幼なじみの凛くんを傘の中に入れてあげる話


「こんにちは、名前です! 凛と冴くんの傘持っていきます!!」

弟を迎えに行くため家を出て、隣の家のチャイムを背伸びして鳴らす。名前と用件を伝えると、糸師家のお母さんが出てきてありがとうと二人分の傘を渡してきた。突然雨が降ってきた日はいつもこうである。

数年前、凛が冴くんに誘われてサッカーを始めた。するとそれを見た私の弟も後に続いたので、私はお迎え担当になった。たまに送りに行ってそのまま練習を見ることもある。弟は凛くんと冴くんがいるからいい、とよく言ってくるのだけれど、私はなんとなく着いていきたかったのだ。
だってサッカーをしているみんなを見るのが好きだったし、迎えに行くと、凛がぱぁっと顔を明るくするのを見られるのがなんだかとても幸せだったから。





「名前ちゃん! 傘持ってきてくれたんだ。ありがとう」

終了時間より早めに到着してみんなの練習を見守って、終わってから三人の元へ行くと凛が嬉しそうな声を出す。どういたしまして、と一人ずつ傘を渡していくと、冴くんは「これくらいの雨なら持ってこなくていいのに。重かっただろ」と言った。それに大丈夫だよと笑顔を返す。冴くんはいつも優しい。

じゃあそろそろ帰ろうか、と歩き始めた。するとそのタイミングで彼らのチームメイトが声をかけてくる。

「お前ら傘もってきてくれるひといていいな〜!! おれも姉ちゃんいたらよかったのに」

風邪引くー、と困った声を出す男の子。私は思わずその子に話しかけた。

「あ、私の貸そうか? 弟といっしょに入るから」
「えっ姉ちゃん入ってくんのかよ」
「なによ、なんか文句あんの」
「別にないけどさ〜」

そんなやり取りをしていると、凛が口を開いた。

「おれの貸すよ。そっちの方が返しやすいだろ」
「サンキュ、凛! 明日返す」
「うん」

そして凛はその子に傘を渡す。あ、濡れちゃう。そう思って私は咄嗟に凛を自分の傘に入れてあげた。

「ありがとう。このまま名前ちゃんの傘に入っててもいい? おれが傘持つから」

たぶん冴くんの傘に入るんだろうな、と思っていた私は予想外のことに目をぱちくりする。でも断る理由もなくて、こくりと頷いた。

「凛、濡れてない?」
「おれは大丈夫。でも名前ちゃんが濡れそうだからもっと近くにおいでよ」
「う、うん」

相合傘ってこんなに近いんだな。もっと小さい頃は手を繋いだりしてたのに、最近はそんなこともなかったから少しだけ照れた。
肩と肩が触れる距離に凛がいる。そう思うとドキドキして、道端の水たまりがキラキラして見えた。傘を弾く雨音がなんだか楽しげに聞こえる。最近音楽の授業で習ったワルツのリズムを思い出した。




急に降り始めた雨は急に上がった。凛が傘を畳んだことで視界が広がる。なんとなく空を見上げると、雲の切れ目からきらきらと星が輝き始めていた。
雨上がりの空気は澄んでいて肌寒い。思わずぶるりと震えると、大丈夫? と声をかけられた。そして突然凛に手を握られる。

「さっき肩くっついてたらあったかかったから、手も繋いでたらきっとあったかいよ」
「……うん」

優しい笑顔でそう言われて、私は少しドキドキしながら彼の柔らかい手のひらを握り返した。その時流れ星が落ちるのを視界の端に捉える。

あ、と言う前に消えてしまったそれに、心の中で願い事をした。こうやってずっと、凛のそばにいられますように。





「やっぱりまだサッカーしてた。風邪ひくよ、凛」

あれから随分年月は流れた。弟はサッカーを辞めて野球を始めたし、冴くんはスペインに行ってしまった。いま私の周りでサッカーをするのは凛ひとりである。
部活帰り、突然降り出した雨になぜかあの頃を思い出して、久しぶりに昔よく行ったグラウンドへ向かうと、そこでは予想通り、凛が眉間に皺を寄せながらシュートの練習をしていた。同じことをしているのに、随分変わってしまったなぁと思う。凛は背が伸びてかっこよくなって、……そしていつも苦しそうだ。

「そろそろやめにして帰りなよ。久しぶりに傘入れてあげようか」
「……いらねぇ」
「傘もってるの?」
「……」
「持ってないんじゃん。まったく、体壊したら元も子もないでしょ」

納得してくれたのか、もともと帰るつもりだったのかはわからないけれど、凛が渋々と帰る準備を始めた。別にいいと言われたけれど、待っていても暇だったのでわたしもボールの片付けをとりあえず手伝ってみる。そしてすべて終わったところで、凛がわたしの傘を取り上げた。俺が持つから入れということなのだろう。昔はあんなにかわいく「入っててもいい?」って聞いてくれてたのになぁ、と思うとため息が出た。

「なんだよ、なんか文句あんのか」
「別に、なんにもー。……っていうかなんかまた背伸びたんじゃない? いつまで成長する気よ」
「うるせぇな」

あのときたしかに触れ合っていたあの肩は、今ではずいぶん遠くにいってしまった。それに少しだけ寂しさを覚える。……いや、違うな。私はたぶん、ずっと寂しいんだ。もうあの頃みたいに三人が楽しそうにサッカーをするところは見られないだろうし、凛と冴くんは何かあったみたいだし、その何かすら私はぜんぜんわかっていないし。なんて考えながら凛を見つめる。

「なに見てんだ」
「別に」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「なにもないよ。昔相合傘したときのかわいい凛を思い出して、変わっちゃったなって悲しくなってるだけ」
「ガキの頃と比べたら変わんのは当然だろ」
「あんたは変わりすぎなのよ」

そんな憎まれ口を叩いているうちに、傘を叩く優しい音はなくなってしまっていた。止んだな、と凛が呟き傘を閉じる。雲の切れ目から、きらりと星が瞬いているのを見つけた。それにまた、あの日を思い出す。

「……ねえ凛」
「ん?」
「傘ならいつでも持ってきてあげるから、あんまりムリしちゃだめだよ」

そう言って凛を見上げた。彼は無表情に私を見下ろしている。何を考えているのか本当にわからないな、なんて思っていると、急に風が吹いて身震いした。

その途端、凛が。私の手を握る。その手はがっしりとしていて昔とぜんぜん違うのに、体温だけは優しいままで少しだけ泣きたくなった。

「……手のあったかさは変わらないんだねぇ」
「あ?」
「なんでもない。あ、流れ星」

目を逸らした先で、星がきらりと流れ落ちた。私はそれを見て切に願う。せめて誰よりもずっと、凛のそばにいてあげられますように。できることならこうやって、ぬくもりを分け続けられますように。

音の庭にていつまでも