スプリング、ハズ、カム。


ハッキリと言ってしまえば、私の『好み』はどうやら人になかなか理解されないらしい。

子供の頃にみんなが夢中になって見ていたアニメ。みんなが好きだった代表的なキャラクター。勿論私も普通に好きだったけど、でも一番じゃなかった。一番好きだったのは「え?それ?」とみんなが首を傾げるようなーーそんな地味な存在。勿論、それをモチーフにしたグッズなんていうのは皆無だ。親にねだって買ってもらおうにも、そもそもそのキャラクターの商品がない。親は仕方なく「祥子の好きな作品には違いないんだから、これにしたら?」とメインキャラクターが描かれた品物片手に困り果てていたのを覚えている。でも私は諦めなかった。たどたどしい文字で、「私の大好きなキャラクターの筆箱が欲しいです。お願いします」と手紙を書いて、グッズを制作している会社に手紙まで出した。
そんな私を両親は呆れながらも、否定しなかった。

「行動力は人一倍よねぇ」
「いいんじゃないか、好きなものに一直線。なかなかできることじゃないぞ」

我ながらいい両親のもとに生まれたと思う(ただこの話は未だに正月の酒の場の話のタネになっているのは、なんだかいただけない)。そんな風に、ちょっと人とは違う感性と、何事も否定せずおおらかな両親のもとに育った私は、その後もすくすくと育った。

そうして迎えた思春期。
そもそも思春期とはなんだろう。
春を思う時期。
春とは?
考え始めるとなかなかに深い問題だ。
人生の春、それってなんだろう。
なにかに夢中になること?
新しいことを始めるっていうこと?

その定義は、人それぞれ。
そして私にとってそれはーー『恋』だったのである。



「好きです、付き合ってください」

差し出した手。同時に頭を下げたので、私の視界にはツルツルとしたリナリウムの廊下とか目の前に立つ彼の靴の爪先が目に入る。耳には、「あの子やるなぁ」とか「スゲー公開告白」とか、場を囃し立てるヒューヒューという口笛が届いた。

「俺?」
「はい」
「御幸じゃなくて?」
「え、誰ですか、それ」

顔を上げて首を傾げたら、何故か私の目的の人の隣に立っていたモブたち(多分意中の彼と同じ野球部)が苦笑いを浮かべていた。いや今はそんなこと、重要じゃない。改めて、彼に向かってずいっと手を伸ばす。

「私、白州先輩が好きです。お付き合いが無理ならお友達からでも大丈夫です。友情から始まる恋もあると信じてます。だから、何卒よろしくお願いします」

もはや私は三つ指つかんばかりの勢いだった。

「…まあ、友達からなら…」

そもそも先輩と後輩の間柄で友情関係が結ばれるかどうかというのは甚だ疑問ではあったけれど、この時確かに彼ーー白州健二郎さんは私の手を握った。それは「よろしくお願いします」の意味を持つ。これが公開お見合い番組であるなら、プロポーズの承諾だ。この場合は私からの逆プロポーズ。
大きな掌が、私の手に触れる。その瞬間、予想以上の力強さと男らしい指先に、思わずクラリと目眩を感じたのだ。

「鼻血でてる」

野球部のモブに指摘された通り、あまりの嬉しさに私の鼻の血管は限界を迎えたらしい。でもそんなことどうでも良かった。私は天にも昇る気持ちで、へらり、と笑う。興奮のあまり表情筋すら馬鹿になっていたのだろう。

とにかくそれが私と健二郎さんのはじまりだった。





「あーーー…健二郎さんが格好良すぎる…」

机に突っ伏して、もはや口癖になったその言葉を呟けば、隣の席に座る友人は呆れ顔だ。

「そんなに格好いい?」
「最高に!格好いいでしょ?!なんでわかんないの!?」
「まあブサイクではないと思うけど…塩顔男子?だけどさぁ、ここで私が格好いいねって言ったら、それはそれでアンタ怒るじゃん」
「うっ…まあ、たしかに…健二郎さんの良さを知っているのは私だけでいい…」
「マイナー厨あるある」

もはや友人は私の性格を正確に(ギャグじゃないよ)把握しているらしい。呆れ顔で額をデコピンされた。

「まあ、良かったんじゃない?無事に恋人に昇格出来て」
「そうなのー!!!」

まさしく私の粘り勝ちだ。つい先日、健二郎さんからお付き合い承諾をいただいたのは記憶に新しい。…いやあ、長かった…。半年だよ、半年。本当に我ながらよく頑張ったと思う。忙しい野球部の邪魔だけはしないように、でもちゃんと恋人前提友人関係を意識してもらえるように。苦心して苦心して外堀から埋めていくように健二郎さんのクラスの方々とも仲良くなりつつ…という努力の半年間。

「まだ諦めてないんだな」

あの日、健二郎さんはそう言った。
話の流れで「やっぱり白州先輩のこと好きです」って何度目かの愛の告白を口にしていた私。その言葉に対する返答だった。
最初その言葉を聞いた時、ほんの少しばかり心臓が嫌な音を立てたのを覚えている。言葉だけ聞けば、「もういい加減諦めてくれ」そう言われてる気がしたのだけれどーー健二郎さんの目は、優しかった。

「諦めるわけないじゃないですか」

勇気を出すように掌を握りしめ、へらっと笑って見せた私。健二郎さんはそんな私に目を細めた。

「正直恋人らしいことなんてなにひとつ出来ないんだぞ」

それは改めて意思を確認するような、そんな言葉だった。私は首を振り、そして力強く頷いて見せる。握りしめた手は、胸元でガッツポーズに変化した。…いや、どちらかというと、軍隊の敬礼ポーズ…?心臓を捧げます、みたいな。

「大丈夫です。私は…!白州先輩がいいんです…!!」

だって彼は目の前に存在しているのだ。幼い日に喉から手が出るほど欲しかった推しキャラの筆箱とは違う。結局アレは幻となって消えた。だってメーカーから送られてきたお返事は活字で「貴重なご意見ありがとうございました」だったのだ。
だから、だからこそ…今度は、絶対手に入れたいって思う。正直、筆箱と好きな人を同等に扱うのってどうなんだろうって思われるかもしれないけど、私にとってはどっちも大事な存在に違いなかった。

「長い間、待たせて悪かった」

健二郎さんはそう言って、私の前に手を出した。……これって、本当に、そういうこと?現実…?なんて考えている間も、彼の手が引っ込むことはなくて。私はおずおずとその手を握りしめる。硬い掌。ずっと触れたかった、手。

「よ…よろしくお願いします…!」

いつかの再来。でも意味合いは全然違う。

「今度は鼻血出さないんだな」

揶揄うような雰囲気を孕んだその声に、私は顔を真っ赤にしてーー結局、だらりと口元に生暖かい液体が伝ったものだから、健二郎さんは笑った。その顔が今まで見たことのない表情だったから…ああ…きっとこれからこういう表情を私は沢山見ることが出来るんだなって。そう思って、私はやっぱりだらしなくへらりと笑ってーー

「おーい、だらしない顔してるぞー」

と、回想はここまで。目の前でパチンと叩かれる手。友人の呆れた表情を脳が認識して、意識が現実に戻される。
それでもやっぱり頭の中は、相変わらずお花畑だ。お付き合いするまで白州先輩呼びだったのが、了承を得て名前呼びになったものだから無駄に名前を呼びたくなってしまうし、彼の話ばかりしてしまう。そんな私の話に付き合ってくれる友人は呆れながらも「まあ今が祥子の人生の春だろうから」と、優しい。今度友人の大好きなアイドルグループの妄想話にじっくりと付き合うからね、と決意を表明すれば「アリガト」と随分クール。

「あーー早く、昼休みにならないかなーー」

そしてずっと昼休みならいいのに。今のところ健二郎さんと会える時間は、そこだけなのだ。本当は毎回の休み時間に会いに行きたいけれど、それは流石に向こうも迷惑だろうと自重してる。お付き合いするまでは時間があればとにかく健二郎さんの在籍するクラスに足が向いていたけど、今は『彼女』なわけだし…と、猪突猛進にも少しばかりの理性が備わったわけだ。

「ま、祥子が幸せそうで良かったよ」

相変わらず呆れ顔だけど心優しい友人に、格好いい彼氏。私の学生生活はまさに薔薇色だ。罰があたらないだろうか。でもこれまでの(推し的な意味で)不遇の人生を考えると、まあこれでトントンかなぁ、なんて。相変わらずだらしない顔で、

「幸せだぁ」

と頬を緩ませた。
ーーそれは、ほんの2時間前の出来事だ。
まさか、まさか。



「これ以上幸せなことあると思いますか…!?」

なんて、顔を真っ赤に、鼻息荒く健二郎さんと対峙することになるとは思わなかった。目の前に差し出されたワイヤレスイヤフォンを持っているのは男らしい節くれだった掌。勿論それは、健二郎さんの手で。

待ちに待った昼休み。生徒たちで賑わう食堂の片隅で、向かい合って座る私と健二郎さん。目の前にはぺろりと平らげた日替わり定食の空皿、ちなみに健二郎さんは白米三杯もぺろり。見ているだけでお腹いっぱいになったのは内緒だ。そんな風に、いつも通りの風景というかーーついさっきまではいつも通り普通だった気がする。食べ終わって、ふたりで手を合わせてごちそうさま。食後のちょっとした一服で、話題にあがったのは健二郎さんが好きなバンドの話だった。最近、新曲が出たらしい。柔らかな表情を浮かべて、「いい曲だ」とおすすめしてくれた。正直音楽の趣味はまったく違うけれど、好きな人の好きなものの話は聞いていて楽しい。ニコニコと笑みを浮かべて「聞いてみたいです」なんて言った私に、健二郎さんが徐に取り出したワイヤレスイヤフォン。

「聞いてみるか」
「えっ」

そんなわけで、先ほどの台詞に戻る。

「いいんですか…?」
「ああ」

健二郎さんの頷きに、私はおずおずと手を伸ばした。ふたつあるうちのひとつを手にとって、耳に装着する。受け取る時に指先が触れた硬い掌。その感触に思わず頬が赤らんだ。誤魔化すように目を伏せれば、突然耳元に流れ始めるメロディー。英語の歌詞の意味はさっぱりわからないけれど……ラブソングではなさそうだ。わりとゴリゴリの音楽を聴くんだなぁ、なんてこれもまた健二郎さんの新しい一面を知れて、頬が緩む。
ざわりざわりと騒がしい食堂。
そんな中で、私と健二郎さんだけが同じ音楽を共有している。それを自覚した途端、

(超エモい…)

心臓がバクバクと、主旋律に応えるように心拍数をあげた。今日が私の命日かもしれない、なんて。音楽が鳴りやむまで、私の口とにかくだらしなく開きっぱなしになってしまっていたものだから、掌が口元から離すことができなかった。
窓際の席、食堂の窓に差し込む暖かい日差し。目の前には愛しい愛しい健二郎さん。目が合う。彼が私を見ている。つぶらな瞳で、私を、見ている。激しい音楽とは程遠い……いつまでも続いて欲しいと願ってしまうほんの一瞬。

ーー嗚呼、これでこそ、人生の春だ!

長い不遇の時を経て、こうして手に入れた宝物。私って世界一幸せ者かもしれない。毎日そう思っているけれど、毎日その想いは常に更新されていくんだから、恋の力は偉大。
そんなことを考えている間に、曲は気づけば終わっていた。ふっと耳から外されるイヤフォン。健二郎さんの親指が、私の耳朶に触れる。戻ってくる騒めき。

「いい曲だろ」

健二郎さんの言葉に、小さく頷く。健二郎さんは、イヤフォンを仕舞いながら、言葉を続けた。

「最近は昼休みだけだな」
「え?」
「前は休み時間にも来てくれてただろ」

顔を上げれば、健二郎さんと目が合う。彼はただ私の顔をジッと見つめていた。

「…こないだ言った通り、たいして恋人らしいことなんて出来ないんだから、別に遠慮しなくてもいい」
「……それは…」

もっと会いに行っていいってことですか。小さな小さな声で尋ねれば、健二郎さんはなんにも言わなかった。だけど目を見たらわかる。そうだと言ってる。それが理解る。
その途端、私の心臓はギャーッ!と悲鳴を上げる。嬉し過ぎて死にそうって実際あるんだな。勉強になった。なんて考えとは裏腹に、机に突っ伏す私。ひんやりとしたテーブルの感触が頬を冷やす。気持ちいい。熱い。でも、気持ちいい。

「……やっぱり今日が私の命日かもしれないです」

私が消え入りそうな声でそう言えば、健二郎さんはゆっくりと私の頭を撫でた。その暖かさを噛みしめるように目を閉じて、ただしばらく、そのままでいた。

きっとこれからも、
私と健二郎さんの春はこんな風に続いていく。今、心から、そう思う。

薄ぼんやりとした閉じた目蓋に差し込む光を感じながら、私はやっぱり「幸せだぁ」と呟くのだった。


「お互いのことが大好きな青春を感じる作品、完全におまかせ」ということで書かせて頂きました。イメージソングは概念。うまく歌詞から引用することは出来なかったですし、夢主ばかりが好き好き!って感じですが、白州先輩は口に出すよりも行動で示してくれるだろうと思いこんな話の展開になりました。普通のイヤフォンでお互い曲を聴くのもエモいですが、ワイヤレスもなかなか…というのは最近ツイッターで見かけたどなたかの呟きより。たしかにこれはエモいな、と思って書きました。
お付き合いが始まったばかりの(いい意味で浮ついた)時期は、振り返ってみればまさしく「人生の春」だなぁと思います。書いていて楽しい夢主でした。魚雷ガールさん、改めて素敵なリクエストありがとうございました!気に入っていただけたらとっても嬉しいです。そして今後もぜひ仲良くしてくださいね。