早春ラプソディー



有名人とお付き合いしたり結婚する『一般人』ってどんな人なんだろうって、学生の頃から思ってたけど…まさか私がその『一般人』になるとは思いもしなかった。人生ってなにがおきるかわからない。


「……またか」

仕事帰りに寄ったコンビニ。入口付近に置かれた緑の籠を手にとって、流れるようにいつも通り雑誌コーナーへ。目についたのはセンセーショナルな煽り文が躍る週刊誌だ。政治経済芸能なんでもあり。普段なら手に取らないそれに思わず手を伸ばしていたのは、そこに見知った名前が印字されていたからだ。

『成宮鳴(25)大人気女子アナとお忍びデート』

その名前を見るだけで、見出しを見るだけで、息が詰まる。表紙を手に取っただけで、中身を見る勇気はなかった。雑誌をそっと棚に戻し、踵を返して背を向ける。僅かに騒いだ心音。聞かぬふりをして、大型冷蔵庫の向こうに並ぶカラフルな缶を吟味する。…今日はちょっとアルコール度数の高いお酒を買ってしまおうか。そんな風に思うのは、きっとさっきの文言が「気にしない」って自分に言い聞かせても脳裏に焼き付いているからだと思う。ええい、今日はやけ酒だ。そんな決意とともに冷蔵庫の扉を開ければ冷気がひやりと指先を擽った。
適当に選んだ缶をぽいぽいと籠の中に放り込んで、次に足が向く場所はおつまみコーナー。吟味してこれも籠の中に入れて、最後はスイーツコーナーへ。これは何人分なんだろうってぐらいの買い物。でも休み前だから仕方ない。忙しい仕事から解放される休日。…勿論、予定はない。ただダラダラと過ごすだけだ。だって私のスマホはうんともすんとも鳴らないから。

レジで会計を済ませて、暖房の効いた店を出る。溜息を吐けばそれは白く染まって冬の澄んだ夜空に登っていく。手袋をせずにコンビニのレジ袋を掴んでいる指先が酷く冷えた。

そういえば、といえばなんだかわざとらしいけれど。私の心を掻き乱す『彼氏』ーープロ野球選手の成宮鳴と知り合ったのも冬だった。今日みたいに凄く寒い冬。共通の知り合いが主催したホームパーティー。まさか身近でこんな有名人と知り合えるなんて思ってもいなかったから興奮したことは否定しない。
彼は、テレビ越しに見るそのままの格好良さで、そこに存在していた。笑顔が可愛くて、思ってたよりも背が高くて、優しくて。…私には王子様に思えたのだ。
こんな素敵な人と付き合えるのは、きっと芸能人とかモデルとか、そういう類の人間なんだろって思ってたの。だから最初から知り合えたこと自体が奇跡で、そもそも雲の上の存在だって一線を引いていたはずなのに…。

「……最初からわかってたことなのにな」

足を踏み入れて今の立ち位置に慣れてしまって欲深くなったのは私の罪だ。…でも始まりは確かに彼の方からだった。



「彼氏って言っていーよ」

初対面で何故か連絡先を交換することになっただけで驚きだったのに、そのあと何回かふたりで食事をする機会を得た。これは所謂デートなのか食事なのかが曖昧でひとりで頭を悩ませていたのはもはや懐かしい。そんな私に、彼がそう言ったのだ。個室のそれなりに値段の張る居酒屋。L字型のソファーに座って、彼は私の掌に自分のそれを重ねて言った。

「…彼氏…」

なぞるように、確かめるように、呟いたその言葉。

「光栄でしょ?」
「…それ、自分で言っちゃうんですか…?」
「うん」

屈託のない笑顔で頷く彼のその表情は、もはや清々しいほどだった。

「だって相田さん俺のこと好きでしょ」
「……まあ、格好いいとは思ってますけど」

嘘。本当はふたりで会うたびに「あ、好きだな」って思う瞬間が増えていた。でもそれを認めるのはなんだか恥ずかしかったし彼の掌の上で転がされている気がしたから素直に頷けなかった。それさえも理解しているのか、彼はクスクス笑って私の顔をジッと見つめる。…やっぱり顔がいいなって改めて思ったのだ。

「いいよ、彼氏で。俺も相田さんのこと好きだし」

なんでもないことのように告白もサラリと言ってしまうから、多分この人には一生勝てないなって思った。そんな始まり。恋に上も下もないけれど人間関係には確かにそれがあって、恋も惚れたもの負けってよく言うから、多分スタートの合図のピストルが鳴った瞬間彼は私よりずっと先の地点に立ってたんだと思う。だから私は一生彼に追いつけないんだ。



あまりにも寒いから早足で向かうのは私の小さくて狭い2DKのアパート。悴む手で鞄の中から鍵を取り出して、流れる手つきで施錠を外した。重たい玄関扉を開けた瞬間。真っ暗な廊下と冷たい冷気を予想していたのに、目に飛び込んできたのは明るい玄関で、顔をくすぐるのは暖かい空気だった。驚きのあまり縺れる足。逸る気持ちを抑え込んで務めて冷静にパンプスを脱ぐ。下駄箱に仕舞って深呼吸。気合を入れなおした。そしてゆっくりと廊下とリビングを隔てる扉の前に立つ。もう一度、深呼吸。

(…いざ…!)

そんな風に気合を入れた私だったけれど。

「あ、おかえり〜」

酷く明るい声音が私を出迎えた。声の主はぬくぬくとひとりで炬燵で暖をとっている。私はひくりと頬を引きつらせるけど、どうやら彼は気づいていないらしい。「遅かったじゃん」と私に言いつつも、視線はテレビを見つめている。

「…成宮さん、今日来る日でしたっけ…?」

我ながら意地悪い尋ね方だと思うけど、致し方ない。そんな私に対して、『彼氏』の成宮さんはやっぱり顔を顰めた。端整な眉を寄せて、怪訝な表情でようやく私を見る。

「なに、来ちゃダメだったの?」
「…駄目じゃないですけど…急にはびっくりするので…」
「祥子ってサプライズって言葉知ってる?」
「……知ってます」

久しぶりの対面だというのに、雰囲気はあまりよろしくない。成宮さんの突然の来訪というサプライズに感涙しない私に、彼自身の機嫌は急降下だ。唇を尖らせて、私を見上げている。上目遣いになのになんでこんな威圧感があるんだろうか。

「俺が来てあげたんだからもっと喜んだら?」
「…すごく、嬉しいです…」

その言葉に嘘はない。成宮さんがこうして会いに来てくれるだけで嬉しい。だけどやっぱり声に陰鬱さが滲み出るのは、脳裏にあの週刊誌の文言が浮かび上がってくるからだ。
それに対して怪訝な表情を崩さない成宮さんだったけれど、その視線は私の顔から手に握りしめていたレジ袋へと移った。

「それ、俺が来るって思って買ってきたの?」
「…ひとり分です」
「買い込みすぎじゃない?」

ぷっと吹き出した成宮さん。そこでようやく彼の表情に笑顔が戻ってくる。彼は自分のとなりのスペースをポンポンと叩いた。私は荷物と鞄を床に下ろすと、特に異論なくそれに従う。腕をつかまれて、引き寄せられて、抱きしめられた。首元を擽る彼の柔らかい髪の毛。お付き合いが始まって約一年。こうした身体の触れ合いはいつまで経っても緊張するのだ。

「相変わらず仕事忙しい?」
「まあこの時期は毎年。繁忙期ですから」
「ふーん」

成宮さんが私の肩に顎を乗せて喋るから、耳元近くで彼の声がする。
繁忙期と伝えたようにバタバタと忙しい私と違って、長いシーズンがようやく終わりオフシーズンに突入した成宮さん。彼の指先が、私の甲をついっと撫でる。熱を孕んだその行動から目を逸らすように私はジッとテレビ画面を見つめた。

「あ、かわいい」
「相変わらず猫好きだね」
「だって可愛いじゃないですか」

画面の向こうで視聴者投稿のペット動画が流れている。人語を喋っているように見える猫とか、技を披露する犬とか、面白い言葉を喋るオウムとか。所謂『バズった動画』だ。深夜番組の緩い雰囲気にこちらまで肩の力が抜ける。アパートがペット禁止でなければ動物を飼いたい、となんて話を成宮さんにしたのはわりと最初の頃だ。
そんな風にしばらくふたりでテレビを見ていた。成宮さんは相変わらず私の身体にペタペタと触れる。十分ほど経った頃だろうか。彼はゆっくりと口を開いた。

「今日さぁ」
「はい」
「泊まってくけど、いいよね」

疑問形だけど、そこに反論の余地はない。成宮さんの唇が私の頬を掠めて、そしてゆっくりと私の唇を塞ぐ。甘い甘いキス。さっきまでアイスクリームでも食べていたんだろうか。温くなったヴァニラの味がする。目を閉じて、いつもそうするように彼の首に腕を回したら、途端に空気が甘くなる。…私が成宮さんに甘えられるのはこの時だけだ。ほんのひとときの幸福。溢れ出る感情を零さないように、彼に気づかれないように、私はいつもそれを自分の中に閉じ込める。
ーー『有名人』の彼に対して『一般人』の私が、我儘なんて言えるわけない。彼を独り占めできる権利なんて持ち合わせてないのだ。

(私だけを見て)

そんな思いに蓋をして、冷えたお互いの肌を重ね合わせた。


▼▼▼


成宮さんと一夜を共にした翌日、目を覚ましたら彼の姿はすでになかった。書置きはなし。でもいつものことだ。時間を確認するついでにスマホでラインを見たら『急用が出来たから帰る』という旨のメッセージが一時間ほど前に送信されていた。

「朝から急用ってなに」

呆れた言葉を漏らし、頭を抱え込んだ。別にいいんだ。私はしょせんその程度の『彼女』なんだ。自分に言い聞かせる。彼の前だといつも詰まってしまう言葉も、自分ひとりだとスラスラと紡げてしまう。我ながらへそ曲がりだ。そんなに彼に執着心があるなら、はっきりと彼に伝えればいいだけなのに。抱かれているときにそう思ったように、自分だけを見てって。そう言えば全て終わることなのに。

「まあその時は多分私たちの関係も終わるけどさ」

自虐的に呟いた。多分成宮さんには私みたいな『彼女』がたくさんいる。それを承知で付き合い始めたのは、自分だ。悲観に暮れて泣くのもなんだかおかしい気がするし、そもそも涙は出てこない。そりゃあ付き合い始めたころは何度も頬を濡らしたけど、付き合いを重ねていくうちに慣れた。出来ればずっと一緒にいたいと思うぐらい好きな人だけれど、きっとこの関係にはいつか終わりが来る。それを一番理解しているのは、自分。

「…掃除するか…」

不自然にめくれ上がった掛布団。ぽっかり空いた隣のスペース。それは彼が居たしるし。だけどもういない。いつまでもウダウダと悩んでいるわけにもいかないのだ。せっかくの休日、激務で疲れた身体を労わるべくダラダラしようと思っていたけれど、頭を占める憂鬱な気分を吹き飛ばすべく私はスウェットを腕まくりして立ち上がるのだった。


それから数週間。あの日以来、成宮さんが突然我が家に来ることはなかった。それに対して正直ホッとしたのは否定できない。だって、女子アナとかアイドルとか華やかな人たちと噂になっている人に、疲れ切ってへろへろになった自分の姿を見て欲しくはなかったから。そんな風に過ぎていった十二月。成宮さんと付き合い初めて迎える年末年始だったけれど、特にお出かけの約束をすることはなかった。私は実家に帰省せずに、ひとりで紅白歌合戦を見てそれから行く年来る年で年を越した。仕事始めは一月二日から。仕事が一息ついたついたのはそれからだいたい一週間後ぐらいだった。

新年会と称して久しぶりに友人と会ったのは、一月も半ばのころ。ちなみに成宮さんと知り合ったきっかけになったホームパーティーを主催してくれた彼女。つまり私たちの共通の友人ということになる。彼女と私は高校の同級生で、彼女の彼氏が成宮さんと高校の同級生という間柄だ。そんな友人は私の顔を見るなり「やば」と声を漏らした。

「すっごい痩せたね」
「…そう?」
「仕事そんなに忙しいの?」
「そりゃあ、年末商戦に初売りだからね。忙しかったよ」

そんな会話から始まったものの、なんだかんだと久々のお出かけを満喫した私。そんな中、友人がちょっと言いにくそうに口を開いたのは、お茶でもするかとふたりで入った喫茶店で、だった。

「…成宮君とどう?」
「……あー…うん…まあ…」

歯切れの悪さから察したらしい。「賑わせてるもんねぇ」とはやっぱり週刊誌のことだろう。私は眉を下げて、手元のカップに口をつけ、コーヒーを啜った。

「まあ成宮君モテそうだもんね」
「…そ。大勢いる『彼女』のひとりになれただけでラッキーなの」

溜息まじりにそんな言葉を吐けば、友人は首を傾げた。

「『彼女』が本当に大勢いるかは知らないけどさ、でも成宮君は祥子のこと結構気に入ってるみたいだよ」

それはたぶん友人の彼氏情報なんだろう。だけどその言葉に納得は出来ない。そんな思いが表情に出ていたのか、友人は呆れ顔だ。だから私もあからさまに話題を変えた。これ以上深く突っ込んできてほしくなかったから。それを彼女も理解したらしい。話は化粧品の話とか洋服の話とかそういう女子らしいものに移り変わっていった。そしてまた私が痩せたという話題に戻った。

「もういい年なんだから気を付けないと」
「わかってるってば。年寄扱いしないでよ、同い年でしょ」
「まあね」

そんな会話から、友人も最近は身体の不調が続いているらしく病院に通っているという言葉が続く。

「病院?大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。私、生理重くて。そういうので婦人科にかかってるだけだから」

私はその瞬間何故か手を止めていた。中途半端に胸元あたりで浮くカップ。友人はそんな私にまた首を傾げる。

「なにどうしたの…?」
「…いや、…えっと…」

ーー最後に生理きたのはいつだったっけ
そう考えると蘇ってくる記憶は、繁忙期に差し掛かりのころ。そのあとに成宮さんの来訪があった。…二か月近くきてないし、タイミング的には『ばっちり』だ。
それを認識して途端に胸が騒めく。震える指のせいでカタカタと揺れるカップをソーサーに戻した。言おうか言うまいか迷うところだけれど、狼狽えている私を友人は目の当たりしている。伝えるしかない。『事実』を口にすれば、友人はあんぐりと口を開けて私の顔をジッと見つめた。

「それやばいじゃん」
「…やばいよね…」

いや、本当に、切実に。盛大な溜息を吐いて、頭を抱え込んだ。

「……とりあえず近々産婦人科行ったら?」
「うん」

友人のもっともなアドバイスに、私は小さく頷くことしか出来なかった。


▼▼▼


「ただの生理不順だね」
「あ、そうですか」

先生のあっけらかんとした言葉に、脱力。気合を入れてこうして病院にやってきた身としては、なんというか、肩透かしをくらった気分だ。そもそもここに来る前に検査薬を使っておけばすぐに解決した問題だったな、と気づいたのは会計が終わった後。よっぽどテンパっていたらしい。
友人との会話で『妊娠疑惑』が浮上したことにより仕事終わりに予約をとった産婦人科からの帰り道。要らぬ出費で軽くなった財布と同様に足取りも軽い。妊娠してなくて良かった。最寄り駅から自宅までの歩き慣れた帰路。今日はコンビニには寄らなかった。まっすぐ我が家へ。明日も仕事だ。ここ数日私の肩に重くのしかかっていた疑惑が晴れて、身体まで軽くなった気分。スキップでもしてみようか。自宅アパートまではあと数十歩。年甲斐もなくヒールでリズムを刻んだその時だった。

「祥子!」

掛けられた声に、驚いて足を止めて振り返る。

「ちょっとなんでスキップしてるわけ!? 転んだりしたらどうすんの!!」

見たこともない形相で成宮さんはツカツカと私に詰め寄って、そして肩を掴んだ。えっ、なんでいるの、と突然のことに瞼をパチパチ。アッという声を上げる前に、成宮さんは強い力で私の身体をギュッと抱きしめた。

「…成宮さん明日からキャンプじゃないんですか?」
「……そーだけど。いまそれ関係ある?」
「いや、大事な時期になんでここに…」
「大事な時期だからこそだろ!?」

馬鹿じゃないの、という呆れた調子の成宮さんの言葉に私はやっぱり意味がわからない。普段から自信たっぷりで私を翻弄する成宮さんが焦ってる。なにがなんだか。頭の中はハテナマークでいっぱい。
それからしばらく私を抱きしめていた成宮さんは、ゆっくりとその腕の力を緩めた。そのまま顔を覗き込まれる。場違いかもしれないけど、私をジッと見つめる吸い込まれそうな青い瞳が綺麗だなって思った。

「…妊娠したんでしょ」
「!?」

成宮さんの大きな掌が私の下腹部をゆっくりと撫でる。

「大事な彼女が妊娠したんだから、顔見に来るに決まってるじゃん。すっげー心配でいても経ってもいられなくなって来てみたら馬鹿みたいにスキップしてるし…親に!なる!自覚を!もて!」

こんな焦った声を上げる成宮さんを、私は知らない。

「……成宮さん…って…」
「なに」
「…こういう子供っぽい面も、あったんですね…」

なんだか可愛くて、場違いだけど思わず笑みが漏れてしまった。そんな私に成宮さんはムッとした様子で唇を尖らせる。

「……いまはそんなことより子供のことでしょ」
「………あの、ですね…非常に言いにくいことなんですけど…」
「………」
「ただの生理不順だったみたいです」

私のへらりとした言葉に、成宮さんはしばらく固まった。それは、もう、たっぷりと。それから「……マジで…」と口端から漏れた小さな驚きの声。

「マジですね。すみません、私如きに要らぬ心配を掛けてしまって…」
「……あのさぁ…」
「…はい?」
「前から思ってたけど、なんでそんな風に自分のこと下げるような言い方するわけ?」
「……なんでって言われましても…」

そんなこと聞かれても困る。だって目の前にいるのはあの成宮鳴なのだ。彼の時間は安くない。それは十分理解している。

「…成宮さんの、たくさんいる彼女のうちの、ひとりですから…」
「…ハァ?!」
「?!」
「なにそれ、誰が言ったの?!」
「…いや、あの、…成宮さん、たくさん週刊誌にスッパ抜かれてるじゃないですか?」

私がそれを知らないとでも思ったんだろうか。確かに面と向かってその話題を話したことはないけれど、それは成宮さんにうんざりされたくなかったからだ。雑誌を見てモヤモヤを抱えるぐらいには、私は成宮さんを好きだし…なんだったらビンタのひとつぐらいしたいほど怒りの感情を抱くこともあった。だけどそれをする権利を私は持ち合わせてないから。それを充分すぎるほど理解しているからこそ、

「ずっと格好いいなって思ってた有名人の成宮さんと……大好きな、成宮さんと…こうして『彼女』でいれるだけで、私は嬉しかったんです」

精一杯の笑顔で彼と対峙した。頬は震えるし鼻の頭はジンと熱くなるけどやっぱり涙は出てこなかった。彼の目に焼き付く私の最後の姿が泣き顔なんて、絶対に嫌だ。そんな風に思う私は最後までやっぱり意地っ張り。

「…なんで過去形なわけ」
「え…」
「ていうか、さっき俺祥子のこと大事な彼女って言ったよね?聞いてなかったの?だいたい俺のこと大好きっていうのになんでいつまでも『成宮さん』で、敬語なんだよ…連絡もそっちから寄越さないし…」
「それはまあ線引きというか」
「線引きする必要なんてないだろ!俺は!祥子が好きなの!彼女もお前しかいないの!…だいたいさぁ…祥子が俺のこと格好いいって言うから色々頑張ってたのに…」

まるで成宮さんは子供だった。地団駄を踏む子供。……そこで気付いたのだ。私はもしかしてとんでもない勘違いをしていたんじゃないかってこと。だけどやっぱり気になるのは、一ヶ月近く前に目にした週刊誌の文言。あれはどう説明してくれるんだろうか。もはやその境地は好奇心だ。

「じゃああの美人な女子アナは?今まで噂になってたアイドルは?どうなんですか?」
「……祥子が冷めてるから多少ヤキモチ妬かせてやろうって魂胆がなかったわけじゃないけど。でも何にもなかったよ。別に二人きりじゃなかったし。それに、あのアナウンサーの人とは…」
「……とは…?」
「あの人、猫の保護活動やってんの。祥子があんまりにも猫可愛いっていうから、プレゼントしてあげようって思って詳しく話聞いてただけ!言っとくけどこん時もふたりっきりじゃなかったからね?!」
「…うちのアパート、ペット禁止ですよ…?」
「知ってる。だから俺の家で飼えばいいかなと思ってた。で、ついでに、まあ…一緒に暮らせればなぁと…」

言葉尻がどんどん小さくなっていって、最終的に成宮さんは口籠った。

「…なんで、そんな、…だって…言ってくれないから…私…ずっと…」
「…祥子ってサプライズって言葉知ってる?」

それはいつか聞いた言葉とまったく同様なもので。私は思わず頬を掻く。成宮さんは相変わらず唇を尖らせて、頭を掻いている。言葉もなく見つめ合う私たち。先にその均衡を破ったのは、私の方だった。

「…成宮さんって…」
「なに」

ずっと疑問だったのは、なんで彼が私を選んでくれたのかってこと。だけどその答えはーーー案外単純で、凄く近いところにあったみたいだ。

「成宮さんってもしかして私のこと大好きですか…?」
「…今頃わかったの?」

成宮さんはそう言いながら、そっぽを向いた。その瞬間視界に映るのは、その柔らかな髪の毛の隙間から覗く真っ赤になった彼の耳。私はそれを見た途端、もうたまらなくなって、はじめて自分からその『一線』を踏み越えて、彼の身体に触れたのだった。


「成宮に振り回される話」というリクエストで書かせていただきました…が、蓋を開けてみれば成宮も振り回されてた話。坊や要素がこれだけ残ってる成宮を書いたのは何気に初めてですね。原作軸で書くことも考えてましたが、ミスリードを誘いたかったのでこのような設定で書かせていただきました。肝心なことを言わない者同士ある意味お似合いのふたりを書けて楽しかったです。sui様改めてリクエストありがとうございました!