プロローグ


 息が切れるはずも暑さを感じるはずもないのに、死に物狂いで走る私の息は荒く、額からは汗が流れ落ちる。死に物狂いとは言ったけれどそれは分かりやすく例えただけであって、私は死にたくなんてなかった。死を覚悟したことなんて一度もない。こんな理不尽を認めたことだって、一度たりともなかった。
 約一年、いや、もっと前だっただろうか――そんなことはどうでもいいし、思い出せないことだからやめておこう。とにかく、私はむかし、誰しもが思い浮かべるような普通の女子高生だった。そこそこ真面目に勉学に励み、趣味や遊びに使うためのお金をバイトで稼ぎ、数人の仲の良い友達と遊ぶ。家族に関する悩みがあるワケでもなく、平和な世界に生きる、大勢の中のひとりだった……筈なのに。

 ある日、私はいちど死んだ。

 信号待ちをしていた私に、大きなトラックが突っ込んできたことが原因だったと記憶している。その辺の記憶は若干曖昧だけど、身体が千切れるような(実際、千切れていたのかもしれない。わからないけど)痛みや口の中に広がる血の味、呼吸をしようとしても痛みが走り、視界が、周りのざわめきが消え行くあの感覚は、今でもしっかりと覚えている。

「たすけて」

 死に際には過去の記憶が走馬灯のように流れ出すらしいけれど、そんなのは嘘だ。家族の顔も友達の顔も、思い出すことなんてなかった。そんな余裕はなかった。痛くて苦しくて、苦痛に悶えている間に、私は死んだのだと思う。


*****


 私は、いちど死んだ。そう、一度死んだのだ。でも生きていた。なぜ生きているのかと言われても、知らないけれど生きていたと答えるしかない。だからといって命拾いをしたワケではないと理解したのは、私が『実験体』だったからだ。
 トリオン器官というものを、私は持ち合わせていないのだと聞いた。トリオン器官が何なのかあまり理解出来てなかったけれど、ではあって当然の器官らしかった。だから私は、実験体にされた。の生き物として。人権なんてものは、私にはなかった。
 抵抗することも絶望することも、涙を流す気力すらなくなった頃、あいつらは私に最後の手術を施した。私の心臓を弄って、埋め込んだなにか。あいつらはそれを、ブラックトリガーと呼んでいた。先に言っておくのならば、私はこれに適合した。適合したからこそ生きているし、逃げ出すことを決意した。
 心臓と繋がれたブラックトリガーは、グロテスクにも、私の胸元に埋め込まれている。引き攣った傷痕の真ん中に鎮座する黒い物体は、いつだって気味が悪くて好きにはなれないものだったが、私はこれを使わざるを得なかった。だって、私に人権なんてないのだから。言われるがままにトリガーを起動させたその日、身体へ負荷が掛かりすぎて血を吐いた。
 血の滲む――滲むだけじゃ足りないのだけど――訓練を受けさせられた私は、「兵器」と呼ばれる程の力を得た。本来、トリガーというものは、トリオンが無いと起動しないらしい。トリオン器官を持たない私がどうしてトリガーを起動できるのかと言うと、答えはこのブラックトリガーの能力にある。

 周囲のトリオンを吸収し、自分のものにする能力。

 つまりトリオンを私で補うのではなく、周囲のトリオンで補っている。それは例えば、トリオンで作られた武器であったり、レーザー光線だったり、そういったものを吸収して自らの力に変換する。宿主の私が願えば、トリオン体になっている人たちからだってトリオンを奪うことだって可能だ。
 まるで魔法みたいな力だけど、どういう仕組みになっているのかは分からない。それを兵器に教えてくれる人はいなかった。
 兵器となった私はたくさんの人を殺した。私が敵のトリオンを奪ってトリオン体を解除させたところを、他の誰かがトドメを刺すということが多かったから直接手を下したことは数えられるくらいだが、結局のところは私が殺したようなものだ。普通の女子高生だった私は、たった半年ほどで人殺しになった。
 死が目の前に迫った人たちの顔の、なんと憐れな事だろう。私が死ぬ時もあんな顔をしていたのだろうか。もう二度と死にたくない私は、逆らうことなく人を殺し続けた。そんなことが、たぶん半年くらい続いた。
 そんな中、この世界がとある惑星へ侵攻する作戦を立てている。……というのを聞いたのが、つい先日のことだ。 玄界ミデン という所で、随分と特別な場所らしい。数百年に一度通るか通らないかといった軌道の中にある惑星の中で、いっとう目ぼしい場所だと言っていた。私という兵器が完成したから、よその惑星に攻め込む算段がついたらしい。

 私が逃げ出そうと思ったのは、その時だ。

 惑星の間を行き来するのには、たくさんのトリオンが必要だと知った。 玄界ミデン を行き来するためのトリオンをたくさん集めていることも(無能そうな司令官が自慢げに話していた)、それを集めるにはかなりの月日が必要であることも知っている。
 だから私は、そのトリオンを全部奪って自分だけ 玄界ミデン に渡ることを決めた。このブラックトリガーならば、それが出来る。トリオンがある限り、このトリガーは私の願いを叶えてくれる。
 そんなブラックトリガーを持つ私が何故今まで逃げなかったのかと言えば、逃亡先に選べそうな場所が無かったからだ。この惑星内に逃げる場所なんてないし、私が殺した人たちの惑星に逃げ込むこともしたくない。何せ、この惑星を攻めてきた人たちだ。私も殺されるに決まってる。
  玄界ミデン への侵攻は、そんな私に与えられたチャンスだった。今回のタイミングを逃したら次に惑星が近づくのは数百年後、つまりここ数百年は侵攻したこともされたことも無い惑星であり、なにより、この国より豊かな場所だと言われている。逃亡先としては十分だ。
  玄界ミデン へ侵攻する日。私は実験施設から逃げ出して、トリオンの保管場所へと走った。今まで従順だった私が反抗することなんて、予想していなかったのだろう。逃げ出すことは簡単だった。とはいえ、これから戦地へ赴く奴らが武装していない筈もなく、逃げ出した後は大勢の兵士たちに追われることとなる。

 ―― そして、冒頭へと至る。

*****

 吸収し損ねた弾が私の足を掠った。痛くも痒くもないし、吸収したトリオンがすぐに傷口を塞ぐ。時折反撃をしては追手の人数を減らしながらも、足は迷わずトリオンの保管場所へと向かう。施設の構造を知っているわけではないけれど、迷うことは無かった。私のトリガーが、トリオンがたくさんある場所を教えてくれたから。

「生成、《ウォール 》!」

 目的地が目と鼻の先となった時、私は分厚い壁を生やして通路を塞ぐ。吸収したトリオンのほとんどを使って作った壁だ。そう簡単には壊れやしない。背後で聞こえる破壊音をよそに、巨大な保管装置の中に渦巻くトリオンを見上げ、手を伸ばした。

「全部―― 全部吸収して」

 装置の中で遊んでいたトリオンが、私へと向く。私のブラックトリガーへと、吸い込まれていく。これだけの量のトリオンを吸収するには数十秒かかるようで、背後の壁を壊す破壊音が近づいてきていることに焦りを抱く。早く、早く。ここまで来て捕まったら、私の未来なんて一つしかないのだから。
 壁の崩れる音が、近くなる。最悪、転送に必要なだけのトリオンを吸収して切り上げることも考えてはいるけれど、それは最終手段。トリオンさえ足りれば、あいつらは私を追ってくる。私を追えるだけのトリオンを残していきたくはなかった。ここで全て奪ってしまえば、あいつらは 玄界ミデン に移動できなくなる。無能そうな司令官が「失敗したら次は無い」って言っていたから間違いない。
 80%、85%、90%―― あとすこし。怒号がすぐそこまで迫っている。95%、97%、99%……壁が、崩れる。


「―――― 《私を 玄界ミデン 転送テレポート 》!!」


 100% ――、 私の身体が光に包まれる、と同時。パァン、と弾が私の腹を貫いた。転送へと力を割いていたトリガーはそれを吸収するに至らず、でも、あいつらは一足遅かった。私のトリオン体は崩れ始めてしまったけれど、転送は既に実行されている。


「さようなら、もう二度と  」


 会うことはないでしょう。光の中に消える私は、きっと笑っていた。

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