愛しのメロドラマ



「お前らまた喧嘩したのかよ」

朝食の時。向かいの席に座る倉持が口にした話題は予想外のことだった。
俺は箸を持っていた手を止める。『お前ら』が示唆しているのが、俺とあいつのことだとすぐ理解ったからだ。思わず眉間に寄る皺。

「…まあ」
「程々にしとけよ」

話題を振っておいて、深い話をするつもりはないらしい。それがなんとも倉持らしいな、と思った。俺もその訳知り顔に対して、「おう」と短い返事。我ながら素っ気ないかもしれないが、彼女の話なんて食堂で大手を振って話すわけがない。倉持との会話はそれで途切れ、止まっていた箸を動かそうとしたその時だ。

「なんだまた喧嘩したのか?」
「俺、御幸から謝るにチロルチョコ賭ける」

同級生のテーブルを中心に細波のように広がる噂話。唇を尖らせてそちらの方をジロリと睨めば…向かいの倉持は、俺含めそんな周囲の様子にあの特徴的な笑い方で目尻を細めた。絶対こいつ確信犯だろ、と思ってしまうのは寝食を共にするチームメイトとしてそれなりに付き合いも長くなったからだろうか。入部したての頃は俺の小生意気(自覚している)な部分に倉持がキレて突っかかってくることも多かったけれど、今となっては懐かしい話だ。

「前から思ってたけど、倉持と御幸の彼女って仲いいよね」

これはナベの言葉。…どうやらこの話はまだ続くらしい。俺は大きな溜息を吐いて、話題から途中退場することを決めた。聴覚を閉じ、食事に集中する。とはいえ考えるのはやっぱり先ほどの件。
…そうだ。ナベの言う通り、俺の彼女である祥子と倉持は何故か仲がいい。俺たち3人が同じクラスだった1、2年時。こいつらふたりは当初から「付き合ってんの?」と周囲に問い質されるほどの距離だった。俺もなんとなく付き合ってるんだろうなぁと思っていたから、祥子から告白された時は驚いたのを今でも覚えている。

ーーー …俺と付き合ったところでカップルらしいこと何一つも出来ないけど

断ることは簡単だった。でも断らなかったのは、俺も祥子のことが少し気になってたから。全く素直じゃないそんな俺の返事にさえ、「嬉しい」と泣いて喜んだ祥子は感情が豊か。それは今でも思う。というか…喧嘩の原因は大体それ。ふっと一昨日の電話越しの彼女の言葉を思い出した。

ーーー たまには一也から好きって言ってよ

そんなこと言えるわけないだろ。こっちはちゃきちゃきの江戸っ子だぞ、というのはちょっと言い訳にしては大袈裟かもしれないけど。それでもやっぱりその言葉を口にするのがなんとなく憚られたのは確かだ。そもそもなんでそんな簡単に「好き」って言えるのか俺にはわからない。大好きな少女漫画の読みすぎなんじゃないだろうか。そういえば彼女同様に少女漫画愛好家だった純さんも恋愛の話になると、思考がどこか初心だったように思う。…なんてこれも多分現実逃避。

俺は好きって言葉も言えないし、デートも出来ないし、連絡だってマメじゃない。それでもちゃんと『その気持ち』を持っているし、たまにはふたりで出掛けたいって(実際問題難しいが)思うこともあるし、連絡に関しては俺の中では結構優先順位が高いし、なんだったらきちんと返信してる。それだけで褒めて欲しいぐらいだ。
それをいつだったか倉持にぽろりと言ったことがあるが、「女って言葉を欲しがるモンだからな」と訳知り顔でアドバイスされた時は驚いた。
実体験かそれとも祥子からの相談によって悟った境地か。それはわからないけれど。

(…しっかし、一昨日の喧嘩をすぐに倉持に相談するなよ…)

あいつはそういうところがある。更に眉間の皺が深まった。
土曜日に勃発した電話越しの喧嘩(というか祥子が勝手に怒った)以来、彼女と初めて顔を合わせるであろう今日は月曜日。非常に気まずい。そんな思いを抱えながら朝食を摂っていたところに、先程の倉持の問い掛け。ちょっとムッとしてしまったのは否めない。…こういうことが今まで何度もあったからこそ。それが続いているから、賭けの対象にまでなっているのだろう。
ゾノのでかい声によって俺と彼女の喧嘩話(そしてそれに付随する賭け話)が下級生の座るテーブルにまで飛び火したあたりで、俺は大きく咳払いをしてパイプ椅子から立ち上がるのだった。


▽▼▽


「…アイツ怒りすぎじゃねぇ…?」

そんな言葉を思わず倉持に零してしまったのは、喧嘩から一週間ほど経とうとしている金曜日。授業の合間の休み時間のことだ。倉持は俺がその話題を口にしたことに対して少し驚いた表情を見せたが、直ぐにニヤリと笑う。

「拗らせてんな」

それは俺に対しての言葉なのか、はたまた祥子に対する言葉なのか。それは俺には判断つかないけど。でもやっぱりムッとするのは変わらない。
そもそもそんなに怒ることなのか、と思ってしまう俺はやっぱり冷めてるんだろうか。それでも胸にポッカリと穴が空いたように感じるのだから、どこか矛盾している感情。
三年生になってクラスが離れてから、休み時間の度にしょっちゅう俺の元を訪れていた祥子だが、ここ一週間その姿を見ていない。…そう考えると慣れ親しんだ光景はアイツの努力だったんだなぁって思い知らされる。最初こそこれでゆっくりスコアブックが見れると思っていたけれど、つい携帯を気にしてしまっている現状はやっぱり倉持が言う通り『拗らせてる』のかもしれない。

「お前は捻くれすぎ」

倉持はそう言うけれど。

「じゃあ倉持はアイツの求める彼氏になれるのかよ」

俺がそう言えば、微妙な顔をされた。やっぱそうだよなぁ。そもそもアイツが理想としているのは少女漫画に出てくるイケメンの優男だ。それこそ気障な台詞もサラリと言えるような偶像。

「ナベちゃんとかならピッタリだよな」
「確かに」

そんな会話から、野球部だと誰が『理想の彼氏』になれるかって話題になった。あーでもない、こーでもない、としょうもない議論を繰り返したものの結論としては、野球部じゃ無理、ってことだけは一致する。

「ま、相田の理想が高すぎンのも問題だけどよぉ」

いい加減お前から謝ったら?
倉持の提案に、俺は唸った。いや別に謝ることが嫌なわけじゃない。

「…向こうが謝ったってことにしといて」

俺のその言葉に。
全て見越して『彼女が謝る』方に賭けていた倉持は、歯を見せてヒャハと笑うのだ。


▽▼▽


昼休み。メールで指定した空き教室の後方扉を開ければ、部屋の中には既に祥子の姿があった。扉が開いた音でこちらを一度振り返った彼女と目が合う。…すぐに、逸されたけど。俺は小さく溜息を吐いて、祥子と向き合うように正面の椅子に腰を下ろした。

「…いい加減機嫌直して欲しいんだけど」

俺がそう言えば、祥子は口をへの字にギュッと結んだ。その顔を見てふっと笑みを零せば、更に唇の下に寄る皺。口にすれば怒るだろうけど、俺はそんな彼女の変な顔が意外と好きだったりするのだ。言ったことないけど。その顔が見たくて時々彼女を揶揄っては謝って、の繰り返し。

「……寂しかった?」

結ばれた唇がゆっくりと開いたと思えば、そんな問い掛け。俺は頬を掻く。その問いに対する答えは勿論イエスだ。でもそれを言葉にするのは、やっぱりとても照れくさい。だからせめて想いだけは伝わって欲しいと思い、小さく頷く。それを目にした祥子は途端に花が咲くような満面の笑みを浮かべるから……本当に見ていて飽きない。

「…好きって言ってくれる?」

…まだ諦めてなかったらしい。こちらの様子を伺うような上目遣い。俺はハァと息を吐く。「やっぱ駄目かぁ〜」と明るい声が返ってくるあたり、向こうも駄目元で聞いただけらしい。

「俺がそう思ってるってだけじゃ駄目なのかよ」
「駄目じゃないけど。でもやっぱり一也の口から聞きたい」
「そんなもん?」
「そんなもん」

俺の問いに頷く祥子。
これだから恋愛は面倒くさいって思う。野球の方がよっぽどセオリーが確立されていて、その先に答えがあるから楽だ。苦笑いの俺に対して、祥子は少し唇を尖らせた。なんとなく俺が考えていることがわかるんだろう。

「だって告白も私からだし、一也は言葉にしてくれないし…不安にだってなるよ」
「…ごめん」
「でも、野球の邪魔したいわけじゃないんだよ」
「うん」
「一也が私のこと好きって思ってくれてるのも知ってる…あー…もう、…私の方こそ我儘で、ごめん」
「いや…」

祥子も祥子で葛藤してるんだろうなってのが、伝わってくる。結局はどっちもどっちなのかもしれない。欲しがる祥子と出し惜しみする俺。どちらも『すぎる』からこそ、周囲にネタにされるほどぶつかり合ってしまう。

「…俺は、さ」
「うん」
「ずっと一緒にいたいって思ってる」
「……うん」
「幸せにするとは言い切れないけど…ふたりで幸せになりたいって思うぐらいには……」

そこまで言って、ごくり、と唾を飲んだ。やっぱりこの言葉を伝えるのには、すごく勇気がいる。だけどなんとなく今日は言わなくてはいけない日なんだろうなって本能が訴えかけてくるから。そういう時の感はだいたい当たる。

「………好きだよ」

たっぷり間をとって呟いたその言葉と共に椅子から腰を浮かせ、そして数えるほどしか重ねたことのない唇に自分の唇を押し当てた。時間にしたら数秒。すぐに離れる。なんて気障な台詞と行動なんだろうか。思わず祥子から顔を逸らした。恥ずかしさをごちゃ混ぜにして捏ねて丸めたような感覚。頬に熱が集まるのを自覚する。

「…大丈夫、全部、わかってるよ」

その言葉はきっと、祥子なりの照れ隠しなのかもしれない。だって目の前の彼女の顔もまた、真っ赤だ。憧れを募らせているわりに…祥子も大概こういうことに慣れてない。そういうところが、魅力でもあると思う。


多分俺たちはこれからも沢山喧嘩して、その度にネタにされながら、こうして誰も知らないところでふたりだけの仲直りをするんだろう。
そんなことを繰り返しながら、きっと俺たちの愛は育っていくに違いない。
胸を満たす充足感に目を細めて、祥子に向かって微笑む。

「録音しとけば良かったなぁ」

心底残念がる祥子の言葉に、やっぱり気恥ずかしいから、暫くあの言葉は口に出来そうもないな、と思ったのは内緒だ。

『素直になれなくて、いつも照れて好きの気持ちが上手く表せない御幸と、そんな御幸と喧嘩が絶えないながらも最後にはちゃんと御幸が私を好きってわかってるよ、っていうハピエンなお話』というリクエストで書かせていただきました。リクエスト頂いた曲を聞いた時「み、御幸だぁ〜」となったのを覚えております。というわけでグダグタ考える御幸先輩が出来上がったわけなんですけれども、御幸一也にはこういうところがあると信じてやみません。そういうところもまた我々を掴んで離さない彼の魅力のひとつなのかなぁ思うのです。なんというか…飄々としていながら、高◯健さんのような無骨さもまた持ち合わせているようなそんな御幸一也を私は推しております。
ぱちこ様、この度はリクエストありがとうございました!