だんだんと円環

小さい頃の太陽は、本当に可愛くて可愛くて、仕方なかった。
だけどそれを言うと大抵の人が驚く。

「…太陽が、可愛い…?」

向かいに座って私の話を聞いていたクラスメイトの乾憲剛が、時折そうするように目を見開いてしばし静止した。所謂本人がよくそう表現するーー『雷に打たれた』という状態なのだろう。慣れっこなので無視をするように彼の目の前で指を振る。

「うん、可愛い」
「まあ、顔は確かに整ってるとは思うが」
「そうだね、老け顔の憲剛と並ぶとより一層際立つ可愛さだよね」
「…………」
「だけど顔だけじゃなくて、中身?性格?とにかく可愛かったの。「祥子ちゃん!」っていっつも私の後をくっついてきてね、少しでも離れたら大泣きしたりして」
「想像がつかない」
「まあねぇ、今の太陽からは確かに想像つかないよねぇ」

流石に私が嘘をついているとは思っていないけれど、でもまるっきり信じることもできないんだろう。憲剛の顔は相変わらず険しい。その表情は憲剛の顔を更に老けさせるものだから、私はケタケタと声を上げて笑った。
そんな私たちに、横から冷めた声が、ピシャリ。

「……そういうのは本人のいないところでするもんだと思うんですけど」
「えー、本人がいるからこそじゃない?」
「乾さん、全部相田先輩の妄想だから信じないでくださいね?!」

と、まあ、私たちの話を横で聞いていた太陽は、部の先輩である憲剛に必死に自分の過去を否定している。その姿さえ可愛く見えてしまうのだから、私は筋金入りの太陽好きだと思う。


私こと相田祥子と向井太陽は、お察しの通り『幼馴染』という名の間柄だ。家がお隣さん同士で、年齢も一歳違い。物心つく前から一緒に遊んでいたらしい。
太陽は幼い頃、私の忠実なる犬だった。比喩じゃない。まさしく犬のように尻尾を振る勢いで私の後をついて回っていたのだ。だからさっきの話は全て本当。当の太陽が自分の過去を恥ずかしいものとして考えているのは、それが今の彼の生意気な性格とかなりかけ離れているからだろう。でも過去は残念ながら変えられないし、太陽の幼い頃の姿は私の記憶の中にありありと刻み込まれているから、私は時折思い出したようにそれを語るのだ。

相変わらず昔の太陽の姿を思い出して、ニコニコ…否、にやにやしていた私。そんな私を一瞥した太陽は、ゆっくりと口を開いた。

「だいたい……俺と乾さんは部活の大事な話があるから邪魔しないでくれませんか?」

相田先輩、と。冷たい視線と淡々とした声。…あー、これ、これ以上はここにいたら駄目なやつだ。瞬時に本能がそんな警告を告げる。私はヘラリと笑って座っていた席から立ち上がった。

「ごめんね、お邪魔しました」

私も太陽に倣って淡々とそんな言葉で別れを告げる。とはいえ、ここは私の席だ。そして憲剛は私の前の席。そこに太陽がやってきたわけであってーーなんで私がこの場から立ち去らなきゃいけないんだろうって考えるけれど、でもしょうがない。いっつもこんな感じなのだ。太陽の『部活の大事な話』を邪魔したいわけじゃない。マネージャーでもなんでもない私は、ふたりの話を聞いていてもちんぷんかんぷんだし、私がいることにさっきみたいに話が脱線するのであれば、やっぱりここにいるわけにはいかないだろう。憲剛が私のことを引き留めるように名前を呼んでくれたけど、後ろは振り返らずにただ手をひらひらと振るに止めた。


短い休み時間の残りを別のクラスの友人の元で過ごして、次の授業の為に自分のクラスに戻った時にはそこに太陽の姿はなくて、ホッと安堵の息を吐いた。憲剛は相変わらず険しい表情で私を出迎えてくれたけど、特になにも言わない。その気遣いが有難くて、でも照れくさくて。誤魔化すように、憲剛の大きくて硬い背中をグーパンチ。…やっぱり、ビクともしない。
私の八つ当たりを受けた憲剛だったけれど、文句は言わなかった。それどころか振り返って、相変わらず険しい顔で私のことを見下ろしている。だけど怒っているわけじゃないことは、長い付き合いで理解していた。
だって、遠慮がちに口を開いた憲剛の「ほどほどにな」という言葉は、私と太陽の拗れた関係を知っているからこそ。

「ほんと、どうしようね」

机に突っ伏して呟いた本音はーー教室の騒めきに混じって消えた。





「太陽くん、来てるわよ」

学校が終わってからそのまま塾へ行って、自宅に戻ってきたのは22時を過ぎていた。帰ってきた私に母の出迎えの一言。驚きのあまり、参考書で詰まった鞄を落としかけた。縺れる足でローファーを脱ぎ、階段を駆け上がる。そうして自分の部屋に入った瞬間、目に飛び込んできたのはまるで自分の部屋のように私のベッドでくつろいでいた太陽の姿だった。寝っ転がって、携帯ゲーム機の画面と睨めっこしてる。

「大変っすね、受験生」

相変わらずのそっけない口調で、顔を上げることもなく彼はそう呟いた。私は小さく息を吐いて、うん、と返事する。重たい鞄を学習机の上に置いて、それから随分迷ってーー私は机の椅子に腰を下ろした。

「太陽も、お疲れ様」

もしかしたら部活帰りにそのまま我が家にやってきたのかもしれないって気づいたのは、ベッドの横に見慣れた太陽のエナメルバッグが視線の端にチラリと映ったからだ。それに太陽は帝東野球部のジャージを着ていた。まあ、いつも通りか。そう考えて、ようやく安堵した。自分のことながら、拗らせてるなぁって思う。そんな心情を表現するように、口から溜息が漏れた。

「…なんすか?」
「……ううん」

どうやら私が陰鬱な雰囲気を纏っているのが、気に入らなかったらしい。そこでようやくゲーム機から指を離して、顔を上げた。勝気な太陽の瞳が私の顔をジッと見つめている。学校では軽口を叩けるのに、二人っきりのこの空間では私の口は役立たずだ。縫い留められたように、動かない。逆に太陽はーー、

「祥子ちゃん」

誰にも見せない顔で、誰にも聞かせない甘い声で、私の名前を呼んだ。
それが合図だ。私は昼間にそうしたように、椅子から立ち上がった。そして足が向かう先は、ベッドに寝転ぶ太陽のもとだ。彼の足先の隣に腰を下ろす。それと同時に、彼は上半身を起こした。意外と硬い太陽の指先が、私の頭を撫でて、それから髪の毛を梳く。

「……太陽は、ずるいよねぇ」

こんなことされると、もうどうしようもなく泣きたくなってしまうのだ。それを彼は理解しているんだろうか。私はもうずっとこんな風に、太陽に『待て』を食らってる犬だった。昔は太陽の方が私の犬だったのにね。人生っていつ何が起こるかわからないから、厄介だ。

キッカケは、太陽が私と同じ帝東高校に進学したことだった。そもそも太陽の方が先に帝東の野球部を目指していたからーーどっちかというと、私が太陽を追っかけたことになるんだろうか。入学したのは私の方が先だけど。
……言ってしまえば、私はずっと可愛い太陽のことが好きだったのだ。だから離れたくなくて、強豪の野球部で活躍する太陽の姿を一番近くで見たくて、帝東に入学した。
1年目はまだ良かったな。太陽は相変わらず私の可愛い太陽だった。受験勉強教えてよ、ってこの部屋にもしょっちゅう遊びに来てくれていたから。
転機は、2年生の時。太陽が無事に帝東に入学して、私たちは幼馴染であり、同じ高校の先輩後輩になった。一学期のうちはまだ可愛い太陽だった気がするけれど、そんな姿はある日を境にガラリと消えてしまったのだ。
秋大本戦トーナメント、一回戦敗退。強豪相手だったとは言え、早すぎる終わりが、太陽を、そして私と彼の関係を変えてしまった。
少なくとも、私はそう思っている。

「ずるいって?」
「……だって、ずるいじゃん。学校ではあんなに素っ気なくするくせに、こうやって……」
「こうやって?」
「……ふたりっきりだと、恋人みたいなこと、してくるし……」

唇を尖らせて拗ねた口振りを披露すれば、太陽は途端に声を上げて笑った。

「俺たち、一応カレシカノジョじゃなかったですっけ?」
「………そうだけど…」

そうなのだ。
公にはしてないけれど、私たちは付き合ってる。こないだの三月で丁度一年記念を迎えた正真正銘のカップル。
因みに告白は、太陽から。彼が帝東の合格通知を貰ったその日に「祥子ちゃん、俺と付き合って」って言ってくれたの。あの日のこと、今でも覚えてる。鮮明に思い出せる。だって私も太陽のことが好きで、すごくすごく嬉しかったから。
……だけど、今はどうだろうか。

「彼女に冷たいよ、太陽は。学校だと相田先輩だし…敬語だし…なんか素っ気ないし…」
「そもそも俺の前で乾さんのこと「憲剛〜」って呼んじゃう祥子ちゃんが悪いと思うけど?」
「……ヤキモチ?」
「さーどうだろ」

太陽は私の問いに対してはぐらかした答えしか返してくれなかったけれど…なんとなくわかってた。これは太陽の駆け引きなのだ。さすがギャルゲー好き。まんまと引っかかる私も、どうかと思うけど……でも、やっぱり、太陽のこととなると理性より感情で動いてしまうのだから仕方ない。

「私はどこにも行かないよ?憲剛のことだって、普通に友達だし…」
「祥子ちゃんは男友達が多いっすからねー」
「……やっぱりヤキモチだ」

でもそれを言うなら、太陽だって女の子たちにキャーキャー言われてる。だって彼は強豪野球部のエースなのだ。甲子園にも出場したし。…私の方が、多分太陽よりも遥かに嫉妬してるのに。なんか、腑に落ちない。

「…じゃあ、私がどっか行かないように、ぎゅーってしててよ」

ポツリと口端から零れ落ちた言葉は、間違いなく私の本音だった。髪を触る太陽の指先がふっと止まった。……あ、困ってるな。なんとなく理解る。顔は見れない。だけどやっぱりよく理解るよ。大好きな太陽のことだからかな。

「それだけでいい?」
「……えっ、」
「それだけで終わると思ってる?」

気づけば、私の背中はふかふかの敷布団とこんにちはしてて、視界には天井と照明と、太陽の顔。押し倒された。理解した瞬間に、顔が真っ赤に染まる。

「…っ、れ、練習で疲れてるでしょ?!」
「そこそこ。でも、それとこれとは別じゃね?デザートみたいな」
「〜〜〜ッ!!私が、望んでるのは…こういうことじゃなくて…!」

抗議の声は、太陽の唇によって奪われてしまった。優しい口付けから、どんどん息まで奪われるような激しいものに変化していく。最初は拒否していた私も、太陽が作り出した甘い雰囲気に次第に「もうこのまま」なんて考えてしまうんだから、本当に甘っちょろい。そんなあまーい私を唇で味わい尽くした太陽は、しばらくしてからゆっくりと顔を離した。ぺろりと覗いた赤い舌が随分色っぽい。それを意識してしまって、また顔が真っ赤になる。

「…祥子ちゃんが望んでることは、わかってるつもりだけど。でもやっぱり、彼女のせいで、とか、野球に集中してないから負けたとか、そういう風に言われるのが俺は嫌だから。もうちょっと我慢して欲しいっつーか……出来れば、俺の引退まで?」
「……そしたら、私、大学生じゃん」
「まあね」

つまりやっぱり太陽はこれからも学校ではあの態度を貫くらしい。仕方ないこととは言え、やっぱり残念だ。恋人らしいスクールライフを送ることなく私の高校生活は終わるのか、と意気消沈する。
でもね、何度も言うけど太陽の邪魔をしたいわけじゃないから。私はずっとこれからも太陽の忠実な『犬』でいるんだろうなって思うのだ。猫みたいに気まぐれなご主人様の悲願達成を祈って、きっとこれからも、一喜一憂するんだろう。

「いいじゃん、俺たちにはこの部屋があるんだから」

見るからに落ち込んでいる私に少しばかりのご褒美をちらつかせるように、太陽は私にまた甘い甘い口付けを送るのだった。


「小悪魔っぽい?駆け引き上手な太陽くんとの甘々なお話」ということで書かせて頂きました。太陽くんって圧倒的に後輩キャラで敬語混じりに話してることが多いのでタメ口だと終始なんか違う…となってしまって敢えての年上夢主にさせていただきました。駆け引き上手というか翻弄というか。なるべく曲調にあった甘いお話を…!と思い、相変わらず前半との落差が凄いですね。
初めて太陽くん書かせて頂きましたが、やっぱり成宮と似ている…と書きながら乾さんばりに雷に打たれていた秋吉でした。太陽くんの口調が迷子!(苦笑)
椎名様、改めて素敵なリクエストありがとうございました!随分とお待たせしてしまってすみません。気に入っていただけると幸いです。