あいのばら、さんとうぶん。

(小湊兄弟、大学生設定)


「ねぇ、もしかして怒ってる?」
「怒ってないように見える〜〜〜???」

もう信じらんない、と唇と尖らせて拗ねてみせれば、亮ちゃんの指はこちらに伸びてきて餅のように引っ張られる。ふにふにと好き勝手に弄られるものだから、私は眉間に皺を寄せた。その顔がよっぽど面白かったらしい。亮ちゃんは半笑いだ。もう昔からこんな調子なので慣れてしまったけれど、それでも気分は良くない。ジト目で亮ちゃんを睨めば、さらに笑われたけれどーーひとしきり私の反応を楽しんだ後に、ちょっと真面目な顔になって、

「ごめんね」

謝罪の言葉と共に、頭を撫でられた。
亮ちゃんは意地悪だし、毒舌だし、結構自分本位だけどーーそれでもこういう時にフッと『長男』なんだなって思い知らされる。私は彼の掌の温もりを後頭部に感じながら、ふいっと目を逸らした。とりあえず謝っておけばいいって問題じゃない。私は怒ってるんだ。もうずっと怒ってる。それを理解らせてやりたい。…そう、思うんだけど……。

「……アイス買ってくれたら、許してあげる」
「そんなんでいいの?随分安いね」
「…だって、どんなにお願いしても、学祭来れないんでしょ?」
「まあね。しょうがないだろ、練習なんだから」
「……わかってるけど…でも亮ちゃん、もう引退してるじゃん…!」
「後輩の指導も、先輩として大事な仕事」

その言葉を受けて、私は肩を落とした。そんな風に落胆を身体全体で表現すれば、亮ちゃんは小さく吐いて、それからもう一度私の頭を撫でまわした。「相変わらず仲良しねぇ」なんてママの声が聞こえる。その顔は相変わらずニコニコの笑顔だ。どんな話をしているかなんとなく察しているはずなのに、どうみたら『仲良し』に見えるんだろう。だって私はやっぱり怒ってる。これは喧嘩だよ、喧嘩。それでもきっと周囲から見たら、ちょっと仲の良すぎる『兄妹のじゃれ合い』なんだろうなぁって、改めて思い知らされた。

「俺は無理だけど、春市は?」
「……春ちゃんも練習だって」
「そう」

残念だね、でも来年もあるだろ、あと三回チャンスはあるよ。亮ちゃんが口にする耳触りのいい言葉。だけど今までもずっとそうだったのだ。これからもこれが続くに決まってる。考えるだけで落ち込んできた。

「もういいもん!亮ちゃんも春ちゃんも、私なんかより野球の方が大好きなんでしょ!」

バカバカバカー!と盛大に拗ねる私はきっと大学一年生には見えないだろう。見た目は小柄で童顔だし、中身はお察しの通り『末っ子』だ。呆れる亮ちゃんの顔を見たくなくて、私は座っていたソファーから立ち上がった。

「学祭は彼氏と回るもん!」
「あら、祥子ちゃん彼氏出来たの?」
「これからつくるの!候補は沢山いるから!」

ママの問いに捨て台詞よろしくそんな言葉を残して、そのままバタバタと音を立てて向かう先は二階の自分の部屋だ。折角亮ちゃんが下宿先から実家に帰って来てくれた週末だっていうのに、結局いつものとおり。バタン、と大きな音を立てて自分の部屋の扉を閉めて、ベッドに飛び込むように勢いよく寝転んだ。悲しくて悔しくてムカついて、唇を噛む。

私は小湊祥子。大学一年生。
小湊家三兄妹の末っ子。
お察しの通り私は、ーー兄の亮介、春市のことが好きすぎるーー重度のブラコンだった。


幼い頃を振り返ってみても、我が家の兄ふたりはいつもいつも私より野球を優先していた。練習、試合、練習、試合、その繰り返し。
三歳年上の亮ちゃんが東京の青道高校に進学が決まって寮ぐらしになるってわかった時、私はこれでもかってぐらい大泣きした。その二年後、一歳年上の春ちゃんまで青道に行くって決まった時は、更に夜通し泣き続けた。もーーほんっっとに、ふたりと離れ離れになるのが嫌で、私も青道に行く!ってパパとママに言ったけど、でも青道には野球部以外の寮がないから駄目って言われて、結局自宅から通える高校に。私だけ公立だ。辛い。
兄ふたりはそのまま野球部のある都内の大学に進学したから、私もふたりに倣って東京の大学へ進学。だけど一人暮らしを許してもらえなかったから、学校へは今のところ実家から通っている。……でもあと三年あるから、まだ一人暮らしの野望は諦めてない。バイトもさせてもらえてないけど。辛い。
「父さんも母さんもお前のことが可愛くて仕方ないんだよ。箱入り娘なんだから」
これは亮ちゃんがよくいう台詞。確かに私が両親に大事にされすぎてるのは、よく理解してる。だからそれと同等にお兄ちゃんたちにも!大事にされたいのに!
現実はなかなかうまくいかないものだ。

「で、結局、学祭までに彼氏も出来ず、その大好きなお兄ちゃんふたりも見に来てはくれず…こうして、今に至る、と」
「まーちゃん、ひどい!その通りだけどひどい!」
「残念だなぁ、祥子自慢のお兄ちゃんふたり見たかったのに」

というわけで、学祭当日である。友人のまーちゃんが言ったように、私には彼氏ができなかったし、お兄ちゃん達もやっぱりこなかった。結局、女友達ばかりで楽しむことになって……まあ、いつも通りだ。陽があるうちは、いろんな学科の出し物を見て回ったり、飲食物の出店ブースで散々飲み食いしたり、と望んでいなかった形でもそれなりに楽しんでいた。
黄昏時、一般客は殆ど捌けて残っているのは大学の生徒たちばかり。片付けをしたり、ダラダラとお喋りに興じていたり、祭りの余韻に浸っている。
私たちはそんな中で、学祭ゲストのインディーズバンドのライブ開演待ちだった。興味ないけど、これも付き合い。まーちゃんがバンドのファンらしい。校舎と校舎の間の中庭ーー芝生の広場に設置された特別ブース。開始時間は、十七時から。あと十五分ほどで開幕だ。さっき買ったばかりのペットボトルに口をつけながら、準備が着々と進むステージをぼんやりと眺めていた。

「祥子と付き合いたいって男、沢山いるの知ってる?」

まーちゃんが突然口を開いたと思えば、信じられないことを言ってきた。それが事実ならなんで私に彼氏が出来ないんだ。そんな思いが表情に出ていたんだろう。大きな溜息とともに、額を指で叩かれる。

「大好きなお兄ちゃん達しか目に入ってないから気づいてないんだよ」
「そんなことないもん!」
「理想が高すぎるんじゃない?」
「えー?!身長は私より高かったら気にしないし、そりゃあ太ってたり剥げてたり歳が離れすぎてたら嫌だけど…でも優しかったらいいもん!」

唇を尖らせて反論すれば、まーちゃんはまた溜息を吐いた。それからチラッと飲食ブースが並ぶテントの方を見る。私も釣られてそっちを見た。ライブ前に食料を買い込もうとしてる人達が団子になっている。賑やかだ。

「ハンダくん、さっきから祥子のことばっかり見てるよ」
「えっ?!ほんと?!」

慌てて多数の中から、名前の上がったハンダくんの姿を探した。彼は数いる中の彼氏候補のひとりだ。幾つかの授業が被ることがあって、よく話をするようになった。
ちょっとチャラいけど、気遣いの出来る人だし面白い。顔はまあまあ格好いいかな。クールな感じ。目が細くて、キツネみたいで、それにちょっと亮ちゃんに似てる。

「…あ、居た」

そんなハンダくんと目が合った。ヒラヒラとこちらに手を振ってくれる。私も応える様に右手を挙げた。まーちゃんが耳元で「行ってきたら?」と囁く。

「えー、いいの?」
「いいよ、いいよ。どうせ祥子、バンド興味ないでしょ」

楽しんでおいで、という後押しの言葉に頷いて私は立ち上がった。スカートの裾についた芝生をサッと払ってから、ハンダくんの元へ。これが恋の始まりだったりしちゃう!?もしかしてこのままご飯行こうとか言われちゃう!?我ながら単純だけど、胸のトキメキが抑えられない。どんどんと近くなるハンダくんの姿。小さく深呼吸を繰り返し、口を開いて彼の名前を呼ぼうとした、その瞬間だった。

「祥子」

聞きなれた声が耳に届く。それは勿論ハンダくんの声ーーなんかじゃなくて。彼の肩越しに見えたピンク色の髪。私とおんなじ色の髪。私とおんなじパパ似のぱっちりした瞳。その姿を見た瞬間、私は驚くべきスピードで駆け出していた。

「春ちゃん!!」

ハンダくんの呆気にとられた表情が視界の端にちらりと映ったけど、そんなこと私はもうちっとも気にならなかった。だって「ごめんね、行きたいけどちょっと無理かな」って電話越しに言っていた春ちゃんが目の前にいるのだ。私はその喜びを爆発させるように、春ちゃんに抱き着いた。

「なんで!?なんでいるのー!?」
「来てほしいって言ってたのは祥子でしょ?」
「そうだけど…!」
「練習終わって急いで来たよ。間に合って良かった」

春ちゃんの手が、私の頭を撫でる。嬉しい、嬉しい、嬉しい。私は春ちゃんの胸に頬を寄せる。

「それより、彼、良かったの?」

春ちゃんが、ハンダくんの方を見ていることはなんとなくわかった。私は顔を上げて「いいの!」と胸を張る。

「春ちゃんが来てくれたんだもん!」

満面の笑みでそう答えれば、春ちゃんは苦笑い。

「彼氏じゃないの?」
「違う、違う!彼氏候補!」

とは言え、多分もうハンダくんは私にアプローチしてくれなくなるだろうなってことは薄々理解する。そこまで鈍くない。彼氏は欲しいよ、やっぱりね。年頃だもん。だけど私にとっていま、大事なのは彼氏より兄なのだ。これでこそブラコン。そう思う。きっと送り出してくれたまーちゃんが事の顛末を知ったら、盛大な溜息をつくだろう。それでも良かった。

「春ちゃん、せっかくだからバンド見てく?」
「そうしようかな。兄さんももう少ししたら来るって言ってたよ」
「亮ちゃんも!?」

なんてハッピーな一日の終わりだろう。彼氏も出来なくて最悪な一日!と友人たちに愚痴を零していた朝がもはや懐かしい。あまりの嬉しさにきっとだらしない顔をしてるに違いない。でもほっぺを引き締めようと思っても、自然と緩んでしまうんだからしょうがない!

「帰りに三人でご飯食べて帰ろ!」
「いいよ」

春ちゃんはその名前の通り、穏やかな春の陽気みたいな笑顔で私を見下ろす。私はその顔を見上げながら、大好きな春ちゃんの手を握って指を絡ませた。肉刺だらけの掌。いっつも野球ばっかりで私のことなんてほったらかしのお兄ちゃんたちだけど、それでも最後には私のことを笑顔にしてくれるんだもん。
嫌いって言ったり、彼氏作っちゃうぞって言うけどね、それはやっぱり私のことを見てくれないから拗ねてるだけなの。本当はとってもとっても大好きなんだよ。そんなこと亮ちゃんも春ちゃんもとっくに知ってるだろうけど。
こんな私だから、きっと、暫く彼氏なんて出来そうにないんだろうな。

ジャジャーン、と掻き鳴らされたギターの音を聞きながら、そんなことを考える私はやっぱり重度のブラコンに違いない。


「秋季リーグ、春市のとこ調子いいじゃん」
「うん。兄さんところに負けてられないしね」
「もー!!やっぱり野球の話ばっかり!!!」

学祭の帰りに三人で食べに行った焼肉の席で、怒った私に対して亮ちゃんも春ちゃんもいつものように「ごめん、ごめん」と謝りながら、頭を撫でまわしてきた話はまた別の機会にお話しするとしよう。

「兄のことが大好きだけど野球ばっかりで構ってもらえない妹ちゃん」ということで書かせて頂きました。ご指定いただいたい曲はプロモで拝聴したんですが、冒頭のやりとりが可愛くてそのまま作品に描かせていただきました。もしかして幼少期の話を想定されてたかなぁと思いつつ、書きやすさ重視で大学生設定に。夢主ちゃん、モテますが本人も理解してるようになかなか彼氏が出来ないブラコンです(苦笑)
恋愛ではない別の側面から小湊兄弟を書けて楽しかったです。春市がお兄ちゃんしてるのはいいですね。
ちま様、素敵なリクエストありがとうございました!