ハクバノオウジサマ

(捏造あり)
(王野くん二年生設定です)


「新太郎ぉ」

昼休み。二年生の教室に駆け込んだ私を呆れた視線で一瞥したの王野新太郎だった。

「…あずさちゃん、またなの?」
「だって、だって仕方ないじゃん…!」

新太郎は私の家のお向かいにある王野さん家の息子さん。所謂幼馴染ってやつだ。幼稚園から小学校、中学校、高校まで一緒。一歳年上の私を追いかけるように新太郎が白龍高校に入学したのには驚いたけれど、「野球部が強いから」という理由なら仕方がない。ちなみに私は家から近いし制服が可愛かったから進学しました。まる。
半泣きで新太郎の背中にべったりくっつけば、「もうちょっと恥じらいもって」と頭をチャップされた。……うぅ、厳しい。

「小学生じゃないんだから当然でしょ」
「……はぁい」

怒られたので、そっと離れた。そして主がいない新太郎の前の席に腰を下ろす。それからいつものように持参したお弁当を広げた。
私たちの距離は、近い、らしい。
いまいちよくわからないけれど。新太郎は、なんていうか、私にとって弟みたいな存在なのだ。兄弟だと思えば普通の距離感じゃない?と箸を持ったまま小首を傾げれば、目の前に座る新太郎に大きなため息を吐かれた。

「ちょっとはこっちの苦労も知って欲しいんだけど」
「………?」
「それよりあずさちゃんいつも来るけど友達いないの?」
「いるよ!」

確かに毎日毎日新太郎の元へ駆け込んでいるのは否定できない。でも友達がいないなんて失礼な。ただ仲がいい子達は同じクラスの子が多くて、でも私は教室に居たくなくて、…ひとりで外のベンチで食べるよりはいいかなと思ってついつい新太郎の元へと足が向くのだ。

「新太郎、卵焼きひとつ頂戴」
「えー」
「もーらいっ」

新太郎のお母さんのつくる卵焼きはとっても美味しい。頂戴の言葉と同時に箸を伸ばせば、いつものことなので呆れられながらも拒否されることはない。新太郎は優しいのだ。ほんのり甘い卵焼きをもぐもぐ咀嚼しながら、懐かしい二年生の教室をぐるりと見渡す。去年は私がこの教室で授業を受けていた。設備は変わっていないのに、人が変わるだけで掲示物も雰囲気も全てがガラリと変わる。三年生である私がほぼ毎日こうして訪れることを、嫌だなぁ、と思っている人もいるかもしれないけれど。今のところはこそこそと此方を指差して揶揄するような子達はいなかった。
なんというか、全体的にのほほんとしたクラスの雰囲気なのだ。だから私もついつい居座ってしまう。

新太郎となんてことない世間話を交わして、お弁当を半分ほど食べ進めた時。穏やかだった教室の雰囲気がザワリと揺らいだ。思わず周囲を見渡せば、後方の入り口に見覚えのある姿。私は思わず動かしていた箸をピタリと止める。視線をあからさまに逸らし、窓の外に見える大きな入道雲をジッと見つめた。新太郎がなにか言いたげな顔をしているのが視界の端に映るけれど、どうしようもない。
うまく呼吸が出来ず、心臓の鼓動が少し早くなる。そうこうしているうちに、みんなの視線の的はこちらへやって来たらしい。

「王野」

心地いい低音が、新太郎の名前を呼んだ。私は相変わらず雲を眺めたまま。だけど声だけでわかる。同じクラスの美馬くんが、私達の傍に立ってこちらを見下ろしていること。私は思わずゴクリと唾を飲んだ。
美馬くんは、私の存在には特に触れず新太郎と部活の話を始めた。私はそんな彼の言葉を一言一句漏らさないよう聞き耳を立てる。…まあ聞いたところでちんぷんかんぷんなんだけれど。それでも、彼の声を聞けるのは…なんだかとても嬉しかった。
美馬くんは、絶対に面と向かって私と話をしない。
時間にしたら多分五分ぐらいのなんでもない会話。私はいつまでも窓の外を見ているわけにも行かず、俯いて手を動かしてお弁当を食べる。新太郎が美馬くんと話をしながら、私の方をチラチラ見ているのがわかるけれどもうどうしようもない。
結局彼が教室を出て行くその瞬間まで、私は彼の姿を見ることが出来なかった。

「……邪魔したな」

彼は去る時に一言、そう言った。私はそれに対してさえも苦しくて反応が出来ない。俯いたまま、唇を噛んだ。

「あずさちゃん」

呆れたような新太郎の声音に、私はようやく顔を上げた。さっぱりとした造形の双眸が私をジッと見つめている。

「なに」
「いい加減素直になったら?」
「……うん」

そう返事をしたものの。
私の心臓はジクジクと熟れてどんどん腐っていくように思う。
素直になったところでこの事態が一体どうなるというんだろう。
私は、多分美馬くんに嫌われているのだ。
…それに。

「美馬くん彼女いるから」

私のポツリと呟いた言葉は、教室の喧騒に紛れて溶けて消えた。




美馬くんこと、クラスメイトの美馬総一郎くん。
彼と私は去年も同じクラスだった。自分で言うのも何だけれど、一学期の間はそれなりに仲が良かったように思う。モデルさんのようなスラリとした体躯に所謂イケメンと呼べる顔立ち、さらに足も早くて、強豪の野球部のレギュラー。そんな美馬くんと平々凡々な一般生徒代表みたいな私が、普通にお喋り出来ていたあの四ヶ月間が特別だったのだ。今になってそんな風に思い知らされている。
去年の夏休み明け、二学期が始まってから。彼は私に対してとてもよそよそしい態度をとるようになった。
どうやら私は知らぬ間に美馬くんを怒らせてしまったらしい。…理由は思い当たらないけれど。振り返ってみても、彼に対しておかしなことをしたつもりはないんだけど。例えば夏休みの登校日ついでに練習をチラリと覗いたり、試合を観に行ったりするのが気に入らなかったんだろうか。
だけどそんなことをしている子達は他にもいっぱいいる。
いっぱいいるのに。
私たちの間にだけ、僅かな亀裂が入って、そして元に戻らなくなったのだ。


決定的な出来事は、三年生に進級してしばらく経ってから。
GW明け。耳が拾ったのは、美馬くんの周りに集まっていた野球部同士の会話。その瞬間、私の心臓は凍りついた。

「美馬、みゆきと連絡先交換したんだって?」
「ああ」

ーーーみゆき。
それは明らかに女の名前だったし、「お前いつの間に…!」と羨ましそうな声をあげる周囲の子達の様子を見る限り、多分すごく美人なんだろう。高嶺の花、そんな言葉が似合う美しい女の子のシルエットが脳裏に浮かび上がった。

「ライン?」
「いや、今時ガラケーらしい。アドレスを交換した」
「マジで!?」

なんて騒がしい会話に聞き耳を立てながら、私の失恋は確定したわけだ。きっとその"みゆきさん"は、美馬くんの隣に立っても見劣りしない美人な子なんだろう。スマホ全盛期の今、ガラケーなんていうのもある意味高得点というか…ギャップ萌…?
美馬くんと仲睦まじく寄り添う奥ゆかしく清楚な女の子の姿を想像して、ひとり教室の片隅で拳を握りしめた。

それからだ。
私が美馬くんを目に見えて避けるようになったのは。だって美馬くんには"みゆきさん"がいるわけだし…と心の中で言い訳を並べ立てては、とにかく彼との物理的な距離をとって接触を拒んだ。昼休みに新太郎のクラスに逃げ込むようになったのも、それが原因。
だって美馬くんの口から彼女の話なんて聞きたくなかった。
そんな私を新太郎はとても呆れながら、それでもなんだかんだと迎え入れてくれる。持つべきものは優しい幼なじみである。



[ たまには別の場所で食べない? ]

新太郎からそんな風に提案があったのは、それから数日後のことだった。お弁当を片手に、ラインのトーク画面に示されていた空き教室へ。がらりと音をたてて教室の扉を開き、中を覗き込んでみれば、無人だ。どうやらまだ新太郎は来ていないらしい。指定したくせに遅刻か、と唇を尖らせる。
だけどまあ。もしかしたら、そろそろ教室で昼休みを過ごす同級生達から何か言われたのかもしれないなぁ、なんて考えに至って私は素直に窓辺に置かれた机の上にお弁当を置き、椅子に腰掛けた。
教室に差し込む光が鋭い。
ついこないだ制服の衣替えをしたばかりだというのに。もうすぐ夏休みがやって来る。
高校三年生の、夏。
野球部は既に県予選が始まっていて、我が白龍高校は順当に勝ち上がっているらしい。なんたって三月の選抜に出場したのだ。春夏連続出場を、なんて期待する気持ちが大きくなるのは仕方がない。
更に言えば、今のチームのエースは新太郎なのだ。うちの両親なんか、甲子園出場の暁には(もちろんその前からもだろうけれど)御近所さん総出で兵庫県まで応援に行く算段を今から相談しているらしい。

「甲子園、かぁ…」

私は、春の選抜の応援には行かなかった。受験生だから、と春期講習を理由に逃げたのだ。理由は、まあ、お察しの通り。
美馬くんだ。

「また"白馬の王子様"って騒がれちゃうんだろうな」

眉目秀麗な美馬くんが活躍するたびに、SNSのタイムライン上で「格好いい」「イケメン」なんて単語が飛び交っていた。自分と美馬くんの間に入った亀裂を憂いていたその当時の私にしてみれば、彼がどんどん手の届く人じゃなくなっていく(元から同じ立場にはいない人だろうけれど…!)焦燥感と、好きって気持ちを素直に表現できる他人の気楽さに苦い思い出しかない。
少しばかり埃っぽい教室に重たい私の溜息が、ぽとんと落ちた。

去年の今頃は良かったなぁ、なんて。
思い出すのは、相変わらず熱い群馬の夏。
真っ白なユニフォーム。
大勢のギャラリーに混じって練習を眺めていたら、美馬くんが私に気がついて僅かに手を挙げてくれた。少しばかり感じた優越感。

(…そういう邪心が、一番駄目だったのかな)

後悔しても、もう遅いけれど。

しかし、それにしても。
…遅いと言えば、新太郎である。
何かあったんだろうか、とお弁当の隣に置いていたスマートフォンに手を伸ばして、新太郎に連絡を取ろう、とラインのトーク画面を起動させたその時である。

「…は?」
「……神崎…」

トーク画面に表示されている活字の意味を理解できずに間抜けな声を漏らしたのと、教室の扉がやって来て予想だにしていなかった来客が私の名前を呼んだのはほぼ同時だった。

「み、ま、くん」

裏返った声で彼の名前を紡ぐ。
キリリと鋭い彼の眼光が私を射抜いた。だけど随分狼狽えているように見えるのは気のせいだろうか。

[ 美馬さんとキチンと話して ]

先ほど見たトーク画面の文字が脳裏にチラつく。新太郎の要らぬお節介に頭を抱えたくなった。彼もまた後輩にはめられたことに気づいたのか、顔を顰める。その歪んだ眉間に私の心臓は冷えた。好き好んで片想い相手の不機嫌な表情を見たいという人はそうそういないだろう。少なくとも、私は嫌だ。

「……あの、」
「……悪い」

口を開いたのは、同時だった。
なにが悪いというのだろうか。彼は去年の夏から、ずっとそうだ。いつも眉間に皺を寄せて私と対峙する。奥歯に物が挟まっているかのような物言い。
私になにか言いたいことがあれば言えば、いいのに。
私がなにか気に触ることをしたのなら、キチンと伝えてくれたらいいのに。
胸の内に抱えて仕舞い込んでいた想いが、突然ぶわりと溢れ出る。それは一筋の涙になって、私の頬を伝った。

「なにが、悪いの…?」
「……」
「美馬くんが、私の、こと、嫌いなんでしょ…?なんで、謝るの…?」

言葉を紡ぐたびに、嗚咽が混じる。頭の中がぐちゃぐちゃだ。この場をセッティングしたであろう新太郎にも憎悪の感情を抱く。キチンと話すことなんて出来るわけないじゃないか。相手が、美馬くん自身が、それを望んでいないんだから。
次々零れ落ちる涙を、掌で拭う。
私の姿に縫い止められた美馬くんの視線を感じる。高校生にもなってこんな風に泣くだなんて、恥ずかしい。だけど止められない。止まらない。

「嫌いなわけじゃない」
「…っ、じゃあ!なんで…!!」

なんで私と話してくれなくなったの。なんで素っ気ない態度をとるようになったの。なんで目を合わせてくれなくなってしまったの。自意識過剰かもしれないけれど、私達はそれなりに仲が良かったのに。私が、なにをしたっていうの。
ドロドロとしたタールのような醜い感情が、僅かに開いた口から漏れ出しそうになった。
しかし、

「神崎は王野と付き合ってるんだろう?」
「…………は、い……?」

予想だにしていなかった美馬くんの言葉に、思わず動きが止まった。ポカンと口が半開きになって、変な顔になっている自覚もある。それぐらいの衝撃だった。誰と誰が付き合ってる?私と新太郎?なんで?
頭の中はハテナで埋め尽くされる。
そんな混乱した私を前に、美馬くんは伏せ目がちに言葉を続けた。

「…後輩の彼女に、横恋慕はできない」

横恋慕、とは。
私の認識が正しければ、既に結婚している人や恋人がいる人に対して恋をすること。という意味の言葉のはずだ。
……まさか、そんな。
先程とは違う意味合いで混乱する。

「………私のこと、好きなの……?」

我ながら直球すぎたかもしれない。
でもそんな風に思わず聞き返してしまった。美馬くんは私の言葉に対して、僅かに目を見開き、そして一拍子置いてゆっくりと口を開いた。

「好きだ」

心地よい低音が、私の鼓膜を揺らす。
その瞬間だけは、窓の外から聞こえる木々の騒めきも校内の騒がしさも全て消えて、ただ一瞬の静寂。
私と美馬くんはただ言葉もなく、しばし向かいあって立っていた。

「う、」
「………う?」
「嬉しい、けど…美馬くん、彼女、いるでしょ…?」

そうなのだ。
美馬くんには"みゆきさん"がいる。
私はそれを知っているから。
まさか上手いこと言いくるめて二股交際…?なんて考えも過るが、誠実な美馬くんに限ってそんなことはしないと信じたい。だけど一度張り付いた疑心感が拭えないのも確かで。
ジッと美馬くんのその瞳を見つめれば、彼は随分驚いた様子だった。

「彼女?なんのことだ」
「えっ、……"みゆきさん"のことだけど」
「………みゆき?」
「GW明けに野球部の子たちと盛り上がってたじゃん。あの"みゆき"と連絡先交換したって」
「………ああ」

私の言葉にその時のことを思い出したのか、美馬くんは小さく頷いた。
ほら、やっぱりね。
予想していたこととはいえ、また心が鉛のように重くなる。"みゆきさん"の存在は認めたわけだ。それなのに美馬くんは私のことを好きだと言う。だからあなたの言葉は信じられない、と。そんな風に彼の言葉を突き返そうとしたのだけれど。

「"みゆき"は男だ」
「…………は、い?」
「御幸一也。東京の青道高校野球部で捕手をしてる。選抜にも出ていたぞ」
「お、おとこ…」

衝撃の事実に、私はまたまた間抜けな顔になってしまった。真面目な態の美馬くんが嘘をついているようには見えず、どうやら本当のことを言っているらしいと悟る。
……悩みに悩んで、美馬くんを避けまくったこの1ヶ月ちょっとはなんだったのか。思わずへなへなと脱力して、膝が床についた。崩れ落ちる。

「……っ、おい!」

大丈夫か、とすぐに駆け寄ってくれた美馬くんはやっぱり優しい。皆が口々に言うように"白馬の王子様"みたいだった。すらりとした綺麗な形にそぐわぬ肉刺だらけの掌が、私の肩に触れる。じんわりと熱を持つのは、気のせいじゃない。あつい。

「…わたし、も、美馬くんのこと、すき…」

消え入りそうな声でそんな言葉を呟いて、私の顔を覗き込む美馬くんを見上げる。彼は、私の言葉に戸惑いを隠せないようで、なんだか隙だらけの表情になっていた。きっとさっきまでの私もこんな感じだったんだろう。

「王野は、」
「新太郎は幼馴染だよ。付き合ってない。私が、好きなのは、美馬くんだけ」

こんがらがった赤い糸が、ゆっくりと解れていく。最初からお互い素直に向かい合っていたら、こんな遠回りはしなかったのかもしれない。

それでも、

「……俺と、付き合って欲しい」

茹だるような蒸し暑い教室で強い力で抱きしめられて鍛え上げられた身体に顔を埋める私が持ち合わせるのは、幸せ以外の何物でもなくて。

「よろしくお願いします」

小さく頷いた私の耳元で、王子様が小さく嬉しそうに笑った音がした。

ハクバノ
オウジサマ

(2020.04.15)