また、あしたね。


(単行本未収録ネタ)

その女は鬼殺隊風柱不死川実弥の管轄地区内にある甘味処で働く娘だった。
顔に似合わず好物はおはぎと甘いものが好きな実弥である。任務を終え朝を迎えてから、余裕があれば時折その店に足を向けるのが、彼の生死を掛けた任務の合間のちょっとした楽しみであり息抜き。食べることは生きることだ。己が生きていなければ仇を討つことも出来ない。それぐらい許して欲しいとも思う。という言葉は誰に…というわけでもなく終始心中に抱いていた言い訳。

……それにそれ以上に少し気恥ずかしいのは、店で働くその彼女の穏やかで慎ましやかな風体や小柄な身体がなんとなく母を思い起こされ、そんな彼女と対面するとささくれだった心が凪のように穏やかになったこと。だから実弥にとっては彼女の顔を見るのもまた店に通うひとつの理由であったことは確かだ。

「甘いものがお好きなんですか?」

そんな風に話しかけられたのは、店に通うようになって半年ほど経った頃だろうか。彼女は自らべらべらとお喋りに興じる性分ではないが、愛想がいいので店の看板娘として常連客にも評判だった。

「…あァ…」

突然話しかけられ、実弥は思わずその三白眼を見開く。「よく来てくださるから、嬉しくて」と微笑んだその彼女の表情に、彼の胸は不覚にもどきりと高鳴った。
それから甘味処を訪れる度に彼女が穏やかな笑みを浮かべて実弥を出迎えるものだから、柄にもなく胸をときめかせたのを覚えている。

…まさかこんな感情を抱く日がくるとは思わなかった。でもやはり恋慕とはまた少し違う、と。彼自身はそう言い聞かせる。
自分と対して歳の違わない女に抱く気持ちではないかもしれないが…これは母に抱くような気持ちなのだ、と。そう思い込むようにしていた。
けれど。そう自身に言い聞かせている時点で…いつも心のどこかで彼女を想っていたのは確かなのだ。
不死川実弥を知る者たちからすれば、彼が甘味処に通いひと知れず誰かを想うという事実に驚きを隠せない者もいるだろう。
……だからこそ、実弥はその日課のようなものを誰にも言っていなかったのだけれど。

「甘味処に通っているのか」

ある時。柱合会議で顔をあわせた水柱、冨岡義勇にそう声を掛けられた。相変わらずの言葉足らず。挨拶もひとつもなくそんな疑問を不躾にぶつけられ、実弥は普段から険しい表情を更に歪めた。

「あァ?だったらなんだァ、てめェに関係ねェだろ」

そこで事実を否定しても面倒くさいことになると理解していた実弥は、義勇の問いに対して暗に認めつつも、ばさりと斬り捨てる。しかし義勇はそれに対して、相変わらず抑揚のない様子で口を開いた。

「祥子が言っていた」
「……祥子?」

聞き覚えのない女の名である。だがしかし話の流れから、その祥子やらは実弥が甘味処に事実を心得ていることだけは理解る。そしてそれを冨岡に話したという事実も。なんとなく冨岡に親しく話す女がいることが、実弥には意外だった。
…だが、その後に続いた富岡の言葉を上回る衝撃など後にも先にも経験したことがない、と実弥は後に回想する。

「あの店で働いている俺の妹だ」

その瞬間。
今日もいらしてくださったんですね、と。微笑みを浮かべていつも店先で実弥を出迎える
彼女の凪のような眼が、目の前の冨岡と重なった。

「………冗談だろ」

思い描いた情景に、その冨岡の言葉が冗談ではないことを一番理解しているのは、実弥自身なのだが。それでもそう呟かずにいられなかったのは、やはり心密かに想っていた女が毛嫌いしている男の血縁だということを嫌というほど思い知らされ、唖然としたからである。





…そんなこともあったなァ、と。
思いおこすのは過去の記憶。そんなことを思い出したのは、全てが終焉を迎えたからだろうか。
…そう、全て終わったのである。
念のために二、三日安静にしていてくださいね、と隠と蝶屋敷で働く者達に部屋に閉じ込められ寝台に寝かされて一日。確かに身体は何処も彼処も痛むが、現場での処置のお陰で生死の境を彷徨ったわりに気丈だ。右手二本分、指は失ったが…それでも『その程度で済んだ』と喜ぶべきなのだろうが…やはり彼の気分はどこか晴れない。

(……周りに比べれば、…恵まれてんだろうなァ)

大勢の仲間が死んだ。
生き残ったのは自分と、そして同室の寝台に寝かされたあの男である。

「義勇」

その男の名を呼ぶのは、彼の妹であるという祥子。先ほどから甲斐甲斐しく兄の世話を焼いている。それがやはり実弥の中で母親の姿と重なって、えもいえぬ心情が胸を占めた。
右腕を失った冨岡のもとに真っ先に見舞いにやってきたのは、屋敷で兄の帰りを待っていた彼女である。それからずっと冨岡のそばからくっついて離れない。冨岡もまた生き残り再び妹の顔を見ることが出来て嬉しいんだろう。穏やかな表情を浮かべていた。そのふたりの顔は、やはり双子というだけあってよく似通っていた。


「不死川さんも無事で良かった…」

病室で顔を合わせた瞬間。
祥子がその眼に張った膜をゆらゆらと揺らして微笑んだのは、半日前のことだが…それはもはや懐かしい話だ。冨岡の妹だと判明してからは甘味処から足が遠のき彼女とも久方ぶりの再会であったのでどこか気まずい思いを抱いていた実弥だったが、祥子の顔を見た瞬間思い知ったのである。やはり自分はこの女を好いている。

「……ありがとよォ」

彼女の安堵した声に、そんな言葉しか返せなかったけれど。でもやはり感情は昂る。その気持ちを無理やり押さえ込むように、実弥は眉間に皺を寄せて険しい表情をつくった。それでも女は対面する実弥の掌をおもむろに掴んだものだから、……この兄妹はよく似ている。

「全てが終わったら、どうしても…お伝えしたかったんです」
「………」
「……私は、不死川さんを、お慕い申しあげております…」

白い頬がほんのりと朱色に染まる。…実弥がその言葉に唖然としたのは言うまでもない。その様子をそばで見守っていた冨岡は何も言わない。うんうんと頷くだけである。…実弥は、頭を抱え込んだ。彼自身の想いは喉の奥につっかえて出てこない。ただ口が紡いでいたのは、

「……俺なんかやめとけ」

そんな言葉である。でもそれもまた実弥の本心であったのは確かだ。彼女は実弥のそんな言葉に僅かながら目を見開いた。それからしばし思案するようなそぶりを見せる。口を開いたのは十分と思考した後であった。

「私が傍にいることは、嫌ですか…?」
「……嫌、じゃねぇが…」

その問いに対する答えとして、実弥自身の本音を冨岡の前で言うのは少し憚れる。しかし彼女は実弥の答えを聞くまでどうやら握った手を離すつもりはないらしい。彼は小さく溜息を吐き出した。

「…俺の余生は長くて四年だ。もしかしたら今日明日にも死ぬかもしれねェ……それは、アンタの兄貴だってそうだろ。…最後ぐらい家族と一緒に過ごした方がいい」

それがアンタの為だ、と。実弥は言った。彼らの生い立ちを実弥は詳しくは知らない。でもいくら同じ屋敷に暮らしていても冨岡は任務で家を空けることが多かったはずだ。実弥がそうだったように。ふたりで過ごした時間は短かっただろう。そう考えるとどこの馬の骨かわからぬ自分より血の繋がった兄と残りの時間を過ごした方がいい。
それは実弥の紛れもない本心であった。

「……そうですか……」

実弥の言葉を聞いて、祥子は僅かに頬を涙で濡らす。その表情を見て実弥の胸はちくりと痛んだが…、やはり彼女の望んだ答えを与えることは出来ない。それはもう決定事項だった。

それきりその話題は終いとなった。
握られていた手がするりと解かれ、祥子は実弥の傍を離れる。実弥がそう言ったように、彼女は兄である義勇の傍にいることを選んだらしい。
……それでいい。
実弥は心からそう思うのだ。自分といても幸せになれない。
不死川実弥は、誰よりも他人の幸福を願える性分を持ち合わせていたが、その願いの中に自分自身は存在していない。

(…これでいい)

似通った兄妹の横顔をチラリと盗み見ながら、実弥は誰にも気づかれぬように小さく溜息を吐き出した。
残された余生は、ただ先に逝ってしまった"自分の"家族を想って生きよう。そう心に固く結んだ決心は、けっして解けるものではない。……そう、思っていたのだが。



「……なんだ、その荷物」

しばらくの療養を終え、無事に蝶屋敷から自身の邸へと戻ることになったその日の朝。祥子は大きな風呂敷包みを手に実弥と対峙していた。実弥はその姿にぐっと眉間の皺を寄せる。ちょっとそこまで、という荷物の量でもない。いつものように兄の冨岡に見舞い か、とも思ったが。そうであればこんなところで油を売っている場合ではないだろう。そんな風に実弥は、様々な思考を巡らせていた。そんな彼に対して、祥子は相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。そして彼女はそのふっくらとした唇をゆっくりと開いた。

「私はこれからの人生を不死川さんの隣で過ごしたいんです。短い時間でも、それでもいいんです。貴方が傍にいてくれるだけで…それでいいんです」

それは、先日の実弥の本音に対する彼女の本音なのだろう。柔に見えて、どこか一本芯の通った祥子の姿。やはり冨岡の姿と被る。その時。ぶわり、と風が吹き、桜吹雪がふたりの間に舞い散った。

「これからの一日一日を、貴方のそばで過ごさせてください」

お願いします、と頭を下げるその小柄な姿に。実弥は柄にもなく泣きそうになったのだ。





それからふたりは夫婦となり、残りの人生をただ穏やかに過ごした。夏を迎え、秋を迎え、葉が落ちて冬が訪れ、そしてまた春が来る。

「綺麗ですね」
「そうだなァ」

祥子は桜並木に目を細め、隣に立つ実弥を見上げて微笑んだ。実弥もまた、彼女の顔を見下ろして穏やかに笑む。ふたりは遠出とまではいかない距離をよく連れ立って歩くのが日課であった。ありふれた日常だ。それでも実弥にとっては充足感を感じるには十分で。自分のような存在が幸せになってもいいのか、と思うこともあった実弥だが…手に入れたものは何にも変え難い。それに何かにつけて、これで良かったのだ、と実弥の傍にいることを選んだ祥子自身がそう言うのだから、それでいいのだ。最近は彼自身もそういう考えに至るようになっていた。
…ただ、やはり人間とは思った以上に欲深い生き物であるのだな、と。そう感じるのは…日を重ねるごとに膨らんでいく祥子の腹のせいだろうか。その胎の中ですくすく育っているであろう我が子のことを考えると……やはり、まだまだあの世にはいけないな、と思うのである。

身体だけは丈夫だ、と父親に追い返された夢の狭間を思い出す。目覚めたあの瞬間は、胸糞の悪い言葉だと思っていたけれど。
…あれで良かったのだ、と。今なら心からそう思える。

「…早く出てこいよォ」

実弥はそう言って、祥子の腹を優しく撫でる。

「この子も早く実弥さんに会いたがってますよ」
「…そうかァ」
「長生きしましょうね」

祥子は自身の腹を撫でる夫の掌に自分の掌を重ね、そんな言葉を贈るのだった。


「本編後に痣が出現したため早くに亡くなるであろう実弥さんとそれをわかってて傍にいることを選んだ夢主とのお話」とのリクエストにて書かせていただきました。夢主の設定はお任せということでしたので、連載完結後に書きたいとあっためていた冨岡双子夢主の設定です。
ほんの短いひと時でもいいので、実弥さんには「しあわせ」と思える日々を過ごしてもらえればなぁと思っております。最初に想定していたよりもなんだかんだと甘いお話に仕上がったように思います。
ささめ様リクエストありがとうございました!