恋のから騒ぎ


「よぉ、夜の三冠王」
 つい最近週刊誌の誌面に載った『不名誉な名前』で呼ばれた俺は、不機嫌な表情で後ろを振り返った。声を掛けてきた相手は勿論分かっている。
「カルロ、『それ』やめてくれる?」
「名誉なことだろ、色男」
 高校生の時からちっとも変わらないヘアジェルでビシッと決めた髪型を撫でながら、現在広島の球団に所属するプロ野球選手である旧友の神谷カルロス俊樹は、歯を見せて笑った。思わず大きな溜息をつく。そんな俺たちのやりとりなんかそっちのけで盛り上がる周囲は、ゲストの女優とかアイドルが可愛い、なんて話題で盛り上がっていた。

 シーズンオフに突入すると舞い込むテレビの仕事は、もはや毎年のことだ。そういうのを毛嫌いしたり苦手に思う奴もいるけど(例えば一也とかね)、それって人気がある証拠だし、俺はわりと好き。だから毎回出演のオファーが来るたびに所属する球団も俺に話を持ってくる。今日のこの撮影もそうだった。今年一年間のシーズン映像を見ながらトークする番組。所謂『珍プレー好プレー』ってやつ。
各球団からひとりずつ選ばれた選手たちは、テレビ局の一角にある大部屋に集められて収録までの時間を各々好きに過ごしていた。緊張した面持ちの若手もいれば中堅、ベテランもいて年齢層はバラバラ。此処に雅さんがいればいいなぁって思うけど、雅さんもこういう仕事は滅多に受けないから、来年七年目を数える俺のプロ野球生活の中で今まで、雅さんとテレビ局で顔を合わせたことはなかった。逆によく会うのが、今俺の前でニヤニヤ笑ってるカルロス。カルロは自分から番組に出たいって手を挙げるタイプじゃないけど、場の空気も読めたり気を遣えるしサービス精神も持ち合わせてるし、なんだかんだトーク力もあってファンも多いから、多分番組的に使い勝手がいいんだろう。だから俺と並んでオフシーズン中のテレビ番組ゲスト常連。まあ俺も気心知れたカルロがいるだけで気分がアガるし、嬉しいよ。さっきみたいに失礼なこと言われたりするけど。
「だいたい夜の三冠王ってなに? もっとマシな言葉ないわけ?」
「いやぁ〜笑った、笑った」
「職場の飲み会を合コンって…もっと裏とってから記事にして欲しいよ」
「お前が否定しないからあんなこと書かれるんだろ」
 カルロスの言葉に、俺は返す言葉もない。まあ実際その通り。俺は、男女問わず飲みに行くのが好きだ。交友関係も広くて派手だって自認してる。でもそれを面白おかしく週刊誌に書かれるのは気に入らない。じゃあなんで声をあげて抗議しないかだって? まあ、俺にも色々あるんだよ。そんな風に自分自身と会話していたら、カルロスが珍しく周囲をきょろきょろと見渡して、そして俺の耳元で囁いた。
「収録終わってから時間あるか?」
「…なに、どうしたの?」
「いや、芽衣子と三人で飲みに行こうぜ」
 芽衣子。俺は久しぶりに聞くその名前に懐かしさを感じて目を見開いた。
「いいけど、珍しいね。久しぶりじゃん、芽衣子元気にしてる?」
「まあまあ」
 そう言うカルロスの顔は、すっかり『彼氏』って感じの表情を浮かべてる。それがなんだか擽ったかった。
 俺と似た名前の芽衣子は稲実の同級生で現在どっかの市役所で働いてるカルロスの彼女の名前だ。芽衣子は稲実時代、吹奏楽部でサックスを吹いてた。俺達野球部と吹奏楽部はやっぱり切っても切り離せない縁があって、そういうのをきっかけにしてカルロと芽衣子は高校生の時から付き合ってて、今に至る。……ってことはもうそろそろ十年近いんじゃないだろうか。カルロは遊んでそうに見えて意外と一途だしマメだし彼女想いだ。素直に凄いなって思う。俺にはとても無理な話だから。
「そろそろ結婚すんの?」
 改めて流れた月日を実感して、思わずそんなことを尋ねていた。カルロは俺の言葉にちょっと驚いたようでいつものポーカーフェイスを崩す。それからもう一度周りを見渡して、
「…あー、うん」
「え、マジ⁉」
 顎を引いて頷いた肯定に、俺は声を上げた。カルロは「そんな驚くことか?」と呆れながら頬を掻いている。
「仕事も順調だし、結婚しねぇ理由がないなって思ったんだよ。で、プロポーズしたら向こうもオッケー」
 普段飄々としているカルロスが、照れてる。それは直ぐにわかった。伊達に長い付き合いじゃない。結婚。そうか、結婚か。なんだか自分のことのように嬉しくて、思わず頬が緩んだ。
「今日はお祝いだね。奢ってあげるよ」
「そんな気遣いしなくてもいいって」
「いいんだよ、俺がしたいだけだから」
 カルロスはまだ照れくさそうだった。うーん、しばらくこのネタで弄れそうだな。日頃の仕返しだ。
「結婚式は? どうすんの?」
「そういう話は後でな」
 身近な友人で結婚するのはカルロスが初めてだ。色々聞きたいことが多すぎる。俺がそれを参考にする日は来ないだろうけど、それとこれとは話が別。だけどカルロは唇に人差し指を突き立てて、それきり口を閉じた。ちょうど収録開始の時間になってスタッフさんが俺たちを呼びに来たのも、きっとカルロスにとっては助け舟。
 ぞろぞろと皆で番組を収録するスタジオまで大移動。若手選手たちはテレビ局が珍しいのかキョロキョロと周囲を見渡しているけど、俺もカルロも慣れたもんだ。
「鳴は?」
「え?」
「相変わらずか?」
 カルロスが耳元で囁いた言葉に、俺はどう返していいかわからず口を閉じたままにした。不明瞭な問いだったけれど、『なに』を尋ねているかは理解る。カルロはいっつもそうだ。いつも俺のことを心配してる。それを「俺の問題だし、カルロには関係ないだろ」って切り捨てるのは簡単なんだけど……
「相変わらずだよ。相変わらず友達はいっぱい居て、仕事も順調でさ。あっ、最近、新しいオーブン買ったんだよ。色々最新機能ついてるやつ。やっぱり家電は高ければ高いほどいいね。ひとりで料理作ってひとりで食べてさぁ、……気楽だよ。気楽が一番」
 ありったけの明るさでそう語ったのは俺の意地で、カルロスの優しさに対するお返しだ。それに対してカルロが何を思ったのかは、わからない。わからないけど、小さな溜息をつかれたからきっと呆れてるに違いない。
 だけどさ、仕方ないじゃん。言葉に出来ない思いを胸の内で持て余していたその時、
「え〜〜〜それって、野々花のこと好きってことですかぁ?」
 耳をざらりと撫でる女の声に俺は思わず顔を顰めた。
「そうそう」
「やだ、うれし〜〜〜」
 ムカムカと胃から喉の方へとせり上がってくるのは嫌悪感以外のなにものでもない。
「鳴」
「なに?」
「あからさますぎる」
「……わかってるよ、気を付ける」
 だって『彼女』とは、今からしばらくの時間同じ空間で『仕事』をしなくちゃいけない。カルロが耳打ちした忠告に、俺は小さく顎を引く。さっき楽屋で『彼女』のことを噂してた人たちは、「やっべ、やっぱり『しのーか』は可愛い」なんてコソコソ話してるから、それもやっぱり気に入らない。
――『しのーか』。
最近話題のグラビアアイドルだ。『あざとい』キャラが男に人気。そういう情報は俺の耳にだって入ってくる。情報源はアイドル好きの後輩、樹から。アイツ、清楚系が好きだったはずなのにな。そういう奴でさえファンにするほど、彼女は『あざとい』のかもしれない。なんて考えて、俺は頭を『仕事』モードに切り替えるために大きく溜息。息を肺に送り込んで、また吐き出す。大丈夫だ、大丈夫。俺は成宮鳴。その言葉は、いつもの呪文。
「選手の皆さん、入られまーす」
 スタッフの明るい声を先導に、スタジオに入る俺達。照明が眩しい。だけどスポットライトが当たるのは嫌いじゃなかった。我ながら難儀な性格してると思うよ、ほんと。
そして俺達選手の後に続いたのが、
「篠田野々花さん、入られまーす」
「よろしくお願いしま〜す♡」
 その声に感じるのはやっぱり嫌悪感しかない。別に、『しのーか』だからっていうわけじゃない。それは否定しておく。それでも間違いなく『しのーか』は俺の地雷だった。彼女のことは周囲がそう言うように可愛い子だとは思うよ、客観的に見て。だけど俺はやっぱり、彼女のことが嫌いだ。
 っていうか。ぶっちゃけて言うとさ。
『夜の三冠王』なんて週刊誌に面白おかしく書かれて、世間的なイメージも『派手』で女の子と『遊んでる』って言われてる俺――成宮鳴は、大の女嫌いなんだよ。
驚いた? 理由はいろいろあるよ。今は割愛するけど。でもさぁ『真実』なんてそんなもんだよ、実際。世界なんて個人の主観でしかないんだからさ。……なんて、そんな風に常日頃考えている俺だったけど。この数時間後に自分自身がそれを実感することになるなんて、思いもしなかった。だからこそきっと人生は面白い。今になって振り返ってみると、そう思う。



 この話は、そんな女嫌いの俺と、『しのーか』こと篠田野々花の二年に渡る――間違いなく『嫌悪』と『恋』と『愛』の物語だ。