幼なじみの凛くんとキスしないと出られない部屋

こんな非現実的なことがあってたまるか。わたしは心の中で何度もそう叫んだし、おそらく同じ思いであろう凛はその長い御御足でガンガンと扉を蹴りつけていたけれど事態は変わらぬままだった。

学校帰り、隣に住む幼なじみの凛と駅から一緒になって、他愛もない話を一方的に聞かせながら歩いていたときのこと。突然ぐらりと世界が揺れて、地震かと身構えた瞬間凛に抱き寄せられ、ぼすんと厚い胸板に顔がぶつかったので反射的に目を閉じた。幸い揺れは止まったので、心配してくれたのかなと少し照れながら彼を見上げようとして、周囲の異変に気づく。どうやらわたしより先にその変化を目にしていた彼は、警戒するようにわたしを抱く腕に力を込めていた。

「……ここ、どこ」
「知るかよ」

一瞬のうちにわたしたちは見慣れた地元から生活感のない質素な白い小部屋に移動していた。わけがわからない、そう思った時、突然ピロンと軽快なメロディが鳴り機械的なアナウンスが流れる。「こちらはキスをしないと出られない部屋です。達成後、前方の扉が開きます」はあ?????

そして冒頭へと戻るわけだ。携帯は圏外になっているし、男の力で部屋を出ようと試みても無理だった。夢でも見ているのかと頬を抓ってもばっちり痛い。つまりこれは、信じられないけれど、……現実。そう悟ったわたしは頭を抱えながらも脱出方法について考える。先程のアナウンスに従うしかないんじゃないか、という思考に行き着くのは当然だった。
そもそもこの部屋には食糧も飲料水も見当たらない。長く閉じ込められでもしたら命の危険すらありえるだろう。そうだ、それにお手洗いとかも行きたくなったらどうしよう。いろいろ問題が生じる前に、とりあえず言われた通りにしたほうがいいのでは……そこまで考えて、わたしはぎゅっとスカートの裾を握った。

……それしか方法がないとはいえ、キスするって、凛と??
そんな、ただの幼なじみ相手に、と思いながら視線をやると彼もこちらを見ていたので目が合ってしまった。慌ててばっと顔を逸らす。……なんだこれ、恥ずかしすぎるんだけど。どうしたものかと思っていたら凛はわたしに背を向けてまた扉を蹴り始めた。いつもクールぶってるけど単細胞なところあるよね、君。けれどもそれはさっき散々試したから、どうせ無駄だろう。そう諦めたわたしは一つ息を吐いた後、腹を括って凛に声をかけた。

「……ねえ凛」
「しねぇぞ」
「まだ何も言ってないけど!?」
「お前が考えてることなんか顔見りゃわかんだよ」

しかしせっかく振り絞った勇気は即却下されて泣きたくなった。いや!! そりゃ!! わたしなんかとキスなんてしたくないだろうけどさあ!! でもさあ!!

「仕方ないじゃん出られないんだから! 凛は嫌かもしれないけど諦めてよ」
「嫌がってるのはお前だろうが。あんな勢いよく顔背けやがって」
「え」

チッと舌打ちされた後に顔中を不機嫌にしながらそう言われて頭にハテナが浮かぶ。……なんかこれ、拗ねてるみたいじゃない? 凛、わたしに嫌がられたと思ってへそ曲げてるの?? そう思うとちょっとだけかわいく思えてしまった。本人はまだ苛立ちをぶつけるように扉に体当たりしているけれど。

「……凛」
「んだよ」
「べ、別に嫌じゃないよ。さっきはちょっと照れただけだよ」
「……」

そう言うと凛が動きを止めてこちらを見てくる。その目は鋭くて睨まれているようでちょっとだけたじろいだけれど、それよりこれじゃわたしが凛とキスしたいって言ってるみたいじゃん! と気づいてしまってそれどころじゃない。わたしは誤魔化すように、慌てて口を動かした。

「き、キスっていってもさ、場所は指定されてなかったし! もしかしたら手の甲にちゅってするだけでいいかもしれないじゃん。それならよくない? 挨拶みたいなもんでしょ」
「……お前そんな挨拶したことあんのか」
「ないけど! そう思ったほうが楽じゃん!!」

恥ずかしくて思わず大声を出すと、凛がこちらへと歩み寄ってくる。状況が状況だからかたったそれだけのことに心臓が波打った。部屋が小さいせいで、あっという間に凛はわたしの元へたどり着く。そしてふてぶてしい態度でわたしに手を差し出してきた。

「ほらよ」
「……わ、わたしがするの?」
「言い出したのはお前だろうが」
「そ、そうだけど……」

まあでもされるのもちょっとキツいしな、と思ってとりあえず彼の手を取った。そこではたと気づく。……凛の手って、こんなに大きかったっけ。指も長くて、爪も整えられてて、すごい綺麗じゃん。そんなことを考えた瞬間、めちゃくちゃ恥ずかしくてぶわぁっと顔が熱くなった。だめだだめだ、勢いでいかなきゃこういうのは! しかしわかってはいるけれど、どうにも一歩が踏み出せない。凛の手を握ったまま固まっていると、彼は面白くなさそうに口を開いた。

「……しねぇのかよ」
「う、うっさいな! こっちにはこっちのペースがあるのっ! ていうか恥ずかしいから目閉じててよ!!」
「……」
「なんでそこで黙るの!?」

さっきまでは手しか視界に入れていなかったからわからなかったけれど、話しかけられたことで上を向くと凛にガン見されていることに気づいてしまった。しかしやめろと言っても彼は聞いてくれない。頑固な凛のことだ、理由はわからないけれどこうなったら絶対手に負えないからこちらが折れるしかない。ため息をつきたくなるのを堪え、恥なんて一瞬のはず! と自分に言い聞かせて、ええいままよと顔を寄せた。凛の滑らかな肌に、わたしの唇が触れる。その体温に胸がぎゅうっとなった。……どうしてこんなに、恥ずかしい。

「は、はい! 終わりっ!! ……ひゃあっ!?」

照れ隠しにわざと大きな声を出す。しかしその瞬間、されるがままだった凛の手が突然意志を持ち、握っていたわたしの手をぐいっと引っ張った。あ、と思った時にはわたしの手の甲に柔らかい感触が添えられている。……凛の、見慣れたあの薄い唇は、こんなにも潤っていてふわふわなのか。
ドキドキしながらわたしは自分の手の甲から少しだけ視線を上げた。そして、呼吸の仕方を忘れてしまう。……だって凛が、その目が覚めるようなブルーグリーンの瞳が、わたしのことを捉えていたから。

「……っ、」

心臓が早鐘を打つ。時が止まったようだった。思わず手を引っ込めようとするも、思ったより力が込められていて動けない。やめてと冗談めかして笑うことすらできなかった。……凛が、わたしを見ている。
数秒経ってもそのままで、恥ずかしいと同時にいつまでこうしているんだと目が回ってきた。そして変わらない環境に気づき、もしかして手の甲じゃだめだった!? と慌てた時。ガチャリと錠が開く音がする。

「っあ! 開いた!?」

無駄に明るい声を出すと、彼はようやく唇を放してチッと舌打ちをした。なに、なんで舌打ち……!? そう思っていると凛はそのままわたしの手に指先を絡め、ずんずんと扉に向かって歩き始めた。なに、なんで手、繋いだままなの!? そう聞きたかったけれどさっきの熱の篭った瞳や手のひら全体に感じる体温にクラクラしてうまく言葉を発せない。

一人でドキドキしてバカみたいだ、そう思いながらわたしの手を引き少し前を歩く凛を見上げる。すると彼の耳が、ほんのりと赤く染まっていることに気づいてしまった。わたしはそれに息をのみ、どうしたらいいかわからず唇を噛みながら視線を逸らす。扉の向こうには見慣れた風景が広がっていた。

立ち止まることなんて