春は短し、恋せよ乙女

颯爽と駆け抜ける白色が目に焼き付いて離れない。私の乗ったバスをあっという間に追い越していくその姿に、初心な心臓はどうしようもないトキメキを覚えたのだ。



「やば、祥子が死んでる」

それが朝一番に友達に掛ける言葉だろうか…なんて思ったけど、私はそれに相対する言葉を持ち合わせていなくて机に突っ伏したままただ腕をヒラヒラと振るに留めた。私を"死んでる"と形容したあーちゃんは、隣の席に腰を下ろし、そして私の頭をポンポンと叩く。

「えー、なに、なんかあった?」
「『自転車の人』」
「あー例の?なに?どったの?」

あーちゃんの質問に訳知り顔で口を開いたのは、私じゃなくて、前の席に座るヨリコだ。ニヤニヤした表情を浮かべているのが、声を聞いただけでわかる。私は籠城した腕の中で、むむむ、と唇を尖らせた。でも自分から説明することは難しいからこの場はヨリコに任せることにする。……だって、思い出しただけでとっても恥ずかしい。

「昨日ついにエンカしたんだってさ」
「えー?!マジで?!」

きゃー!と悲鳴にも近いあーちゃんの声が教室に響く。さらに彼女は私を肩を掴みガクガクと揺らすものだから、ついに私は顔を上げた。

「ちょっと詳しく教えなさいよ!」
「…えー…」
「散々恋愛相談乗ってあげたんだから当然デショ」
「恋愛相談っていうか祥子の妄想話?」
「ヨリコ酷い」
「でもマジでそんな感じだったじゃん」
「そうだけどさぁ」
「いいから!教えてよ!」

三度の飯より恋話好きなあーちゃんと、ツッコミ役のヨリコ。私は…なんだろう、ボケ担当?まあそんな感じのいつもの面子。続々とクラスメイトが登校してくる教室の片隅で、いつも通りのやりとり、騒がしい私たち。
あーちゃんの追求はどうやら私が素直に口を開くまで続くらしい、と肩を落とし…キョロキョロと周囲を見渡した。普段馬鹿な話をする時は周りのことなんて気にしないのに、この手の話題になると駄目だ。あの人のことを考えただけで頬が赤く染まる。そんな私の様子に、あーちゃんは「早く話せー!」とせっついた。私は渋々口を開く。

「……バス停のとこで、例の、彼の自転車がね、パンクしてたの。それで…まあ、…声掛けて……」
「声掛けて?!」
「近くの自転車屋さんが出張修理しに来てくれるまで……一緒に待ってた……」
「マジで?!名前聞いた?学校は?」
「……サナダ、シュンペイ。学校は薬師だって」

昨日知ったばかりの彼の名前を声に出しただけで、顔から火が出そうだ。彼の存在に心を奪われてこの冬で約1年半。まさかここにきて憧れの存在と面と向かって話す機会に恵まれようとは思ってもみなかった。彼の自転車をパンクさせてくれた神様ありがとう、とすら思ってしまう私は多分末期だろう。

「薬師?」
「うん」
「薬師なら、中学の同級生がいるけど」
「えっ」
「連絡とってあげよっか」

ニヤニヤとした笑みを浮かべているヨリコ。私は藁にも縋る思いで、彼女の手を両手で掴んだ。

「おっ、お願い!」
「ていうか、昨日連絡先聞かなかったの?」
「そんなの聞けるわけないじゃん!」
「ほんっと恋愛になるとダメダメだな〜」
「初心って言ってよ」
「はーいはい。初心で臆病な祥子ちゃん。お礼は購買のプリンでいいよ」
「……わかった」

プリンとはまた安いお礼、と思われるかもしれないけれど。ただのプリンではない。一日五十個限定のロイヤルプリンだ。壮絶な争奪戦を勝ち抜かないと手に入らないそれ。さすがヨリコ。抜け目がない。でもそれであの人と繋がれるのなら本望だ。

「でもさ、別にその子がサナダくんと知り合いかどうかなんてわかんないじゃん」

珍しいあーちゃんの正論に、膨らんだ期待が一気に萎んだことは言うまでもない。


▼▽▼



だがしかし。恋愛の神様はどうやら初心で臆病な私の味方だったらしい。
ヨリコの中学の同級生から連絡があったのは翌日のこと。サナダくんとはなんと同じクラスらしく、事情を話せば彼は私のことを覚えてくれていて、「俺もお礼がしたいから」と連絡先を教えてもらえることになったのだ。そこからは自分でも信じられないぐらい、トントン拍子。数日後にはうちの高校と薬師の中間距離にあるファミレスで会うことになっていたのである。

「ドリンクバー?」
「…あ、うん…!」

サナダくんは私に確認をとってから、注文を取りに来た店員さんにドリンクバーふたつを頼んだ。よく見る機械に注文を打ち込んで、「グラスはあちらです」とにこやかに笑顔を浮かべる店員さん。その表情は相手がイケメンのサナダくんだからこそ引き出せるものなんだろうか。なんて考えてしまうほど、やっぱりずっと私の心をときめかせていた『自転車の人』ことサナダくんは格好良かった。
窓際のボックス席に向かい合わせで座る制服姿の私たち。傍から見たらカップルに見えるだろうか。そんなことを考えて、誤魔化すように髪の毛を掻き上げる。

「一緒に取ってくるから。何がいい?」
「えっと、じゃあ、オレンジジュースでお願いします」

ドキドキしながら、口を開いた。サナダくんは了解と短く答えて席を立つ。私は乾いた喉を潤すために、お冷やをごくごく飲み干した。

中学生から女子校に通っている私にとって、男の子とふたりきりで会うなんて初めてのこと。まだたいした会話もしていないというのに、ファミレスの前で待ち合わせしている時から私の心臓ははち切れそうだった。きっと頬も真っ赤に違いない。じんわり熱を孕む自身のそこを掌で包み込む。

改めて対峙したサナダくんはやっぱり格好良くて。ドリンクバーの前に立つすらりとした体躯を、彼に気づかれないようにそっと盗み見る。…なにかスポーツをやっているんだろうか。ブレザーを着ていてもわかるーーー彼のしっかりとした身体に、胸がときめいた。

初めて彼の存在を認知したのは、高等部に進学したばかりの四月のこと。中等部からの内部進学でクラスのメンバーもあまり変わりなくて高校生になったという実感がもてないまま、通学のバスに揺られていたほんの一瞬。ぼんやりと眺めていた窓の向こう側、春の穏やかな陽気をサッと通り過ぎるロードバイク。その姿に、私は一目惚れしていたのだ。チラリと見えた横顔が格好良かった。恋に恋していた私の柔らかな心臓を、キューピットの矢が貫いたのを覚えている。それから約1年半。私はずっと彼を『自転車の人』と名付けて心の中で慕っていたの。まさかここにきて、こうしてふたりで面と向かって話す機会に恵まれるとは思っていなかった。サナダくんには申し訳ないけれど、あの日彼の自転車をパンクさせた神様に感謝したい。

「はい」
「あっ、ありがとう…!」

差し出されたグラスを受け取って、ストローに口をつけた。…甘酸っぱい。目の前に座ったサナダくんも自分の飲み物を啜ってる。多分コーラ。それだけで男の子っぽくてどうしようもなく胸がときめいた。

それから私たちはそれぞれ自己紹介。サナダくんは、真田俊平くんと書くらしい。だから以外真田くん。薬師高校の二年生、部活は野球部。

「野球部!」
「そうそう。野球好き?」
「…えっと、…あんまり詳しくはないかなぁ…?」

スポーツ中継はあんまり見ない。それを伝えれば「だよなー」と真田くんは歯を見せて笑った。

「S女だもんな」

その言葉に内心ウッと言葉が詰まる。でも誤魔化すように、うん、と小さく頷いた。
私の通う女子校はそこそこステータスが高いというかーーまあ所謂女の子の憧れのお嬢様学校なのだ。お淑やかであれみたいな校風であることも生徒の顔面偏差値が高いと噂であることも否定しないけど、でも私は至って普通の女子高生だと自分で思っている。スポーツ中継は見ないけどテレビは普通に見るし、それはしかも、もっぱらドラマとかバラエティとかだし。


そんな風に。
真田くんと私はそれぞれ自分のことを話し、ひと通りお互いのことを把握するのに三十分もかからなかった。話の合間に啜っていたオレンジジュースはもう空に近い。誤魔化すように一度席を立って、ドリンクバーでおかわり。…勢いで会うって話になったけれど、これからどうしよう。オレンジジュースのボタンを押し続けながらそんなことを考える。たいして共通の話題もない。同級生っていうぐらいだ。まさかここまできて勉強の話をするわけにもいかないだろう。

(私がもっと野球のこと詳しかったらなぁ…)

そしたらきっと話に花が咲いていたかも。野球に限定したことじゃなくても、他に話題があれば良かった。
ーー真田くんに会うまでは、期待で膨らんでいた胸がどんどん萎んでいく感覚。これが『恋愛』の始まりになればいいなって思っていたけど、現実は少女漫画みたいにはいかないみたいだ。小さくて重たい溜息を吐いて、それからオレンジジュースをなみなみ注いだグラスを手に持って、真田君が待つ席へと戻った。

「…あ、」
「あ、戻ってきた」

私の姿に気づき、顔を上げて相変わらず愛想のいい笑顔を浮かべて手を振る真田くんーーーの横に、何故か数人の立ち姿。その誰もが真田くんと同じ薬師高校の制服を着ていた。思わず、肩をびくりと震わせる。

「えーマジじゃん、シュンペー」
「S女だ、S女」
「だから言ったじゃないっすか」

よく言えば明るい、悪く言えばチャラついた雰囲気の、男の人と女の人たち数人。真田くんの話し方から察するに先輩だろうか。

(え、なに、どういうこと…?)

これは果たして偶々なのか、故意なのか…状況が呑み込まずに目をパチクリ。うまく言葉が出てこない。そんな私を他所に盛り上がる皆さん。「これからみんなで遊びに行こうぜ」という言葉が彼らの口から飛び出した時は「えっ、嘘でしょ?!」と流石に叫びたくなった。騒ぐのは好きだし、高校生らしくみんなでカラオケに行ったりゲームセンターに行ったりするのも好きだけど…それはあくまで友達と一緒だから。こんな風に初対面の人たちとは無理。絶対無理。

「カノジョ困ってるんで今日は無理っすね」

真田くんのその言葉に、思わず口がポカンと開いた。

(か、彼女…?!)

いつそんな話になっただろうか。いや、私としては嬉しいけど…なんて内心パニック状態に陥ったわけだけれど、そんな私に対して水を差す一言。

「えーっ、妹かと思ったぁー。シュンペーのカノジョなの?」

声のした方を見れば、お化粧バッチリ、口元の黒子がセクシーなお姉さんって感じの人。ラメのシャドーにマスカラで黒々とした睫毛に縁取られた大きな瞳が、私をジッと見つめている。それから視線はすぐに真田くんへと映った。グロスで艶々した唇がにっこり弧を描いている。

「いや、別にそのカノジョじゃなくて」
「あー」

つまり、彼とかあの人とかそういう代名詞としての「彼女」ということだったんだろう。真田くんの説明に、自分の勘違いを指摘されたような気分になって顔を伏せる。…真田くんと、真田くんの知り合いの人達との会話が遠い。

(……妹……)

多分率直にそう思ったんだろうな。…いや、ほんの少しの悪意もあったのかもしれない。よくわからない。でもなんとなく、そう思う。女が怖いのはよく知ってるから。

(妹、かぁ…)

その言葉は素直に嫌だなって思った。真田くんのカノジョじゃないって事実を述べただけの真っ直ぐな言葉も。ただただ楽しみだった真田くんとのひと時が、当然の乱入者たちによってズカズカと踏み荒らされて萎んだ私の中の風船にもくっきりと足跡がついてしまったような、そんな感覚に胸が苦しくなった。



「ごめんな!あの店先輩達の溜まり場で…」

パチン、と目の前で合わされた真田君の手。ゴツゴツしたその掌をぼんやりと眺めながら、私は小さく首を横に振った。結局、遊びにこそいかななかったものの、流れでそのまま真田君の先輩たちとファミレスと一時間ぐらい話すことになってしまった。「そろそろ帰らないと」と真田君が助け舟を出してくれて、ようやく解散となって今に至る。真田君は自転車を手押しして、私はその横を歩いた。向かう先は、私が利用する路線のバス停だ。

「ううん、ちょっとびっくりしたけど…いい先輩たちだね」

その言葉に嘘はない。最初こそ勢いに押されて驚いたけど、話してみると明るくて楽しい人たちだった。私のことを妹みたいって言ったひとも、普段からああ言う物言いみたいで緊張している私のことをしきりに「小動物みたいでかわいーっ」てニコニコ。そんな形容詞、普段の私を知ってる子たちは使わないから、なんだか「自分じゃない自分」を指摘されたようで気恥ずかしかった。

「今度なんか埋め合わせさせて」
「えっ」

予想してなかった真田くんの言葉に、思わず驚きの声が出た。今度って、次があるの?社交辞令とかじゃなくて?そんな疑問符が頭の上に浮かんでいた私はよっぽど変な顔をしていたんだろう。真田君はぷっと噴き出した。それからワックスでセットしているんだろう髪をちょっと触ってニコリと笑う。

「会おうぜ、また」
「……いいの?」
「いいよ。俺、結構前から相田さんのこと気になってたし。だからぶっちゃけ、自転車パンクしてラッキーとは思ったんだよなぁ」
「えっ、え…えー…嘘だぁ…」
「マジだって」

軽い口調の真田くんの言葉は遽には信じ難いけど、でもそう言われて嬉しくならないはずはない。私は集まる熱を隠すように、掌で頬を覆う。真田くんは言葉を続けた。

「部活もあるし、そんな頻繁には会えないとは思うけど、連絡ぐらいは返せるから」
「……うん、ありがとう。…野球部、そんなにキツい部活なの…?」

私自身半分お喋り目的で入部したゆるーい部活動しか知らないから、部活が忙しいという感覚が分からず思わず尋ねていた。真田くんはそんな私の問いに対して、ふっと歩みを止める。そしてやっぱり彼は頭を掻いて、ーー照れ臭そうな笑みを浮かべたのだ。

「あー、まあ、うん。なんつーか…ようやく腹括ったから。目標も出来たし」
「……目標?」
「…あー……甲子園、出場?」

はにかみ笑いの真田くんの表情に、その言葉に、私はその瞬間、かつてないほどの胸のトキメキを覚えた。そしてその鼓動は間違いなく、

(す、好きーーーっ!!!)

と叫んでた。
我ながら物凄く単純だけど……この瞬間に、『ちょっと気になってた自転車の人』は、『好きになってしまった真田くん』に劇的な変化を遂げたのだ。
悴む冬の寒さも気にならないほど、身体が熱に包まれる。一度萎んでしまった気持ちが、またパンパンに膨らむ感覚。
ああ、きっと真田くんに恋した私のこれからの高校生は薔薇色になるんだ。
そんな期待に胸が踊った。


▼▽▼



「…踊った、と、思ったんですけどね」
「で?」
「いや、なんかやっぱり自信なさすぎて、自分からメールが送れない」
「出たよ恋愛初心者」
「あと野球部忙しすぎ。真田くん真剣に甲子園目指してるし、邪魔したくない…」
「あーーなるほど」

真田くんに恋して、進展という進展もないまま約三ヶ月。いつかのように机に突っ伏してした私に、あーちゃんとヨリコの呆れた視線が刺さる。女子とだったらくだらない話題で気軽に連絡取りあえるのに、真田君にはそれが出来なかった。メールを送りすぎてウザいって思われたくないし、自分から会いたいっていうのも言い出せない。だから結局私たちは『いいお友達』止まりだ。それがあーちゃんとヨリコにはじれったいらしい。わかる。私もそうだもん。でもどうすることもできないんだから、仕方ない。

「真田君からは連絡ないの?」
「時々あるよ。部活休みの時は、バス停で待っててくれるし。それでちょっと話したりはするんだけど…」
「えーじゃあ完全に脈ありじゃん?」
「…そうなのかなぁ…」
「絶対そうだって!」

あーちゃんはそう言って私の肩を力強く叩いた。

「もうすぐバレンタインだし、せっかくだからチョコレートあげたら?」
「…迷惑じゃないかなぁ」
「大丈夫でしょ」

ヨリコの淡々とした言葉が、今の私には有難い。彼女がそう言う通り、大丈夫かもって思える。勢いのあーちゃんと冷静なヨリコ。もしどっちかが欠けてたら、きっと私は更にぐだぐだ悩んでいたに違いない。やっぱり持つべきものはタイプの違う友人たちだなぁと実感する。予鈴が鳴るころには、すっかり私も「真田君にチョコレートをあげる」っていう気になってた。

「ねぇ、せっかくだから当日ばっちりメイクしてあげようか?」
「えー」
「だって妹って言われて嫌だったんでしょ?」
「そうだけど」
「可愛くなって真田君、びっくりさせよ!」

「そうと決まればさっそく今日色々買い物行こう!」とあーちゃんは随分張り切っている。

(…真田くん、喜んでくれるかなぁ…)

喜んでくれたら嬉しいな。
恋は難しいけど、でもとっても楽しい。ずっと彼氏が出来なくて、彼氏持ちのあーちゃんとヨリコを羨ましいって思ってて…真田くんのことが気になってるのも、もしかしてただ彼氏が欲しいだけでただの『憧れ』なのかなぁって考えてしまう時もあったけど。だけどやっぱりこれは『恋』なんだって実感してからは、本当に楽しい。真田くんは優しくて、格好良くて…こんな人が、私の彼氏になったらとっても嬉しいなって思う。
だから真田くんに見合う女の子になりたいって、そう思うのはきっと自然なこと。

(もう妹なんて言われたくないな)

可愛くなりたい。お人形みたいに大きな目に、ふっくらとした唇。いつか私のことを妹って言ったあの女の人みたいに、綺麗になりたい。そんな風になって真田くんの隣に立ちたい。

「わたし、がんばるね…!」

ずっと殻に閉じこもっているばかりだった私だけど、ようやく『腹を括れた』気がする。小さく拳を握りしめれば、そんな私の姿に、あーちゃんとヨリコは「まかせといてよ」と目を細めて微笑むのだった。


▼▽▼



というわけで、やってきました。2月14日、土曜日。バレンタインデー。鞄の中には用意したチョコレート。可愛い洋服に身を包んで、向かうのは薬師高校だ。野球部が終わる頃に合わせてあーちゃんの家を出て、校門の前で待つ。約束の時間から十分後ぐらいに、真田くんが見慣れた自転車を押してやってきた。

「悪い、遅くなった!」
「大丈夫、そんなに待ってないよ」

少し背の高い真田くんの顔を見上げてそう言えば、彼は私の顔をジッと見つめて、それから暫く黙り込んだ。

「…どうしたの…?」
「……あー…いや…」

口元を大きな掌で押さえて、ふいっと視線を外した真田くん。いつも飄々としてる彼にしてみたら珍しい行動に首を傾げてしまう。…変だったかな。でも結構…いや、かなり可愛くお化粧してもらったんだけどな。思わず誤魔化すように前髪を触って、沈黙をやり過ごそうとする。

「…今日化粧してんだなと思って」
「う、うん!あーちゃ…友達にね!やってもらったの…変かなぁ…?」

相変わらず髪の毛を行ったり来たりするように撫でながら、私は真田くんを見上げた。もしかしてケバかったかな。こういうの趣味じゃないとか…なんて悶々とする私から、真田くんは相変わらず顔を逸らしたまま、ポツリと呟いた。

「…っ、やー、すげー可愛いわ、やっぱ」
「っ?!ほ、ほんと…?」

あーちゃん!ヨリコ!私、やったよ!真田くんに可愛いって言われたよ!!!
真田くんの言葉を聞いて、小躍りしたいぐらい嬉しくなった。男の子に可愛いなんて言われるのは初めてでとっても照れるけれど、それ以上に好きな人の口から「可愛い」って言われることがこんなに嬉しいことだなんて知らなかった。思わず頬が緩む。

…あ、そういえば今日の目的はバレンタインのチョコレートだ。すっかりすとーんと頭から抜け落ちていた存在を思い出して、ちょっと慌てる。この流れで渡した方がいいんだろうかそれとも別れ際とか?なんとも恋愛初心者らしい疑問。でもなんとなく今渡した方がいいだろう、と『腹を括って』鞄に指を掛けた。

「真田くん、これ」
「チョコレート?」
「うん、バレンタインだから」
「サンキュ」

落ち着きを取り戻したらしい真田くんに綺麗にラッピングされた箱を手渡す。

「これって『本命』?」
「…っ、?!」

歯を見せて笑って、ちょっと意地悪な聞き方をしてくる真田くんは、もういつもの彼に戻っていた。まさに彼が言う通り、その手の中にある箱は『本命』だ。恥ずかしくなって俯いて、小さく頷く。真田くんの顔が見れない。頭の中をぐるぐる回るのは、どうして彼がそんなこと聞いてくるのかってこと。期待していいんだろうか。それともなに期待してんの?気持ち悪!とか言われちゃうんだろうか…後者だったらすごいショックだ…でも真田くんはそんな人じゃないしなぁ、なんて。ひとりで自問自答していると、「あのさ」と真田くんの声が、耳に届いた。

「…ぶっちゃけ、今は野球に集中したいからカノジョとかはいいかなって思ってるんだけど」

その言葉に、一瞬にして心が凍りつく。……あーーーやっぱり、そうだよね……それ以外ないよね……だって、真田くん、真剣に甲子園目指してるって話してたもんね。…ほんと、なんで、私、こんな浮かれちゃってたのかな。自分が馬鹿みたいだ。可愛いってお世辞ひとつにも浮かれちゃってさ。やだ、なんか、もう、心が痛い。初恋にして失恋。そんな文字が頭の中を駆け巡る。鼻の頭がじんわりと熱くなって、視界がみるみるうちにぼんやりぼやけた。

「でも、祥子みたいな彼女がいたら、三月の選抜も頑張れそうな気がするわ」

ーーーだからよろしくな。

その言葉が耳に届いた瞬間。
私は勢いよく顔を上げていた。そして涙で滲んだ世界の真ん中に映るのは、やっぱりハニかんだ真田くんの顔で。

「ッ、さなだくん…!すきーーーーっ!」

私の口は、思わず思ったままのことを叫んでいた。そしてそれは、恋愛初心者にしては大胆な告白すぎたのか、彼が知らない『いつもの』私の姿に真田くんは一瞬ポカンとした表情を浮かべた。だけど、直ぐにハハッと声を出して笑う。

「俺も好き」

その言葉は相変わらず軽くて、ふわふわ飛んでっちゃうんじゃないかって思うんだけど。でも私のことを見下ろす彼の目を見れば、わかった。わかったんだよね。


きっとこれからも私は、ウンウン悩んでは友達に呆れられながら、一歩ずつ一歩ずつ大人への階段を登っていくんだろうなって。その一番上に足を踏み入れる時、隣にいるのが真田くんだったらいいなって。

そう思ったの。


『女子高に通う夢主が、真田くんに一目惚れしてひょんなことから距離が縮まり仲良くなっていく2人の話(要約)』というリクエストをいつも仲良くしてくださっているなるみおちゃんから頂いて書かせていただきました。少女漫画的な話にしよう!と個人的には楽しく書けました。本当に素敵な設定だったんですが、短編だとどうしても色々なところを端折るしかない状況で心苦しい…可能であればまた改めて中編連載などで書きたいなと思うほど設定などは気に入ってます。
素敵なイメージソングにあわせて高校生らしい恋愛の始まりを書くことが出来て良かったです。改めてなるみおちゃんリクエストありがとうございました!これからも仲良くしてくれると嬉しいです。