千日紅

(単行本未収録ネタ)


一面に墓石が並ぶ広大な敷地。
失った標と引き換えに訪れた平和な日々、穏やかな暮らし。その営みの中で、元風柱 不死川実弥はこの場所をよく訪れていた。
壮大な戦いの果てに彼の手元残ったのは、屋敷と、その生の終わりまで日銭を稼がなくてもいいほどの金銭。それだけだ。
生き残った者達と語らう時もあるけれど、こうしてひとりで亡き者達と向き合う時間の方が彼の性には合っていた。
多くの仲間が逝ってしまったし、自身の寿命もあと長くて四年。

(俺も直にそっちに逝くからなァ)

なんて言葉を抱えながら、実弥はいつも墓地に着くと真っ先に弟・玄弥の墓石の掃除をする。名が刻まれた石を拭きあげ、新しい花を添え、そして線香に火を灯す。弟が好きだった西瓜の供物も忘れない。
一瞬夢に見た弟の姿は、亡き弟妹たちに囲まれていて笑顔だった。その姿が今でも目に焼き付いて離れない。ろくでなしの父親に追い返されるように覚醒した意識。その瞬間の胸糞悪さは、多分一生消え去ることなど出来ないだろう。…あそこで死ねなかったことが、実弥のただひとつの後悔。仇を討ったというのに、胸に巣食うのは負の感情。晴れやかな気持ちだけでない。これが人生を賭けた戦いの末の結末だというならやはり神は最後まで意地くそが悪い、と。実弥はそう思うのである。

玄弥の墓が終わると、その次は兄弟子であった男の遺骨が眠る場所へ。もはや決まりきった道順。組織の解体後、身を包むようになった着物の足捌きに僅かな鬱陶しさを感じながら、彼は草履で砂利を踏む。
今日はいつもより少し早い時分だ。朝餉を終えてから直ぐに屋敷を出た。天道が東の空を登りきっていない。夏の日差しが彼を照りつける。なんとなく朝起きた瞬間から、今日は早くあの場に行くべきだ、という考えが頭に浮かんだのである。…今思えば、それはくそったれな神の啓示だったのだろうか。

実弥の足が止まる。
見つめる先に兄弟子の墓石。
そしてその石の前に座り込み手を合わせる、見慣れぬ洋装姿の小さな背中。思わず息を呑んだ。鬼殺隊とはまた少し違う詰襟の代物。軍服のようにも見える。短く切り揃えられ首元で風に揺れる髪。…ただ男にしては随分華奢だ。
実弥には「それ」が誰か理解っていた。理解っていたからこそ、言葉も出ないし歩みも前に進まない。
「それ」は長い長い黙祷を終えて顔を上げ、そして腰を上げた。僅かに歪な重心の取り方。右足に力が入っていないのが遠目からでもよくわかる。その姿に実弥の心はジリリと焦げた。「それ」が顔を上げて前を見た瞬間。実弥と視線が交わった。目が合う。「それ」の大きな瞳が見開かれ、そして両者の間に初夏の生温い風が吹いた。

………その瞬間。
お互いの胸を焦がす過去の記憶。


さっさと辞めちまえ


実弥の辛辣な言葉が、ふたりの脳裏に響いた。









夜明けの街。白む空に浮かぶ明けの明星、一番星を睨むように見上げるその背中を、祥子はぼんやりと眺めていた。
そして、悔しさの交じる思いで唇を噛む。私はいつだって足手纏いだ、と。
見上げるのは、白い羽織に殺の文字。血塗れとなっているがそれはその人物のものではない。たった今切り捨てられた鬼のものだ。男は擦り傷さえ負っていない。
それはやはり彼が風柱という地位にいる存在だからだろうか。そんなことを考えている反面、またこの男に助けられてしまった、という劣情があるのもまた事実。そんな祥子の考えを察したのか、

「さっさと辞めちまえ」

振り返った男の無情な言葉が、朦朧とする意識をなんとかその場に繋ぎ止めていた祥子に投げ捨てられた。彼女は最後の抵抗とばかりに、その傷だらけの顔を睨みつける。

確かに祥子は弱かった。目の前の男と共に最終選抜を受け鬼殺隊に入隊して数年。ちっとも上がらない階級から考えるとそれは紛れもない事実だ。けれど…それでも、そんな彼女ににだって譲れないものがあったのだ。
それはこの目の前の男のもつ旗印と何が違う、と怒りに胸が燃える。

---お前が死ねば良かったんだ!
---お前が、匡近の代わりに死ねば良かったんだ!!

いつか祥子が男に吐き捨てた言葉。
我ながら酷い言葉を吐いた、と祥子は自覚していた。けれどあの時はそうしなければ自我が崩壊していた、とも彼女は思うのだ。
そしてその言葉によって同門としてそれなりに付き合いのあったふたりの仲が拗れたのは、事実。口もきかなくなり、憎悪が燃える瞳で互いを見た。

…お互いに、失ったものがあまりにも大きすぎたのがいけなかったのだろう。彼は心を許していた兄弟子を、祥子は初恋の男を亡くした。ぽっかりと胸に空いた穴。その空白を埋められるものをふたりは何一つ持ち合わせていなかった。

「……辞めない。辞められるわけない」

祥子は男に対して、そう気丈に言い返した。しかしそんな言葉を吐いたところで、先の戦闘で失った彼女の末端が戻ってくるわけでもない。洋袴からスラリと伸びる白い足。右足の膝から下は、血に塗れて、あるはずの存在がない。戦闘による興奮からか痛みは殆どなかった。それが唯一の救い。
だがそんな救い、祥子にとってはなんの意味もなかった。

死んで愛しい人のもとに行くことも許されぬ地獄。そして彼女は、これから一生片輪者として朝を生きるのだ。それが結末。
互いに分かっているからこそ、…余計に男は鼻で嗤うのだろう。そんな風な考えが祥子の脳裏を占めた。

お互いに睨み合うように見つめ合う。祥子は男を見上げて、彼は彼女を見下ろして。男の黒曜石のような黒々とした瞳に映る祥子の姿。
その、なんと愚かなことか。
自身のあっけない姿を見るに耐えない。先に睨み合いの場から降りたのは、祥子だった。首をもたげる。そんな彼女に追い討ちをかけるような言葉が頭上から投げ捨てられた。

「てめぇの始末はてめぇでつけろ」

嗚呼、この男らしい台詞。
祥子目の前の地面に突きつけられた、彼女の日輪刀。悪鬼滅殺と刻まれた若草色に染まる刃。戦闘で刃こぼれてしまっているが、折れるところまではいっていない。
…男はその自身の刃をもって自害しろ、と。案にそう言っているのだ。
試されていると感じ、祥子の腸は煮えくりかえりそうだった。

(……こいつは、本当に私のことが嫌いなのだ、な……)

心底心底憎くて堪らないのだろう。そう考えると彼女もまた頭に血が上っていた。祥子は正常な判断が出来ず、目の前の男に対する怒りだけでずるずると上半身を引きずりながら地面に刺さる日輪刀の傍まで這ってその鍔に手を伸ばす。

---その時だった。

「あっ、いました!!!」
「風柱様!ご無事でしょうか!?」
「救護班ーッ!」

駆けつけた隠達の声がふたりの耳に届く。途端、張り詰めていた空気が緩んだ。それはふたりの休戦を告げる合図。
男は自分にしかあの顔を見せない。鬼への憎悪に近しいそれ。口が悪く気性が荒く誤解されがちだが本当はそうではない。そうどこか美談のように語られがちな男は、いつだって自分を本気で殺したがっている。これがこいつの本性。私だけが知ってる、男の顔。と、祥子は思うのだ。

「…とりあえず止血しますからね」

そんな男に抱く鬱々とした心情をなぞっていた祥子の前に、ひとりの隠が膝をついた。祥子の惨状を目の当たりにして言葉を詰まらせる。それでも隠の治療する手が止まることはない。これよりも酷い有様を散々目にしてきたことがあるのだから当然のことだ。脚だけで良かった、命があって良かった。そんな呟きが祥子の耳に届く。

(…よくない)

悔しくて、悔しくて。祥子は利き手で拳を作って強く握りしめ、そしてそれを地面に叩きつけた。もう随分前に認めた遺書も出番なく役目を終えるのだと思うと、自分はその終焉までも出来損ないなのだと思い知らされる。更に強く唇を噛み締めれば、血の味が呼吸に混じった。

てきぱきと手順よく進められた祥子に対する応急処置はあっという間に終わった。流石に手慣れている。祥子が感心してる暇もなく「これから蝶屋敷まで担架で運びますね」と声を掛けられたのだが、それは横でずっと事のあらましを眺めていた男に遮られた。

「こいつは俺が運ぶ」

そう言うが早いか、気がつけば祥子の身体は男の背におぶわれていた。突然のことに彼女はじたばたと抵抗を試みるも、がっしりと身体に回された彼の腕がそれを許すはずもない。
突然の出来事に、祥子は混乱した。
この男が何を考えているのか、彼女には理解できなかった。

「なァ」
「……なに」

それは独り言だったかもしれないが、祥子は思わず口を開いて返事をしていた。

「匡近が待ってんだろ」

---お前もさっさとあっちにいっちまえ
その言葉は、今まで祥子が男に掛けられた言葉の中で多分一番優しい声音だったように思う。
それだけで、今まで積み重ねていた憎悪や悲しみが堰を切る。彼女は、その白い羽織をきつくきつく握りしめて、顔を埋めた。

「さねみ」

祥子の愛しいあの人がそう呼んでいた呼び名で。なぞるようにその名前を呼ぶ。上擦った声。ふっと朝靄の空気に男の吐く息がぼんやりと浮かび上がった。

「いつか俺が殺してやるから安心しろォ」


そう呟いた男の脳裏に浮かび上がるのは、過去の記憶。

---全ての、始まり。









「…さねみ」

その口から呟かれた言葉。呼吸が浅い。抱き抱える腕の中の身体がどんどんと色を失っていくのが、理解る。
実弥は、頭部から出血して血塗れとなった男の顔に耳を寄せた。

「祥子…、の、こと…頼む、な…」

生命の理の最後に、匡近が選んだ言葉はそれだった。祥子。声にならない。脳裏に浮かぶのは、流れるような黒髪。「匡近」と愛おしげに兄弟子を呼ぶ声。豊かな睫毛に縁取られた大きな瞳。血生臭い鬼殺隊という場にはそぐわない穏やかな春のような女だ。
それを象徴するように……育手の処にやってきたのは彼女の方が実弥よりも随分先だったが、最終選抜を受けたのは同時だった。…単純に、剣士に向いていないんだろう。そんな女。
こうなる以前は何処かいい処のお嬢さんだったと匡近からこっそり聞いたことがあった。それでも親兄弟使用人を鬼に殺され、自分だけ生き残った理由をこの鬼殺隊に求めただけはあり、根性はあった。
日々の鍛錬にも根をあげることはなかったから、気難しい実弥もそれなりに彼女のことを気に入っていたのである。

祥子は、その生まれ故か気位は高かったが、でも何処か初心な女だった。匡近を見つめる乙女のような視線がそれを物語っていた。

それを、愛おしいと思ったのだ。
自分とは程遠い、汚れない魂だ、と実弥は思った。匡近に対してもそうだ。だからこそ、ふたりには幸せになって欲しかった。

深い業を背負った自分には、眩しすぎる兄と姉。善良な人間は、善良な場所で、…ふたりで所帯をもって生き抜いて欲しかった。そんなありふれたくだらない願い。そんな願いすら、神は叶えてくれない。

「……くそったれ……」

実弥の瞳から零れ落ちた滴が、匡近の頬に落ちた。

それならいっそ、あの世で結ばれて欲しい、と。実弥がその時、胸に抱いた想いはふたりに対する愛以外のなにものでもない。

それだけは、確かだった。








「……久し振りだなァ」

気づけば実弥の足は前に出ていた。そんな言葉を近い距離で対峙した祥子に投げかける。その眼には憎悪の色などもう浮かんではいない。……祥子もまたそうだ。驚いてはいるが、穏やかな表情をしていた。

「私のこと殺しにきてくれたの?」
「……どうだろうなァ」

女の意地悪な質問に、実弥は右手で頭を掻く。随分前に包帯が用無しになったその掌。人差し指と中指が欠如した其れ。なにかと不便だが、欠けた生活にも慣れたように思う。……それほどまでに、時は進んだ。
祥子と顔を合わせるのも随分久方ぶりのこと。鬼舞辻を討った最終決戦より以前に鬼殺隊を去った祥子の行方を実弥は知らなかった。義足を産屋敷家から賜り暫くは蝶屋敷にて技能訓練を受けていた彼女も、生活に不自由なくなった頃にふらりと姿を消したのである。隠になりたい気持ちもあるが足手纏いになるので、という言葉を残していった事実はお館様から実弥の耳に言い伝えられていたが、……何処に行ってしまったかは教えては貰えなかった。それは女の固い意志だったのだろう。お館様の「ごめんね」と言う悲しげな言葉、表情が実弥の胸の内に未だ焼けついている。

「男みたいな格好だなァ」
「こっちの方が動きやすいしね。義足も隠せる」

美しかった女の髪の毛は、随分と短く切り揃えられていた。それでもその艶やかな髪質は変わっていない。強い日差しに照らされて、白い輪が見える。
そんな格好を見て、男の振りでもして暮らしているのだろうか、という考えを実弥が抱くのは、大戦に出兵し一命取り留め国に戻ってきた者たちが戦傷病者となった姿を街で見かけたことがあったからだ。

「……終わったんだってね」

女はしみじみと呟いた。実弥はその言葉に小さく頷く。そうだ。全て終わった。そしてふたりは生き残った。お互いの愛する人たちは、皆もうこの世にはいない。
…改めて思うが、互いに失ったものはやはり大きかった。

「匡近が待ってるよ」

いつか実弥が祥子に呟いた言葉。今度は彼女が彼に伝える番だった。だがあの時とは違い、その声に憎悪の欠片など一切見えない。それが、彼女は実弥よりも年上なのだ、という事実を思い知らされる。子供が駄々をこねるように祥子に対して実弥が冷たく対峙した過去が消えるわけでもないし、祥子が実弥に対して吐き捨てた憎悪の言葉が消えるわけでもない。

それでも迎えた未来は、
予期せぬ再会は、
互いに深い心の傷を負ったふたりの間に一筋の光をもたらす。

実弥の腕が、彼女の華奢な身体に伸びた。
自分たちを形容する言葉が見当たらない。心に抱く心情も、また同様に歪だ。

…だけど、だからこそ。
やはりこれも愛なのだろう。

触れ合った鼻先に、息を呑んだ彼女の呼吸に、実弥はその瞳を穏やかに細めたのだった。


以前ツイッターに掲載したSSがこのお話の原型になります。私も実弥さんに関してはご指定頂いた曲がイメージソングでしたので、お任せということもあり、このようなお話を書かせていただきました。私は、愛情と憎悪は紙一重だと常々考えている節がありまして、これもまたひとつの「愛」の物語だと思うのです。微糖かつ低温火傷しそうなお話ですが、それもまた実弥さんの一面を切り取ってみればあり得る話なのではないか、と考えております。不器用で、愛情深くて、自分が悪者になってでも自分の愛しい人には幸せになって欲しいと願う実弥さんこそ、幸せになって欲しいです。 ゆあ様、リクエストありがとうございました。私個人の嗜好がもりもりの話になってしまいましたが、気に入っていただければ幸いです。