雲外蒼天

18.44mの距離が、
あの眩しいほどの夏の日差しが、
肌を焼き尽くす灼熱が、

あの夏のすべてが、
いまは、遠い。



「じゃあ、村上さん、お疲れ様でした。先にあがります」
「お疲れさん」

時計の秒針が、定時を回ったことを確認した成宮鳴は自分に割り振られた作業場の机を片付けてから立ち上がる。それから隣の同僚の村上に声を掛けた。同僚とはいえーー定年後再雇用された初老の彼は、成宮とは祖父と孫ほどの年の差だ。そんな彼は口数が少なく、性格は頑固。しかし余計なことを聞いてこないので、成宮は村上のことが好きだった。
成宮の足は、タイムカードを押すために、作業場から事務所へ向かう。その道中、就業中作業着のズボンに仕舞いこんでいたスマートフォンを取り出して、電源を入れなおしていたその時だった。

「おーい、成宮!夕飯は?どうせロクなもん食ってねぇだろ」

大型機械を扱う隣の部署ーーA班の仕事場から声が掛かった。成宮は顔を上げて、そちらの方に顔を向ける。そして顔を顰めて口を開いた。

「竹内さん、チョー失礼。普通に食べてるし!」
「男の一人暮らしなんて侘しいもんだろ」

恰幅の良い作業着姿の中年男性ーー竹内が、成宮に身体を寄せて、そして肩に腕を回す。いつものことで慣れた様子の成宮は、その腕を退かすこともなく「ちゃんと食べてますけど」と改めて竹内の言葉を否定した。

「給料入ったし、奢ってやろうと思ったんだけどな」
「マジですか」
「マジ、マジ」
「えーじゃあ、肉食べに行きましょうよ、肉」
「ゲンキンなやつだなぁ」

竹内とは親子ほどの歳の差があるが、成宮は彼と親しかった。だから、多少のタメ口にも目を瞑ってくれている。竹内は、成宮がこの会社に入社した時から気にかけてくれている先輩だ。
急遽決まった奢りの夕飯に成宮が表情を綻ばせば、竹内はそれに対して呆れたような表情。でもどこか楽しそうだ。一目でふたりは仲が良いのだろうとわかるやりとり。

「どこ食いにいく?」
「……あっ」
「なんだよ」

スマートフォンの画面にふっと視線を落とした成宮があげた声。竹内は怪訝そうな顔をする。

「…ごめん、竹内さん、やっぱ今日行けない」
「なんか用事か」
「幼馴染が来るって」
「あー…例の」
「そう、例の。だから、ごめんね。また奢って!」

パン、と顔の前で合わされた掌。歳の割に硬い肉刺が目立つ。そんな成宮の指先を見つめながら、竹内は「わかった、わかった」と息を吐きながら頷くのだった。



関東にある某県。東京からは一時間ちょっと。大小様々な工場が立ち並ぶ田舎。そこが今の成宮鳴の居場所だ。職場から自転車に乗って、十五分ほど。築二十年程の二階建てのアパートが彼の根城。名前はさつき荘。古めかしい外見にいかにもな名前だ。ここは、この地に住む成宮の祖父母の知り合いが所有する物件で、家賃はそのよしみで破格の安さだった。特に不自由なことはない。強いていうなら洗濯機置き場がベランダであることと、玄関入ってすぐが六畳の台所兼居間で、右側に浴室とトイレで脱衣所がないのがなんとなく居心地が悪いぐらいだろうか。それに木造建築のためか、冬は寒すぎるのだ。浴槽に追い焚き機能がついていないのが、いま一番の悩み。

(そう考えると寮暮らしは快適だったよなぁ)

ふっと思い出すのは、つい二年前まで生活していた高校の寮生活のこと。今の暮らしから考えれば随分贅沢なものだ。そしてそれを思うたびに、胸にはフッと暗い影が落ちるものだから成宮は頭を振った。
アパートの駐輪場に自転車を停め、建物の敷地内の砂利が敷かれた駐車場を覗き込めば、もはや見慣れた軽自動車があり、小さく息を吐く。薄暗くていまはよく見えないが、薄いピンク色の車体に、バックミラーには見慣れた球団のマスコットがぶら下がっていた。
成宮は自転車の籠から鞄を取り出し、アパートの外階段をカンカンと音を立てて登る。登り切る前に、一度深呼吸。
そして、意を決して、彼はずらりと部屋の扉が立ち並ぶ外廊下へと進んだ。

「祥子」
「鳴、おかえり」

202号室の扉ーー成宮の部屋の前に座り込んでいた女の名前を呼んだ。すると彼女はすぐさま顔を上げて立ち上がる。チカチカと点灯する蛍光灯の光に照らされたその顔には薄らと化粧が施されていて、なんだか知らない女の顔を見ているようだった。

「なんでまた来たの?」
「鳴の顔が見たくて」
「……ふーん」
「駄目だった?」
「こないだもう来るなって言ったけど、今ここにいるじゃん。だから言っても無駄だろ」

成宮の呆れたような物言いに、彼に祥子と呼ばれた女は眉を下げる。ごめんね、と彼女は謝罪を口にしたが、成宮は無視した。そして仕事場の作業着のズボンのポケットから部屋の鍵を取り出して、扉の前に立つ。祥子はその姿をただジッと見つめていた。施錠を外して、玄関扉を開ける。古い建物独特の匂いがふたりの鼻腔を擽った。
先に一歩踏み出したのは、勿論成宮だ。祥子は動かない。その姿に、成宮はゆっくりと口を開いた。

「入らないの?」
「……入っていいの?」
「いいよ。その代わり夕飯作ってよ。奢り断ってこうして帰って来てあげたんだから」

相変わらず尊大な物言いだったけれど、祥子はなぜか笑顔だった。まるで、それでこそ成宮鳴だ、とでも言うような表情。それが成宮の胸をざらりと撫でた。だから彼は、胸を占める感情から眼を背けるように鼻を鳴らすのだ。

成宮鳴。
十九歳の八月。
社会人になって迎える二度目の夏。
そして野球を辞めて迎える二度目の夏だった。




「仕事忙しい?」
「まあまあ。そっちは」
「忙しいよ。なるべく早いうちに単位取っておきたいしね。頑張ってる」
「ふーん」

冷蔵庫の中にあった材料で、祥子が手際よくつくったチャーハンをふたりで向かい合って食べた。話すことといえば、やはりお互いの近況話だ。とはいえ、前回祥子がこの家にやってきたのはつい三か月前。大学生として日々を謳歌しているだろう祥子と違って、社会人の成宮の近況としてはたいして変わっていない。話題はすぐに尽きた。居心地の悪さを感じて、成宮は視線をテレビ画面へと移す。金曜日のバラエティー。お笑い芸人たちが身体を張った芸を披露している。大げさなスタッフの笑い声につられるように、成宮もハハッと笑った。

「鳴がテレビ見て笑ってる」

祥子の言葉に成宮は顔を顰める。

「面白かったら笑うだろ」
「……そうだね。よく見るの?」
「…見るよ。やることねーし」

肩を竦めて、唇を尖らせた。祥子の考えていることが手に取るようにわかる。ふたりは幼馴染だった。それこそ物心つく前からの付き合いだ。きっと、あの鳴が、と思っているんだろう。それを考えるとやはり胸が軋むのだ。そんな成宮の心情を知ってか知らずか、祥子は手に持っていたスプーンを皿の上にコトリと置いて、改めて彼の部屋を見渡した。
男の一人暮らしにしては綺麗なほうだろう。そこは三年間の寮生活で鍛えられたに違いない。けれどもともと成宮の実家の部屋もシンプルなものだったことを祥子は思い出し、性格もあるのだろうなと思い直した。ふっと蘇ってくる幼馴染の部屋の情景。年頃の男の子が好きそうな漫画やゲームは殆どなかった。……あったのは、

「……野球」

ぽつりと零れ落ちた言葉。その単語に、成宮も動かしていた手を止める。
成宮の部屋は、野球一色だった。好きなプロ野球選手のポスターとか、グッズが沢山飾ってあった。それを思い出して、祥子は泣きそうになる。この部屋に足りないものは、野球だ。本当はずっと理解ってる。
成宮鳴は、高校卒業と同時に野球を辞めた。
…否、正確に言うと、夏が終わり、引退を迎えてからだ。
彼は人生の全てを捧げていた宝物を、神様からの贈り物を手放した。
それ以来、野球に関わる全てのものから目を背けて生きている。


幼馴染として、稲城実業の野球部マネージャーとして、成宮鳴の一番近くで彼の野球人生に深く関わってきた祥子としては、今の彼の現状が心苦しくて堪らない。だから彼女はいくら邪険にされても、成宮のもとを訪れることを辞めることは出来なかった。祥子は他の誰よりもマウンド上の王様を愛していたから。

「原田先輩から連絡あった?」
「……あったよ」
「なんて?」
「久々に集まるんでしょ。俺は行かないけど」
「…行こうよ。みんな、鳴に会いたがってるよ」
「どーだか」

成宮はわざと明るい声を出して、肩を竦めてお道化てみせた。話を切り上げたかったが、祥子がそれを許さない。

「心配してるんだよ」
「…わかってるってば!」

激しい感情の起伏。今度は苛ついた様子で唇を噛む。祥子はそんな成宮に目を潤ませた。

「……野球のこと、嫌いになっちゃったの…?」

その質問に、成宮は目を伏せた。そしてしばらく考え込む素振りをみせてから、ゆっくりと口を開く。

「………わかんない。でも野球が俺のこと、嫌いになったのは確かだよ」

悲しみが滲んだ声に。その言葉に。祥子は居ても立っても居られなくなり、向かい合って座る成宮の掌にそっと手を伸ばした。硬い指先。…肉刺だらけだったそこは、今は少し柔らかい。それでも彼が今まで積み重ねてきたものが消えたわけではない。野球をしていた人間の手だ。

成宮が野球を辞めた理由を、周囲は好き勝手に、燃え尽き症候群や、怪我、そしてイップスじゃないかと噂した。真相は誰にもわからない。成宮がそれを語らないからだ。
そんな状況の中で、彼を一番近くで見てきた祥子や元野球部員たちは、イップスに近いのだろう、と思っている。成宮はあの夏以降、急に投げられなくなった。当人以外、特に大きな切っ掛けは思い浮かばない。だからこそ、解決策が見つからないのだ。

あれだけ都のプリンスも持て囃された成宮だったが、それをキッカケに、野球をすっぱりと辞めた。当然のことながらプロ志望届を出さなかった。大学進学も希望しなかった。祖父母の住む地で、中小企業の所謂『町工場』に就職を決めて、実家を出た。そして今に至る。

「鳴」

祥子は成宮の手をぎゅっと握って、それから名前を呼んだ。成宮は顔を上げて、彼女の顔をジッと見つめる。

「私は、もう一度、野球やってる鳴が見たい」

それは祥子の切実な願いだった。祈りにも似たそれ。祥子はここに来るたびに、その言葉を口にする。耳にタコが出来るほどだ、と成宮は内心で溜息を吐いた。それでも彼女を捨てきれないのは、やはり未練なんだろうか。そんなことも考える。

野球を辞めた成宮鳴に価値なんてないだろ。以前そんな言葉を祥子に投げつけたことがある。彼女はそれを聞いてとても怒った。泣いて、泣いて、とにかく怒った。そしてそんなこと二度と言うな、と。成宮に凄い剣幕で詰め寄って、約束させた。

祥子は頑固だ。特に野球と成宮自身のことになると、それが顕著に現れる。
今でもこうして傍で寄り添おうとしてくれる祥子。野球を諦めるなと伝えてくる祥子。少しでも成宮の為に、という理由で大学でスポーツ心理学を勉強している祥子。
うっとうしい、余計なお世話だ、放っておいてくれ。
そんな風に切り捨てるのは簡単なはずなのに、それが出来ない。

……祥子が小さな祈りを口にするたびに、成宮が思い出すのは、初めて彼女とキャッチボールをした幼い日の風景だった。祥子はとにかく投げるのが下手くそで、成宮が立っていた位置よりもだいぶ前の方でボールが落下し、ころころと足元へと転がってきた。それを成宮は笑って、そしてボールを手に取り、祥子の方へと投げ返した。彼女は、投げるのは下手なのに、キャッチングは上手かった。すごい、すごい。成宮が投げた球を、そんなありきたりな賛辞で満面の笑顔と共に成宮に贈った祥子。それを思い出すたびに、成宮はやっぱり泣きそうになる。
だから、だろうか。
この日、初めて成宮は、自分から久しぶりに『それ』を話題にした。

「……仕事でさ」
「………うん」
「俺はこう…細かい作業をする部署なんだよね。製品を一個一個手作りしてくの」
「うん」

仕事での作業を再現するように、成宮は手を動かした。彼が勤める工場は、主にゴム製品を扱っている。それを承知している祥子は、見たことはないその製品をなんとなく想像で思い浮かべながら相槌を打った。

「隣の部署は、大型機械を使って切り出す部署。で、そこに仲良くしてくれてる竹内さんって人がいるんだけど」
「いっつもご飯奢ってくれるひと?」
「うん、そう。それでこないだその竹内さんが、ちょっと来いって俺をその隣の部署に引っ張ってったんだよね。で、これ見ろよって。見せられたのがさ……」

そこで成宮は口籠った。何度か瞬きを繰り返し、自分の中の言葉を探しているような、そんな素振り。祥子はただジッと待った。少しの沈黙の後、成宮はゆっくりと口を開く。

「…ホームベース」
「……ホームベース…?」
「うん」

予想しなかった単語に、祥子は眼を見開いた。成宮はそこでようやく表情を崩す。口端を持ち上げて笑みを浮かべ、そうして天井を仰ぐように、背を反った。古い板の染みを数えながら、その時の情景をなぞるように言葉を紡ぐ。

「うちの会社で、ホームベース作ってんだって。県内の、球団の。それで竹内さんがさ…言ったんだよ。お前は今こうしてここにいるけど、いつかこれを踏む日が来るって俺知ってるぞって。それ聞いて、俺…なんて言っていいか理解んない気持ちになった」
「…鳴…」
「今の仕事は……大変だけど、楽しいよ。職場はいい人ばっかだし、俺自身手先が器用だから褒められることも多いしね。ずっと続けていける仕事だなって思ってた。……でもさ。そのホームベース見た時、…竹内さんの言葉を聞いた時…。久々に、野球のこと思い出して……そんで、…投げたくなった。ただ純粋に、野球を楽しみたくなったんだよ。自分でも驚いてるけど……」
「っ、」

成宮の言葉に、息を詰まらせたのは勿論祥子だ。そんな彼女の姿に、成宮は苦笑いとも少し違う……なんだか、大人っぽい微笑を浮かべて言葉を続けていた。

「……もしかしたら、神様が……俺に大事なことを気付かせるために、ここまで遠回りさせたのかもね」
「……大事なこと?」
「うん、そう」

だけどやっぱり成宮は、その『大事なこと』を口にはしなかったし、語らなかった。だから祥子も深くは追求しなかった。その代わりに涙で濡れた目尻を指先で拭って、彼女もまたなんとも言えない微笑みを浮かべる。

「野球、やろうよ。楽しい野球」
「…言っとくけど、すぐにってわけじゃないよ」
「わかってるってば。今はみんな忙しいしね。大学の秋季リーグが終わってからかなぁ。メンバーに声掛けて、場所も用意しないと…」
「なんかスゲー大掛かりな感じにしようとしてない?」
「してない、してない」

とはいいつつ、祥子は早速スマホを取り出して、旧知の中である稲実メンバーに連絡を取ろうとしたものだから、「だからそれ!そーいうとこ!!」と成宮は彼女に対して久しぶりに大きな声を上げる。怒られたもののーー硬さのとれたその声に、注意された祥子本人はやっぱり笑顔だった。




「鳴さぁああああああん!!!」
「ちょっと!祥子!樹が来るって聞いてないんだけど!?」

11月某日、某県某所、河川敷のグラウンド。集まった面子を目にした成宮は、予想していたこととはいえちょっとした居心地の悪さを感じていた。そこに顔を真っ赤にして両手を広げて自分に向ってくる多田野樹。思わず声を荒げて祥子の名前を呼ぶ。

「だって言ってないもん」

当の祥子は悪びれもしていない。

「いやー相変わらずだな、お前ら」
「樹、うるさい」
「鳴!意外と元気そうじゃねぇか!」
「あーーー元気!元気!吉沢先輩も元気そうだね!?」

カルロスや白河はまだわかるが、まさか先輩達まで来るとは思っていなかった成宮である。卒業以来の顔合わせになる彼ら。多少の気まずさはあったが、相手がまるで何事もなかったように接してくるものだからなんだか色々馬鹿らしくなって昔のように声を張り上げた。

「いやあ、圧巻だな。稲実だよ、稲実」
「すみません、今日は我儘言って来ていただいて」
「いいって、いいって。なぁ、村上さん?」
「そうだよ、お嬢ちゃん。うちの部署のエースの頼みだからな。断れねぇよ」

騒がしいやりとりを、祥子と一緒になって微笑ましい笑顔で眺めているのはーー普段の作業着から一変、揃いのユニフォーム姿の中年男性達はお察しの通り成宮の会社の先輩達だ。野球経験者を中心に集められたそのメンバー。最高齢の村上を監督として、選手の中には社長の息子である専務までいる。会社の立場は関係なく、集まった。チーム名はラバーズだ。これは取り扱う製品のゴムにかけているのだろう。そしてそんなラバーズの投手は勿論成宮鳴だった。

「でもうち捕手出来るやついねぇけど、大丈夫か」
「大丈夫です。ちゃんと私が手配しましたので!」
「それならいいけどよぉ…」
「あっ!噂をすれば!」

祥子はそう言って、突然、遠方を指差した。皆がそれに釣られてそちらのほうに顔を向ける。勿論、成宮も。そしてその見慣れた姿を視界が捉え、存在を認識した瞬間。彼は思わずあんぐりと口を開いていた。数秒固まって、それから祥子に詰め寄る。

「馬鹿じゃないの?!?!」
「えースペシャルゲストなのに…」
「馬鹿!祥子の馬鹿!」
「言ったじゃん、みんな鳴のこと心配してるんだよ」
「だからってわざわざ北海道から来ることないでしょ?!雅さん!!!!」

雅さんーーこと、遅れてやってきた原田雅功は、成宮の言葉にその凛々しい眉毛を寄せて険しい表情をつくった。

「相変わらずうるせぇな。別にこれだけの為じゃねぇから心配すんな」
「本当は御幸くんにも来てもらおうと思ってたんだけど、予定あわなくて」
「…はぁ!?一也にも声掛けてたの!?」
「うん。だって鳴、楽しい野球がしたいって言ってたんじゃん」

祥子は相変わらずニコニコと笑っている。幼い時分の風景ーー御幸と成宮が日が暮れるまで野球談義に花を咲かせていた姿を思い出しているんだろうことは容易に想像がついた。成宮は諦めたように息を吐く。
そもそも御幸が来ていたら、白河あたりの機嫌は最悪だったはずだ。更に原田も顔にこそ出さないだろうが、未だに御幸が苦手らしく変な空気になっていたに違いない。そういうところの気遣いが出来ないのが祥子だった。彼女の行動心理は基本的に「成宮鳴の為」に全振りされている。そんなことを改めて考えていた成宮の横でオジサン達は生のプロ野球選手ーー原田に大興奮だ。

「楽しもうね、野球」
「……とーぜん」

祥子の言葉に、成宮は青色を揺らして頷いた。秋の風が、彼の金糸を揺らす。その手には、見慣れた明るい色のグラブ。ひと目見ただけで、細かいところまで手入れされていることが理解る。今の祥子にはそれだけで、良かったのだ。

今ようやく、彼女が愛する獅子はスタートラインに立った。
これから先。
神が再び、寵児の手を取るか。
それは誰にもわからない。


ただ、遠くない未来。
世間の耳に、再び『都のプリンス』の名前が届く日が来る。

それだけは確かなことだった。

「成宮鳴がプロにならなかった話」且「もう一度夢に向かって仲間たちに支えられながら再挑戦していく話」ということで書かせていただきました。再挑戦というところが少し物足りないかもしれません。私の力量不足が露呈してしまいました。申し訳ないです。このお話の設定で、書きたいエピソードやシーンなどまだまだあるので、ちょっと改めてまた続編でも書かせてもらえたら…とは思ってます。 最終的には、夢主の粘り勝ち。成宮は再びプロを目指します。曲に合わせたPVのような気持ちで書かせていただきました。恋愛要素は薄めですが、いつも書く成宮とはまた少し違った彼を書けて幸せでした。 ぽこぽ様、改めて素敵なイメージソングと、素敵なお話のリクエストをありがとうございました!