウダーもかけるじゃん!」
「ねえ。それフォローになってないからね」
はらりと、箱からリボンがずれる。
隣で繰り広げられる友人のフォローとそれを滅多切りにする七絵の言葉。
画色さんはクールビューティーっすよね!
1-Aの上鳴くんがそう言ってたのを思い出した。
「ほ、ほら!作ったことに意味があるんじゃん!?手作りって特別だし!」
「そう言い聞かせて何年目だっけ?彩海」
「……聞かないで」
料理はある程度できるのにお菓子作りは極端に苦手だ。
分量通りにきっちりと、かつきちんと工程を踏む、というところが性に合わないのだろう。
どうにか生チョコだけは食べられるレベルにまで腕は上がったので、ここ数年はこればかり作っている。
「どうしてうまくいかないんだろ……」
失敗したフォンダンショコラを一口、友人が口に入れる。
苦みが強かったのだろう。顔を顰めて喉が1度動いた。
私に気をつかって無理やり笑顔を浮かべている。
「ちょっと甘さが足りない……かな?」
「それ以前に、割ってもチョコが出てこないもんね」
七絵の的確な指摘がダイレクトに突き刺さる。
はあ。思わずため息が零れた。
「もうちょっと簡単なのにすればいいのに。どうしてフォンダンショコラにこだわってんのよ」
「前に一緒にテレビ見てたらフォンダンショコラが特集されてて……その時、焦ちゃんがおいしそう、って言ったんだよね……」
うまそう。
ぽつりとそう言った時の彼の一言は忘れられない。
あの日から私は毎年フォンダンショコラに挑戦し、その度に敗北してきた。
母は苦笑い。父はお腹を抱えて爆笑。冬美さんとおばさんは優しく慰めてくれた。
そしてその度、皆から言われたのだ。
「でも、大事なのは気持ちだよ!」
そう。この励ましを何度も。
「彩海、この言葉も何年目?」
「聞かないで……」
洗い物を終えた七絵がさらに追い打ちをかける。
友人は気まずそうにそそくさと自室へと戻って行った。
私はまた深いため息をついた。
バレンタイン当日。
昼食を済ませ、七絵と別れて彼の教室へと向かった。
廊下では所々で可愛らしいラッピングの袋を持った女子生徒が目に入る。
心なしかいつもより空気が甘い気がした。
彼と付き合って初めてのバレンタイン。
今までは義理チョコという名義で渡していたから、今年こそは念願のフォンダンショコラを本命として渡したかったのに。
人間、苦手分野はそうそう克服できないらしい。
周りの浮かれている雰囲気とは逆に、あまり気乗りしない自分をどうにか奮い立たせて彼の教室へと向かった。
「失礼します……。轟くん、いますか?」
恐る恐る1-Aの教室を覗き込めば、生徒の視線が私に集まった。
面識があるとはいえ、こうも注目されるとやはり恥ずかしい。
それに今日はバレンタインだ。
周りも私が何しに来たかなんて、お見通しなんだろう。
(そもそも、私がここにくるなんて大抵彼絡みの事なんだけど)
「奏出さん!轟くんはちょっと……今、席を外してて……」
緑谷くんは私を見ると、焦ったように落ち着きなくこちらに近づいてきた。
視線は泳ぎ、ちらちらとある一方を明らかに気にしている。
何かを隠したい、というのはバレバレだった。
「轟くん!これ、頑張って作ったからもらってください!」
緑谷くんの気遣いも空しく、女の子の透き通った声は私の許へと綺麗に届いた。
私がいる方とは反対側のドア。
そこに彼と知らない女の子の姿がある。
「フォンダンショコラです!轟くん、これ好きなんですよね?」
「俺が?」
「違うんですか?奏出さんが毎年作っても失敗して渡せてないって聞いたから、てっきり轟くんが好きなのかなって思ったんですけど!」
2年生の先輩がそう言ってたんで!
女の子の声は驚くほど綺麗に通った。
そういえば私、そんなこと言ったっけ。
おしゃべりな男子生徒(名前は久射という)に私のチョコづくりはじっくりと観察され、加えて色々と質問攻めにあった事を思い出す。
私の顔はみるみる引きつっていく。
隣の緑谷くんがなぜだか申し訳なさそうにしていた。
「轟くん、ずっと応援してます!」
女の子は満足げな表情を浮かべてその場を去って行った。
教室は一気に静まり返る。
他の子たちはわざと私を見ないようにしていた。
「彩海?」
ただ1人、この異様な空気に気づかない、鈍感な彼が私の名前を呼んだ。
周りの空気が一気に冷えていく。
そして私の顔もまた更に引きつった。
彼が他の女の子からチョコをもらう事は初めてじゃない。
中学校でも袋にもらったチョコを携えて帰ってきていた。
彼はモテる。それは当然認知している。
けれど、よりによってフォンダンショコラを受け取るなんて……。
「ごめん、ちょっと用事があったんだけどもう時間だからまた後にするね」
明らかに嘘だとわかる言い訳をした。
近くに寄ってきた彼は気づいていないようで、不思議そうに首を傾げている。
「じゃあ、それは何だよ」
チョコが入った袋を指さし、彼は言った。
なんでこうも空気が読めないのだろう。
別に焦ちゃんが悪いわけじゃないんだけど。
それはわかってるんだけど。
「何でもない!」
完璧な八つ当たり。
私は1-Aを去り、屋上へと続く階段へと走った。
焦ちゃんのばか。
無神経すぎるよ。
私の気も知らないで。
「彩海!」
彼は私を追いかけてきたようで、あっけなく屋上の扉の前で捕まってしまった。
チョコレートを持つ反対側の腕を彼が掴んでいる。
イライラして、意地で彼の方へは向かなかった。
「何拗ねてんだよ」
「………拗ねてないよ」
「じゃあこっち向けよ」
「やだ」
私の子供っぽい態度に呆れたのだろう。
彼はため息を1つついた。
そのまま腕を引かれ、私は自然と床に腰を下ろす形になった。
後ろから、彼が包み込むように腕を回している。
「もらうぞ」
彼は軽々と私からチョコを取り上げた。
密着しているこの距離感にドキドキして、気が緩んだ隙にやられた。
ずるい。何がずるいかって、彼は計算とかではなく、無意識にこんな事をしてくるところがずるい。
私はそれに翻弄されてばっかりだ。
「彩海」
彼は私を呼ぶ。
私の頭の上で、がさごそとラッピングをほどいている。
「やっぱり今年も生チョコか」
「……私にはフォンダンショコラなんて作れないもん」
「彩海。こっち向けよ」
「やだ」
「彩海」
「もう、いやだってば……」
彼の手が、私の頭を支えるように触れて。
少し強引に、顔が彼の方へと向けられる。
そして広がる。
苦い。
ほろ苦く、甘い味。
この間から何回も味わった、チョコレートの味。
目の前に見える、伏目がちに私を見る彼の顏。
ゆっくりと距離が離れ、私の口には1つのチョコレートが残った。
「……うまいな」
唇についたココアパウダーを舐め、口元を拭う。
彼は何事もなかったかのように、私が作った生チョコが入っているボックスを閉まった。
突然起こった出来事を飲み込めず、ただ固まっている私を不思議そうに眺めている。
知ってる。
これは口移しってやつ、だ。
「……焦ちゃん、どこでこんなの覚えてくるの……」
「何か言ったか?」
「な……なんでも……ない……」
彼は私を引き寄せた。
制服越しにもわかる、固く逞しい胸板。
心臓が早く脈を打つ。
とっても。とっても。苦しい。
やっとの思いで口の中のチョコを飲み込む。
たくさんのビターチョコレートを混ぜたはずなのに、後味はなぜだか飛び切り甘く感じた。
Bitter Sweet